小説・英雄の娘
朝食後、セレナに案内され、開かれた重厚感のある扉をくぐる。
屋敷の書庫に来てみた。
誰かが欠かさず掃除や本の管理をしているのだろう。
空調が効いていて埃っぽさはなく清潔な空間だった。
立派な広い空間に所狭しと背の高い本棚が置かれている。
もうこれは立派な図書室だ。
わたしが通っていた高校の図書室。それよりもかなり立派だ。
日光から本を守る為か全ての窓に厚いカーテンがかかっている。
一つ違いを言うなれば、机は小さなものが一つしかなく椅子も一つだけ。
端の方にこじんまりと置いてあった。
セレナが明かりを付けた。何時もの半円球の明かり。大分明るくなった。
「サラ、あなたはミツキ様のお部屋を掃除して来なさい」
「はい、了解です」
「ミツキ様、何か必要な物は有りますか?」
必要な物、と聞かれ少し悩んだ。
「紙とペンが欲しいです。ありますか?」
「勿論です。今お持ちいたします。どうぞごゆっくり」
二人は部屋を出て行った。
一人になって、背の高い本棚を見上げた。
この中から一つ一つ読んで探すのは大変そうだ。
わたしはあまり本を読む習慣が無かったし……少女漫画ぐらいしか……
「うーん……」
取り敢えず一番奥の本棚から一冊、引き抜いてみた。
『変幻自在の兵法術3』とあった。
次の本には、『陸海空、軍略の歴史1』
……グラスバルトらしいラインナップだと言える。
関係なさそうだとすぐに判断し、本棚に戻した。
適当に本の題名を確認して行ったが、此処の本棚には戦争? に役立つような本ばかりだった。
そう言えば昔は戦争があったってロアが言っていたのを思い出した。
そこから三つ並んでいる本棚、全てそんな感じの本ばかりだった。
「ミツキ様?」
書庫の入り口の方でセレナの声がした。
戻って来たのか。
奥に来てしまったので、入り口に戻る。
「はい、奥の本を見てました」
「姿が見えなくて心配しましたわ」
「すみません……」
セレナに、異世界に関わるような本は無いかと尋ねる。
答えは無かった。セレナも思いつかないようだ。
「載っているとすれば……このあたりでしょうか」
魔法に関する本が並べられている本棚と、アークバルトの歴史に関する本が並んでいる本棚。
歴史書の中にはアーク神に関する書籍も見つけた。
『アーク様は何故、王族を優遇するのか』と言う本を見つけ、気になって読んでみる事にした。
セレナが持って来てくれた紙とペンはすでに机に置かれていた。
椅子に座って本を読み始めた。
「……」
やばい。
活字を読む文化がわたしには無く、たった数ページで目が鈍痛を訴えてくる。
前書きの途中なのだけど、読み切れる気がしない。
『頭書はアーク様と王族との深い関わりを記した歴史書である。
王家やその他、アークバルトを語る上で必須である三大貴族からも話を聞き……』
かくりと頭が落っこちそうになった。
え? わたし今寝てた!?
そんな……まだ読み始めたばかりなのに。
「ふふ、ミツキ様?」
「はっ……見てましたか……?」
「ええ、ふふ……すみません」
柔らかく笑い続けるセレナに頬が赤くなる。
活字を読む事なんて国語の教科書ぐらいしか記憶にないよ。
読書感想文だってまともに書いた事ないし……
漫画ぐらいしか定期的に読まないから……
泣きたい。
「本を読む習慣が無いのに、いきなり難しい本を読もうとするからですよね……」
「習慣が無いのですね」
「恥ずかしながら……」
「そうですね……ミツキ様はどういったお話が好きですか?」
興味がある本を読んで活字に慣れよう、とセレナが提案した。
だとしたら、恋愛かな? 少女漫画好きだったし。
……いくら恋愛ものだからって、活字だと入り込めるかな?
「この国で一番有名な恋愛小説は……英雄の娘でしょうか?」
「……? 英雄の娘って絵本じゃないんですか?」
「絵本もありますが、元は小説です」
セレナの後に付いて行くと、一番大きな本棚の前で立ち止まった。
何でもロナントが趣味で集めた本の一部らしい。
「英雄の娘は今から40年ほど前に発刊された本で、何度も改稿があった作品です」
「こんなに!?」
本棚、横一列ずらっと英雄の娘で埋まっていた。
「ロナント様はとてもマメな方で、改稿があったと聞くと買っては読んで違いを楽しまれていたようです」
「恋愛小説、ですよね?」
「ロナント様は何でも読まれる方でしたから」
それもそうか。
でないと図書館の本読破なんて出来ない芸当だよね。
セレナは一番端の本を手に取った。
「これが一番新しい本です。学生向けに出された本ですね」
「学生向け? ですか?」
「英雄の娘は、最初は女性向けの官能小説だと聞いています……」
「かん、の……」
「はい、これがそうです」
官能版は上下2冊に分かれていた。
英雄の娘には種類があって、一つは官能版。エッチな表現が盛り沢山の内容。大人しか買えない制限付き。
二つ目は全年齢対象の普通の恋愛小説。エッチな内容を完全にシャットアウトした子供に優しい内容。
三つ目は乳幼児読み聞かせ用の絵本。全年齢用をさらに噛み砕き簡素化した内容。絵本の方が好きだと言うファンも居る。
わたしが最初に読んだのは絵本版で、薦められているのが全年齢用のようだ。
「こちらがよろしいですか?」
官能版を手に持つセレナが窺うようにわたしに問いかける。
思いっきり首を左右に振った。
わたしまだ17歳だし、制限に引っ掛かるよ多分……
興味が全くないとは言えないのが悔しいけど。
試しに一ページ目を開いてみた。
『初めて二人が出会ったのは天気の良い夕方の事。
グラスバルトの一人息子、ロベルト。
英雄オーランドの一人娘、レイチェル。
グラスバルトの屋敷前の庭で初めて出会いました。
当時の元帥、ロベルトの父に英雄が夕食にお呼ばれしている為でした。』
……あ、そう言えばこれってグラスバルト家を題材にした内容だった。
絵本を読んだ時は、まだロアが貴族だなんて知らなかったから記憶から飛んでたけど。
内容を大まかに知っている為か、意外とすんなり頭に入って来たのでさっきの本よりは読めそうだ。
セレナにお礼を言って椅子に座って読み始めた。
『風の民である両親を持つレイチェルは黒い髪に英雄譲りの特徴的な赤い瞳を持っています。
対してロベルトはアークバルト貴族特有の茶の髪と建国以来代々続く風の魔力の為、美しい緑の瞳をしていました。』
緑の瞳……?
そう言えばバルト家の長男グラスは風属性、だったか。
ロアのイメージが強くて火属性の家かと思ってたけど。
「セレナさん、本に出てるロベルトさんって、実在の人なんですか?」
本から目を離さずに聞いた。
実在するなら何代前の当主なのだろうか。
「……そうですわね……少々お待ちを」
セレナはそう言って離れた。
気になって視線で背中を追う。
あ、そうだ。みたいな顔をしていた。
セレナは本を片手にすぐに戻ってきた。
本の題名は『英雄の娘』だった。
「こちらを数ページ読めば、ご理解いただけるかと」
わたしが今持っている本より古そうだ。
昔の改稿前の『英雄の娘』?
言われるがまま、読み始めた。
『当時5歳のロナントは自主練として木刀を振っていた。
ヒュッ! ヒュッ!
子供とは思えない剣捌きであった。
そこに父がやって来た。
父は一言、今日は英雄が当家に来る、と言った。
英雄と夕食を共にすると前から聞いていたロナントはワクワクした。
グラスバルトの次期元帥となる彼も、今は英雄に憧れる一人の少年なのだ。
楽しみな気持ちを抑える為、何度も木刀を振った。
数刻後、英雄がやってきた。
妻と、自分と同じ年の子供を連れて。
少年のような見た目をした少女はレッドと言う名前らしい。
英雄ゆずりの赤い眼と魔力。
ロナントは最初、自分と同じ男だと勘違いをしたくらいだった。』
……え?
眼を擦った。
『……レッドと言う名前らしい。』
何度見返しても書いてある事は変わらず、わたしの翻訳機能が壊れてしまったのかと思うぐらいだった。
「セレナさ、え? レッドってこれ……」
セレナはにこりと微笑んだ。
ロナントにレッドと言えばロアの祖父母にあたる人で……
「ロナントとレッドって、聞いた事がある名前なのですが……」
「はい。小説、英雄の娘は前グラスバルト家当主のロナント様と、妻であるレッド様の恋愛模様をえがいた作品になります」
「えええっ!?」
そうだ、そう言えばロアが言っていた。
英雄の娘は脚色が多くて本人が嫌がって主人公の名前が変わっているって。
絵本の内容を思い出す。
レイチェルは夫を陰から支えるような人だった。
対してレッドはどうだ?
3番隊の教官を勤めている。陰では無く表に立って全面的に支えているではないか。
夫を支えると言う点に関しては全く同じだが、やり方が180度違う。
確かに本の中の自分を自分ではないと言いたくなるのも分かる。
「じゃあ、レッドさんが英雄の娘……?」
「……はい。英雄オーランドのたった一人の愛娘です」
「はっ、ロアは? ならロアは英雄の……」
「英雄のひ孫ですね」
ひ孫……レッドの孫と言う事はそう言う事か。
ロアの血筋って、実はとっても凄かったりするのか?
三大貴族グラスバルトと国の危機を救った英雄の血を引いている。
強い者と強い者が合わさって最強にしか見えないんだが。
わたしは思わず苦い顔をした。
思い出した。ロアが色々な愛憎劇に巻き込まれていた事を。
あの時はそんなに!? って思ったけど、このぐらいあってしかるべきだと思い直した。
婚約者でも居れば話は違ったのかもしれないけど、ロアに婚約者は居ないし。
「わたし、今まで何も知りませんでした……」
知らず知らずの内にレッドに失礼な事を……あ、してた。ロアの妹と間違えた。
やらかしてる。ああ、どうしよう……
と言うか何でそんな大切なの事をロアは教えてくれなかったんだ。
「坊ちゃまもレッド様も滅多な事では怒りませんから、安心して下さい」
「すごくレッドさんに謝りたいです……」
「きっと笑って許して下さいますよ」
気にする事は無いとセレナは微笑んだ。
セレナはとってもいい人だなと改めて実感した。
その時、掃除が終わったのかサラが戻ってきた。
「ミツキ様、セレナ。奥様がお呼びです。ミツキ様とお話ししたいと」
「ナタリアさんが……?」
話したいって、何をだろうか?
やっぱりロアの事だろうか?
サラに気になった事を聞いてみる。
「体調は大丈夫なのですか?」
「いえ……あまり良くは……ですが奥様の希望ですので……」
「……分かりました。今行きます」
結局本はあまり読む事が出来なかったが、また来よう。
そう思い、書庫を後にした。




