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夕方……いや、もう日が落ちるから夜と言っていい。
狭間の時間に男はエールを煽った。
「ふぅ……」
此処は酒場。
とは言っても表の行儀の良い場所じゃない。
裏の……スラムの薄暗くて狭くて、ほんの少し臭う何処か入りずらい酒場だ。
少しの風で簡単に小さな蝋燭の火が消える。そのせいで暗さに拍車をかけていた。
男は此処の常連だった。
居心地は最悪だが酒が安かったのだ。
そんな場所だからか、まだ早い時間だからなのか、客は男一人だけだった。
貸切か、悪くねえな。
男はそう思い上機嫌にエールを飲んだ。
飲み終えたエールをもう一杯頼むと、店主が呟いた。
「騎兵が動き出したのはご存知ですかな」
「ああ……スラムを潰すって話、本当だったんだな」
「やはり……はあ、店を畳むしかないようだな」
店主が肩を落として去って行った。
店主もオレも……此処スラムに居る奴らは何かしらやらかしているメンツばかりだ。
コネがあればこうしてカナトラに入れるが……無い場合は少し遠いフロラリアに行くしかない。
カナトラのスラムが潰れると言う事は、オレもフロラリアに行くしかないか。
人を隠すには人、とは良く言ったモノで、隠れるには良い場所だったんだがな。
本当に残念だよ。
店主と同じように男は肩を落とした。
チリン、チリチリ……
音のした方へ視線を投げ掛けた。
壊れかけの扉が、ギィ、と嫌な音を立てた。
扉についている鈴が客が入って来た事を告げた。
知らない男だった。
黒い髪をした男。風の民か、血を引いているだけか……
眼は目隠しされており属性は分からなかった。
薄暗い店内に男はよく馴染んでいた。
まだ若いな。
青年と言って良い年齢だ。男はそう思って悟られぬように青年を盗み見た。
スラムで顔の広い男は顔の隠した青年を警戒した。
何も言わずに青年はそんな男の前の席に座った。
青年は男の分のエールも注文した。
「お近づきのしるしに」
そう言って。
「おっ、悪いねえ」
男は飲みかけのエールを飲み干した。
狭い店内に客が二人。
店は大損だろうな。男はぼんやり考えた。
「どうです? 最近は」
青年が口を開く。
「どうもこうも……騎兵達がお仕事してるから引っ越しを検討中だ」
「それは難儀ですね」
青年は金貨を机の上に置いた。
思わず凝視する。
そして青年の顔を見た。
「何が聞きたい」
男は情報屋として有名だった。
青年は此処の酒場で飲んだくれている事を誰かに聞いたのだ。
「人を買いたいのです」
「奴隷か? この国じゃ奴隷は禁止されている。他の国に行きな」
そう言った途端、背筋が急に寒くなった。
何だ……?
目隠しされていて見えないはずなのに青年に睨まれている、そんな気がした。
「分かっているでしょう? 俺が欲しいのは女ですよ」
「魔力を持った、か?」
「ええ」
青年は微笑んで頷いた。
気のせい、か……?
男は動揺を悟られないように逆に問いかける。
「何故欲しいんだ?」
「……俺はとある国の人間です。国の命令で魔力のある女性を仕入れてくる様に仰せつかりました」
「お前のその髪は風の民の物だろう?」
「祖先に風の民が居ます」
「その可哀想な祖先と同じ人間を作る事に躊躇は無いのか?」
「出世の為です、ためらいなどありますか?」
青年の話を聞いて、男は自分が青年の立場ならそうするだろうと何故か納得した。
所詮この世界は食うか食われるかだ。
「……この国では摘発が進んで売り買いの場は無くなっている」
「最近できた、と聞きました」
青年は金貨を追加で二枚、置いた。
金貨三枚。十分な大金だ。
「教えてもらえませんか?」
青年はあくまでも下手に聞いてくる。
男は何故か青年と会話をするたびに背筋がゾクゾクとし、昔の感が叫んでいた。
こいつはやべえ奴だ……下手に逆らわねえ方が良い。
金貨三枚、上出来だ。これ以上一緒に居たくねえ。
男は口を開いた。
「今回が第一回目の競売だ。会場は……近くにある」
「此処……カナトラにあるのですか?」
「いや、此処じゃねえ」
青年の刺すような視線に耐えかねて男は視線を外しエールをあおる。
「何処だと思う?」
「……」
「特別だ、教えてやるよ」
男は小さな声で青年に告げた。
「まさか……!」
「そのまさかだ。誰もそこでやるとは思わないだろ? だからこそ、だ」
「詳しい場所は?」
男はわざとらしく首を横に振った。
「オレはそっちには手を出してない。知っているのはそのぐらいだ」
「本当か?」
「言えるのは……どこかの貴族の邸宅、とかって聞いたかな」
「日時は?」
男はニヤニヤして青年を見た。
「今日、夜から」
青年は勢いよく席を立った。
どうせ間に合わないだろうと男は心の中でせせら笑った。
「感謝する」
青年はそう言って銀貨を数枚店主に弾いて渡し、頼んだエールに手を付けずに去って行く。
チリリン
青年が出て行った扉の鈴が鳴り終わって、力が抜けた。
男は緊張状態から解放され、どっと汗をかいた。
何だったんだ、あのボウズ……
ずっと喉元に刃物を突きつけられている気分だった。
最悪の取引だった。
男は机に置かれた金貨を胸元にしまい込んで席を立った。
あの青年が何者なのか、調べようと決めて。
*****
走った。
日が暮れかかり街灯に明かりが灯り始めた。
オークション会場の場所が分かった。
細かい場所までは分からなかったが、ほとんど付きとめたと言って良い。
「ハイドフェルト教官!」
騎兵達を指揮している教官を見つけ、呼び止める。
「ロア様!」
俺に気が付いた教官が走り寄ってくる。
「そちらの首尾はどうです?」
そう聞くと、教官は首を振った。
「残念ながら、まだ見つかっていません」
となると、考えられる事は一つ。
すでにミツキはこの街には居ない。
「教官、場所をつきとめました」
「! 何処です?」
はっと一度息を吐く。
「王都です」
俺もそうだったが、教官も目を見開き驚いている。
この国……いや世界一治安が良い場所で人の売り買いをする者が居るなどと誰が思うだろうか?
考え方が、かの重罪人セネドらしいと言えた。
「何処かの貴族の家で行われるようです、詳しい場所はまだ分からないので先に王都に飛びます」
「待って下さい、そんなに急がれなくても」
「開始時刻は今日の夜です! もう始まっているかも知れません!」
今日を逃したらミツキは他の国に行く事になる。
そうなったらもう二度と助け出せなくなる。
「分かりました。こちらから騎士隊には連絡しておきます。先に向かって下さい」
「恩に着ます」
家の屋根に飛び乗って城壁、壁を走り登って行く。
カナトラ。
王都を守る壁、登り始めてものの数秒でその上に立つ。
上空は強い風が吹いていて、服と髪を乱していく。
少し遠くに王都の街灯りが見えた。
ミツキ……
城壁から飛んだ。
大量の魔力と細かい魔力制御が必要だが、空を飛ぶことは可能だ。
周りに空気のバリアを作って王都へ真っ直ぐに、高速で飛んでいく。
上昇気流を火魔法で無理矢理作り、爆発的に前に進んで行く。
この方法を取れば王都まで時間はかからない。
恐らく日が完全に沈むまでには到着できるだろう。
王都に着いた後、どうするか考えた。
何処の貴族の家か突き止めるのにはそれなりの人間が必要だ。
父が頭に浮かんだ。
一度に大勢の騎士を動員出来るのは間違いなく父だろう。
しかし……父に頼むのは効率的とは言えない気がした。
おばあ様……
こう言った件に関して一番敏感なのはおばあ様だ。
自身は風の民で魔力を持っている。
セネドとの因縁もあると聞いた事があった。
おばあ様の……3番隊の力を借りよう。
そう決めて上空を飛び続ける。
風を切る音が嫌に耳に残った。




