自由人
ばちゃばちゃとストレス解消に水球を木にぶつけた。
現在夕方。文字の勉強に行き詰まり外の空気を吸いに外に出ていた。
「ふぅ……」
「ミツキ様、お茶にいたしましょう」
「分かりました」
庭に出したテーブルと椅子が二つ。
ナタリアを誘ったのだけど、まだ本調子じゃないみたい。
お昼は一緒に食べたけどその後また自室に引っ込んでしまった。
セレナが紅茶を淹れる為、お湯を作っている様子を見て、
「そうだ! セレナさん、これを使ってみてください」
まだ沸きそうもないお湯の代わりに、自分の魔法で作ったお湯で紅茶を淹れるように頼んだ。
セレナは二つ返事で手際よく紅茶を淹れてくれた。
まだ熱い紅茶を一口飲んだ。
「いかがでしょう?」
「自分の魔力で作ったからかな? いつもより美味しい気がする」
「それは良かったです」
笑顔のセレナに笑い返し、ゆっくりと紅茶を楽しんだ。
今度、ナタリアにも淹れてあげよう。喜ぶかな?
「……?」
森の方、玄関から外の門へと続く道から一人の人間が姿を現した。
グラスバルトの敷地は広い。普通馬車で来るが……歩いて来たのだろうか?
騎士だろうか? だとしても馬に乗って来るだろうし、元帥であるロゼはまだ帰って来ていない。
遠目から細身の若い男性のように見える。新しく張り直された芝生の上を悠々と歩き進んでいる。
ちなみにロアが薙ぎ払った森は折れた木を撤去し新しく植え直すそうだ。
「セレナさん、お客さんかな?」
「そのようですね。執事が対応すると思うのでミツキ様はこちらでお待ちください」
一瞬保守派が頭をかすめたが、あれ以来接触は無い。
その人は正門の方に向かっていたが、こちらの存在に気が付いて方向を変え近付いてくる。
ピシッとした白いシャツに茶色のズボンを穿いている。動きやすそうな服装。
「あら……?」
その人物が誰なのか、セレナが先に気が付いた。
「ミツキ、久しぶり。元気にしていた?」
「レンさん! お久しぶりです!」
ロアの伯母であるレンだった。男性ではなかった。
立ち上がって挨拶すると、
「いいのよ、座って。私も紅茶を頂こうかしら」
にこやかに微笑みながらセレナにそう言った。
セレナは恭しく頭を下げ、紅茶の準備に取り掛かり始めのを見て魔法で熱湯を作り始めた。
「あら、水魔法……使いこなしているのね」
「このお湯で紅茶を淹れると美味しい気がするんです。嫌でしたか?」
「いいえ、貰うわ。ありがとう」
椅子に座りながら微笑むレンに心臓が高鳴った。
同じ女性なのに、かっこいい……
前回会った時は美しいドレス姿だったけど、今は真逆の恰好と言って良い。
女性が惚れる女性、か……
「どうぞ……お口に会えば嬉しいです」
「そんなにかしこまらなくても……私は元々ここの人間だったのよ?」
かしこまるセレナにレンが笑顔のまま指摘する。
いや、セレナの気持ちがよく分かる。
レンは国王陛下の妻、王妃殿下だ。
確かに産まれはグラスバルトだが、すでに王家に嫁いで久しい。
セレナの微笑みが若干歪んでいた。無理もない。
レンが紅茶を一口飲んだ。ドキドキしながら見つめる。
「……良い水ね。舌触りもよく柔らかく棘が無い」
「本当ですか!」
「ええ、ミツキの魔力に淀みが無い証拠ね。魔力の流れが悪いと美味しくないものなのよ」
魔力は常に体を巡っている第二の血液のような存在。
流れが滞ると、上手く魔法が使えなくなる。
水魔法は特に分かりやすく、作った水を飲む事で自分の健康状態が分かるそうだ。
へ~、と感心しながらレンを眺める。こうしてみるとやっぱり母であるレッドに似てるなあ……鋭い眼は父親譲りなのだろうけど。
次にレンはセレナに紅茶の淹れ方を褒めていた。セレナはちょっとだけ嬉しそうだ。
一緒に紅茶を飲んでいて、ふと気が付いた。
「レンさん……あの、何かご用だったんじゃないですか……?」
誰かに用事だったのではと不安になって尋ねる。
だとしたら実弟で元帥であるロゼに用があるのではないだろうか。
まだ騎士隊から帰って来ていないけど。
「ミツキに用があって来たの」
「わたしに?」
レンがカップを置いた。
わたしに用事? なんだろう?
「クロームが、陛下がアーク様と交信したわ」
「アーク様と……? 話をしたって事ですか?」
「そうよ。ミツキの事、ちゃんと聞いてくれたみたいよ」
「でも、わたしは……」
多分、帰れない。それだけは知っている。
俯いたわたしに、レンは少し慌ててこれまでの経緯は自分も知っていると説明した。
帰れない事も、この世界で生きて行く事を決断した事も、ロアと結婚する事も。
「アーク様はミツキの事をご存じだったわ」
「……えっ?」
「あなたは不幸に見舞われて死を迎えこの世界に送られた。元の世界に帰す事は出来ないがこの世界への滞在を許可する。どうか、幸せに……と」
「そう、ですか……」
やっぱり帰れなかったか。
不思議と悲しくは無かった。むしろ知れて良かったとすら思えた。
大丈夫、わたしは前を見ている。
「それから……女神。アーク様の伴侶」
名も分からぬアーク神の妻。分かっている事は光の神、月の神だと言う事。
恐らく、わたしの世界の神なのだろう。
「突然放り出してその後音沙汰なかったのでしょう? 今夜、夢の中にお邪魔すると言っていたそうよ」
「え? 夢?」
「女神とミツキは人では見えない細い糸で繋がっているそうなの。難しい話は分からないけれど、糸を辿って状況説明にやってくるわ」
「それが、今夜? 女神様が説明をしに……?」
「そうね」
「……遅すぎる気が、しないでもない、ような」
「ふふっ、女神は忙しかったみたい。理由は知らないけれど、言いたい事は直接言ってね」
くすくすと笑うレンに、神様に文句など言えるはずないと言いかけて飲み込んだ。
普通にしていればわたしは死んでいたはずで、この世界に来る事も無かったはず。
色々と言いたい事もあるけど、わたしを掬い上げてくれた事には感謝しないといけないのかもしれない。
「伝えたい事はこれだけ。突然女神が現れたら驚くでしょう?」
「びっくりしたと思います。レンさんわざわざありがとうございます」
「いいのよ」
微笑を浮かべるレンを見て、唐突に違和感が湧いた。
レンは王妃だ。でも今は……一人だ。
馬車で来た様子も無ければ、お付の人が居る気配もない。
「レンさん、あの……ここまでどうやって来たんですか?」
「どう? 決まってるわ」
不思議そうな表情のまま、レンが続けた。
「歩いて来たのよ。街を歩くのが好きでよく出かけているわ」
「お一人で……?」
「一人でないと行きたい場所に行けないのよ。王家って口煩い人が沢山居るの、そもそも出かける事に良い顔をしないし……無視していたらせめて許可を取ってくれって言われたわ。それも無視しちゃってるけど」
超アクティブな物言いにレッドの顔が思い浮かんだ。
この人やっぱりレッドの娘なんだなあ、と。
王妃なのに許可も取らずに勝手に出歩いていいのだろうか。
「今日は許可は……」
「取ってないわ。許可なんて待って居たら数日後、数か月後なんてザラよ。危険なんて無いのだから好きにさせて欲しいわ」
「危険が、無い……!?」
魔力を持っている女性は、一番安全と言われている王都でさえ瞳を隠さないと危険だとロアや周りの人に耳がタコになるぐらい聞かされているのに、危険が無い!?
「危ない目にあったりとか無いんですか? 攫われそうになったり」
「無いとは言えないわ。……ああ、心配してくれているの? 大丈夫よ」
レンが音もなく何かを取り出した。
素早過ぎて取り出した瞬間は見えなかったが、大ぶりのナイフを手にしていた。
「ナイフをお母様から教わったから」
「レッドさんに教わったんですか」
「あの鬼教官にね。実力は1番隊の騎士とそう変わらないとお父様からお墨付きを貰っているの。ミツキはマネしちゃ駄目よ」
1番隊……って事はロアと同じぐらい強いって事なのかな。
危険が無いのではなく、危険が危険ではないと言う事か。
マネしたくても出来そうもないと笑っておく。
グラスバルト出身の女性は強いなあ……レンもロザリアも。
少しだけ羨ましい。
「王妃殿下!」
遠くからレンを呼ぶ声が聞こえた。
森の方から慌てた様子でこっちに走って来ていた。
レンがぷぅ、と唇を尖らせ頬を膨らませた。
「あ、ロゼさんか」
遠くで分からなかったが間違いなくロゼだ。一瞬ロアかと思った。
ロゼはレンの側まで来てから再び声をかける。
「殿下! 勝手にお出かけなさるのはお辞め下さい! 何度も申し上げているではありませんか!」
「なによー……実家に帰るぐらい好きにさせて欲しいわ」
「出かけるのは構いません! ですが行先を告げてください! メイドでも誰でもいいのです!」
「出かけると言って許可が下りた事なんて一度たりともないわ。王城は広いけど、私には窮屈なの」
ロゼが胸元を押さえた。顔色も悪い。胃が痛むのだろうか……
不機嫌を全く隠さないレンが、つんとそっぽを向いた。
「殿下!」
「やめてよそんな呼び方。好きで王妃になったんじゃないわ。あなただって知ってるじゃない」
好きで王妃になった訳では無い?
二人の会話を聞きながら首を傾げる。
「姉上は陛下へと嫁がれました。好き嫌いの話では無く、れっきとした事実です。王族は何に置いても守らなければならない対象です。姉上もよく御存じのはずです」
「……そうね、王族を守るために騎士隊が存在している事も事実ね」
「さあ帰りましょう。皆心配しています」
「でも私を守る存在など必要で無い事も知っているはずだわ。自由な時間が欲しいだけなのよ。夜までには帰るからほっといてくれないかしら」
ロゼの眉が寄る。
姉弟で喧嘩が始まりそう……口喧嘩は始まってるけど……
「許可できません」
「やっぱり許可なんか出ないじゃないの」
「城を出てどれほど時間が経ちましたか? 居なくなったのは昼前だと報告がありましたが」
「商店街で食べ歩きしてたのよ。たまに食べたくなるのよね」
「いい加減にしてください!」
ロゼが大きな声を出した。すごく怒っているがレンは全く意に介さない。
今は夕方だけど……それまでレンは街を出歩いていたって事だよね。
行先を誰にも告げず、護衛も付けず、たった一人で王妃様が……
守る側のロゼが怒るのも無理はない。
この様子だと何度も同じ事を繰り返しているようで、ロゼには諦めの表情も混ざっている。
「街を歩くとみんな親切にしてくれるのよ」
「姉上が王妃だからですよ! これ以上俺の仕事を増やさないで下さい!」
「わざわざロゼが迎えに来なくったって良かったのに」
「どこにいるか分からない姉上を探せる人材は限られてるんです!」
「ロアだったら言い負かせられたのに、残念だわ」
ロアはレンに口で勝てないようだ。
レンを探せる人材と言えば、魔力可視か妖精の眼を持つ誰かと言う事だろう。
「何用でいらしたのです? 実家が恋しくなったわけでは無いでしょう?」
「ああ、そうそう。ミツキに用があったのよ」
「どんな用です?」
レンはわたしに伝えた事をロゼに話した。
アーク神との交信の内容を知ったロゼが肩を落とした。
「そんな事……わざわざ姉上が出向かなくても、俺でもロアでも伝えてくだされば……」
恐らく、レンは出歩く口実に利用しただけではないかと思う。
現に来たのは今さっきだし……
「はあ、分かったわ。元帥の手を煩わせちゃいけないものね」
「最初から素直に頷いてくださいよ……」
疲れ切ったロゼが口元だけ笑っている。すごく怖い。
席を立ったレンが最後に柔らかく微笑んだ。
「ミツキ、紅茶美味しかったわ。また淹れてくれるかしら」
「レンさんが良ければ」
「また来るわ。その時はよろしくね」
レンは一人でさっさと歩いて行ってしまう。
「騒がしくて悪かった、姉上には困ったもので……」
「いえ、レンさんはレッドさんに似ていますね」
「そうだな、一番中身が似たかもなあ……」
「レンさん行っちゃいますよ」
「あの人はなんであそこまで自由で居られるんだ!?」
ロアはもうすぐ帰って来るはずだから、レンから聞いた事を相談すると良いと言ってロゼはレンを追いかけて行った。
姉弟の背中を眺めた。なんだかんだ言っても仲は良さそうだった。
ふと、もう会えない弟の事を思い出した。
女神に聞けば家族がどうなっているのか教えてくれるだろうか。
今夜が少しだけ楽しみだ。




