風の村へ
太陽がようやく顔を出す時間。
何時もの服を着て小さなリュックを背負い、玄関から外に出た。
「おはようございます」
すでに到着していたロナントとレッドに挨拶をして、朝の心地よい空気を胸一杯に吸い込んだ。
「おはようミツキ」
「はよー。準備出来た?」
二人は二頭の馬を連れている。茶色の毛並みに緑の眼。これが風馬。
「はい。お二人に付き合わせてしまってすみません」
「いーのいーの。好きでやってるから」
「手がかりがあるといいな」
ロナントがわたしの荷物を受け取って、慣れた手つきで馬に括り付けていた。
「それから……昨日……」
首を傾げた二人と目が合った。そしてほぼ同時に気が付いたようだ。
「お酒で倒れた事? 大丈夫、気にしてないよ」
「アルコールを飲ませた方に問題がある。気にするな」
二人とも本当に気にしていないようで、ほっとした。
酷い酔い方をした挙句に倒れるなんて……もうお酒は飲みたくない……
「レッド、村は何処だ?」
「ちょっと待って」
レッドが複数の妖精の口に指先を突っ込んで魔力を流す。
『おいしい』
『もぐもぐ』
『ほっぺ落ちちゃう』
「風の村を探して」
指示を出すと複数の妖精がいっぺんに空にのぼっていき、四方に分かれた。
すぐに一人の妖精が帰って来た。
妖精は指差しで方向を示していた。
「向こうみたい」
「東か。分かった、行くか」
レッドが荷物がたくさん載っている方の馬に乗り込んだ。
ロナントは馬に乗り込んだ後、手を差し伸べてくれた。
「ミツキ!」
その手を取ろうとした時、後ろから声がかかった。
振り向くと、玄関の前にロアが立っていた。
まだ寝ていると思ってベッドから抜け出して来ていたので、今日初めて顔を合わせる。
ロナントを見るとロアを見て手を引っ込めてしまっていた。
「ロア」
小走りで近寄る。ロアは苦しそうに眉を寄せていた。
まだ胸が痛むのだろうか。
手を伸ばすと両手を包み込むように握ってくれた。
「行くのか」
「……うん」
「どうしても、なのか」
行かせたくない気持ちが言葉にも行動にも表れていて、わたしも苦しい気持ちになる。
「もし帰る方法が見つかったとしても、戻ってくる」
「……」
「お礼を言いに帰って来るから」
ロアはずっと繋いだ手を見つめていた。
「約束か……?」
「うん! 約束」
小指を立てて、いつも通り指切りをした。
この世界ではわたしとロアだけの約束の仕方。
「………」
何時までもロアが離してくれない。
お互い無言のまま小指を繋げている。
「ねえ……わたしを見て」
小指ばかりを見つめるロアとようやく目が合った。
その目は「いくな」と言っている。
わたしはロアの胸ぐらをつかんだ。
力一杯引っ張って、前かがみにさせたロアに触れるだけ口付けた。
自分からのキスを成功させたのは初めてだった。
「ちゃんと帰るから」
「うん」
「これが最後じゃない」
「うん」
「約束」
「……やくそく」
名残惜しそうに手が離れ、ロナントの方に向かって行く。
手を借りつつ何とか馬に乗り込んだ。
「いいのか」
「はい」
手綱を引くと、馬が歩き始める。
「ロア、行ってきます」
馬が軽快な足音を立てながら走り出す。
最初は地面を走っていたが、少しずつ浮かび上がって行く。
「ミツキ!」
姿が確認できるぎりぎりでロアが声を上げた。
「気を付けて!」
大きく手を振る姿を最後に、馬が高度を上げた。
朝の冷たい風が頬を撫でる。
ロアから離れて行動する事なんて、初めてだ。
不安もある。でもそれ以上に。
わたしは……家に帰らなくちゃいけないから。
だんだんと屋敷が小さくなっていく。ロアの姿はもう見えない。
グラスバルトの広大な敷地を一望し、それすらも小さくなっていく。
城が見えた。あそこに陛下やレンが居るのだろう。
王都を一望できる高度まで来た。上から見るとやっぱり王都は広い。何時かロアと街を回ってみたい。
遠くにはカナトラが見えた。ロアの言っていた通り王都よりは狭そうだ。
「ミツキ、一つ聞いて良いか」
「はい」
後ろに乗っているロナントに言われ、少しだけ振り向く。
「別れるのはつらくないのか」
下唇を噛んだ。
今から考えただけで胸が張り裂けそうだ。笑顔でお別れは言えないかも知れない。
「兄弟は居るのか?」
「弟が一人……」
「ご両親は?」
「両方います」
「そうか……」
ロナントは一瞬だけ目を伏せた。
長い睫毛が良く見えた。
その表情はロアの事を憂いて居るように見えた。
「ロアにはミツキしか居ないんだ。それだけは覚えておいてくれ」
それだけ言うと馬のスピードを上げた。
念の為にとかぶって来た帽子を片手で押さえ、深くかぶり直す。
ロナントの言いたい事は、簡単に分かる。
祖父が孫の行く末を案じるのは当たり前の事だ。
此処で直接帰らないでくれと言わないのは、わたしの気持ちも尊重してくれているから。
「わたしが帰ってしまったら……ロアはどうなってしまうのでしょう」
「それは……」
言葉を詰まらせるロナントに、聞くべきでは無かったと後悔した。
「考えない方が良い。家に帰る事だけを考えなさい」
頭に手を乗せられた。
家に帰ったら……ロアは……わたし以外に恋をしてほしい。
沢山恋愛をして、わたしの事を早く忘れて欲しい。
*****
風の村、手前までやって来た。
道中何度もレッドが妖精に場所を聞いていた。
最短距離で此処まで来た為、太陽が昇り切る前に到着する事が出来た。普通の馬だと数十日かかるそうだ。
空から見た村は、大きなテントのようなものがいくつも草原に置かれており、馬、山羊、牛の存在も見えた。
村に直接降りる事も可能だったが、少し離れた所に降りる事にした。
何故なら、風の民がすでに武装状態だったからだ。
風馬に気が付いた彼らは、女子供を守らんとして弓や剣を持ってこちらを窺っている。何度も女性を攫われた歴史から、当然の反応だと言える。
「ちょっと待ってて」
まずレッドが前に出た。
風の民の証である黒髪を見て、少しだけ周囲がざわつく。
「おれはレッド! 村長の兄、オーランドの娘だ! 父は居るだろうか!」
離れた場所なので大声で話しかけた。
すると、青年が一人剣を持って前に出てきた。
剣の形は、レッドと同じ刀のようだった。
「お前の事を他に知る人間が村に居るか問う!」
「村長の親戚ならば知っているはずだ!」
青年は後ろに控えていた他の男性に目配せをし、一人が早足で去って行った。
「何用で参った!」
「父の顔を見に来た! 肉親である父を心配するのは娘として当然だ!」
やがて、小走りで40代ほどのふくよかな女性が現れる。
先程の男性が呼んだみたいだった。
「姉さん! レッド姉さんだわ! 全く変わってない!」
青年が止めるのを意に介さず、レッドに走り寄った。
「久しぶり! えーと……」
「リツナです! もう30年振りですね」
「そんなに経った?」
「私がまだ若くてモテていた頃ですから……」
白髪交じりの黒髪に笑いながら触れた。
リツナの姿はいわゆる肝っ玉なお母さんみたいな感じ。実際そうなのかもしれない。
「村長とオーランド様は狩りに出かけています。もうすぐ戻られると思います」
「分かった。そうだ、連れが居るんだけど」
リツナが遠く離れたわたしとロナントを見た。
「旦那様……ですか?」
「そう。んで、隣に居るのが……」
レッドは空を見上げ、少しだけ悩んだ。
「孫が好きな子なんだけど、色々あってさ」
「グラスバルト本筋のお孫さんですか?」
「そ! 跡取り!」
「まあ」
遠くから青年の苛立った声が届く。
「リツナさん! 危ないよ!」
「危なくないわ! 私の親戚よ!」
そう返して笑顔で私達を見た。
「ミツキ」
レッドに呼ばれてロナントと一緒に近寄る。
「帽子取って」
「え? でも……」
「此処は大丈夫だから」
恐る恐る帽子を取った。黒髪と青い瞳があらわになる。
リツナが驚いている。
「こんにちは。私はリツナ、あなたは?」
「美月です。はじめまして」
「ミツキはハーフ? 血を引いているの?」
「いえ、わたしは……風の民の血を引いてはいません」
リツナがちらりとレッドを見た。
特に肯定も否定もしないレッドに溜息を吐いた。
「色々と訳ありって事ね。分かりました、村を案内しましょう」
リツナを先頭に村に向かって歩いて行く。
途中、レッドと会話していた青年とすれ違った。
ものすごい顔で睨まれた気がした。
ともあれ無事に村に入る事が出来た。




