二人の夜
夕食に呼ばれ、食堂へ行くと、他には誰も居なかった。
昨日はナタリアとロゼが居たのだけど……
ロアはまだお風呂かな。
「あ、セレナさん」
「はい。どうかなさいましたか?」
ロアの部屋の前で別れたセレナは食堂に居た。
どうやら他の手伝いをしていたらしい。
「旦那様が奥様と一緒に食事をしたいとおっしゃられて……移動の手伝いを」
ナタリアは現在動けないので、ロゼはナタリアの部屋で食事をするようだ。
そうなると今日はロアと二人だけか。
席に座って少しすると、ロアが部屋に入って来た。
昨日と同じような服装だ。
二人で話しながら食事を取った。
机の関係で距離があるけど、旅していた頃をなんとなく思い出した。
今日は美味しそうにロアは食べていた。
やっぱり親と一緒にって言うのが嫌だったようだ。
「そういやミツキはナイフとフォークは苦手なのか?」
ロアに言われて考える。
苦手と言うか使い慣れてないと言うか……
ファミレスに行った時ぐらいしか使った所ないかな。
「使い慣れないだけだよ。何時もはお箸使って食べるんだけど」
「オハシ?」
「二本の棒と言うか……うーん、なんて言ったらいいかな」
「二本の棒……? ミツキ、それって箸の事?」
「え、うんそう! 知ってるの? 箸?」
「知ってると言うか……あるよ。持って来て」
メイドの一人が異世界の箸を見せてくれた。
まぎれもなく箸だった。
……この世界にもお箸文化があったのか? とっても意外だ。
握ってみると、すごく懐かしい気分になった。
随分と長く触ってなかったからなあ。
箸を使ってぱくりと食べた。箸はやっぱり落ち着くなあ。
「……?」
使用人達とロアの視線が突き刺さる。
え? 何かまずかったかな……?
「ミツキ……本当に風の民じゃないんだよな?」
「違うよ! 何度も言ってるでしょ? ……なんで風の民?」
「それ使って食事できるの、英雄とおばあ様だけ」
「えっ?」
ロアによると、箸と言う文化は風の民のもので、普通は箸で食事なんか出来ないらしい。
風の民は箸で食事をするのが一般的で、箸を使えるイコール風の民らしい。
「風の民と何か関わり合いがあるんじゃないか?」
「無いと思うけど……」
「調べてみる価値はあると思う」
風の民の特徴は……黒髪で、女性でも魔力を持ってて、箸が使える?
わたしは黒髪で、女だけど魔力持ってて、箸が使えて……
うん。調べてみる価値はありそう。
「それから、おじい様だけど……明後日帰って来るみたい」
「ほんとう!?」
「うん、さっき一人騎士が来ててそう言ってた」
良かった。ずっと此処に居るのも肩身が狭いなと思ってたところだったし。
ロナントが何か知っていればいいけど。
「そうすると……帰って来たその日にパーティかもな」
「ロアのお帰りなさいパーティ?」
「ブッ! その言い方面白すぎる……もう子供じゃないんだから……」
カタカタとロアが震え始める。
そんなに変だったかなあ?
「定期的に家族パーティするんだ。おばあ様が嫁に行ったり婿に行った子供や孫に会いたいから。俺はその口実に使われた訳」
「へえ」
レッドは家族思いなおばあちゃんなのか。
言われてみるとそんな感じがする。
「当日はミツキも正装な」
「ドレスって事? うん分かった」
ロアのせいであんまりいい思い出がないけど……
ナタリアに言ってまた貸してもらおうかな。
そんな事を考えつつ、食事終えた。デザート以外は全部箸で食べた。使いやすかった。
「ミツキ様、御入浴の準備が出来ております」
「分かりました」
セレナに返事をしつつ、立ち上がったロアに声を掛ける。
肝心な事を言うのを忘れていた。
ロアに昨日の事、謝らなきゃ。
「ロアとまだ話したい事が……」
「いいけど。じゃあミツキの部屋で待ってる」
「ありがとう、ロア」
待たせないように早く入って来よう。
そう思いつつ、ロアと別れた。
*****
部屋に帰ると、ロアがソファーに座って本を読んでいた。
何を読んでいるのかと覗き込むと、私が書庫から持ってきた『英雄の娘』だった。
「読んだ事無かったけど、おばあ様が頭を抱える理由が分かった気がするよ」
そう言って本を返してくれた。
隣に座った私の髪に触れて、眉を寄せた。
「なんだ、乾かしたのか。俺の仕事だったのに」
言われて、思い出した。
髪は魔法具で乾かすのが一般的で、ロアは何も知らないわたしに黙って髪を乾かしてくれていた事を。
「そのせいで恥ずかしい思いをしたよ……」
今、部屋で二人きりだ。
此処はわたしが使わせてもらっている部屋で、ロアの部屋では無いので大丈夫だろうと……
それに……二人っきりになりたかった。
二人だけの空間が好きだった。
「……俺に乾かしてもらってるって言って爆死したのか?」
「そんな感じ……」
「そっか、それは悪かったな」
ロアの腕が腰に回って、ぐい、と抱き寄せられた。
不思議そうな顔のロアと目が合った。
「抵抗しないのか?」
散々嫌がったり手を叩いたりしたせいか、窺うようにそう言われた。
すごく恥ずかしかったけど、小声で言った。
「二人きりだから良いかなって……」
その瞬間、ロアの目付きが変わる。
ぎらぎらした欲望をそのまま体現したような目だ。
ロアに迫られて慌てて否定する。
「そう言うつもりでは……」
「じゃあどう言うつもりなんだよ」
「旅してた時みたいにしてても良いかなって意味で……」
重たい溜息の後、ロアは頭を掻いた。
「何度寸止めくらえばいいんだか……」
「なに? 何て言ったの?」
「別に何も。そういや話したい事があったんじゃないのか?」
そうそう、昨日の事を謝ろうとしていたんだった。
「昨日の事だけど」
「昨日? ああ、怒って出て行った事? あれは俺が悪かったから」
「それも、だけど……ナタリアさんの事」
「うん……」
ロアは微笑んだ。
微笑んだままわたしの頭を撫でる。
「誰も不幸になろうと思って結婚とか出産はしないって……分かったつもりだよ」
「わたし、言い過ぎたと思って……ロアだってたくさん悩んで……」
「悩んだよ。たくさん……でも、それで母上が思い悩むのは違うんじゃないかって、ミツキに言われて気が付いたんだよ」
ロアの手がそのまま髪を撫で下ろしていく。
髪を一房掴んだまま、ロアの手が肩に置かれる。
「ありがとう。刺さっていた棘が取れた気持ちだよ」
ナタリアさんは、話の通りもう長くは無いのかもしれない。
ロアはそれを分かっていても、距離を置くしかなかった。
無事に仲直り出来たのなら、素直に良かったと言える。
「良かったね」
「ミツキのお陰だ」
「わたしは何も……ロアが行動しただけだよ」
笑いあいながら会話をした。
少し前はこうして二人きりで他愛もない話をしていた。
此処でお世話になるようになってからは、一人で寝る事になったけど……たまにはこうして話したいと何となく思った。
「ロゼさんとも仲直りした?」
「………」
「ロア?」
「いや、まだ……でも、そのうち……」
父親とはまだ仲直りしていないのか。
仕方ないか。母親以上に確執があるだろうし……
「ゆっくりで良いよ。昨日まで嫌いだった人と仲直りするの大変だろうし」
「うん。少しずつ、昔の関係に戻れたら、いいかな」
今日のロアは前向きだった。
昨日の後ろ向きだったロアは何処にも居なかった。
とっても安心したと同時に、あくびが出た。
「眠いのか?」
「うん……ちょっとね」
「分かった」
何が分かったのか分からず、ロアを見た。
目が合った時、気が付いた。
目付きが変わった。……悪い方に。
「え? ロアっ!? えええっ!?」
わたしはいとも簡単に抱き上げられてしまった。
お姫様抱っこだ!? うわあ! 漫画でしか見た事無い……じゃない!
「って重い! 重いから! 下ろして!!」
「全然軽いよ。このぐらいだったら王都の外周をマラソンしても平気」
「わたしを抱えたまま走らないで!」
取り敢えず暴れる。
恥ずかしいからやめて!
するとロアは耳元に口元を寄せた。
「あんまり暴れられると違うスイッチが入りそう」
ぶわりと鳥肌が立った。
何時もと違う低い声……
なんだか……一瞬で変な気分になった。
すっかり大人しくなったわたしに、ロアが何時もと違う大人っぽい微笑み方をする。
「いい子」
ぞくぞくと今度は体の芯が熱を持った。
そのままロアはベッドの方へ向かって行く。
どうしよう、と頭が回転し始める。
二人きりはやっぱりまずかったか。えっと、ベルは……
誰かを呼ぼうにもベルは机の上で届かない。
大声を出す? ロアに防がれそうだ。
「ひゃ、あ……っわあ!」
ベッドに乱暴に寝かされたと思ったら、ロアがうつ伏せに覆いかぶさって来た。
「っ、ロア?」
「俺も寝る」
「……え?」
「眠いんだろ? 俺も此処で寝る」
眠気なんか何処かに吹き飛んで行ったよ。
ロアの下から這い出ようと試みるが、すぐに引っ張り戻された。
すでに眠いのかロアは半分目を閉じ始めている。
「あ、明かり! つけっぱなし!」
何を動力としているのか分からない明かり。消さないと駄目なんじゃないかとロアに訴える。
あわよくば離して欲しいと思って。
「あー……あかり? はい」
ロアが明かりのスイッチの方に手を伸ばすと、簡単に明かりが落ちた。
何が起きたか分からず混乱していると、魔法の応用、とだけ教えてくれた。
部屋が真っ暗になってしまった。
しばらく身を固くして、何をしてくるのかと身構えていたが……ロアは、何もしてこない。
昨日みたいに魔力を送ってこないし、キスも服を脱がそうともしてこない。
「……」
まるで自分が期待していただけのような状況になってしまって、赤面する。
眠いからベッドに運んでくれただけ? そんな馬鹿な。
ロアの様子を盗み見ると、寝つきが大変よろしいロアはすでに夢の中。
すやすやと心地よい寝息を立てていた。
その様子を見て、まあたまに一緒に寝るのも悪くないかと思い立ち、ロアの下敷きになったままだが眠る事にした。
「おやすみ……ロア」
聞こえていないだろうけどそう言って、目を閉じた。
*****
目を開けた。
体を起こし、俺の下敷きになっていたミツキを見た。
「くー……くー……」
何とも言えない無防備な寝顔に欲望が顔を出しかける。
健康的な白い肌に黒い髪が散らばる。長い睫毛が印象的だった。
俺の寝たふりに騙されてミツキは俺と一緒に寝るしかなかった。
ゆすり起こせばいいのに。
それが出来ない優しいミツキ。
唇をミツキの首筋に押し当てた。
一瞬、痕を残す事を考えたが、そうしてしまったら二度と一緒に寝てくれなくなりそうだったから我慢した。
……思えばミツキと知り合ってから我慢の連続だな、と感慨にふける。
トントントン
控えめなノックの音が聞こえてきた。
ベッドから降りて、扉を開ける。
「……ロア様、こちらでしたか」
「ああ……」
白髪の執事だ。いつも何かと世話になっている。
暗い廊下を蝋燭片手にすっと立っている。歳を取っても姿勢が良い。
「今日は此処で寝る。早朝に起こしてくれ」
「はあ、それはよろしいですが……ミツキ様と?」
「ミツキと寝るが、深い意味は無い。本当に寝るだけだ」
一度すやすやと眠るミツキを見た。
「手は出さないさ……おばあ様が怖い」
「さようですか」
「後は頼んだ」
「はい。ロア様おやすみなさいませ」
「ああ、おやすみ」
執事を見送って、扉を音を立てずに閉めた。
「くー……」
静かに寝息を立てるミツキに再び覆いかぶさる。
腕の中に抱いて、首筋に顔をうずめた。
ミツキの匂いにすごく安心してゆっくり息を吐いた。
「おやすみ、ミツキ」
最後に唇を重ねて、目を閉じた。
このまま朝が来なくていい。
ずっとそばにいて欲しい。
思っても口に出さなければミツキには伝わらない。
帰したくない思いを引きずって、今日もミツキを引き留める。
まさか俺が女一人に此処まで後手後手になるとは思いもしなかったよ。
きっと俺は約束違反を犯している。
それでもいい。ミツキのそばにいられるのなら……俺は何でもするつもりだ。
「いくな」
聞いていない、今だから言える……本当の気持ち。
こんな気持ちが何時まで続くのだろう?
不安な夜を過ごす……




