間章:ティレット家 上
王都から西へ数十分空を飛ぶ。
ロナントは一人、その街の中で大きな建物の前に降り立った。
二つの山の谷間にある広く豊かな街を領地として治めるティレット家。
古くはグラスバルトから別れ、王家に娘を嫁がせた経歴もある家だ。
柵の外からロナントは久しぶりにティレット家を眺め、溜息を落とした。
今日ここに来たのは他でもない、ロアの結婚の事についてだ。
保守派だけで協議塔に集まり、眷属協議を勝手に行い決議書まで承認無く作った。
ロナントのサインを偽造してまで。
「ルカーシュ……」
ルカーシュ・ティレット・ベレーグリット。
一世代前、ロナントの父と年が近く、高齢ながら未だに当主であり続けている。
その昔、彼は騎士隊に所属し、1番隊の隊長だった。
ルカーシュは本当に良い騎士だった。
そう言いきれるのに、どうして過去の栄光に泥を塗るのだろうか。
門の前まで歩き立ち止まると、門を守る私兵に声をかけられた。
「当家に何用か」
「当主と会う約束をしている」
「失礼、名は?」
「ロナント・グラスバルト」
私兵は少し考えた後、
「失礼いたしました、ロナント様。どうぞお入りください」
「悪いな」
「いえ、案内の者を呼びますお待ちください」
「必要ない。屋敷の構図は覚えている」
ティレット家に来るのは初めてでは無い。
案内を辞退し、一人屋敷に向かって歩き出す。
ルカーシュがあれこれと口を挟むようになったのはいつからだろう。
ロゼを次の当主と決めた時? いや、本格的に口出ししてきたのはこのタイミングだったが、初めてでは無い。
レッドと結婚を決めた時? ルカーシュは英雄が嫌いだ。あの時も色々と言われたが、初めてでは無かったはず。
それより前となると、やはり……
屋敷の前までたどり着くと、メイドが一人こうべを垂れていた。
「ようこそお待ちしておりました」
「ルカーシュはどこに居る」
「……ご案内いたします」
メイドに愛想があまり無い。
そう言えばカリスタに付いていた三人のメイドも愛想が無かった。
ティレット家から送らてきたのだろうか。
外はいい天気だと言うのに、屋敷の中はじめじめしていて湿気が肌に張り付いた。
この家は換気をしないのだろうか。
「こちらです、大旦那様はすでにお待ちです」
と言ってメイドは扉を開けた。
中は応接間になっていた。十分な広さの部屋に、家格を見せる為に良い調度品を置いてある。
気のせいか以前来た時より殺風景になっている。
「……久しいな、ルカーシュ」
鋭い眼光はそのまま、車椅子に乗り膝から足にかけてブランケットをかけている。
ルカーシュは風の最高位魔力保持者。見た目の年齢は30歳ほどだが、実際は80代だ。
「何年振りでしょう? 死ぬ前にお会いできて光栄でございます」
「………」
「して、この老いぼれに何用でございますか?」
「とぼけるな、何をしでかしたかお前が一番理解しているだろう」
「はて……貴方様に問い詰められるような事は何もしておりませんが」
「勝手に婚約者を作るな、結婚ぐらい好きにさせてやれ」
「そう言って20年婚約者が居なかったのですよ。結婚し子を成すのは早い方が良いのです」
「ロアの相手は見つかった。子供は急かさずともすぐに出来るだろう」
「また平民ではありませんか! 三大貴族と呼ばれるグラスバルトがそのような体たらくでは他の貴族に示しがつきませぬ!」
「はあ……ルカーシュ」
ルカーシュは頭の切れる男だった。
あんな穴だらけの作戦を押し通すなんて理由があると思っていたが……
ロアに相手が見つかったから、なのだろうか。
腰を据えて話す必要がある、と適当な椅子に座る。
「相手が貴族でないから反対するのか? それとも当主が風の魔力で無いからこんな事をするのか?」
「両方でございます。あの時、貴方様とオーランドの娘との結婚をもっと強く反対しておくべきでした」
「反対した所で何になる? 俺はレッドを愛してしまった。あいつ以外とは結婚も子作りも出来ん」
「子を成すぐらい、愛が無くともできます」
「気が向かん。少なくとも俺には無理だ」
ルカーシュの鋭い眼光にロナントは昔を思い出した。
誇り高き騎士だった、ルカーシュの姿を。
「せめて、せめて次男に跡を継がせていれば……私が出る幕は無かったのです」
「ライトには無理だ。アレは優しすぎる、元帥は荷が重い」
元帥は時に取捨選択を迫られる。
救うか、救わないか。救うならば、どこまで救うのか。
ライトは優しすぎる。全てを救おうとし、救えない事に思い悩むだろう。
「冷静な判断力はロゼが上だ。だから跡を継がせた。先に生まれたからでは無い」
「判断力などいくらでも修正できます。そのような理由で代々続いて来た風の魔力を途切れさせて良いのですか!?」
ロナントは眉を寄せ、ルカーシュがどうして風の魔力にこだわるのか一瞬だけ考える。
だが今のルカーシュの考えは分からない。
「ニックバルトの当主は火から変わっている。スガナバルトは今でこそ水だが一度変わった歴史がある。当家が俺の代まで風だったのは偶然であり重要では無い」
「守って来た事に変わりありません。グラスバルトと言えば風だと子供でも理解しているのです」
「時代だ。時と共に変わる事もあるだろう、何故そこまで固執する」
饒舌なルカーシュが黙った。言えない理由なのか。
ロナントは話題を変えた。
「屋敷に決議書を持ってやって来た……カリスタ、だったか? あの子はどうしている」
ロゼとロナントの二人でカリスタとメイド三人を追い出した。
メイド達は食い下がったが、カリスタ本人は屋敷から出て行きたかったらしく嬉しそうに追い出されていた。
ロアに、と言うよりもグラスバルトに固執していたカリスタにどんな心境の変化があったのか分からないが、何事もなくヘルコヴァーラ家に帰す事に成功した。
あれからまだ数日だが彼女は間違いなくルカーシュの被害者だ、目的を達成できず何をしているのだろう。
「あの子なら結婚しましたよ」
「……なに?」
「ロア様が恐ろしいそうです。大魔法を放って森を壊した所を見ていたとかで」
「それと結婚がどう関係があるんだ」
「怯えてしまった以上、ロア様との結婚は無理だと判断したまでです。ご安心を相手は歴史ある貴族です、本人は喜んでいましたよ」
「相手は……風魔力の男か」
ルカーシュが微笑んだ。
彼女はルカーシュにとって駒の一つだ。
その駒がロア相手に機能しなくなったので別の役目を与えた。
次の世代……ロアの子供に宛がう風の魔力を持った女児を産ませる、母親の役目を。
カリスタのような女性は一人や二人では無いだろう。
彼女達に自分の意思はあるのか?
「また繰り返すつもりか! そこまでして属性を風にしたいのか!?」
「私の悲願でございます。突き進むのみです」
「こんな事の為に……」
「ロナント様、貴方様は優秀でございます、お父上よりずっと……グラスバルトは風でなければならないのです」
「俺とロゼに血の繋がりが感じられないとでも言うのか! ロゼは優秀だ、お前も知っているだろう!」
「いくら優秀でも許容できません! 火属性など! オーランドと同じ……」
ルカーシュが口を滑らせ、ハッと口をつぐむ。
ロナントは息をゆっくり吐いた。
風属性に固執していたのではない、英雄と同じ属性だからだったのか。
ルカーシュは英雄が嫌いだ。当時ルカーシュは1番隊の隊長。英雄は3番隊の隊長であった。軋轢があったのだろうか。
グラスバルトの当主ロゼはレッドと同じ属性の火の魔力を有している。
そのレッドは父オーランドから魔力を受け継いでいる。
元を辿れば、ロゼの魔力は英雄由来のもの。息子のロアも……
ルカーシュが拒否反応を起こすのも納得できる。
「まだ英雄を受け入れられないのか」
「オーランドを英雄などと……私にはとても言えません」
「英雄の称号は当時の国王陛下が直々に与えたものだ。お前が認めなくとも国民全員が認めている」
「分かっています……あいつは英雄に足る男でした……神格化できない人間臭さがあいつの魅力でした……」
「ならばどうして嫌う」
「……嫉妬です。単純な妬みです」
自分の実力を全て飛び越えて行くオーランドと言う存在にルカーシュは妬いた。
どれだけ努力しても、かすりもしない場所にオーランドは居た。
やがて当時の元帥、ロナントの父にオーランドは絶対の信頼を置かれるようになりルカーシュはさらに嫉妬をつのらせた。
ロナントの父はルカーシュにとって絶対的な存在であった。
いつか認めて欲しいと努力したが、全てオーランドの陰に隠れてしまった。
「北との大戦……覚えていらっしゃいますか」
「ああ……」
「大きな衝突は二回……一度目の時、私は……」
一度目の時、ロナントの父が元帥だった。
地の利を取られ向こうに押されていた。このままでは押し切られるとロナントの父は前に出た。
ルカーシュは元帥を守る為、そばについていた。
オーランドは前線で戦いたいと言っていたが結局元帥のそばで待機していた。
混沌とする前線を指揮する元帥。周りに指示が届いていたのかは分からない。
長引く戦況。殺しても殺しても減らない敵の数。
やがて疲れ切り、敵に隙をつかれた。
「元帥は利き腕を無くしました。私は元帥を守れなかった」
「父が腕を無くしたのは、誰かが原因では無い」
「私は元帥を連れ下がりました。オーランドは一人残り最後まで戦い続け、結果的に勝利しました……私はオーランドに救われたのです」
元帥が腕を無くした。国の守りの象徴である元帥が。
すぐに代位替えをする必要があったが、当時ロナントはまだ王都騎士養成学校に通っていた事もありすぐには無理だった。
数年後、ロナントが若くに元帥の地位につくと再び北は狼煙を上げた。
元帥が変わるタイミングを北は待って居たのだ。
「二回目の衝突で北は滅びました……しかし、失うものは多かった……」
「ルカーシュ……すまない」
ロナントは眼を伏せた。
二回目の衝突の際、ルカーシュはロナントを庇い片足を失っている。
車椅子に乗ってでしかまともに動けない。
ロナントは負い目を感じルカーシュに強く出られないでいる。
本来ならばティレット家をグラスバルトから引き離す強行手段を取るべきだ。
だがどうしても……そこまで出来ずにずるずると今に至る。
「良いのです、まだ若かった貴方様を庇って……貴方様が無事で、本当に良かった」
「………」
「私は貴方様の父君に任されたのです。グラスバルトを、貴方様を頼むと」
「だから当家に口を挟むのか」
「私は元帥に頼まれたのです、途中で投げ出すわけにはまいりません」
ルカーシュがグラスバルトに口を出すのはやはり父が原因だったかと、ロナントは長年の疑問が解けて少しだけすっきりした。
ルカーシュにとって元帥とは現元帥であるロゼでも、その前のロナントでもない。
敬愛する存在はロナントの父ただ一人であった。
父に心から信頼されていた英雄にたとえ命を助けられたとしても、嫉妬し続けているのか、とルカーシュの心の闇をロナントは感じた。
「魔力属性を守る事が当家を守る事だと言うのか」
「元のあるべき姿に戻すだけです!」
「お前の暴走に当家は迷惑している。お前は当家から英雄の存在を消したいだけだろう」
「……そうですとも、今のグラスバルトは見るに堪えません……まるでオーランドに乗っ取られたようではありませんか」
「誰もそんな事思っていない。お前だけだ」
「私はグラスバルトを任されたのです! 私が守らなければならないのです!」
ロナントは諦めの溜息を落とす。
自分ではルカーシュをどうやっても説得出来ない。
当家に必要以上に干渉してほしくない。不幸な女性を作って欲しくない。
それだけなのに。
コンコンコン
扉のノック音に振り返る。
「大旦那様、お客様です」
扉の向こうでメイドが淡々と話す。
「誰です? 今大切な話を……」
「俺が呼んだんだ」
ルカーシュの言葉をロナントは遮る。
ロナントは立ち上がり、服装を簡単に直した。
「どうぞお入りください」
ロナントが敬語な事にルカーシュは眉を寄せた。
一体誰が……と開かれた扉の先を見た瞬間、
「ああ……あぁあぁぁ……!!!」
ルカーシュは全身を震わせ、滂沱の涙を零し始めた。




