いってらっしゃいの…
早朝、息苦しさを感じ目を開けた。
何故か体が重かった。
「んぅ……んん……?」
体の上に乗っている重たい物から逃れようとずるずる動く。
すると、ぴくりと重たい物が動いた。
「ぁっ……ふぇ?」
わたしはあっという間に伸びてきた手に捕まって、何かの下敷きになった。
その後は少しでも動こうものなら行動を遮ってくる。
……此処、何処? 自分の部屋だよね? ロアの家の……あっ、ロア!
鮮明になった頭が、ようやく昨晩ロアと一緒に寝た事を思い出してくれた。
「ろ……ロア……?」
「……すぅ……すぅ……」
規則正しい呼吸音が聞こえてきて、まだ寝ている事を察する。
トントントン
何時ものノックの音が聞こえてきて、扉に視線を投げかける。
「おはようございます。ロア様。朝でございます」
老人の声……ロアに付いている執事だろうか?
執事は気を使っているのか扉を開けようとはしなかった。
「ロアっ、起きてロアっ」
「………ぐぅ……」
ぐらぐらとロアを揺する。
しかし、起きる気配がない。
わたしを抱きしめたまま頑なに動こうとしない。
わたしは抱き枕ではない!
「もうロア! 朝だってば!」
「すー……すー……」
必死に起こそうとして、ふと気が付いた。
少しの物音でも起きるような人が、こんな事されて起きないのか? と。
「ロア」
「……ぐー……」
「本当は起きてるでしょ」
ぱちっとロアの目が開いた。
いつもの赤い眼がわたしを見上げた。
まったく眠たくなさそうだ。
「ばれたか」
「ばれたかじゃない! もう離して!」
「ちぇ」
ロアは悪戯が露見した子供のような顔をしてようやく離してくれた。
何度か扉の向こうでロアを呼ぶ声が聞こえる。
ロアがベッドから出て、扉の鍵を解除してから扉を開ける。
「おはようございます。ロア様」
「ああ、おはよう」
「良く眠れましたか?」
「とても良く眠れたよ」
「何よりでございます。朝食の準備が出来ております」
「部屋に戻って着替えてから食事にする」
「かしこまりました。お召し物の準備をして参ります」
「頼んだ」
執事は頭を一度下げて去って行った。
ロアの部屋に向かったのだろう。
その後、またロアはわたしが居るベッドに戻って来た。
「おはようミツキ」
「うん……おはよう……今日も騎士隊の仕事?」
「そうだな。何時もは訓練か街の見回りだけど……今日は王族、と言うか国王陛下の護衛任務」
「わあ、すごい! ロアってそんな事も任されてるの?」
「1番隊なら普通、かな。護衛と言っても陛下は城の外に出る事は無いだろうし」
「それでも十分すごいよ!」
王族って、アーク様と契約して不毛だったこの地を豊かにしてる人でしょ?
居なくなったら大変な事になるのは考えなくても分かる。
そんな人を守る職務に付くロアはすごいと言えると思う。
日本で言うと総理大臣を守るSPみたいな感じだろうか?
「もう起きる? まだ寝てる?」
「起きるよ。目が覚めちゃった」
「なら一緒に朝食を取ろう」
「うん、いいよ」
誘いに頷くと、ロアは着替えてくる、食堂でと言い残し部屋を出て行った。
ロアが部屋を出た後、扉に近付く。
さっきロアが扉の鍵を開けていた事を思い出し、確認しに来たのだ。
わたしの世界の鍵と仕組みはそう変わらなさそうだった。
と言うか鍵がかけられる事を知らなかった。
朝、普通にセレナが入ってくる光景を思い出し、その手に鍵が握られている事に気が付く。
もしかして……わたしが寝た後、鍵をかけてくれていたのだろうか?
なんでそんな……言ってくれれば自分で締めたのに……
まあ、取り敢えず、いいか……着替えて朝ごはん食べよう……食堂の場所分からないからセレナを呼ぼう……
そう思いつつ、ベルを手に取った。
*****
何時もの服に着替えたわたしは、セレナに案内されながら食堂へ向かった。
途中、部屋の鍵について聞いたところ、わたしが夜、一人で出歩くのを避けたかったと語った。
出て行きたくても鍵がかかっていて開け方が分からないとなると、セレナを呼ぶしかないだろう。
……まあ、部屋にトイレが付いてるホテルみたいな部屋だから出て行く必要が無いと言えるけど。
食堂に入ると部屋には不貞腐れたようなロアと、食事を終えコーヒーを飲むロゼの姿があった。
ロアは1番隊の騎士の服。ロゼは……元帥の服、だろう。最初に会った時と同じ服だった。
ナタリアの姿は無く、まだ体調がすぐれないのかなと少し不安になった。
「ロゼさん、おはようございます」
「ああ、おはようミツキ」
「あの……ナタリアさんは……?」
恐る恐る聞いてみると、昨日よりは大分良くなった、と教えてくれた。
昨日のように寝たきりにはならないだろうと聞いて、胸を撫で下ろした。
ロゼはロアを見た。
何か言いたそうにしているが、話しかけられないようすだった。
もしかしたら、昨日ロアがナタリアに謝った事を聞いたのかもしれない。
「旦那様……そろそろ」
「……ああ、分かった」
執事に言われ、ロゼは立ち上がった。
後から聞いたが、昨日早くに帰って来た為、仕事が溜まっているらしかった。
部屋から出て行こうとするロゼに、不貞腐れた顔のままロアが話しかけた。
「父上……お気をつけて」
ロゼは目をまんまるにして驚いた後、ゆっくり微笑んだ。
その笑顔はロアとよく似ていた。
「ロア、今日は陛下の護衛なのだから気を引き締めろよ」
「……分かっています」
ふい、とそっぽを向いた息子に父親は笑った。
わたしも、いってらっしゃい、と挨拶をした。
ロゼはいってきますと言って笑った。
わたしは嬉しそうな背中を見送った。
「ロア」
「なんだよ……」
「良かったね」
ロアは何も言わずに頷いた。その様子を見て、わたしも笑った。
食事は箸を使って食べた。
見た目はフランス料理っぽいのに箸で食べていいのだろうかと後から思ったが、誰にも咎められないので使いやすい箸で頂いた。
初めてわたしが箸で食べているのを見た人は大層驚いていた。
食事を終えて、ロアを見送りに玄関までやって来た。
「いってらっしゃい」
「いってくる」
ロアは背中に大剣を背負って、バックを肩から下げていた。
重そうだ……特に大剣が。
「馬車で行くの?」
騎士隊の訓練地はお城の隣にあると聞く。
此処からお城は見えるけど、それなりに距離があるように感じる。
と言うか、この屋敷が街から少し離れた場所にあるとも言うが。
「馬車で行ったら遅刻だろうなあ……」
「ええ!? じゃあどうするの?」
「走って行くか、魔法で飛ぶか」
「魔法で飛ぶ!?」
最高位ともなると魔法で空を飛ぶ事ぐらい朝飯前だそうで……そうなんだ、知らなかったなあ。
何時もは訓練場まで文字通り飛んでいくのだが、今日は走ってくそうだ。
「昨日、おばあ様に撃ち落とされそうになって……」
「ああ……レッドさん……」
飛んでいる間は敵に発見されやすい事を学んだロアだった。
「でもロア……家の敷地から出るのも大変だって言ってなかった?」
最初此処に来た時にロアにそう言われた記憶がある。
走って行くのは無理なのでは……?
「身体強化魔法を使えばそれほどでもない」
そう聞いて、やっぱり魔法は便利だなと改めて思った。
最近魔法を使ってない気がする。そろそろ練習しないと忘れそう。
「いってらっしゃい」
そう言ってロアに手を振るが、
「……?」
ロアはじっと私を見たまま動かない。
何故かわたしの両肩に手を置いた。
ロアの顔を見上げる。綺麗な顔に宝石みたいな眼。
「いってらっしゃいのキスは?」
「…………はい?」
煩悩に溢れた要求に戸惑う。
そんな、同棲したての恋人か何かか?
「仕事遅れるよ?」
「走れば間に合う」
「走……そうか………ごめん、なんだっけ? もう一回言って」
「いってらっしゃいのキスは?」
聞き間違いでは無かった。
何故、今そんなものを要求する。
答えは簡単だった。
昨日我慢したから、見返りが欲しい。わたしからのキスが欲しい。
「勿論、口に。頭とかじゃなくて」
ロア……あの時の事、根に持ってたのか?
人前を理由に断ろうとすると、何故かセレナもサラも、周りに居た使用人達はすでに何処かに行ってしまっていた。
なんで!?
「ほら此処だよ、ミツキ」
ロアは自分の形の良い唇を指差す。
ほら、って言われても……
「恥ずかしいから無理」
「……そう、分かった」
珍しくごねないロアに違和感を感じる。
分かったと言いつつもわたしの両肩を離そうとしない。
「今夜俺はミツキを好きに出来る権利を得たと言う事で、いいだろうか」
「!?」
「あー、何しようかなー……期待して待ってろよ」
心の中で悲鳴を上げて、首を左右に振った。どうしてそうなる!?
何も期待できないから!
「俺は我慢した。見返りは?」
「ろ……ロアが勝手に我慢しただけでしょ!」
「うん、そうだよ。もう我慢しなくて良いんだよな? そう言う事だろ?」
「まだ我慢して下さい……」
何時帰れるか分からない。帰れるまで此処でお世話になるし……ロアを完全に避ける事は不可能な気がする。
ロアが我慢できなかったら……? いや、考えるのはよそう……
「すればいいんでしょ……するから……」
「口だぞ」
「何回も言わなくても分かってるよ……」
ロアとは何度もキスして来ただろ、わたし。
大丈夫、一瞬、くっ付けるだけだから……一瞬……一瞬……
ロア、肌綺麗……閉じた瞼の睫毛長いなあ……口……唇に……
行け、行くんだわたし! 行ってしまえ!
ちゅっ
やばい……少し狙いが外れた。
口の端ぐらいになってしまった……
ロアの目が開いて、何時もの妖しい赤の眼が呆れたようにわたしを見た。
「わざと?」
「ちがぁう!」
「ふーん……でもまあ、悪くなかった」
「え?」
「いってくる」
そのまま背を向けてロアが玄関を開けた。
「いってらっしゃい……」
「続きはまた今度な」
玄関が閉まって、しばらくぼおっとしていた。
それから、また今度、の意味をなんとなく理解して真っ赤になった。
今度はちゃんと口にしろって事か? だとしたらまたする羽目に……!
ロアでキスを練習するって言う意味の分からない状況が続くのか?
「はあ……」
振り回されっぱななしだ……
ロアが家を出たのを見計らってセレナとサラが戻って来た。
何でもロアが視線で何処か行け、と言っていたらしく、使用人はその場を離れた、と……
全然分からなかった。
「今日はどういたしましょう?」
セレナに聞かれ、悩んでから、
「取り敢えず、本を読んで……その後はそれから考えます」
「承知しました」
ふらふらと自室に向かって行く。
ロアの事を考えると頭が痛いが、どうしようもないし……
また帰って来たら話をしようかな。
そう思って、足を速めた。




