間章:弟と出会い
「ぶつかる!」
姉ちゃんが叫んだ。
寝ていた俺は何もできずに抱きしめて来た姉ちゃんを見つめた。
次の瞬間、俺は病院で寝ていた。
知らない天井と消毒液の匂い。
自分の体を確認すると、片足が折れていたのかギプスがしてあった。
体の感覚がにぶい。
ガラッ、と音がして誰かが部屋に入って来た。
「……とうさん」
「亮! 目が覚めたのか!」
父さんはナースコールを押して看護師を呼んだ。
看護師と父さんの話によると、俺は数日意識が戻らなかったらしい。
交通事故にあったとここで初めて知った。
父さんは目立った怪我は無く、うっ血とたんこぶが出来たと少しだけ笑っていた。
俺は脳震盪と片足の骨折ぐらいで、後遺症は無いだろうと医師が言っていた。
「姉ちゃんと母さんは?」
父さんは顔を歪めた。
「母さんは……大丈夫だ、家で休んでる。美月は……」
この時初めて、姉ちゃんが死んだ事を聞かされた。
事故が原因で姉ちゃんの体は酷いありさまだったと父さんは悔しそうに言った。
「姉ちゃんが……死んだ……」
「お前だけでも生きていてくれて本当に良かった……二人とも居なくなってしまったら……どうなったことか……」
「………」
姉ちゃん……
事故直後の記憶を引っ張り出す。
姉ちゃんは俺を庇った。
あの時の腕の力強さを、俺は覚えている。
「姉ちゃんは、俺を庇った……」
「亮?」
「姉ちゃんは俺の代わりに死んだんだ……」
力の入らない体から、さらに力が抜けた。
姉ちゃんが死んだと言う実感が無いまま、自分の非力さを嘆いた。
その後、検査入院を経て自宅へと帰った。
松葉杖を突きながら父さんが運転する新しい車に乗り込む。
運転する父さんの額には汗がにじんでいる。
事故のトラウマがあるのだろうと、何も言わずに外を眺めた。
何事もなく家に到着すると、父さんは安堵の溜息を吐いた。
夕陽が落ちている。夕食の時間だ。
病人食は味気ないと思っていた。母さんの手料理が楽しみだ。
「ただいま」
父さんに手伝ってもらい、靴を脱ぐ。
自分で靴ぐらい脱げるようにしておかないと……もうすぐ中学校に復帰するのだし。
「おかえり、亮」
母さんがいつも通り笑顔で迎え入れてくれた。
その顔には大きな絆創膏が張られている。
事故で怪我でもしたのだろうか。
「今日は腕によりをかけて作ったわ」
「そうなんだ、病院の食事が薄味でさぁ」
「しっかり味付けしておいたから安心して」
キッチンへ向かう。
机にはすでに美味しそうな食事が並んでいる。
今日は母さん得意のハンバーグか。
松葉杖に四苦八苦しながら席に付く。
その時、気が付いた。
「……四人分?」
机にはきっちり四人分の食事が用意されていた。
恐る恐る母さんの方を振り返る。
いつもの母さんだと思った。
事故前と何ら変わりない、明るい表情を浮かべる母さんに安堵したばかりだった。
「どうしたの、亮?」
父さんから話は聞いていた。
母さんは病んでしまっている。
姉ちゃんを失った悲しみに耐えられず、姉ちゃんが死んだ事を一日に何度も忘れる。
まさか……姉ちゃんの食事を用意するなんて……
「もう、まだ下りてこないんだから」
「……? 母さん?」
母さんが部屋を出て階段の方へ向かう。
「美月! 下りてきなさい! 亮が帰って来たのよ! ご飯食べちゃいなさい!」
絶句して呼吸が止まった。
父さんが慌てて母さんの元に向かった。
「もう美月は居ないんだ! 何度言えば分かるんだ!」
「居ない? どこかに泊まりに行ったのかしら……? 変ねえ、何も聞いて無い」
「違う! 美月は……美月は事故で……もうやめてくれ! 俺もおかしくなりそうだ……!」
「事故? ……事故。そうだ、美月は事故で……」
河野家が静まり返る。
少しの物音でも部屋に響き渡る。
三人で夕食を食べた。
何も話せなかった。
母さんだけがボロボロと泣きながら食べていたが、あまり量は食べられなかったようだ。
楽しみにしていた母さんの手料理の味を全く感じなかった。
姉ちゃんの席にある料理は静かに冷め、母さんが泣きながら片づけていた。
*****
足の骨がくっ付いて、俺は高校生になった。
母さんは相変わらず姉ちゃんが死んだ事を忘れる。
そろそろ大学受験を考えないとなあ、とぼんやり考えた。
深夜の遅い時間、ゲームに疲れて自室から姉ちゃんの部屋の方を眺める。
姉ちゃんは死んだけど、部屋はそのままになっている。
今まで少しだけ怖くて入った事は無かった。
……ちょっとだけ。
姉ちゃんの部屋の扉を開けた。
記憶にある通り、そのまま残っている。
地味な女子高生の部屋。
「……姉ちゃん」
声に反応する人はどこにも居ない。
ふと、勉強机を見ると手帳が置いてあった。
そこには予定が書き込まれている。
土曜、日曜に事故にあった家族旅行の事。
月曜日には図書館で勉強会。
火曜日にはパンケーキを食べに行く。
「……」
パラパラとめくって行くと、数か月後に新作ゲームの発売日! と書いてあった。
このゲーム、楽しみにしてたのか……知らなかった。
少し昔のゲームだけど……部屋に戻って掘り起こして戻ってくる。
姉ちゃんの部屋のテレビに繋いで遊び始める。
ラスボス前のデータが残っていたのでロード。
「このボスすっごい弱くてさあ、ラスボスなのに」
適当にボタンを連打する。
キャラクターのレベルを上げ過ぎてかすっただけでボスの体力がごっそり減る。
「裏ボスが強いんだよ」
カチカチカチ……
話したって誰も返事を返してはくれない。
「姉ちゃん、ごめん」
ボスを倒してエンディングを迎える。
何の感動もないラスト。
だけど涙が溢れた。
「俺の代わりに死んだのに、何もできない」
怠惰な生活を送っていると分かり切っていた。
でも、やめられなかった。
もうすぐ俺は姉ちゃんと同じ年になる。
「ここままじゃ姉ちゃんに顔向けできない」
ゲームの中の主人公がふいにヒロインにこう言った。
『何を成して来たのでは無く、これから何を成すのかだ。共に行こう』
最後のエンドロールが始まった。
ゲームで遊んできて、初めて言葉が胸に刺さった。
完全にエンディングが終わり、セーブするかどうか聞かれる。
俺は迷わず上書き保存した。
*****
あれから睡眠時間を削って勉強に励んだ。
ゲームの新作が出るとどうしてもやりたくなってしまうので、勉強の時間は確保しつつ、ゲームの時間を作った。
睡眠時間を削ってゲームをしていたと言ってもいいだろう。
そのかいあってそこそこ良い大学に合格した。
両親はとても喜んでくれた。
大学でゲームサークルがあったので入った。
オタクな奴やライトなゲーム好きなど層が広かった。
俺はどちらかと言うとオタクな方に入るのかな……見た目は気にしてるからオタクではないと思いたいが。
そこで彼女と出会った。
彼女は一見するとゲームとは無縁の可愛らしい見た目をしている。
背は低くふわふわしている髪に柔らかな笑顔。ゲームが好きそうには見えない。
そんな彼女に何のゲームが好きか聞いてみた。
どうせスマートフォン向けの始めるのが簡単なゲームだろう。
高をくくっていたが、帰って来た答えはあまりにも意外な物だった。
「ホラーゲーム」
「……ホラー? ゾンビ系?」
「う~ん、どっちかって言うとクリーチャーとかが好きで」
「え、じゃあデッドスペースとか」
「うん! アイザックさんかっこいいよね!」
マジか、こんな子がZ指定のゲームプレイしちゃってるよ。
「本当はサイレントヒルが好きで」
「三角様?」
「三角様! 知ってるの!?」
「三角様は有名だから知ってる」
「三角様、かっこいいよね! フィギュア持ってるんだ!」
フィギュア出てたんだ……知らなかった……と言うかもう三角頭の信者じゃないか。
彼女は和ホラーではなく洋ホラーが好きなようだ。
「和ホラーだとサイレンとか好きだよ」
「屍人と言う名のクリーチャーじゃねえか」
「ふふ、羽根屍人さん可愛い」
「可愛くないから。グロイから」
ホラーが苦手な人は絶対に見るなよ。
気分を害しても責任取れないからなって注意書きが出るレベル。
「ねえ、君なんて名前?」
「俺? 河野 亮」
「私は甲斐 夏輝。よろしくね、河野君」
夏っぽい爽やかな微笑み。
好きなゲームは夏の暑さを忘れられるものばかりだが。
甲斐はその見た目からいろんな奴にアプローチされていたが、ホラーゲームを話題にするとすぐに離れて行った。
彼氏欲しいのになんでだろうと首を捻ってたが、理由は教えなかった。
何故なから甲斐は話の合う俺を見つけると、ご主人様を見つけた犬のように駆け寄って来るからだ。
可愛すぎて他の男にはやれん!
自覚はあった。甲斐の事が好きだと。
ゲテモノが好きだろうが俺には関係なかった。
片思いをして一年が過ぎたある日。
大学の廊下を歩いていると、甲斐を見つけた。
甲斐も俺の事を見つけて駆け寄ってくる。
「河野君!」
「甲斐さん、おはよう」
「おはよう!」
甲斐がトートバックから良く知った大きさの物を取り出した。
「海外限定のホラーゲーム! グロすぎて日本で発売できなかったの」
「……へえ」
ゲームのパッケージにはどう見てもホラーなイメージ画像。
「一緒にやろうよ!」
「……え?」
「あ、河野君って一人暮らし?」
「そうだけど」
大学に進学してからは一人で暮らしている。
「じゃあ門限ないよね。私の部屋でやろう」
「……え?」
「あ、バイトとかある? 早くやりたいけどそのぐらいは待つよ」
「明日はバイトないけど……」
甲斐の笑顔がはじけた。
不覚にも心臓が高鳴る。
「じゃあ今夜、一緒にやろう!」
「今夜……?」
「ホラーゲームは夜! 電気を消してやるものだよ!」
「うわ、ガチじゃん……」
「明日、大学休みでしょ? 着替え持って来て! 泊まり込みホラーゲーム祭り!」
「祭りって俺らしか居ないけど」
「河野君とやりたいの。話し合う人いないんだもん」
夕方に甲斐のアパート最寄駅に集合、となった。
甲斐は本当に楽しみにしているらしく、終始笑顔だった。
唐突に決まったお泊りに俺は気が気じゃない。
甲斐の部屋……どんな部屋だろう……?
童貞は捨てられるのだろうか?
……いや、今のは余計だ。甲斐だってそんなつもりで俺を誘っている訳じゃないだろうし。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
ゲームをしに行くだけ。ただそれだけだ。
煩悩よ、今だけは静まれ。




