ボロボロの子
宿を引き払って、人ごみの中を進んで行く。
真っ直ぐに馬車乗り場に歩を進める。
ちょっと距離があるんだよね……
はぐれない様にしっかりとロアと手を繋いだ。
先ほどの事もあってか心臓がドキドキした。
わたしとロアは恋人なのではない。
互いに好き合っているけれど、恋人ではないのだ。
そう遠くない時にわたしはこの世界から居なくなる。
そんな関係になったら余計につらいだろうから。
「今日もすごい人だね」
朝早くから馬車乗り場は人でごった返している。
それだけ王都へ行きたい人が沢山居るのだろう。
「うーん……」
ロアは少し考えた。
「ミツキ、また此処で待っててもらえるか?」
ロアによると、馬車を乗る事を予約してきたが何時頃に出発の馬車かは当日、つまり今日にならないと分からない様だった。
「何番の馬車か確認してくる」
「分かった、行ってらっしゃい」
「すぐ戻る」
軽く手を振ってロアを見送る。
昨日ほど時間はかからないだろう。
同じように街灯の下に立った。
暇なので、昨日と同じように人の流れを観察した。
若い夫婦に、子供の居る夫婦、少し身なりが良い人……あれは商人だろうか。
この通りには貴族は居ない。
当たり前か。馬車ぐらい所有しているだろうし。
「……?」
無駄な事を考えていた時、服が引っ張られ、視線を投げかける。
まだ幼い女の子だった。
体は汚れており、服はボロボロだった。
「どうしたの?」
優しく問いかけた。
女の子はじっとわたしを見つめていた。
「お母さんは?」
「……」
「お父さんは?」
少女は何の反応も返さない。
う~ん……困ったなあ。
きょろきょろと辺りを見回す。
騎兵は居ないだろうか? 迷子を預かってはくれないだろうか?
こう言う時に限って近くには居ない。
仕方ない。
しゃがみ込んで少女に問いかける。
「お名前は?」
その時だった。
「あっ!」
視界が急に明るくなった。
見ると少女が帽子を持っていた。
わたしの帽子!
わたしの顔を見た少女が目を輝かせた様な気がした。
「ま、待って!」
少女は帽子を持ったまま走り出した。
それがないとすごく困る! ロアに怒られる!
慌てて追いかける。
少女は小さい体を駆使して、すいすいと人ごみの中を進んでいく。
「あ、す、すみません……待って!」
時折人にぶつかりながら何とか進んでいく。
夢中になって追いかけて行く。
少女は軽い身のこなしで細い路地へと入って行った。
わたしは何も考えずに、裏路地へ入っていた。
細い道を右へ左へ、少女を追ってくねくねと進んで行く。
「はあ、はあ、はあ……」
どのぐらい追いかけただろうか?
全く追いつけない。少女はわたしの帽子を持ったまま遠くで見ている。
「待って」
追いかけようとして、ふと足を止めた。
そこでわたしはようやく、違和感に気が付いた。
その帽子は何処の店でも売っている物だ。現に何度も店で見た。
少女は、わたしを撒こうと思えば出来たはずだ。
待っている……? もしかして何処かに、おびき寄せられて……
でも、こんな少女に?
夢中になって見えていなかった状況を確認する。
「……っ」
此処、何処……?
細い裏路地、人の通りは無い。薄暗く、すえた臭いがした。
治安の悪いスラム街の様な場所だった。
自分は入ってはいけない所に入っている事をようやく理解する。
帽子を諦めて通りに戻ろうにも、此処が何処なのか看板すらない。
来た道はくねくねですでに覚えてはいなかった。
「……」
少女は離れた位置でわたしを誘う様に帽子を振り回した。
何故か鳥肌が立った。
これ以上は、行ってはいけない。
本能がそう叫んだ。
わたしは帽子を諦め踵を返した。
もっと早くそうすれば良かった。
大通りに出よう。そうすれば騎兵が居る。ロアがわたしを見つけてくれるだろう。
そう、思ったのに。
「……!」
わたしは自分の愚かさを呪った。
日本で暮らして来て平和ボケしていた。
こんな幼い少女には何も出来ないと勝手に思い込んでいた。
裏路地だって、危険だって分かっていたのに……安易に踏み込んだ。
「上物じゃねえか」
目の前のガラの悪い男は一言、そう言って仲間とゲラゲラ笑った。
肝を掴まれた気分だ。呼吸が止まった。
怖い。怖い……
恐怖に怯え、体が震えた。
「黒髪じゃあ風の民か? ……んん?」
集団のリーダーである男の袖を少女は引っ張った。
男はめんどくさそうな顔をしたが、
「報酬な、ほらよ」
男は銅貨を数枚無造作にばら撒いた。
それを必死でかき集める少女を見て、男達はゲラゲラと下品に腹を抱えて笑った。
少女と男はグルだったのか。
自分がこんな状況なのに、少女の事を哀れに思った。
「お前ら、仕事だ。傷は付けるな、値が落ちる」
捕まる!
男の言葉を聞いて、走り出した。
このままだと捕まる。
抵抗したかった。
背中から男達の怒声が聞こえてきたが、構わず走りぬける。
男達に背を向けて、必死に走る。
ロア……っ
心の中で何度もロアを呼んだ。
ロアの言いつけを守れなかった。待ってろって言われたのに。
何処か隠れられそうな所は無いか。
時間を稼げば、わたしが居ない事に気が付いたロアが探してくれる。
だけど此処は見知らぬ土地。
逃げながら探すのは無理だ。
「っ!」
風魔法が上から降って来て、先に進めなくなった。屋根に一人男が居た。
仕方なく脇道に逸れ走った。
裏から追いかけて来る男達が笑っている。
時折後ろから魔法が飛んで来て、肝が冷える。
わたしに当てる気は無い。ただ遊んで居るのだ。
「あっ!」
激しく動いたからだろう。
胸にしまって置いた、ロアから預かったナイフが飛び出してしまった。
後ろを振り返る。道の端、ガラクタ置き場に落ちてしまっていた。
落ちた先はすぐそこなのに、はるか遠く感じた。
「何時まで続けるんだよぉ!」
魔法が飛んで来て、尻込みしてしまった。
ごめん、ロア!
ナイフを拾わず前を見て走った。
どのぐらい走り続けただろう。
緊張状態が続いた状況では正確な時間が判断できなかった。
「はあ、はあ……」
とうとう、囲まれてしまった。
数にして10人ほど? いや、もっと……集まって来てる……!?
「オークションは何時だったか?」
「今日の夜みたいですぜ」
「そうか……俺達は相当運が良いな」
男達が笑う中で、必死に考えた。
どうしたら逃げられる? どうしたら……
一か八か……!
それなりの水球を複数作る。
「おぉ?」
「魔法?」
「女が使ってるのか?」
それを一番弱そうな男に向けて放った。
「えいっ!」
放ったと同時に走り出す。
水球を男に命中させ、驚いているうちに脇を通り過ぎる予定だった。
ばちゃばちゃっ!
予定通り命中した。
必死に走った。
そして男の横を通り過ぎた、そう思った時……
「! きゃあ!」
何かに足を取られ、派手に転んだ。
「馬鹿テメエ怪我させてんじゃねえ!」
「す、すみません……」
膝を擦りむいた。ジンジンとした痛みがじんわりと広がる。
慌てて立ち上がろうとした。
頭の中は、逃げなくちゃ、でいっぱいだった。
「……!?」
けれど立てなかった。
水魔法が蛇の様に両足に巻き付いていた。
取ろうともがくが、もともと水には形は無い。取る事は叶わなかった。
「これで大金持ちって訳だ」
「はは、好きな女買いたい放題だぜ」
「セネドの兄貴には感謝しねえとな」
嫌、嫌、嫌っ!
ガタガタと震え、声を上げる事も出来ない。
ガチガチガチと奥歯が鳴った。
誰か……ロア、助けて……
男に瞳を覗き込まれて悲鳴と共に顔をそむける。
「いい色だなあ。いくらで売れるんだか。おい、さっさと気絶させろ」
「へい」
返事をした男は水魔法を使い、さっきの蛇の様な長細い水の塊を作った。
「! むぐっ……!」
その塊はわたしの口と鼻を塞いできた。
「んー! んんー!!」
手を動かして必死に取ろうとするが取れない。
嫌だ! わたしは家に帰りたいのに……こんなところで……!
自由がきかない足もバタバタと動かした。
だんだんと酸素が足りなくて目の前が霞んで行く。
苦しい……ロア……
必死に肺にとどめておいた空気を吐き出して、目の前が真っ暗になった。
最後に見えたのは男達が笑う姿だった。




