間章:ティレット家 下
ルカーシュにもし足があったのならば、今すぐにでも立ち上がりその場にひれ伏しただろう。
それ程、ルカーシュにとって神にも等しい存在。
「レオナント様……!」
元帥を辞してから一度も会えなかった、数十年以来の邂逅であった。
涙で姿が見えないと、何度もルカーシュは眼元を乱暴に拭う。
体格はロナントとよく似ており、茶の髪に緑の瞳、ロナントと違い男らしい顔立ちをしている。
「ルカーシュ」
「夢でも見ているようです……またお会いできるなんて」
「ああ、久方ぶりだな」
ルカーシュは無くなったはずの片腕がレオナントにある事に気が付き、眼を見開く。
ロナントはレオナントが椅子に座ったのを確認し、再び椅子に座った。
「腕はどうなさったのです?」
「魔法具で出来た腕だ。とても便利でな……ペンを持つ事も剣を握る事もできる」
「それは何よりでございます。技術の進歩を感じます」
「特注品でな、どうだルカーシュお前も足を作ってもらわないか」
「いえ……私は、歩かなくなって随分経ちます、残っている足がもちません」
「そうか、残念だ」
レオナントが肩をすくめた時、メイドが入室し机に紅茶を三つ置いて行った。
メイドが部屋を出て行ってからレオナントが再び口を開く。
「今日ここに来たのは他でもない、ルカーシュ……すまなかった」
「なっ、なにを……やめて下さい! 頭を上げてください!」
頭を下げたレオナントにルカーシュが慌てる。
何故謝っているのかルカーシュは理解できない。
「俺が安易に当家を任せると言った事が原因でお前は道を外れてしまった」
「そのようなことは……」
「お前は責任感が強い、だからこそ任せた……元帥を辞するしかなかった俺の代わりに息子を守って欲しかったのだ」
「………」
「お前が片足を無くしたのは、俺が原因だ。本当にすまなかった」
ルカーシュは言葉は出ず何度も首を左右に振る。
そんな事は無い、貴方が原因ではないと訴えた。
「当家に口を出すのも強すぎる責任感の表れだ……俺はお前の事を理解しているつもりだ、ルカーシュ」
「私は、ずっとあなたに憧れて、認められたくて……オーランドと同じように……」
「オーランド? 何を言う、俺は奴よりお前の方を評価していたと言うのに」
耳を疑うレオナントの発言にルカーシュは眼を見開いた。
確かに剣技においてオーランドは他の追随を許さなかった。
当時の元帥であったレオナントですら勝てないと争う事を辞めてしまうほどだった。
オーランドは戦において優秀な戦士だった。
だが、優秀な騎士だったかと言われるとレオナントは首を傾げる。
オーランドにはサボり癖があった。
突然ふらっと居なくなったかと思えば、木の上で昼寝。
与えられていた業務はこなしていたが、訓練はおざなりでいつもふらふらしていた。
オーランドは大らかな性格で細かい事は気にしない性格だ。
逆を言えば細かい事まで気が回らない、そこまで真面目な性格では無いと言う事だ。
ルカーシュはオーランドとは真逆の性格だった。
細かい所まで気が回り、何に対しても真面目に取り組むルカーシュをレオナントは高く評価していた。
「周りは英雄英雄とうるさかったからな……奴は英雄だったが優秀な騎士では無かった」
「それは本当でございますか」
「嘘は言わん。オーランドより信頼していた……だから息子を、ロナントを任せたのだ」
ルカーシュは拳を握りしめ、体を振るわせ喜びをかみしめた。
レオナントに認められるために今まで行動して来た。
全てが報われた瞬間だった。
「ロナントに聞いた。サインを偽造してまで決議書を作ったと……本来ならば罪に問われる所だが、俺にもロナントにもその気は無い」
「レオナント様、私は……私は……」
「今に至るまで、長い間約束を守っていたのだな……礼を言おう」
歓喜に震えるルカーシュにロナントは眼を細める。
ルカーシュを罪に問う気は無い。足を失ったせめてもの償いだ。
今までの行動はルカーシュなりの正しい行動だったのだろう。
「ルカーシュ、確かに今のグラスバルトの当主の魔力はオーランドに由来するものだが、確かに俺の孫なんだ」
「分かっております……顔立ちが似ておりますから……」
「お前が当家を見ていてくれたおかげでグラスバルトは繁栄した。……お互い年も取った、もう休んでも良いだろう」
「ロゼ様が当主にふさわしいと分かってはいたのです、でもレオナント様の魔力を途切れさせたくなかったのです」
「属性だけが全てでは無い。ロゼの生真面目な性格は私に似たのだ。逆にライトは……オーランドと似ている部分があるからな……」
ロナントは隣で一人頷いた。
ロゼは真面目すぎるぐらいだが、ライトは少し抜けている部分がある。
失敗を笑い飛ばす姿はオーランドととてもよく似ていた。
「ロアに無理に婚約者を宛がっただろう。どうしてそんな事を?」
「風魔力に戻したかっただけです……ロア様に好きな方が出来たと聞いて焦ってしまいました」
「相手の子は……どんな子だったかな」
「父上、ミツキと言う名のとても可愛らしい少女です。水の魔力を持っています」
「ほぉ、魔力を持っているのか……良いではないか」
レオナントは妻をナタリアと同じ病、魔力汚染症候群で亡くしている。
ロアの相手が魔力を持っていると聞いてレオナントは安心したように何度か頷いた。
「ルカーシュ、もういいだろう。俺達は長く生き過ぎた……これからは新しい時代が始まる。ヘタに口を出してもやっかまれるだけだ」
「私がしてきた事は……間違っていたのでしょうか」
「そんな事は無い、ただ今回はやりすぎた……多くの人間に迷惑をかけたのだ」
行き過ぎた事だと本当は分かっていた。
自分は時代に取り残された老害なのだと。
沈黙するルカーシュの肩にレオナントは無事だった方の手を置く。
「今までご苦労だった。後は若い人間に任せよう」
ルカーシュは力無く頷き、肩の力を抜いた。
レオナントに認められたくて今まで走って来た。
もう走る必要は無い。
レオナントはルカーシュから離れ、扉の方へ。
「お帰りですか」
「用があってな、長く滞在できんのだ」
「そうですか……」
「また来る。足の無いお前に代わって歩いて来るさ」
「お待ちしております、元帥」
レオナントは笑い、一言だけ訂正した。
「俺はもう元帥では無い。またなルカーシュ」
「お気をつけて」
「傀儡みたいな女を解放してやれよ」
「はい、勿論……もう意味がありませんから……」
返事に満足し、レオナントは木の扉を開けて出て行く。
ロナントはその後に続いた。
ルカーシュは茫然と扉を眺めた。
夢のようなひと時だった。
しばらく時間も忘れぼんやりしていると、メイドが片づけに入って来た。
「ああ、丁度いい……そこの」
「……はい」
呼び付けた若いメイドが少しだけ慌てながらルカーシュの隣に膝をついた。
「リンゼン家、ナリアーヌ家それから、ヘルコヴァーラ家と……」
「計画を進めている家々でしょうか」
「そうだ。計画は中止になったと文を出す。準備してくれ」
「……真でございますか?」
「二言は無い。……元々、無理のある計画だったのだ」
メイドはルカーシュの瞳を見つめた。
今まで見た中で一番澄んだ瞳をしている事に気が付いたメイドは、
「かしこまりました」
そう言って部屋を出た。
グラスバルトに固執し過ぎていたルカーシュが未来を見ている気がして、メイドは驚くと同時に喜びでひっそりと微笑んだ。
*****
ティレット家の敷地から出たレオナントとロナントの二人は街の大通りまで歩いていた。
人の通りはそこそこ、馬車ともたまにすれ違った。
3、4階建の木造建築の殆どがホテルだ。
街を少し行くと大きな滝がある。観光名所として栄えている街だ。
「ルカーシュはもう大丈夫でしょうか」
ロナントが父に尋ねる。
自分が説得しても折れなかった為、少しだけ不安になったのだ。
「あれは真面目で素直な男でな……言った事を何でもやる男なんだ」
「父上が言った事だけでしょう」
ロナントが元帥になりたての頃、ルカーシュは口煩かった。
真面目なのは認めるが、素直と言われると疑問しかない。
「用があると言っていましたが……」
「ああ、西の方の国で行方不明になっている緑眼の少女とよく似た女性が見つかったんだ」
「攫われて、売られたと思わしき少女ですか?」
「そうだ。その国の貴族の家の地下に住んでるらしくてな……あまり自由が与えられていないようで救い出すのに手間取りそうなんだ」
「奴隷のような扱いをされているのですか」
「……性奴隷に近いだろうな」
二人で眉を寄せた。
レオナントは片腕を無くし元帥を辞した後、アークバルトから売られた女性を保護する活動を行っている。
被害女性の家族から話を聞き、捜索、発見、保護が主な仕事だ。
「これから少女の母親に会い、本人か確認するために西の国へ連れて行く事になっている」
「そうですか……娘に会いたいでしょうね……」
本人だと良いですね、とは言えなかった。
娘が性奴隷になっているなんて……考えたくもないはずだ。
本人ならば助け出すのは早い方が良い。
レオナントは何度も精神を病んでしまった女性を見て来た。
もっと早くに助け出せていれば、と自分を責めた事もあった。
「これからは被害も減っていくだろう……大罪人セネドが死んだ、戦争のような混沌もない……平和な未来だ」
「………」
つい先日、捕えられていたセネドは処刑に近い形で死んだ。
人売りとして名を馳せていたセネドの最後はあっけないものだった。
「時に父上……ローレは元気ですか」
「……ああ、元気だとも。子供も生まれ、子育てに苦労している」
「そう、ですか……」
珍しく顔を歪めたロナントにレオナントは眼を細める。
「……まだ娘の事が許せんのか」
ローレはロナントとレッドの間に生まれた4番目の子供だ。
ロナントにとってローレは年を取ってから出来た計画外の子供だった。
ローレはロゼの子供であるロザリアとそこまで年が変わらなく、姉と兄達とは20歳ほども年が離れている。
老いてから出来た子供は可愛いと良く言うが、ロナントも例にもれずローレの事を溺愛していた。
「いえ……元気ならばそれで良いのです……」
「このままでは一生会えんぞ」
「………」
「一言、悪かったと……結婚を認めると言えばいい話だろう。意地をはるな」
ローレはグラスバルトにありがちな一目惚れをした。
ただ相手が他国の人間だった為、ロナントが反対しローレは何も言わずに家を出て行った。
それきり二人は会っていない。
ローレが惚れた相手はレオナントが独自に行っている女性の保護活動を手伝っている人物だった。
今は自然とローレも手伝うようになったためレオナントとよく顔を合わせている。
「謝って……許してくれるでしょうか」
「お前の態度次第だろう」
「ローレが出て行った時、気が付いたんです……俺も最初は結婚を反対されて悲しい思いをしたのに、娘に同じ事をしてしまった、と……」
ロナントは最初、父にレッドとの結婚を反対されていた。
自分の子供には同じことをしないと決めていたのに……忘れて繰り返してしまった。
ローレの事を考え、落ち込むロナントにレオナントは少しだけ考える。
「ローレも……悩んでいた。このままお前といがみ合ったままで良いのかと」
「………」
「本当は父親が大好きなんだよ、和解したいけどどうしたら良いのか分からないと俺に泣きながら相談するんだ」
「……」
「勝手に出て行った事を謝りたいんだ。許してやれるか」
ロナントが力無く頷いたのを見て、レオナントは微笑んだ。
変な所で意地を張るのはロナントもローレもよく似ている。
「今度はローレも連れて戻ってくる。ロアが結婚するなんて聞いたら式に参列したいなどと言うと思うからな」
「参加者人数に入れておきます」
「そうしてくれ。しかしまあ、ロアが結婚かあ……あの小さかったロアがなあ」
「父上、英雄と似たような事を言っていますよ」
「む……そうか、お互い年を取ったな……」
レオナントはふと空を見上げた。
時は過ぎて行く、だがこの空だけはいつ見ても鮮やかさだけは同じだった。
ロナントと別れ、レオナントは一人歩を進める。
俺はきっとこの国で死ぬ事は無いだろう。
だが最後は……妻の隣で眠りたいものだ……
亡き妻の柔らかな笑顔を思い出し、レオナントは自然と笑顔になった。




