英雄のひ孫
部屋に入って、ロアはベッドに座り込んだ。
何時もの場所だ。
サラは扉近くで待機した。
部屋は薄暗かったが、ロアは明かりを付けなかった。
「ミツキ」
ロアは前と同じように隣をポンポンした。
「おいで」
何故か、肌が泡立った。
ぞくっとした……理由は分からない。
引き寄せられるように隣に座った。
ロアは昨日と違って着替えるそぶりがない。
お風呂に入ってから、着替えるからいいのか。
「痛かった?」
裂けて血が滲むシャツを見て呟いた。
シャツの感じを見ると、結構深くまで切れたのではないだろうか。
「おばあ様と対峙してる時は、それほどでも……アドレナリンが出るから痛くなくなるんだ……治った後で、ああ痛かったなあって思う感じ」
「えええ……?」
レッドに追いかけられてる時は痛くなかったけど、帰って来て治った後で、痛かったなあ……?
普通では考えられない現象な気がする。
納得できてないわたしに、ロアが教えてくれた。
「グラスバルトの教育になるんだけど……」
一言で言えば、敵に弱った姿を見せるな! と言う事らしい。
痛みに呻いたり、叫んだりしたら叱られるらしい。
『足が吹き飛んでも、腕がはじけ飛んでも、敵に弱みを見せるな!』
剣の稽古で痛みに膝をついたロアに、祖父のロナントはそう言ったそうだ。
「おじい様は戦争を経験しているから……厳しいんだと思う」
「そう……戦争を……」
「おじい様は凄い人だよ。尊敬してる。鬼畜に見える教育も、俺には……グラスバルトを継ぐ人間には必要だって思ってるよ」
ロアが弱冠20歳で、選りすぐりのエリートの部隊である1番隊に入れた理由を垣間見た気がする。
勿論才能もあったのだろう。
だけどそれ以上に教育がすごかったのだ。
痛みを無いものとして扱うにはどれほどの修練が必要だろうか?
どれだけ痛い思いをしてきたのだろうか?
「ロアは頑張ったんだね」
「……」
「ロア?」
じっと目を見つめられる。
ドキドキするからやめてほしい……
「俺……頑張ったね、なんて……言われた事ないかも……」
「え?」
「何時も、頑張れ、頑張れって……」
いくら頑張っても、ロアには頑張ったね、と言ってくれる人は居なかったのか。
ロアはまだ若いし、伸びしろもあるから皆そう言うのかもしれない。
「頑張ったね、って言われたい?」
「……」
「……ロア?」
「ミツキになら言われたい……」
わたしはロアの腕に寄りかかった。
少し笑いながら、
「ロアは頑張ってるもんね?」
ロアは何故か複雑そうな顔をして、わたしの言葉を聞いていた。
「もっと頑張れそう……もっと言って」
「ええ? ロア頑張ったよ」
「もっと」
「……」
「ミツキ」
「本当にロアが頑張った時に言ってあげる。我慢」
眉を寄せたロアに睨まれた。
「俺にさらなる我慢を要求するのか」
さらなる? 元々何か我慢させてたっけ?
ロアの表情を見て、なんとなく察する。
キスとか我慢してるとか言い出しそうだから、話題を変えよう。
「ロナントさんってどんな人? まだ会った事ないからどんな人か知りたいかも」
「おじい様の事……?」
不満げなロアがわたしをじっとりと見る。
押し倒されませんように……お願いします……
「そうだな……騎士の中の騎士、武人って言った方がいいか」
武人……戦争経験者だものね。
殺伐とした人なのだろうか?
「あの人より強い人間は、この先の未来、現れる事はないだろう……それほどに強さの次元が違う人だよ」
「そんなに?」
「昔は英雄を超えられる人間など居ないと言われていたらしい。その英雄が認めている。おじい様には勝てないと」
英雄……英雄と言えば……!
そうだ! 英雄の娘の事……!
「ロアって英雄のひ孫なんだよね?」
きょとんとしたロアと目が合った。
何で知ってるんだ? って顔だ。
「絵本で読んだ英雄の娘がレッドさんだと知って……」
「書庫にでも行ったのか? おじい様の趣味であそこには『英雄の娘が』ずらりと並んでるもんな」
「……なんで黙ってたの?」
ロアは一瞬黙った。
「言っても信じてもらえないと思って」
「……家に着いた時に教えてくれても良かったと思うけど」
「ごめん、純粋に忘れてた……ひいおじいちゃん……英雄とは会った事があるよ」
幼少期に初めて会って、肩車をしてもらったらしい。
その後もなんの連絡も無しに突然やって来るから、今度はいつ会えるのかは分からない。
今は出身村である風の村で余生を過ごしているらしい。
「後何か言い忘れた事は無い?」
「ミツキ……遺言を言えみたいになってるぞ……」
「言い残した事はそれだけか?」
「俺殺されるのか?」
じー、と穴が開く勢いでロアを目を細めて睨む。
ロアは、ふっと笑った。
「ミツキに殺されるなら悪くない」
「殺さないから、生きて」
「じゃあ生きてミツキのそばにいるからな」
「……そうして下さい」
くすっと声が聞こえた。
サラが口元を押さえていた。
夫婦漫才みたいな事をしてしまった。あんまりおもしろくないけど……
「言い忘れた事……そうだな……おじい様の見た目について誰かから教えてもらったか?」
「ロナントさんの見た目? ううん、知らないよ」
話から想像すると、ガタイが良くて髭生やしてて大剣背負ってそうなお爺さん。
……でも、最高位魔力持ちだから老いないのか。どんな人かな。
「ライト叔父さんは分かるか」
ライトと言えば、3番隊の隊長してて、とっても綺麗な顔立ちのニコニコしてた人だよね。
ロアとライトは……顔立ちが少し似ている気がする。
「おじい様は……叔父さんと全く同じ顔をしている」
「……え、全く……?」
「双子のようにだよ。身体魔力類似症と言って……」
身体魔力類似症。
親と全く同じ魔力波長、種類、濃度や量、子供が生まれる際に発生する現象らしい。
何故か分からないが魔力が似ると姿形も似てしまうようだ。
魔力が高い親であるほど発生確率は上がるらしい。
……だからレッドとライトは全く似てなかったのか。
「初めましては確実に間違える、俺も子供の頃は何度も間違えた」
「見分ける方法は無いの?」
「ニコニコしてたら叔父さん。鋭い目つきだったらおじい様」
「そんな見分け方……?」
「いい方法を知ってるけど……ミツキには使えない方法だし……」
「いい方法? なに? 教えて?」
このままだったら確実に間違える気がする。
人違いとか失礼にもほどがある。
「俺は……『魔力可視』の能力があるから……」
「まりょく……なに?」
「ミツキの『妖精の眼』に近いかな……魔力を見る事が出来るんだ」
魔力を色として見る能力らしい。
相手の保有している魔力を確認したり、相手を追跡したりするのに便利と。
グラスバルト家にある日突然発現した眼の力らしい。
「叔父さんとおじい様の魔力は同じだけど、実は少し変わってるんだ」
「……どう違うの?」
「叔父さんは緑一色だけど、おじい様はたまに赤が混じるんだ」
「赤? 火属性の魔力?」
「おばあ様の魔力だよ……」
ロナントにはレッドの魔力が混じってる……?
どうして混じってるのかは分からないが、そう言うものだと思っておこう。
わたしにはこの方法は使えそうもないし。
ロアも何だか言いにくそうにしているし……
「そういやミツキ、俺に聞きたい事があったんじゃないのか?」
言われて、思い出した。
わたしが此処に来たのはその為だった。
「あー……あのね」
あらためて言おうとすると、少し緊張する。
わたしの何処が好きになったの、なんて……恋人でもあるまいし……
でも聞くってセレナに言っちゃったしなあ。
「ロアは……わたしの事、好き?」
「どうした突然?」
「恋愛的な意味なんだよね?」
ロアはものすごく訝しげに顔を歪めた。
なんかわたし、ものすごくめんどくさい女になってないか?
「そう言う意味だよ。伝わってなかった?」
腰に手が回ったので軽く叩いた。
不満げなロアと視線が交差する。
「聞きたいのはそうじゃなくて……えっと……」
「なに」
「怒んないでよ」
「怒ってない」
「怒ってるじゃんか」
黙ったロアに恥ずかしながらも、聞いてみる。
「ロアはわたしの何処を一番最初に好きになったの?」
ようやく口に出せた。
なんでこんなに恥ずかしいんだろうか。
視線を彷徨わせていると、ロアに両肩を掴まれ、目が合った。
ロア……?
そして、聞かなきゃよかったと、後悔した。
「目だ。その綺麗な目だよ」
「……」
「……何だ? 何か言いたい事があるのか?」
ある意味では、予想出来ていた答えだったけど。
どうか違っていてくれと、思っていたのに……
ロアが返事を待って居るみたいだったので、何とか絞り出す。
「なんで、目……?」
「最初会った時に、ベタな表現だけど電撃が走ると言うか……」
「さいしょ……あったとき……?」
最初、会った時から、わたしの事が好き……?
段々と血の気が引いて行く。
グラスバルトの男は一途だ。
例え相手が死んでも一生添い遂げる。
手に入らないのなら、無理にでも手に入れるだけ。
わたしが何処かに行ってしまったら、ロアも抜け殻みたいになってしまうの……?
「ミツキ?」
その時、ノックの音が聞こえた。
扉越しに執事の声が聞こえた。
「ロア様、御入浴の準備が出来ました」
「ああ、分かった」
気配はそのまま去って行った。
ロアは立ち上がって、
「ミツキはどうする? このまま部屋に居るか?」
「う……あ……自分の部屋に……帰る……」
「顔色悪いけど、どうかしたのか?」
「なんでも、ない」
「? そうか」
最後にロアはわたしの頭をポンポンした。
何故か無条件に安心できた。
「先に行く」
ロアの笑顔を見ると同時に、安心したけど不安にもなった。
わたしはロアの事を壊そうとしている。
そんな気がした。
ロアの後ろ姿を見送って、青い顔のままぶるりと震える。
「ミツキ様?」
「サラさん……」
「はい」
「わたしは此処に残った方が良いのでしょうか……?」
家に帰る事を諦めて……
残ったら、皆幸せになる気がした。
「当家の使用人達はミツキ様が残られる事を望んでいます」
「……」
「でもそれでミツキ様は幸せですか?」
「わたしは……」
「まずはご自分の事を優先なさってください。他の事はそれから考えても遅くはありません」
まず自分の事を……
サラを見上げた。
本当に心配そうにわたしの事を見ていた。
サラは次に、へにゃりと笑った。
「セレナの受け売りですけどね」
「……」
「ミツキ様にグラスバルト家の恋愛の事を教えたのは、注意してほしかったからだと思います。望まない結婚をミツキ様にしてほしくなかったのですよ」
セレナもサラも、魔力を持っていて……貴族にと教育を受けていたけど望まない結婚をしたくなくて此処に流れ着いたのだろうか。
「ご自分のやりたい事、幸せになる事をなさって下さい」
「……サラさん」
「はい」
「ありがとうございます」
「はい」
サラはもう一度笑った。
わたしはもう一度、家に帰る事を胸に誓った。




