牢の中
ぴちょん、ぴちょん……
意識の向こう側で水の落ちる音がする。
耳を澄ませた。
「……………」
「………」
「…………」
複数人の声が遠くで聞こえた。
吸い込んだ空気はお世辞にも綺麗とは言えず、つっかえてむせそうになる。
少し体を動かすと足に違和感を感じた。
鈍い痛みが膝を中心に広がる。
そこで少し意識が戻ってくる。
此処はベッド? 宿なの?
体を捻る。
固い石の上に寝ているようだった。
あれ、なんで……そう言えばわたし……
ハッと目を開ける。
そうだ、わたし……気絶させられて、それで……
勢い良く体を起こすと、ツキンと頭が痛んだ。
「あ……」
頭をさすろうとするが腕がそこまで上がらなかった。
腕は手錠の様な物で拘束されていた。
ふと足を見ると包帯で手当てされていた。
服も元の物を着たままで、ハイドに貰ったネックレスも取られては無かった。
自分の体が何とも無い事を確認してから視線を彷徨わせる。
此処は……牢屋、だろうか?
唯一の光源は弱弱しい蝋燭、数本。
窓は無く、今が何時なのか分からなかった。
周りは石で出来た床と壁と天井に、鉄格子が嵌められている。
何処からか水が落ちる音に、風が無いため籠っている空気。最悪だと言える。
牢屋以外の何物でもなかった。
「目が覚めたの……?」
声の方へ振り向く。
「……あっ」
薄暗い室内、牢の中は私だけでは無く他にも女の子が居た。
私を入れて全部で六人。
青か緑の瞳。皆魔力を持っていた。
そこそこの広さの牢屋の角で体を寄せ合っていた。
「あなたは……?」
声をかけて来た集団の中では一番年上と思われる女の子に問いかける。
「もう終わりよ……みんな、売られるの」
「……そ、そんな」
「あなたも覚悟しておいた方が良い」
それきり女の子は何も言わなくなってしまった。
一番年上の女の子……と言うよりここにいる女の子達よりわたしが年上だろうが……恐怖で震えていた。
中には3歳程度の子供もいた。着ている物が良い物だったから貴族の子かも知れない。
そうだ……助けを、ロアに……誰かに助けを求めないと。
此処で大声を出す?
いや、近くに誰が居るか分からない。
音を立てるのは愚策だろう。
なら、魔法を使って何とかして……
「……?」
魔力が外に出て行かない……どうして?
目に入ったのは腕を拘束している手錠だ。
見た事も無い黒い金属で作られていた。
これが原因だろうか? 駄目だ。これじゃ魔法は使えない。
小さく唸りながら考える。
……そうだ!
わたしには妖精が居る!
慌てて『妖精の眼』を使う。
「あ、妖精さん」
小声で話しかける。
『大変な事になっちゃったね』
『大丈夫?』
気遣うように話しかけられる。
「助けて、助けを呼んで」
そうお願いすると妖精同士が顔を見合わせた。
『ぼくらじゃ無理だよ』
『何にも出来ない』
『助けを呼ぼうにも眼を持ってる人が近くに居るかな?』
そうか、妖精が見れるのは風の民だけってロアが言ってた……
駄目かならどうすれば……
『騎士の中に妖精が見える人がいるって聞いた事あるけど?』
「……あっ」
『その人知ってるけど』
一人の妖精がそう言った。
わたしと喧嘩してそれっきりだった妖精だ。
「ほ、ほんとうなの?」
『でも、ぼくは手伝わないよ』
「なんで? どうして?」
『だって、そしたらおねえちゃんは帰ったりしないでしょ』
眉を寄せた。
此処でわたしは帰らないと言えばこの子は助けを呼んできてくれるだろう。
でなければわざわざ「知っている」などと言わない。
妖精は嘘はつかないのだ。
でも、わたしは帰る事を諦めたくなかった。
「分かった」
そう言うと期待するように妖精がわたしを見た。
「わたしじゃなくてあの子達を助けて! だから助けを呼んで! お願い!」
その妖精は少しがっかりしたような顔をして、俯いた。
周りに居る妖精がその妖精に口出しし始める。
『いじわるだな』
『助けようよ! みんな可哀想だよ』
『おねえちゃんと一緒に居たいけど、不幸になって欲しくないよ』
一人対複数で妖精が見える騎士を知っていると言う妖精が折れた。
『あー! もう分かったよ』
パタパタと羽を動かし、周りの妖精に声を掛けてコソコソと話し合った。
探す人物の特徴を教えたようだ。
『行って来るねー!』
『待っててね!』
『絶対助けるからね!』
小さな妖精達が四方八方に飛んでいく。
妖精に実体はない。壁を簡単にすり抜ける事が出来る。
最後にあのいじわるな妖精だけが残った。
『おねえちゃん、今魔法使えないでしょ?』
「あ、うん……なんで分かったの?」
『見れば分かるの! それで、どうして眼の力が使えたか分かる?』
「え?」
そうか、そう言えば疑問だ。
魔法は使えたけど眼の力は使えた。
分からなくて首を傾げた。
『そのネックレスだよ。おねえちゃんにはまだ魔石から魔力を取って魔法にする事は出来ないけど、ギリギリ眼の力は使えたんだね』
そう言われて首元を服ごとぎゅっと掴んだ。
ハイドさん、ステラさん……
『なるべく温存しておいた方が良いよ。ぼくらが戻って来るまでは』
「うん、分かった。ありがとう」
『ふん、ぼくも行ってくる』
最後の妖精が飛び立って行ったのを確認してから『精霊の眼』を切った。
強い視線をいくつも感じて振り向く。
「酷い独り言……可笑しくなったの?」
女の子達の視線を浴びながらそう言われたので、笑って誤魔化しておく。
説明してもいいが、変に期待を持たれても困る。
誰かに悟られてもまずいし……
わたしも集団の中に入った。
特に幼い恐らく貴族の子に声を掛ける。
「大丈夫?」
その子はガタガタと震え、奥歯がガチガチと鳴っていた。
少しでも恐怖を緩和できないかとその子を抱きしめた。
「ママ……パパ……」
わたしの胸の中でそう呟いたのが聞こえて、何度も背を撫でた。
同じだ……わたしもお父さんとお母さんに会いたい。
そうやって、自分の体の震えを誤魔化した。
「いっ……」
転んで怪我した膝が痛んで呻くと、
「まだ痛む?」
わたしの次に年長の女の子がそう聞いてきた。
どうやら怪我を手当てしてくれたのはこの子の様だ。
気絶しているわたしを此処に放り込んで、消毒液と包帯を渡されたと語った。
「そうなんだ。ありがとう」
そう言って弱弱しく微笑むと、
「どうして笑えるの」
顔を歪め、今にも泣き出しそうな顔でそう聞いてきた。
「だって……泣いたって何も変わらないから……」
泣いてもどうにもならない事を知っている。
わたしは無力だ。
何時もロアに手を引かれて歩いてきた。
知り合いが一人もいない世界に来て不安しかなかった。
何時も枕を涙で濡らした。
泣いてもどうにもならない事を痛感したのだ。
そんなわたしに手を差し伸べてくれたのはロアだった。
何時も前を向き、家に帰る事を諦めないで思い続けたのはロアのお陰だ。
「助けに来てくれるって、信じてるから」
今泣いたって仕方ない。
ロアはきっと助けに来てくれる。
そう信じている。
「本当は怖い癖に、何強がってるの」
そう吐き捨てられて、それきり女の子は口を閉ざした。
他の子達と怯えながら一つの場所に寄り集まった。
わたしもそこに身を寄せて、腕の中に居る女の子を撫でた。
「おねえ、ちゃん……」
わたしが震えている事に気が付いた女の子が怯えを隠さず真っ直ぐに見てくる。
綺麗な緑の瞳。
「大丈夫だよ」
そう言えば緑か青の眼の子しか居ない。
赤い眼の子は居ないのだろうか?
疑問に思ったが、たまたま居ないだけだろうと結論付け、きつく目を閉じた。
ロア、大丈夫だよね? 助けに来てくれるよね? 約束、守ってくれるよね?
何度も心の中で大丈夫を繰り返した。
ロアに会ったらまず謝らなくちゃ。
待ってろって言われてたのに。
わたしが不用心だったのが悪かったよね。
謝るから……助けて……
ロア、ロア……
ロアの事だけ考えた。
そうしないと怖くて泣き出してしまいたくなるから。
買われた後の事を考えると恐怖で震えあがりそうになる。
ステラとハイドの娘は、買われた後どんな扱いを受けたのだろう。
どうして壊れてしまったのだろう。
言われたとおり、わたしはただ強がっているだけだ。
オークションは今日だとわたしを攫った男達は言っていた。
ロアは間に合わないかも知れない……誰も助けに来ないかも知れない。
わたしはどうなってしまうのだろう。
他の子達と身を寄せ合って、ただ助けを待つ。
これ以上何もできない自分に嫌気がさした。




