病床
今日もメイド達は慌ただしく働いている。
軽く挨拶しつつナタリアの部屋の前まで来た。
ノックして部屋に入ると、ぐったりと天蓋付きのベッドで横たわるナタリアの姿が目に入った。
「ナタリアさん……」
部屋には三人メイドが居た。
リファと後二人、初めての人だ。
皆同じように心配そうにナタリアを見つめて居た。
「ミツキ様……こちらへ」
サラに促されてベッド近くに置かれていた椅子に座った。
ナタリアの姿は、昨日の元気だった姿が嘘のように、肌が白く顔色は青白いぐらいだった。
瞼が震え、ゆっくりと目が開いた。
「ごめんなさい……わたし、ナタリアさんがご病気だなんて知らなくて……」
「いいの、です……どうか、気になさらないで」
「本当にごめんなさい」
ナタリアは昨日のように微笑んでくれている。それだけなのに痛々しく見えた。
話す気力があまり無いのかもしれない。
わたしの方から無駄に話す事はせず、ナタリアの言葉を待った。
「今朝……ロアが部屋に来ました………話したい事があると」
「……」
「あらたまった態度だったから、驚いちゃって……心臓に悪いわ、本当に……あの子は」
心の中で謝った。
多分、ロアがナタリアに会いに来た原因はわたしだろうから。
「あの子は……ロアは謝罪をしてきました……今まで私の気持ちも考えずに行動していたと……」
「……はい」
「私がこうなってしまったのは……私のせいでも旦那様のせいでもないと……分かってくれました……」
つう、と一筋涙が伝った。
病床に居るナタリアの姿が、美しく脆くて儚いものに見えた。
「私はずっとロアは分かってくれないのだろうと思っていました……」
多分、わたしが何も言わなかったら……ロアはどうしていただろうか。
父を責め、母を責め、そして自分の事を一番責め続けたかもしれない。
「不幸になるために旦那様と結婚したわけじゃない……死ぬ為にロアを産んだのではない……全ては不幸が重なっただけだと、ロアは分かってくれました」
ナタリアは今にも消え入りそうに薄く微笑んだ。
その表情に何故か胸が痛んだ。
「ありがとう。ミツキさん……全てあなたのお陰です」
「わ、わたしは……何もしていません」
「セレナから聞きました……ロアを叱ってくれたのでしょう?」
思わず後ろに控えるセレナを見た。
セレナは少し笑って小さく頷いた。
話したのか、あの時の事……
何処からどう話したのか後で聞いて置かないと……あの時わたしは軽くロアに襲われてるし……
「ロアの事を頭ごなしに叱れる人間は、多くありません……特に私の事はロアにとってタブーな話題でしたから……」
「すみません……」
「……いいのよ。ありがとう、ミツキさん……やり残した事が一つ減って、心が軽くなったから……」
やり残した事……
今のナタリアを見ていると、明日亡くなってもおかしく無いような気がしてくる。
死ぬまでにやり残した事、と言う意味だったら……わたしには重すぎた。
「それに……ふふ、ロアったら……」
「ロアが何か言いましたか?」
「産んでくれてありがとう。私が居たから今があって未来がある、って……ロアはそう言ったの……本当に嬉しかったわ」
今出来る最大限に微笑み、ナタリアは続ける。
「ずっと悩んでいたから……ロアの事……私が旦那様と結婚すべきじゃなかったって……思い悩んでいた事もあったから……だからほんとうに……うれしかったの……」
言葉の最中、嗚咽が漏れ、上擦り、消え入りそうになりながらなんとか話し終えた。
今考えると、ロアは決して間違っていなかったように思う。
自分を産んだせいで母親が病気になった。
どうして産んだんだ、となるのは子供の立場からすると自然だ。
だからわたしがロアを叱ったのは間違いだった。謝りたいと思っている。
でも結果として二人が仲直りできたなら、これほど良い事は無い。
わたしは間違った事をしたけど、仲直りの手助けになったみたいで安心した。
「ありがとう……ミツキさん……ほんとうに……」
「分かりました、ナタリアさん……ちゃんと聞きましたから」
「言葉だけじゃ足りないの……ほんとうにありがとう……」
ポロポロと涙を零し続けるナタリアをずっと見ていた。
どれだけロアの事を考えて、思い悩んだのだろうか。
それは本人にしか分からない。
でもきっとロアも同じだけ悩んだのだろう。
だから家を飛び出した。そんな気がしてならない。
「ナタリアさん少し休みましょう?」
泣き続けるナタリアにそう提案した。
体調が悪いのにこんなに泣いてたら良くなるものも良くならない気がした。
「……何処にも行かないで……ミツキさん……」
「……? しばらくは何処にも行かないです。安心して下さい」
王都の街に出るのにもロアから許可を取らないとだし。と言うか許可が下りる気がしない。
物知りなロナントも今は仕事で他国に出ていると言うし……
しばらくは此処で厄介になるしかないだろう。
「しばらくは……ね……そうね……」
「ゆっくり休んで下さい」
「ありがとう、ミツキさん……元気になったら、またお茶して下さる?」
「はい! もちろんです!」
「ありがとう」
今日、何度目かのありがとう。
少しだけ心があったかくなった気がした。
頭を下げて、部屋を出た。
ナタリアが元気になればいいと窓から見えた太陽にお祈りしておいた。
「この後はどういたしましょう?」
セレナが問いかけてきた。
この後かあ……
書庫に戻ってもいいけど……わたし、難しい本が読めない体質みたいだし……
うーん……あ! そうだ!
「屋敷を案内してほしいかな」
「屋敷を、ですか?」
「うん。迷子になったら嫌だし」
セレナとサラはお互いに顔を見合わせた。
二人とも、眉を下げている。
「私かサラが居れば迷子になる事は無いと思われますが……」
「一人で出歩く時とか……」
「お客様であるミツキ様を一人にしておく事など……」
そっか……わたし、一応お客さんだから屋敷の事は知らなくて良いという考えなのかな。
それはそれでちょっぴり寂しい気がする。
「セレナさんもサラさんも忙しい時があると思うので……自分で出来る事は自分でやりたいんです……駄目ですか?」
「……そうですわね」
取り敢えず自室が何処にあって、何処が玄関なのかぐらいは把握しておきましょうと言われ、頷いた。
「セレナさん……さっきのナタリアさんとの会話で……」
昨日のわたしとロアの会話をセレナから聞いていたと言っていた。
どんな風に話したのだろう?
「私が聞いたままの会話をお聞かせしました。奥様も突然の事で少し混乱していましたから」
距離を置いていた息子がいきなり謝りに来るだなんて……驚いて混乱するだろうな……
それから……とセレナは続ける。
「坊ちゃまとの事もきちんとお伝えしていますよ」
……………はい?
頭の中が一瞬で真っ白になった。
なんだ? 何を伝えたんだ?
「ミツキ様はとても愛されているご様子でしたので……奥様にもご報告を」
「な、なななにを!?」
「勢い余って服も脱がしていたご様子でしたし……」
「脱がされてないです! 取られてないです!」
「……そうだったのですか? てっきり脱がされてしまったのかと……ねえサラ?」
「はい! そう言った行為を……」
「そう言った行為ってなんですか!? 何もないです! 未遂です!!」
廊下の真ん中で大きな声で叫んだ。
誤解だ! ロアとはなにも……なにも……な、に、も……?
あの時わたしは何をした……?
自分からロアを押し倒して、数えきれないくらいキスをして、気持ち良くなって、服を脱がされそうになって……?
なにも無かったとは言えない気がして冷や汗が背中を伝って行く。
セレナは何時もと同じように微笑み、退路を塞ぎにかかる。
「未遂って事は、何かされそうになったのですか?」
「あ……あの……」
「何をされそうになったのですか? サラ、あなたも気になるでしょう?」
「とっても気になります!」
口籠る。
何も言えない。
あの行為の先にあるものを口にして言う勇気は無かった。
何をするかなんて、わたしはまだぼんやりとしか知らない。
した事ないし、高校生でした事ある人も居るみたいだったけど……
わたしは縁が無かったし、率先してしたいとも思わなかった……
ただ今は、少しぐらい知識があっても良かったかもしれないと後悔した。
「ミツキ様が坊ちゃまとそう言った仲なのは使用人全員が知っておりますのでご安心下さい」
「……は………ぃ?」
「使用人全員が……」
「いや、え? なん、で……?」
「報告の義務と情報の共有です」
この屋敷では、メイドが見聞きした情報をメイドの中でも一番古株の、通称ババ様に全てを報告する義務がある。
屋敷の情報をまとめ、必要な情報は使用人全てに共有されるらしい。
「わたし……そんな、ロアとそんなんじゃないんです……」
「ミツキ様がそう仰られましても……そうとしか見えませんでしたよ」
「そうかも、知れないですけど……」
セレナやサラが見た事は最終的に使用人全員が知る可能性が有るって事?
この世界にはプライバシーがないのか!?
「あ、でも安心して下さい。屋敷での事は外で他言してはいけないと言う決まりが……」
この屋敷にはどのぐらいの使用人が居るんだ?
廊下を歩くと結構な頻度ですれ違うから少なくはないだろう。
大勢の人に知られてしまった以上、外で他言できないとかあんまり意味が……
「事実確認の為に坊ちゃまに話を聞きましたから」
「……ロアは何と?」
「満更でもなかったと聞いています」
ロア! 話をややこしくしてるのはロアじゃないか!
くそ……帰って来たら一言……
って、まず謝ろうと思ってたのに……!
衝撃の話に赤くなったり青くなったり。
ふらふらと歩いてようやく自室に辿り着いた。
「ミツキ様!」
誰かがわたしを呼んだ。
振り向くと、ナタリア付きのメイドのリファが少し息を切らして近付いてくる。
「リファさん? どうかしましたか?」
「ミツキ様……お時間少しよろしいですか?」
「いいですけど……」
どうせやる事も無いし。
わたしの返事にリファは笑顔になった。
「此処ではなんですから……お部屋で……」
「ああ、どうぞ」
自室の扉を開けて、先に中に入った。
リファを交え、メイド三人が部屋に入って来た。




