グラスバルト家の恋愛事情
男の名はアドヴィル。
グラスバルト家の嫡子だった男だ。
アドヴィルには婚約者が居た。
自分より数個年下の魔力を持った女性だ。
それに不満は無かった。親が決めた婚約だったが、彼女の事を好いていたのだ。
一人の人間として、だが。
グラスバルト家の長子として成長し、実力は違わないものだった。
そんな中、アドヴィルはとある貴族のパーティに参加する事になった。
興味があるものでは無かったため、顔を出してさっさと帰ろうと思っていた。
そんな中、男は見た。
……いや、見てしまった。
「なんと、美しい」
アドヴィルはそこで給仕をしていたメイドに一目惚れをしたのだった。
メイドはさして美しい顔をしている訳ではなかった。
平凡。
彼女を表すに一番適した言葉だった。
平凡な彼女の何処に惚れたのか。
アドヴィルは答えた。
目だと。あれほど美しい瞳は初めてだと。
その日からアドヴィルはおかしくなっていった。
婚約者が居る身だと言うのに、メイドに熱を上げた。
両親はアドヴィルを窘めた。
自分の身分と婚約者の事も考えなさいと。
婚約者と別れよう。アドヴィルはそう考えたが、婚約者は首を縦には振らなかった。
「メイドを第二夫人にしても良い。だから別れたくない」
その時、アドヴィルは悟った。
婚約者は自分では無く、グラスバルトと婚姻したいだけなのだと。
自分とこのまま結婚しても不幸になるだけなのに……アドヴィルは悩んだ。
アドヴィルは出来の良い息子だった。
両親がこのまま婚約者と結婚する事を望んでいる事は深く考えずとも分かった。
そして、アドヴィルは駆け落ちをする事に決めたのだった。
メイドとはすでに恋仲だった為、連れ出すのは簡単だった。
そしてそのまま、行方知れずになった。
両親は半狂乱となって二人の行方を捜したが、とうとう見つける事は叶わず、死んだ、と言う扱いになった。
流石に婚約者も、相手が死んでしまっては身を引くしかなかった。
アドヴィルには弟が居た。
弟のアレックスが後を継ぐ事になった。
アドヴィルの父、当時の元帥は気丈に振る舞っていたものの、心労が祟って倒れてしまった。
母も息子が心配で泣いてばかり。
倒れた父の代わりに、アレックスが元帥の職に就き、職務を全うした。
それから数年後。
元帥になったアレックスは、とある町の騎兵隊に兄を見つけた。
すでに父も母も若くして亡くなっていた。
死んだと思っていた兄が生きていた喜びよりも、殺意が強く湧いた。
「どうしてこんなことを」
弟から殺意をぶつけられた兄は、覚えているよりも小さく見えた。
「俺は愛に生きたんだ。後悔はしていない」
「両親よりもあのメイドの方が大切だったと言いたいのですか」
「お前には分からない……恋に落ちてしまわないと、分からないんだ……」
「愛だの恋だの! 家よりも、父上や母上よりも大切なものだったのですか!?」
「お前にはすまないと思っている……悪かった」
アレックスはアドヴィルを睨んだ。
「あのメイドは……今も一緒に住んでるんですか?」
きっと一緒に居るだろう。そう思って何気なく言った一言だった。
「いや……居ない」
「居ない? 愛してたんじゃないんですか?」
何もかも中途半端な兄に、アレックスはさらにイラついた。
アレックスは兄を尊敬していた。出来る兄だった。なのに……
「死んだんだ」
アドヴィルは弟に説明をした。
駆け落ちをしたが、彼女の体力が続かなかった。
病に倒れ、あっと言う間に亡くなった。
「兄上……」
「何度も思ったよ。婚約者が居なければ、父上が彼女との婚姻を認めてくれていれば……彼女は、死なずにすんだのではないかと……」
アレックスはそこで気が付いた。
駆け落ちしてすぐにあのメイドが亡くなったのなら、別の女性と?
「俺は誰とも結婚していない。俺の妻はただ一人……俺は死ぬまで独り身だ」
アドヴィルはもういない最愛の人に操を立てていた。
「お前は結婚したのか?」
「いえ……まだ……」
両親はアドヴィルの事もあり、弟には婚約者を作らなかった。
「恋をすれば分かる。目だ、目を見ろ」
「目ですか……?」
「こいつしか居ない、そんな気になるんだ……幸せな気分になれるんだよ」
アドヴィルの話は、アレックスには良く分からなかった。
そのまま、兄弟は別れた。再び違う道を歩き始めた。
アドヴィルは家に帰る事はせず、一人で生きて行く事を決めていた。
そして、グラスバルトに残ったアレックスは……
兄の言った事を理解した。
相手は普通の貴族令嬢だった。
これが、相手がメイドでその上婚約者が居たら……
駆け落ちするのも仕方ない、と思うようになった。
兄を理解した時、アレックスは怖くなった。
何と言う血の業だろう。
目が合った瞬間、相手の全てが欲しくなった。
周りは見えていなかった。
グラスバルトの事もどうでもいいとさえ、一瞬思うほど何も見えてなかった。
無事に結婚し、子供も生まれた。
子供も大きくなった頃、アレックスは決めた。
もう兄のような人間を出さないために……子供達に婚約者を作らなかった。
自由に恋愛させた。好きな人が現れれば、それで良い。
現れなければ、見繕えばいいと考えた。
……セレナはそこで一度話を切った。
「なので当家では子に婚約者を付ける際には気を付けよと……」
「婚約者を作らない理由は分かりました……でも、それだけじゃ……」
どうしてわたしにこだわるのかが分からない。
「この話はさわりです。次がお聞かせしたかった話です」
グラスバルトの人間が一途だと言う事は有名な話だった。
アドヴィルが家を飛び出して数十年後、グラスバルトの男が恋をした。
相手は、何処にでもいる普通の町娘だった。
男は迫った。好意を隠すことなく思いの丈を存分にぶつけた。
普通の女ならばなびいていただろう。
しかし、女は男を拒否した。
自分は貴族でもない、金持ちでもない、身の丈に合っていないと感じたのだ。
「あなたと私は住む世界が違うの……ごめんなさい……」
男はそう言われても引き下がれなかった。
執着した、これでもかと。
他に結婚相手を紹介されても、男は見向きもしなかった。
頭の中は何時だって愛した女の事ばかり。
そして行動した。愛する存在を得るために。
結果的に、女は不幸になった。追い詰められ、自身の体を売るか売らないか、そこまで追い詰められた。
そこで男は救いの手を差し伸べた。
「俺に付いて来れば、家族の事を助けてあげるよ」
女の家族を追い詰めたのは他でもない、男自身だった。
それを女は知らない。
女は泣いて喜んで男の手を取った。
そして二人は幸せになった。
「……幸せじゃない気がするんですが」
「偽りでも幸せだったと思いますよ」
セレナは微笑んだ。今はその微笑みが怖い。
つまり……何が言いたいのだろうか。
「この出来事からことわざが出来たのです。グラスバルトに望まれたら、すぐに頷いて嫁に行け。……家を守るために出来たことわざです」
「………」
「それに、先程の話……ミツキ様と坊ちゃまに似ていませんか?」
「……似てないですよ」
「その身を望まれているのに、住む世界が違うからと拒否をする……同じですよ」
俯いた。
何となく似ている気はした。
女は男の事を思って身を引いたのだろうけど……裏目にしかなってない。
「我々は危惧しているのです」
「何をですか……?」
「坊ちゃまがミツキ様に振り向いてもらえないあまり……常軌を逸した行動を取ってしまう事を」
「そんな……ロアはそんな事……」
「今はしないでしょう。今は、です」
「………」
そんな……わたしのせいでロアがおかしくなる?
嫌だ、見たくない……そんなの……
「それに……旦那様の例もあります」
「……ロゼさんの事ですか?」
「はい……奥様は一時期、誰にも行先を告げずに屋敷を離れた事があります」
「え……?」
「お二人がご結婚する前の話です」
ナタリアはどうやらわたしみたいに屋敷で世話になっていた時期があるらしい。
そこで恋仲となった二人だったが、ナタリアは突然屋敷を飛び出したらしい。
そのまま数年、戻ってこなかった。
「奥様が居なくなった後の旦那様は、抜け殻のようだったと聞いております」
ナタリアが出て行って、ロゼは拒否された、振られたと後ろ向きになってしまった。
当時まだ1番隊に上がったばかりで仕事を頑張らねばならない時期だった。
ナタリアを探しに行く事が出来なかった。
ロゼはナタリアよりもグラスバルトを優先したのだ。
ただ……仕事には励んでいたものの、その他には意味を見いだせず家に籠るようになった。
気が付くとナタリアを思い出しては、ぼおっとしている事が年々増えて行った。
1番隊で役職に就く頃、母親であるレッドに怒鳴りつけられる形で探しに行った、と言う事らしい。
「それで二人は結婚をしたんですね」
「ええ………無事に奥様を発見し、ご結婚なされました」
「素敵な話ですね」
「……」
セレナは何か言いたそうにわたしを見つめた。
分かっていた。
わざわざこんな話をするのは、わたしが元の世界に帰った後、もしかしたらロアが父親と同じように抜け殻になってしまい、そして……アドヴィルのように、その後誰とも結婚をしない事態だ。
アドヴィルと違ってロアには兄弟は居ない。姉はいるが、すでに嫁に出ている。
本当にグラスバルトの男は一目惚れした相手には一途なら、今後のロアの行く末を心配するのも無理はない。
だけど、ロアはわたしに一目惚れだったのか?
ずっと一緒に居て好きになったのではないのだろうか?
その場合、わたしが居なくなってもロアは大丈夫な気がする。
「セレナさん……まず、その……ロアが本当にわたしの事を好きなのかどうかが分からないので……」
「好きだと思われます。でなければ家に上げる事は無かったでしょう」
「……あー……えっと、一目惚れ、かどうか分からないですし……」
「坊ちゃまに是非お聞きになって下さい」
一目惚れかどうかを聞けと!?
い、いや……それは難易度が高い……無理。恥ずかしい。
「聞けないです……」
「簡単ですよ。ミツキ様……」
「……? 簡単ですか?」
「私の何処を一番最初に好きになったのかと聞けば、すぐに分かります」
「……目、ですか?」
「はい。目と返ってくれば確実かと」
目、目……うーん……
初めて会った時の事を思い出しても、目を見つめられた記憶は無い。
ただ……初めて目が合って、ロアは驚いた顔をしていた。
どうして驚いていたのか、あの時は混乱していて聞く余裕は無かった。
「聞かないと駄目ですか……?」
「是非聞いていただきたいですが……無理なようでしたら……」
セレナは残念そうに少し微笑む。
聞くのは少し怖い。
目じゃなくて、足とかって返って来たら足フェチか、ってなるし……
ロアが足フェチなのは何か嫌だ。勝手な妄想だけど。
わたしの何処を、ロアが好きなのか……気にならない訳ではないし……
「今日、帰って来たら聞いてみます」
「……ありがとうございます」
セレナは嬉しそうに微笑んだ。
後ろでずっと控えていたサラも微笑んでいた。




