年老いた妻
恐らくわたしはとても困った表情をしていたのだろう。
血相を変えてロアが走り寄ってくる。
「……俺の連れに何か用か」
恫喝的な声でロアがハイドに尋ねる。
ハイドはロアの知り合いなので俯いて何も話さない。
「何だこの手は! 離せ!」
「っ、ロア……」
ロアは取り乱している様に見える。
声色に苛立ちが見て取れた。
ロアがハイドの腕を掴んだ。
そして……
「まさか……ハイドフェルト教官?」
ロアの声から険が取れた。
唖然とハイドを見つめる。
「お久しぶりです、ロア様」
ハイドはそう言ってわたしの手を放した。
……教官?
ロアは眉を寄せつつ、胸に手を当てた。敬礼のポーズだ。
「何故このような所に……?」
「此処は妻の出身地でして……思い出にと旅行に」
「……ミツキと何をしておられたのです」
「ロア様、駄目ですよ。この様な場所にお嬢様を置き去りにするなんて」
ハイドは質問には答えず、ロアに言い聞かせる。
「此処は表とは言え裏に近いのですから……引き込まれたらお終いですよ」
「……ああ、それについては軽率だった」
気を付ける、とロアが呟く。
再びロアが問いかける。
「ミツキとは何を?」
「ああ、そうだ! ロア様、今晩一緒にお食事はいかがでしょう?」
「………」
「妻もきっと喜びます」
答えようとしないハイドにロアがイラついてきたようだ。
もしかして……ハイドさんは愉快犯なのだろうか?
この状況を楽しんでいる様に感じる。
「ロア……」
ロアの手を掴む。
神秘的な赤の瞳と目が合った。
安心したようにロアは目を細める。
心臓が痛いくらい高鳴ったので、ばれない様になだめておく。
「父に言われて様子を見に来たのか?」
その問いに、饒舌だったハイドは口を閉ざす。
「俺が本当に帰って来るのか、確かめに来たのではないのか?」
ハイドとロアが睨みあっている様な気がする。
どうしよう……
困っていると、ハイドはふっと微笑んだ。
「自意識過剰ですねえ、ロア様。私は旅行で来ているのですよ? 本当です」
「………」
「それに、今騎士隊は大忙しなのですよ?」
「忙しい……?」
「はい、ロア様の情報ではありませんか、」
重罪人セネドが国内に戻って来たって。
ロアがハイドの顔を見据える。
「今度こそ、捕まえたいものですねえ」
そう言って微笑む。しかし、その目は全く笑ってはいなかった。
ぞくり、と背筋が冷えた。
「ミツキ様と一緒に居たのは危なっかしいなと思ったからですよ」
ハイドの表情が和らぐ。
「罪のない人々を守るのが、我々の仕事ですから」
一瞬の、鋭い殺意。
人さらい、とだけ知っているセネドと言う人物……一体、何者なのだろうか。
「ところで、この後、お時間ありますか?」
「この後は宿に帰るだけだが……」
「お食事はどうですか? その辺で食べるよりも美味しい物をご提供させていただきます」
ハイドはニコニコと笑う。
さっきまでの殺伐とした雰囲気はなりを潜めている。
「分かった、邪魔する……いいか? ミツキ」
「うん……いいよ」
「ではお二方、どうぞこちらへ」
人混みの中、ハイドに付いて行く。
ハイドはこの街に別荘を持っていると言う。
壁に囲まれている為、景色は良くないが、庭もありそれなりに広いようだ。
「ねえ、ロア……ハイドさんを教官って……?」
「ああ、うん」
ハイド、改めハイドフェルトさんは、王都騎士隊の2番隊の教官だ。
特に2番隊は18歳で学園を卒業した若く才能がある貴族が入る隊でもある為、教官と言う立場がいかに重要か、そこまで考えずに済む。
ロアも隊に入った時は2番隊からのスタートだったのでハイドに世話になった様だ。
それぞれの隊に多くても3人の教官が付いており、いずれの教官も元々は騎士だった者がほとんどで実力は折り紙つきだ。
……人が多い通りを抜けて、貴族街の通りに入る。
昼に来た時よりさらに人の通りがない。
ハイドは二階建てのログハウスの様な建物の前で足を止める。
「こちらです。狭いですがどうぞ」
重厚感のある木のドアが開く。
中も木で出来ていて、おしゃれで可愛らしかった。
「わあっ」
ハイドは狭いなんて言ったけど、十分な広さがある。
一度はこんな家に住んでみたいなあと思った事があった。
「あらあらあら? 可愛らしいお嬢さんねえ」
中から出てきたのは年老いたお婆さんだ。
私の祖母より年上だろう。70歳過ぎぐらいかな?
お手伝いさんかな? ……でも雰囲気が貴族っぽいような。
「ただいま、ステラ」
「お帰りなさい……あなた」
お婆さんのその言葉に、はっとハイドの顔を見た。
ハイドは愛しい恋人でも見る様に微笑み、お婆さんを抱きしめた。
「え? ……ぇ?」
「ミツキ……ハイドフェルト教官は御年72歳だ、もう分かるだろう?」
ロアと同じ、最高位魔力保持者。
20代前半で見た目の年齢が止まる。
女性は魔力を持たず、自然と年を取る。
男性は……?
目の前の二人の年齢は、祖母と孫ほど違っていた。
わたしはその光景を目の当たりにして愕然とする。
最高位魔力保持者は、違う時間を生きているのだろうか?
好きな人と同じ時間を生きられない……
それは、呪いではないか。
「あなた、お客様を紹介して下さる?」
わたしの冷え切った心とは裏腹に、ステラと呼ばれたお婆さんは幸せそうに微笑みつつ、夫であるハイドに問いかける。
「ロア様、ミツキ様、妻のステラです」
「ハイドフェルト教官にはお世話になっております、ロアと申します」
「初めまして、美月と言います……」
「妻のステラです、お二方どうぞゆっくりして行ってくださいね」
この世界では、これが普通なのだろう。
ロアも年老いた妻が居るハイドに驚いたりはしなかった。
最高位では、普通の事なのだ。
微笑むステラに会釈して、椅子の方に促される。
ロアに帽子を外していいか聞いて、許可が出たので外した。
「あらまあ……!」
ステラが近付く。
「とても綺麗な髪ねえ」
「え? そう、ですか?」
「ええ……触ってもいいかしら?」
「? はい、こんなので良ければ……」
伸びてきたステラの手は、皺くちゃで少しシミが有った。
ふと、自分の祖母の事を思い出した。
長生きしてる人の手だった。
対してハイドの手は……若かった。
年を全く感じなかった。
「あなたも魔力を持っているのね」
「……あなたも?」
「娘が、あなたと同じで青い眼をしていたわ」
「そうなのですか」
わたしの髪は旅で随分と痛んでしまっていた。
ステラが櫛で髪をとかしてくれている。
髪を櫛でとかすのも久しぶりだ。何時もは手でさっとするだけだから。
「娘様はご結婚をされたのですか?」
この人達の娘、と言ったら50代だろうか?
ハイドは貴族の様だし、嫁に行ったのかな、そう思った。
しかし、返ってきた答えは、そんな生易しいものでは無かった。
「攫われたの……まだ、5歳の時だったわ」
「……あ、ごめん、なさい」
「いいのよ、もう、ずいぶん昔の事だから」
それ以上聞く気にはなれなかったが、ステラは攫われた娘をぽつりぽつりと語りだした。
金の髪に青い瞳。魔力量はわたしとは違い、最下位で魔法は使えない。
ある日突然、庭で遊んで居た所を攫われ、そのままこの国の貴族に売られた。
当時はまだ、この国の貴族も女性を買っていた様だ。今は罰則がきつくなって買う人間は居ないと言って良いようだ。
ステラとハイドは娘を何年もの間、必死に探したが見つからなかった。
その当時、人身売買への取り締まりが強くなり、娘を買った貴族がようやくお縄に着いた。そして、娘は助け出された。
しかし、助け出された娘はすでに……
「心が死んでいました……ただ生きているだけ、母親の事も父親の事も忘れてしまっていました」
「そんな……」
「娘は施設に預けました……そして、そのまま星になりました……まだ、若かったのですけどね」
ステラは寂しく微笑む。
娘が、幸せな一生を送れなかった事を後悔してる。
だからハイドは、人さらいであるセネドに強い殺意を持っているのだろう。
「ごめんなさいね、こんな話……」
「いいえ……どうして、わたしに?」
「……娘の眼に似ていた気がしたから……深い、青の色が」
こちらの世界に来てから、わたしの瞳は深い海底から上を見上げた様な色鮮やかなコバルトブルーだ。
「お話、とてもためになりました」
「ごめんなさい、一方的に話してしまって……」
「お気になさらないで下さい」
「でも……あっ」
ステラは声を上げた。
「そうだわ」
そう言い、ステラは部屋を出て行ってしまったので、ロアに視線を投げる。
「知ってた? 今の話」
「いや、教官殿の子供が攫われてたなんて初めて聞いた」
広い木造のおしゃれな部屋を見渡す。
ハイドがいない。
「ハイドさんは?」
「教官殿の趣味は料理だからな……夕食を作りに行ったのかもしれない」
騎士を辞して、教官になったハイドは時間を持て余して料理をするようになったと言う。
妻のステラが喜ぶからと頻繁に料理をするようになったと言う事だ。
「ねえ……手伝わなくていいの?」
「俺達みたいな素人が手伝っても邪魔になるだけだ」
「……そっか」
じっと、ロアを見る。
「どうした?」
「ロアも、年を取らないんだよね……」
「年は取るからな、見た目だけで」
「はあ……うん」
「どうかしたのか」
ロアに、自分の世界では同じように年を取るのが普通な事を伝えた。
見た目の年齢が離れているハイドとステラに衝撃を受けたのだ。
「まあ、見た目が若いと何時まで経ってもお見合いの話が来るから面倒なんだ」
「え?」
「俺の祖父は60代なんだけど、未だに第二夫人はどうですか? って見合いが来るんだ」
「もしかして……ロアのお父さんも?」
「……………うん」
見た目が若いと言うので困る事もあるようだ。
「しょうがないんだよ、こういう風に産まれて来てしまったんだから」
「うん」
「同じように年が取れないのは不幸な事か? 二人は幸せそうに見えるが」
この部屋に居ないハイドとステラは、とても幸せそうに見えた。
娘を失った、悲しみを乗り越えて。
「だからもう、気にするな」
「うん……ありがとう」
何時かロアは年を取らなくなる。
でも、ロアの隣に居る人はどんどん年を取って行くのだろう。
最高位の魔力を持った人間なら、それが普通なのだ。
「変な事気にした、もう大丈夫」
ぽん、とロアの手が頭に乗った。
「お、やっぱりとかすと違うな」
ステラが綺麗にとかしてくれた髪を流れに沿って撫でる。
「違う?」
「うん、何時もよりさらさら」
「綺麗にしてもらったからね」
甘える様にロアの手に頭を押し付ける。
少し恥ずかしいからロアとは目を合わせられなかった。
……二人が戻って来るまで、ずっとそうしていた。




