別章:因縁との終結
この話に限り、暴力的、残忍な表現があります。
血や死の表現が苦手な方は読むのをお勧めしません。
本編にはあまり関係が無いので苦手な方は飛ばしてください。
男は一人、薄暗く湿った牢の中でくつろいでいた。
小さな鉄格子付きの窓から真っ赤な夕暮れの日差しが、すっ、と伸びてくる。
まるで自分を死へといざなっているようだ。
足にかかった日差しから逃げるように男は場所を移動した。
男は赤が嫌いだ。
どうしても、あの女を思い出すから。
「……」
「………」
「……」
遠くで誰かの話し声が聞こえる。
やがて二人分の足音が聞こえはじめ、男の牢の前で立ち止まった。
男はやってきた人物に背を向けたまま、赤い日差しを睨んでいた。
「よお、久しぶりだな」
声を聞き、男の体が強張った。
一瞬怯えた後、声の主を視界に入れる為振り返った。
男は声を聞いただけで、その人物が誰なのか分かってしまった。
分かりたくなどないのに。
「……レッド」
年の頃、20歳未満。短い黒髪に大きな赤い瞳。
レッドはにこやかな微笑みを浮かべているが、とんでもない。
その瞳には隠しきれない殺意が宿っている。
「もう会えないかと思って寂しかったよ、セネド」
名前を呼ばれて、この女に抉り取られた無いはずの片目がうずいた。
男は圧倒的不利なこの状況でも冷静に笑みを作る。
「私は会いたくありませんでしたねえ」
「わざわざ王都で商売なんか……もう片方の眼も抉って欲しかったのかな?」
「とんでもない、安全な商売がしたいですねぇ」
男はレッドの裏に控えているもう一人を見遣る。
「前元帥でしょうか? それとも御子息ですか?」
「……ロナントだ」
「ああ、私をまんまと逃がした二人が何のご用でしょう?」
レッドがぴくりと片眉をあげる。
相変わらず沸点の低いレッドに男は心の中で笑う。
男は人売りだ。
魔力を持った幼い少女、若い女性だけを攫い高値で売りさばく。
闇オークションを開き、盗品なども法外な値段で売り資金を得、それを元手にさらに罪を犯していく。
犯罪の温床の中心人物だった。
「お前に聞きたい事がある」
「答える事に益がありますか? どのみち私は打ち首でしょう」
「……それだけ多くの女を犠牲にしたんだ! 時を待たずしておれが直々に」
「待てレッド、落ち着け」
刀を抜こうとしたレッドをロナントが止める。
檻を切ってもらえれば逃げる隙があったが……前元帥が居ては無理か。
男は数日前にヘタを売り、厳重な牢の中にぶち込まれる事になった。
数か月前に伝手を頼りアークバルト国内に戻り、王都でオークションを開いた。
客の集まりは上々だった。
お上品なオークションより、下品なオークションの方が客は多く金を出す。
王都で開いたのは、客の入りが良い事と完全にノーマークだったからだ。
上手く行っていたはずだった。
何がきっかけで外に情報が漏れたのだろう?
場所が場所なだけに慎重に進めていた。
オークションが始まった時、男は外に居た。
騎士の気配が無い事を確認してから男は地下会場に向かったのだ。
魔力を持った女が売りに出され、そして……レッドが現れた。
男は逃げた。
片目を抉られた男にとってレッドは恐怖の対象以外の何者でも無かった。
騎士達を掻い潜り、男は外をめざし走り続けた。
だが、出る事は叶わなかった。
男が見ただけで恐れを感じるもう一人の存在、前元帥と瓜二つの存在が目の前に現れたからだ。
恐怖で足が止まった男。その一瞬が命取りだった。
男は気が付くと今居る檻の中に居た。
今まで捕まる事など無かったのに、男はヘタを売ったのだ。
「殺したいのならどうぞご自由に。これであなたとの長い長い縁が切れると思うと、嬉しくて堪りません」
「何言ってんだ、そっちが先に絡んできたんじゃねえか!」
男はニコニコと笑う。
レッドと男との縁は人売りである男から始まった。
女の最高位魔力保持者。当時この世に二人と居ない存在だった。
どれほどの高値で売れるのだろう。
男はレッドを攫おうと試みた。
だが、手痛いしっぺ返しが帰って来た。死なない程度にボコボコにされたのだ。
死なない程度に……つまり手加減をされている事を男は理解していた。
それでも諦められなかった男は何度もレッドにボコボコにされた。
「最終的に私はあなたを諦めました。私から接触する事は無かったはずですよ」
「その後、女をいっぱい攫って北の国に売り払っただろ! だからお前は大罪人なんだ!」
「ええ、北は高値で買ってくれましたから。高魔力を持った兵士を沢山作りたいとかで……」
ガァン!
魔鋼鉄で出来ている檻がレッドに蹴られ振動している。
「……北は滅びました。前元帥、貴方の手によって」
「まだレッドに固執していれば、こんなに罪を犯す事も無かっただろうに」
「はは、ご冗談を」
男は堪えきれず笑い声を漏らす。
レッドが憎しみのこもった眼と眼を合わせる。
「レッド、あなたはまだそんな姿のままなのですね」
「なに……?」
「あの日から全く成長していないのですね。人を殺めた、あの日から」
「あれは」
「いい訳ですか? あなたは人殺しです。事実です。なにせ私は近くで見ていましたから」
「………」
「私はずっとあなたの事を少女だと思っていました。か弱い少女。だから攫おうとしたのです」
「おれは……」
「あなたは何人もの人間の首を刎ね、跡形もなく焼き切りました。……そんな人間をどう攫えばいいのか、見当もつきません」
あの日の事を思い出しているのか、レッドの顔色が変わる。
レッドの姿が幼いままの原因はあの日、強すぎるストレスによるものだろうと男は考えている。
弱い所を付いて、隙があれば逃げ出す。
だが、後ろに居たロナントがレッドを支えた。
そう上手くはいかないか。
「言っておきますが、私は人を殺めた事など一度たりともありません。人攫いと人殺し、重い罪はどちらです?」
「違えるなセネド。お前とレッドを比べてどうする? 見ていたのならば知っているだろう、あれはレッドの意思では無いと」
「確かに……あれは、人間ではありませんでしたねぇ」
男は眼を閉じ、あの日の情景を思い浮かべた。
人の命を狩る事を機械的に行う、レッドの姿。
あの日から、男はレッドの事が怖くて仕方ないのだ。
強張ったままのレッドの代わりにロナントが質問してくる。
「お前に聞きたい事は二つ。国を逃れた後どうしていたのか、どうやって国に戻って来たかだ」
「……私は北に女性を大量に売った大罪人として指名手配され、あなた方二人に追い詰められました」
英雄の娘と当時の元帥。
男は片目を失ったものの、何とか国の外に逃げおおせた。
外に出たものの当てがある訳でもなく、また同じように人を攫っていこうと思っていた。
しかしアークバルトとその他の国、全く勝手が違っていた。
魔力を持っている女性など、ほとんど存在していなかった。
神の加護がある国と無い国では男性の魔力の保有量も違っていたのだ。
最高位など存在しない。よくて上位の魔力しか持ち合わせていなかった。
男は傷を療養しながら各地を巡り、女を売る以外に金になる物は無いかと探した。
「大金が稼げるようなものは何も無かった……私は普通の仕事に従事してその日暮らしをしていました」
「………」
「屈辱的だった! 何もかも奪われた! あなた方に!」
「それで、危険を冒してまで戻って来たのか」
「さすがアークバルト。神の寵愛を受けし王族が治める土地……魔力を持った女は探せはいくらでも居る、理想郷です」
ロナントに冷たく見下ろされても男は笑みを崩さない。
本当は今すぐにでも逃げ出したい。
だが、男は最高位の魔力を持っている身。牢には何重にも魔力を封じる結界が張られている上に、手首には魔封錠まで……逃げ出せるはずもない。
「普通の仕事に飽きて、他国の貴族から宝石を盗み、裏で売り払いました。アークバルトよりやりやすかったですよ……騎兵のシステムが確立していませんから」
男は女よりもはるかに安くしか売れない宝石を盗み売って良い暮らしをしていた。
だが男は満足できなかった。
「私が求めているのは金では無いと、他国で豊かになって気が付いたのです」
「金では無いと言うのなら、お前は何を求めているんだ」
「恐怖ですよ」
男の口角がおかしいほど上に上がる。
中身が完全に壊れた人間と表現するに値すると、ロナントが見下ろす。
「恐怖に支配された女の表情、強張った体、絶望の悲鳴! なんと美しい事か」
「下衆が」
「ああ……数日前のオークション、あの子の悲鳴もなかなかのものでした」
「………」
「気丈に振る舞っていた生娘が服を裂かれて絶叫するのです、美しい」
「黙れ」
レッドの長い刀が檻の隙間から男の喉元に当たった。
男は両手を上げ、抵抗の意思はないと無言で告げる。
「お前の歪んだ快楽の為に何人の女性を地の底に落としたと思っているんだ」
「さあ? 何人ですか? そちらの方が詳しいのではありませんか?」
「っ! このっ」
「やめろレッド、口車に乗るな」
男の喉元から刀が無くなり、同時にバクバクと心臓が激しく動き出す。
平静を保って居るように見える男は、人一倍死に敏感だ。
「……本当は、レッド、あなたの悲鳴が聞きたかったのかもしれません」
「おれの、だと?」
「あなたの恐怖に歪んだ顔……どれだけ美しいのでしょう。英雄の娘の悲鳴はどれだけ綺麗な音色なのでしょう」
最初は純粋に金目的でレッドを攫おうとしていた。
だが、目的が変わってしまった。原因は……なんだっただろうか。
「お前の性癖について聞いているのではない。どうやってこの国に戻って来た」
「……せっかちですね」
「答えろ」
心臓が早鐘を打ち始める。
ロナントと言う存在は、男にとって『死』そのものだ。
「昔の伝手ですよ。宝石泥棒として有名になったので、アークバルトで売らないかと言う話があって、裏口から戻って来たわけです」
「それは誰だ」
「オークション会場に居ましたから、取り逃がしていなければ今頃は牢屋の中でしょう」
ロナントが頷いている。
今二人に話した情報はすでに騎士に話してある。
嘘偽りがないと判断したのだろう。
ロナントが口を開く。
「セネド、お前の処刑が決まった」
「……そうですか、いつです?」
それまでに逃げなくてはと男の頭が回転する。
方法が無い訳では無い。後数日時間があれば……
ロナントが片手にカギを持って牢を開けた。
突然の事に男は眼を見開いた。
「今からだ」
男の全身が硬直した。
通常、罪を悔いる為に少し間を開けるが、どうして……と男は混乱した。
正面には男にとって天敵の二人、これでは逃げようがない。
「時を置けば置くほど、お前はここから抜け出す確率が上がる。これは国が決めた事だ」
「………」
「今でも傷が癒えない女性が数多く存在する。お前が死ぬ事で少しでも心の傷を軽くしてやりたい」
「……は、ははっ、はははっあはははは!!!」
男は笑った。
死ぬ、今日、突然。
これが笑わずにいられるか。
「出ろ、処刑場まで連れて行く」
「言う事聞くと思ってんのか? 大量殺戮兵器人間がよお」
「……」
「北との大戦で何人殺したんだ? ええ? 夫婦そろって人殺しじゃねえかよお」
「好きに言え、お前は今日死ぬんだ」
「あひゃひゃひゃひゃ!!! 今日! 死ぬだって!? ひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!」
男はロナントに無理矢理牢から出された。
笑いっぱなしの男はされるがままだ。
「俺が今日死ぬはずない! うひひひひひひひ」
「ここで逃げたら、俺がお前を殺す」
「くけけけけけ!!!」
「処刑場で死ぬか、俺に殺されるか、選べ」
「そぉんなの、きまんてんだろぉおぉお!!!」
男はロナントを振り切り大きな窓のある方へ走り出した。
俺は死なない! 死ぬはずがない! 逃げ出してまた最初からやり直しだ!
必死に走り、窓へと手を伸ばす。
夕方の赤い日差しが男の体を暖かく照らし出す。
やった! これでまた…………あれ?
男は地面に顔を擦っていた。
転んだ? あれ? なんだか眠
*****
男が赤い日差しの中でこと切れていた。
「こ、殺したの……?」
「こいつが選んだんだ。俺に殺される事を……あまり見るな」
レッドは死体が苦手だ。
まあ、得意な奴なんて居ないとは思うが。
あまり損傷が無いようにと首を一太刀で跳ね飛ばした。
完全に動かなくなった男にロナントが近付く。
「ああ……」
落ちていた男の頭の表情を見て、察した。
死にたくなかったのだと。
死んだ事を理解せずに逝ったのだと。
「………」
強い死の香りが残った牢。
男の体からじんわりと血が広がる。
ロナントは踵を返し、レッドの元へ。
「行こう、後処理を命じないといけない」
「………」
「レッド?」
「人を殺したのに……何も思わないの?」
強張ったレッドの表情にロナントは怯えさせてしまったか、と不安になる。
しかし表情をよく見ると、ただ自分の事を心配しているだけだと気が付いた。
「思うよ。俺も本当は殺したくは無い……だが……」
何も思わないように感情が勝手に死ぬんだ。
戦争の時、眼の前で敵も味方も……数えきれないぐらい死んでいったから。
「人を殺す事に躊躇いは無い。こいつを逃がす事で新たな犠牲者が生まれる……阻止できるなら、人殺しにでも何にでもなるさ」
国の為、そう言い聞かせて北の国で大量に人を殺した。
あの戦争以来、ロナントは変わった。
幼少期からずっとそばに居るレッドは分かっていた。
戦争が原因で心に深い傷を負ったのだと。
「ロナント」
「なんだ?」
「……、………」
牢から出て行くために歩き始める。
セネドを殺す前と後、全く変わらないロナントを見上げる。
「ううん……なんでもない」
レッドは自分を支えてくれたこの人を今度は支えようと、牢の重たい扉を閉めながら改めて決意を固めた。




