間章:ロアの手紙
からりと晴れた空の下。
王都の中心に広い敷地を持つ、大きな屋敷。
一階の部屋に40代ほどの美しい女性が頬に手を当て何やら思案顔。
女性は長い茶色の自分の髪を耳にかけ、同じく茶色の目を細め空を見つめた。
部屋は一目見ただけで一級品と分かる調度品で揃えてあった。
「奥様」
一人のメイドが女性に声をかける。
「いらっしゃいました」
その後ろからひょっこり顔を出したのは年の頃まだ17歳程の少女だろうか。
短い黒髪に零れ落ちそうな大きな赤い瞳が印象的な可愛らしい少女。
「よっ、ナタリア遊びに来たよ」
片手を上げ挨拶をし、メイドと共に部屋に入り、腰に差している刀を気にしながら、椅子にどっかりと座った。
メイドは粛々と二人に紅茶を入れ始める。
今日はたった二人だけのお茶会の日だ。二人は定期的に茶会を開いている。
女性は笑顔で少女に挨拶をする。
「いらっしゃいませ、レッド様」
女性はそう言い、頭を深々と下げた。
「そーいうのいいから」
「しかしですね……」
「おれが良いって言ってんの」
男口調の少女は鼻息を荒くして女性にそう忠告した。
「ま、ゆっくり紅茶でも飲もうよ」
「……はい」
女性も席に付き、メイドが入れた紅茶に手を出す。
役目を終えたメイドは一度頭を下げ退出した。
部屋には二人だけになった。
「今日のは香りがいいね」
「お気に召しましたか?」
「うん、この前のよりは好きかも」
「それは良かったです」
二人は紅茶の話でしばし盛り上がる。
今日の紅茶は国内で取れた紅茶らしい。
生産数がわずかでとても高価なようだ。
一通り会話も終わり、紅茶もそこそこ楽しんだ後、レッド、と呼ばれた少女が切り出す。
「ねえ、ナタリア」
「はい、なんでしょう?」
「ロアの事なんだけど……」
レッドがそう言うと、ナタリアと呼ばれた女性は眉をひそめる。
「旦那様から何か聞かれましたか?」
「うーん……何か少しテンパってたよ?」
「旦那様がでしょうか?」
「うん、そう」
紅茶を一口飲んで、小首を傾げたレッドが続ける。
「話聞いてもよく分からなくてさー」
そう聞いたナタリアは旦那様が本当に戸惑っていた事を察した。
理詰めで話す事の多い旦那様からしたら異常事態だ。
ナタリアは自分の前では旦那様が平静を無理に保っていた事を知った。
レッドは続ける。
「えーっと……ロアから手紙が来たって事は知ってるんだけど」
「手紙ですね……今持ってきます」
ナタリアは立ち上がり、部屋を出ようとする。
その前を先程とは別のメイドが塞ぐ。
「奥様、お持ちしました」
「あ、はい……ありがとうございます」
「わたくしに敬語は必要ありませんよ」
そう言いメイドは笑顔で去って行った。
ナタリアは嫁に来た立場なので誰にでも敬語で話す癖がたまに出るのだ。
「この家のメイドは出来るよね」
「ええ……何時も助けてもらっています」
「……手紙の内容は?」
ナタリアは困ったように眉を寄せる。
「ロアはストーラに居るようです」
「ストーラ? だったら一日経たずに帰ってこられるよね?」
「ええ、ロアの魔法ですぐです……ですが……」
ナタリアはレッドに手紙を渡す。
「すぐには帰って来れそうもないのです……」
レッドは手紙に目を通した。
拝啓
風薫る爽やかな季節となりました。
皆様いかがお過ごしですか。
さて、私は今石畳の町ストーラを訪れています。
爽やかな風が通る心地が良い町です。
家に戻れとの事ですが、一度家に戻りたいと思っております。
理由としてですが、再三通達があった事もそうですが、
魔力持ちの女性を保護しました。
黒髪で魔法が使える程度の魔力がある女性です。
家への帰り方が分からないようですので一度王都に帰り、
情報を集めたいと思っております。
その為、馬で帰る事になるので時間がかかります事をご理解ください。
それでは、久しぶりに会える事を楽しみにしております。
母上には体を大事にとお伝えください。
敬具
「どう思われますか?」
ナタリアが問いかけると、レッドは読み終った後もしばらく手紙を見つめ、
「お嫁さんを連れてくるのかな?」
レッドがそう呟くと、ナタリアは少し息を吐いて、
「やはりそう思われますか」
「うーん……だって……ねえ?」
レッドが言うには、ここ最近で風の民の女性が誘拐された話は聞いておらず、この女性が風の民である可能性は低い。
それに……
「なんでロアが此処まで連れてくる必要があるの」
「ええ……謎ですわ」
「騎兵に任せちゃえばいいのに……」
「ただ一緒に居たいだけな気がします」
「そう! まさにそんな感じ! 他の人に取られたくないと見える」
「ですよね……」
「分かりやす過ぎだよね」
レッドはもう一度手紙を見返す。
何度見返しても内容は変わらないので眉を寄せる。
「どんな子かな?」
「ロアが選んだ子なので……変な子ではないと思いますが」
「……この家は一目惚れ家系だよね」
「はい……ロアもそうなのでは無いかと」
「はあ~……何時もそうだよ……ロゼもライトもそうだったし……」
あーっ、と言いながらレッドは頭を抱えた。
「惚れられて苦労するのは女の方なのに!」
ナタリアは微笑みながらレッドの話を聞く。
「ナタリアの時も大変だったよね……」
「ええ……でも、今は幸せですから」
「ごめんな」
「お気になさらないで下さい……終わった事ですから」
ナタリアは再び注いだ紅茶にミルクを入れた。くるくると二色が混ざり合って行く。
ナタリアは自身が結婚に至るまでいろいろあったと懐かしく思い出していた。
「旦那様はこの手紙が来て動揺していらっしゃいました」
「うん……分かるよ」
「覚えがありますか?」
「ライトの時がそうだった。帰って来ていきなり結婚したい人が出来ました、許可を下さいって」
「いきなりですか」
「うん、おれもロナントも驚いちゃってさー」
「まあ……ふふ」
レッドはぐいっと一気に紅茶を飲み干す。
手紙を見て目を細める。
そっか、ロアももう大人なんだよな。ついこの間まで小さな子供だったのに。
何時の間にか背も抜かされちゃったな。
「この手紙って来たの何時?」
「三日程前かと」
「……ストーラからここまでってどのぐらいかな?」
「十日程だと思います」
「えー……まずいな」
「どうかなさったのですか?」
「いやさ……ロナントの奴、」
ロナントが仕事で国外に出てしまう事をナタリアに告げた。
今日出立日で、数日は戻ってこられないだろう。
「まあ……またどうして?」
「今、王族もニックバルト家も忙しいんだよ……本来はニックバルト家の仕事なんだけどさ」
今、王族内がドタバタしていることが原因であった。
「こうしちゃいられないな」
レッドは立ち上がり、そのまま庭へ出る。
ゆっくり振り向いてナタリアを見据える。
「ちょっとロナントの所に行ってくる」
「間に合いますか?」
「無理矢理間に合わせるから大丈夫」
「お気をつけて」
レッドはナタリアに向かって笑う。
「あいつもロアとロアが選んだ子に会いたいと思うからさ、ちょっと行って来る」
「はい」
「紅茶ごちそうさま! また来る!」
ザザッ、と強い風が吹いてナタリアは目を閉じる。
ゆっくり目を開けるとそこにはもうレッドの姿は無かった。
相変わらず、忙しい人ですね。
そう思って、再びロアの手紙を見る。
やっと帰って来るのか……どれだけ人に心配かけているのか分かっているのだろうか?
私よりも旦那様の方が色んな意味で心配していたわ……旦那様が望まないからロアには言わないけれど。
取り敢えず帰って来たら抱きしめてあげましょう。
その後に叱ればいいわ。
もう一度手紙を見る。
「ロア……」
私の息子。
一体どんな子を連れてくるのかしら?
話の合う子ならいいなあ、とナタリアはぼんやり思った。




