未来
風馬に乗って上空を飛んだ。
濃い青空に低い位置にある白い雲。
少し手を伸ばせば綿菓子みたいな雲に触れそうだと子供みたいな事を思った。
「雲なんか見てどうしたんだ?」
「美味しそうだなって思って」
「雲が美味しそう……? なんだそれ」
この世界に綿菓子は無いのか……どういう作り方だったかな? 作れそうなら作ってみたいけど。
今日はロアが休暇で二人でお出かけしている。
二人きりなんて本当に久しぶり。片思いしていた日々を思い出した。
ロアが風馬の手綱を引いた。
この風馬はグラスバルト家で所有している馬だ。
敷地内に馬小屋と運動の為の広場、それから繁殖させるための簡単な牧場がある。
グラスバルト家に無いものなんて無いんじゃなかろうか。
「よっ……と」
豊かな草原の上に草を掻き分けながら降りた。
馬の背からロアの手を借りて草原の上に立った。
わたし達が初めて出会った場所、ストリア草原にやってきた。
心地よい風が吹いて、目隠し帽子を押さえた。
あの時より長くなった草が気まぐれな風に揺られ心安らぐ音を立てている。
「ねえ、この辺だよね……わたしが居た場所」
事故に会って、死んで……気がついたらこの場所に居た。
少し先ではストーラの町並みが見える見晴らしのいい場所だった。
「うん、もう少し右だったよ」
「この辺り?」
「そこで頭を抱えてた」
「あー……そうだったね、懐かしい」
ログアウトはどうやってするの!? って馬鹿な事聞いたよね。
ゲームじゃなくて現実だったし、ロアは首を傾げていた。
まだそれほど昔の事じゃないのに懐かしい。
「月があの辺に三つ出てて」
「今は太陽が出てるな」
「うん……まぶしいね」
草のあいだを縫うように歩を進め木の日陰に腰掛けた。
後追ってきたロアは隣に座った。
「ドラゴンの魔法を見せてくれたのもここだったよね」
「ああ……すこしやりすぎたな」
「怪物が出た! って町で騒ぎになったね」
妖精と会ったのも、魔法を使ったのも、ここが初めてだった。
今では全部、良い思い出。
「どうしてここに連れて来たの?」
今日になって二人で出かけようと誘ったのはロアだ。
どうして初めて出会ったこの場所に連れてきてくれたのだろう?
「ミツキに伝えたい事があったんだ」
「伝えたい事?」
風の音に誘われて振り向く。
ロアがとっても真面目な顔をしていた。
木が、草が、風に吹かれざわめく音だけが耳に届く。
ここには誰も居ない。二人だけ取り残されてしまった気持ちになる。
「最初の約束を果たせなくて、すまなかった」
「……」
「俺がミツキの隣に居られたのはあの約束があったからこそだった」
「……うん」
「途中でやましい気持ちを押さえられなくて、約束を破ってしまった……ごめんな」
わたしは家に帰れなかった。
ロアがどんなに協力してくれてもそれは変わらない。
約束が破られた夜、ほんの少しだけ悲しかったけど……それはもう過去の話。
「ロアはわたしと約束をして、叶えるために一生懸命手伝ってくれた。それだけで十分だよ」
「……ありがとう」
ロアの優しい微笑みに、トクトクと心臓が早く動く。
そう言えばロアをイケメンだ、カッコイイと思ったのも出会った時だった。
まさか恋人になるなんて、あの時のわたしは思ってもみなかった。
「ミツキと出会って恋をして、離れたくなかった。だから約束をしたんだ」
「最後は離れちゃう約束なのに?」
「矛盾しているだろ? でもそうするしか方法が思いつかなかったんだ」
「もし、わたしが帰れていたらロアはどうしてたの?」
ロアがにこっ、と微笑む。
ぞわっ! 全身の毛が逆立った。
さっきの微笑みとは真逆の笑みに、聞くな、と第六感が騒ぐ。
「ごめんもしもの話なんてしない方が良いよね」
「いや……有り得たかもしれない未来だろ」
「でも有り得なかった。わたしが故郷に帰る事は有り得なかった」
「もしミツキが帰る事になったら……俺は……」
ロアは木の間から覗く青を見上げる。
木漏れ日が風によって形を変え、ロアの横顔を照らす。
「ミツキに付いて行ったかも知れない」
「わたしの世界に来るって事?」
「そう」
「ロゼさんとナタリアさんが悲しむよ」
ロアは将来的に国にとって重要な役職に就くし、家族だって居るのに。
「でも、そうなったら……ミツキと別れる事になったら……意地でも別れない方向に動く、かな」
「二度とこの世界に帰ってこられなくても?」
「ミツキと出会って、ミツキに恋をして……あの瞬間、他には何もいらないと思ったんだ。地位も名誉も財産も、俺にとって必要では無かった。全てを捨て知らない世界でミツキと生きていく……それも俺にとっては幸せだから」
全てを捨ててもいい。わたしと一緒に居られるならば。
プロポーズされてるみたいで頬に熱が集まる。
好きな人の為に全てを捨てるなんて、わたしには到底できない。
それに……
「ロアが付いて来るなら……帰れなくて良かった!」
「どうして?」
「わたしの世界はロアみたいなイケメンが居ると騒がしいの」
「騒がしい?」
「きっとロアに惚れちゃう子がいっぱい出て、彼女のわたしは悪口言われちゃうね」
「貴族令嬢みたいだな」
ロアはロナントの血を受け継いでいるせいか顔が良い。
絶対に騒ぎになる。異世界だから、テレビの無い世界だからこの世界ではそれほどでもないけど……
「ロアは頭も良いし、俳優とか向いてたかもね」
「ミツキの世界にも俳優が居るのか」
「えっ? この世界にも居るの?」
「舞台俳優だけどな」
大きな街には公演などを行う場所があるようで、そこで俳優が演劇を披露するとロアが教えてくれた。
王都には一番広い会場があり、俳優達はそこで演劇するのが夢なんだそう。
人気のある演目の中には『英雄の娘』が含まれており、初公演の際にはグラスバルト家にチケットが届くようだ。
「今度、一緒に行こうか」
「うん! 行ってみたい」
この世界の舞台かあ……どんな感じだろう?
魔法とか使うから派手なのかな?
良く考えてみれば、ロアが日本で向いている職業って……自衛官? になるのかな。
国を守る職業だもんね。
「向こうの世界で出来なかった事を一緒にやっていきたい。わたしは早くに死んじゃったから」
友達ともっと遊びたかったし、大学のキャンパスライフを送ってみたかった。
ふわふわのパンケーキのお店に行きたかったし、弟が好きだったゲームの新作だって実は楽しみにしてた。
短かった17年間、思えばやり残した事が多すぎて、未練が残る。
でも、しょうがない。
わたしは帰る事が出来ないのだから。
「わたしは……ロアと会う為に死んだのかな……そう思う事もあるんだ」
女神は仕方なくわたしをロアの元に送ったと言ったけれど。
未来視でも予知できない未来があって、わたしとロアは絶対に逢う運命だった。
そんな風に考えている。
「今度は俺がミツキを守る」
「本当? あのね事故死はとっても痛いの。今度は老衰が良いなあ」
「一緒にお爺さんとお婆さんになって死のう」
「何年先の話?」
「50年以上先の話」
「わたしはしわしわになっちゃうけど、ロアは若いままだよ」
「しわくちゃなミツキも、きっと可愛いよ」
じっと顔を見つめられたのでさっと両手で隠した。
「なに想像してるの! やめてよ! まだ若いんだから!」
「……はは、ミツキなら死体も愛せるから安心しろ」
「喜んでいいのそれ? 死んだらちゃんと埋葬してよ?」
「仕方ないなあ」
おどけて言うロアに唇を尖らせる。
遺体を屋敷に置いておく事だけはやめてほしい。
「ミツキ」
名を呼ばれて隠していた顔を覗かせる。
ロアの神妙な面持ちに自然と背筋が伸びた。
「この先ずっと……50年でも100年でもミツキと一緒に居たい。お婆さんになっても関係ない……愛してる」
「……うん」
「結婚してくれ」
緊張しているロアとちゃんと眼を合わせて、微笑んだ。
「はい。わたしでいいなら」
ロアがゆっくりと腕を伸ばして、わたしを抱きしめた。
あったかくて力強くて自然と安心できた。
「色々遠回りして嫌な思いさせた。ごめんな」
「ううん、もういいの……もう、いいの……今が幸せだから」
確かにいろいろあって、いっぱい泣いた。悲しい思いを沢山した。
「これからたくさん、一緒に楽しい思い出を作ろう」
「うん。ありがとう……大好き」
一際強い風が吹いた。
世界が祝福しているかのようだった。
どちらともなく唇を重ねた。
濃い青の空と白の雲。
空から強い日差しが大地を照らす。
木々の隙間から恥ずかしそうに喜ぶ妖精の声が聞こえた。
家族へ
家族の皆、元気ですか。
わたしは元気です。
もう二度と会えない場所にいます。
どうか心配しないで下さい。
こっちにはわたしを理解してくれる人が沢山居ます。
それから、相手に恵まれてもうすぐ結婚する事になりました。
みんな驚くと思うけど、本当です。
今とても幸せです。
最後にと手紙を書いていますが、きっと届く事はないでしょう。
お父さん、お母さん、亮。
どうかお元気で。
違う世界から祈っています。
河野 美月
草原で書いた手紙はわたしが最初に居た場所で燃やしてもらった。
さようなら。
蒼穹を見上げ、残った未練を吐き出した。




