別章:騎兵、騎士隊へ
騎士隊本部の中は門の周りも木が生い茂っていた。中の様子を見せたくないからだろう。
少し歩いて森を抜けると巨大な建物が見えた。
何階建てか分からないぐらい大きく横に長い建物……しかも城が隣接している。
建物の手前の広大な訓練場で幾人もの騎士達が自分を鍛えていた。
どれもこれも規模が大きすぎて絶句していると、ルクスが不思議そうに俺の事を見る。
「どうした? 3番隊はこの建物の裏だ」
「裏!? こんなに広いのにまだ裏があるんだ……」
「こっち側は1・2番隊。向こう側が3・4・5番隊だ。覚えとけよ」
早足に先に行くルクスに付いて行く。
ふと何かに気が付いて、ルクスが振り向いた。
「その馬はどうしたんだ? 風馬だろ」
「あ、こいつは騎兵隊からの借り物でして……騎士隊に返すように言われています」
「そうか、なら先にそいつを預けないとな」
真っ直ぐに建物に向かって進んでいたが、左に方向を変える。
……え、訓練してる人達の間を抜けるの?
「何してるんだ、置いてくぞ」
戸惑っている場合じゃ無い。付いて行かないと……広いから迷子になってしまう。
ちょっと怖いけど付いて行くしかない。
恐る恐る歩き進めていると、遠くの方に大きな厩舎が見えた。
近くに柵で囲った放牧場があり、多数の馬の存在が見えた。
騎士隊本部はどれだけ広いんだ……?
無事に馬を渡して、厩舎を後にする。
「さてと、では教官殿に会いに行くか」
「はい。………あの」
「ん?」
「質問よろしいですか?」
歩きながら気になった事を聞く。
ルクスは嫌な顔せず答えてくれるようだ。
「教官殿はどんな人ですか?」
「推薦されたんだろ?」
「いえ、会った事が無くて」
「そんなはずないだろ」
「本当です。どんな人なのか教えてください」
ルクスは腕を組んで考えた。
そして一言、呟いた。
「鬼だ」
ぎょっとして目を見開いて、びくっと体を跳ねさせる。
鬼? 人間じゃなくて鬼?
「角の生えてない悪魔、鬼畜が服着て歩いてる……まあ、そんな感じの人だ」
「ひぇえ……俺、やっていけるかな……」
「ああ、大丈夫だろ。教官殿は面倒見が良いからな」
「そうなんですか?」
「言う事を聞く人間には優しいから安心しろ」
「え……?」
逆に言えば言う事を聞かないと……鬼になるって事?
レッド教官……一体どれほど恐ろしい方なのだろう?
大男で大剣を振り回してそう……なんで細い俺なんかを推薦したんだろう?
と言うかどこで見てたの?
あの場にはロナント様とお嬢ちゃんしか居なかったのに。
悶々と考えていると騎士隊本部の建物に辿り着いた。
簡単に出入りする為か、一階には窓も壁も無く太い柱だけがずらりと並んでいる。
建物の中に入ると太陽が遮られて心地よく、ほっと息を吐く。
ルクスは迷いなく廊下を進んで行くので付いて行く。
「ディックだったか?」
「はい」
「教官に会った事が無いと言ったが、本当か?」
「ええ、会った事ないです」
「この手紙は誰から貰ったんだ?」
「ロナント様から直接……」
「その時、近くに他の人間は居なかったか?」
近くに……? 他にはあのお嬢ちゃんだけだったけど。
街中だったから周りに人は沢山居たと言えば居たけど……そうじゃないだろうし。
「女の子が居ましたけど」
「どんな女の子だ?」
「えっと、17才ぐらいで……黒のショートヘアに大きな赤い目……」
「会ってるじゃないか」
「……え?」
建物の反対側に抜けたようでまた太陽がお目見えする。
会ってる? どう言う事だ? お嬢ちゃんは確か……ロナント様のお孫様だったはずだけど。
ルクスがきょろきょろと誰かを探し始める。
建物の柱の一つの影から3番隊を眺めている男性を見つけた。
あれ? あの方は……
「隊長」
「ん? ああ、ルクス。お帰り」
「ただいま見回りから帰りました」
ルクスが綺麗な敬礼を見せる。
カッコイイな……俺が憧れる男性像とは真逆だけど……
隊長と呼ばれたその人と目が合った。
「ロナント様」
名を呼ぶとその人はロナント様が絶対にしなさそうな満面の笑みを浮かべた。
……ん? ロナント様ってこんな風に笑ったっけ?
「父上と知り合い?」
「……え?」
「ロナント・グラスバルトは父親。俺は息子」
「え!? そ、そうなんですか……それにしてもそっくりですね」
「身体魔力類似症でさ、まあ俺の事はライトって呼んでよ」
ロナント様の息子なのにフランクな人だな。
……ロナント様の息子ってことは。
「元帥?」
「あー……俺、次男だから。今の元帥は俺の兄。俺は3番隊の隊長をやってる」
「そうでしたか、間違ってしまって申し訳ありません」
「気にしないで、間違われるのは慣れてる」
ライト隊長は若い風に見えるが俺よりずっと年上だろう。
最高位の魔力か……騎兵隊には二人ぐらい居たかな。
「それより、君……誰?」
「隊長、この手紙を……」
ルクスが隊長に手紙を手渡す。
首を傾げる。隊長とルクス……似ている気がする。
「またあの人は……はあ」
隊長は溜息を吐いて訓練場の方を見遣る。
「教官! きょーかーん!」
隊長が教官を呼び始めたその時、怒声が聞こえて体をびくつかせる。
「ふざけんな! なんでオレがこんなことしなきゃなんねぇんだ!」
「だからぁ、何度も言ってるでしょ! あんたは体のバランスが悪いんだって!」
「もっと実践的な訓練をさせろ!」
「弱すぎてあんたには相手が居ないの!」
「ふざけんな! オレが弱いはずねえ!」
隊長とルクスが呆れた目で声の方を見た。
ゴロツキみたいな声と、それをいなす女性の声。
「まーたやってるよ」
「あいつも懲りませんね」
騎士と女性が言い争っている声だけが訓練場に響き渡る。
こんな場所に女性? 確か騎士隊って女人禁制だったと思うんだけど。
と言うか助けに行かないとまずいんじゃないの?
「筋肉ゴリラ! 足も鍛えないと駄目だって言ってるでしょ!」
「誰がゴリラだ! 大人しく聞いてりゃ言いたい事言いやがって!」
「はっ、女のおれに勝てないくせに。ぴーぴー威嚇してんじゃねえよ」
「このアマ!」
ぽーん、と遠くで人みたいなのが放物線をえがいて森に飛んでった。
どすん。ばきばき。木が何本か折れた音が聞こえた。
「外周! 夕方まで走っとけ!」
「なっ!」
「サボったら……分かってんだろうな?」
夕方まで走り込みだと……? まだ昼前なのに?
訓練の指示って事は、この女性の声の主が教官?
「教官!」
一連の出来事が終わってから隊長が手を振って教官を呼ぶ。
体格のいい大勢の騎士の中から見知った存在が現れた。
「お嬢ちゃん!」
「誰がお嬢ちゃ………あー!」
目が合うとお嬢ちゃんは俺の事を指差して驚いた。
それから首を傾げて唸り、思い出したのか顔を明るくした。
「デェップ!」
「ディックだよ!」
「あれ? そうだったっけ? 細かい事はいいじゃん」
「えー? いいのかな……?」
お嬢ちゃんは見知った笑顔を浮かべる。
良い顔で笑うなあ……
「よく来た! 3番隊に歓迎するよ!」
「うん、ありがと……あの、教官殿はどこにいるの? 俺を推薦してくれたみたいなんだけど」
「え? 目の前にいるじゃん」
「え? 居ないよ?」
きょろきょろと辺りを見回す。
女性かも知れないと思ったけど、騎士を投げ飛ばすほどの人って事だよね?
お嬢ちゃんは背が高い訳でもないし、腕も足も細い。そんな事が出来るとは思えない。
「お嬢ちゃんってロナント様のお孫様でしょ? こんな所に居たらあぶな……」
「ちょっと待てディック……ぐふっ」
隊長が会話を遮る。
カタカタと震え、口元を押さえて笑いを堪えていた。
話せない隊長の代わりにルクスが眉を寄せつつ話し始める。
「ディック、あのな……この人はお嬢ちゃんなんかじゃないぞ」
「え?」
「鬼の3番隊教官、レッドとはこの人の事だ」
「お嬢ちゃんが!?」
「だから、お嬢ちゃんじゃない」
「ロナント様のお孫様で……」
「この人が孫な訳ないだろ」
孫じゃない? でもロナント様と親しそうに話していた。
じゃあ、いったい……
「ディックを推薦したのは教官である自分で間違いないよ」
「ほんとに? 本当にお嬢ちゃんが教官なの?」
「うん、これからよろしく!」
ニコニコ顔の教官と目が合った。
隊長とルクスの反応から、レッドが教官なのは間違いなさそうだ。
こんなに若い少女が教官……? 騎士隊は大丈夫なのだろうか? すごく不安だ。
「教官、きちんと状況説明して下さいよ」
「えー? なに説明しろって言うの?」
「初めて隊に来た人間は混乱するんです! 自分が何者か伝えてください」
「ルクスがロゼみたいな事を言う……」
教官は少しだけ悩んで、口を開く。
「おれは女なんだけど最高位の魔力を持ってる。意味分かる?」
「……えっ!?」
女性は殆ど魔力を持たないのが普通だ。
それが最高位!? えっと、つまり……
「見た目の年齢と本来の年齢とは違うの」
女性の最高位魔力保持者。
そんな存在がこの世に居たなんて……信じられない。
「おれさ、こう見えてひ孫が居るお婆ちゃんなんだよねー」
よろめいて柱に手を付いた。
嘘だ、とても信じられない。
17才ぐらいにしか見えない少女にひ孫が居るなんて……
「信じられません……!」
騙されているとしか思えない!
本当は別に正式な教官が居て、この状況を楽しんでいるとしか思えない!
教官が困ったように頬を掻いた。
「ほらなルクス、やっぱり信じてくれないだろ?」
「……はぁ。おい、ディック」
ルクスが俺の肩を叩いた。
真っ青な顔でルクスを視界に入れる。
「お前が信じようが信じまいが事実だ、受け入れろ」
「ほんとに? 俺を騙して楽しんでるんじゃなくて?」
「嘘では無い。それに俺は……」
ルクスはふと空を仰いだ後、俺と目を合わせる。
「俺はこの人の孫だからな」
………意味を理解できなかった。
孫? ルクスが誰の孫だって?
教官とルクスを見比べる。
「全く似てないじゃないですか」
血の繋がりがあるならどこかしら似るはず。
俺はまた嘘を吐かれた。きっと反応を見て楽しんでるんだ。
「似てないのも無理はない。教官の息子で俺の父親は身体魔力類似症で自分の父親そっくりで生まれて来たからな」
「………嘘だ」
「嘘じゃない! あーもういい加減に……笑ってないで話に参加して下さい父上!!!」
ルクスが声を我慢して笑い続けていた隊長の腕を引っ張った。
「ああ、ごめんごめん。面白くって」
「面白くないです」
「若い男性にお嬢ちゃんなんて母親が呼ばれてるなんて……ギャグだろ?」
「おばあ様の見た目は十分お嬢ちゃんですよ……ロアの妹だと間違われたのも最近でしょう」
「はははっ、あれも最高だったね」
状況が理解できず、ぽかんと三人を眺める。
つまり……ルクスは隊長の息子? で、隊長は教官の息子?
「ディック、紹介するよ。俺の母親、教官してるんだ」
「嘘……じゃない?」
「この人、こんな見た目だけど子供四人産んでるから。俺はその中の一人」
「……え、でも隊長ってロナント様のご子息なんですよね?」
見た目がそっくりすぎて間違えたぐらい似ている。
そこから推測するに……お嬢ちゃ、じゃなくて教官は……
「ライト、それ以上は言うな」
「言っておいた方が後々楽ですよ」
「言いたくないけど……まあ、ディックなら良いか」
自分よりも背の低い少女に見上げられ、大きな赤い瞳に見つめられ生唾を飲み込む。
「おれがロナントの妻。結婚してもう四十年ぐらいになるかな? 疑うならロナントに聞くと良いよ」
俺は……何と言う人をお嬢ちゃんと呼んでいたのだろう。
不敬で首を刎ねられても仕方がない……それほどの事をした。
……ん? ロナント様の結婚相手って確か……
「英雄・オーランドの娘……?」
「あ、分かっちゃった? おれが最高位の魔力を持ってるのは父さんのお陰かなあ」
腰が抜けそうになって柱に寄りかかる。
英雄の娘がグラスバルトに嫁いだことはあまりにも有名だ。
まさか騎士隊で教官を勤めてるなんて……!
「母上、ディックを騎士にする許可は元帥から貰っていますか?」
「え? 貰ってないけど?」
「えぇ? それはまずいですよ、何事にも準備がありますから」
「そうだね……そうだ。ディック住む所は決まった?」
「……いえ、これからですが」
「寮があるから入る? 多分空いてると思うんだけど」
「本当ですか? お願いします」
「よし、じゃあ行くよ」
「……どこにですか?」
「元帥の所? 息子の所って言った方が良い?」
「元帥でお願いします……」
隊長とルクスに礼を言って教官の後に付いて行く。
室内に戻り、緑を基調とした内装の廊下を進んで行く。
「教官……一つ聞いても良いですか?」
「なに?」
「俺を騎士に推薦したのはどうしてでしょう?」
「足だよ。すごい早いよね、おれに追いつけるんだもん」
「それはたまたまと言うか……」
良く知った道だった事が大きいと思う。
普通に競争したら絶対負ける自信がある。
階段を何度か上がり、教官の足が一つの扉の前で止まった。
今まで見てきた中で一番豪華な扉だ。
ここが元帥の部屋なのかな。
「元帥! ちょっといい?」
「ちょっ、教官!?」
ノックもせずに勢いよく扉を開け入室。
元帥は書類に目を通していたのか椅子に座り手に持った紙を眺めていた。
「なんです?」
「ちょっと頼みたい事があって」
教官がちょいちょいと手招き。
仕方なく部屋に入った。
元帥は顔立ちこそロナント様に似てはいたが、黒髪に赤い目をしていた。
教官との血の繋がりを感じた。
「彼は?」
「はいこれ」
「?」
ロナント様から頂いた手紙が元帥の手に渡る。
紙に目を通し、元帥は眉を寄せた。
「ディックを3番隊に迎えたいからあとはよろしく!」
「よろしくされないですよ。勝手にこんなことされたら困ります」
「えー? ロナントは良いって言ったのに」
「騎士を急に増やされても困るんです」
「ロナントは良いって言ったのにぃ、ロゼーお願い」
「名前で呼ばないで下さい」
なんでなんでと駄々をこね始める教官。
どっちが親なのか分からない。
……あ、そう言えば騎兵長から手紙を預かってたんだ。
リュックから手紙を取り出して元帥に渡す。
「これは?」
「騎兵長からです。辞令を承認した書類が入っています」
元帥が中身を確認した後、溜息を吐いた。
「地方の騎兵隊巻き込んで何やってんですか!」
「だってぇ、ディックの足がすごいんだもん」
「こんなのが届いたら追い返すわけにいかないじゃないですか!」
「騎士にすればいいじゃん」
「………はあ」
元帥は二枚の手紙、もとい書類を引き出しにしまう。
頭の痛そうな顔をしている元帥に何と声をかけたら良いのか分からず沈黙。
「教官、彼は……見た所細いですが3番隊でやっていけますか?」
「おれが面倒見るから大丈夫!」
「つきっきりだと父上に浮気の疑いをかけられますよ」
「……あー、何度かそんな事あったね……大丈夫、うまくやる」
次に元帥は俺の方を心配そうに見た。
「ディック、だったか? 君は3番隊に入る事に抵抗は無いのか?」
「抵抗しかないです。ないですけど……」
「けど?」
「……家族や友人に騎士になると言って故郷を離れました。みんな期待してくれてる、俺は期待に応えたい」
期待に応えたい、嘘は言ってない。
失恋を忘れたいから……そんな理由もあるが今は忘れよう。
元帥が仕方ないと言った風に頷いた。
「承認した。これから頑張れよ」
「ありがとうございます!」
「あっ、ロゼ! ディック住むところが無いの、寮空いてるかな?」
「数部屋空いてると思います。名前で呼ばないで下さい」
「分かった! じゃあ先に寮かな。荷物降ろさないとね」
名前で呼ぶなと訴える元帥を無視して俺の腕を引いて部屋を出る教官。
「失礼しましたー!」
なんとか挨拶をして廊下に出た。
「これから寮に案内するね。ほんとはロナントに入っちゃダメって言われてるんだけど……まあいいや」
「いいの……?」
「今日ロナント居ないから大丈夫」
大丈夫なの? 寮って男性寮でしょ? 女性は入っちゃ駄目なんじゃないの?
「行くよ!」
「は、はい!」
何はともあれ教官に付いて行く。
不安はある。けど俺は立派な騎士になり胸を張って故郷に帰ろう。
その頃には失恋を忘れているだろう。
俺は騎士になる為に一歩を踏み出した。




