怒りの矛先
ロアの部屋がある東館から、応接間がある中央館へ。
客をもてなす部屋の為か、応接間の扉は豪華に出来ている。
ごくり、とロアがつばを飲み込んだ。
じっとロアを見つめていると、決心を固めたのかロアはドアノブを握った。
「失礼します」
と言って入室したロアの後に続いた。
部屋には高価そうな調度品や絵画、それから暖炉があった。
丸いテーブルの上にシックなデザインのテーブルクロス中央に高そうな花瓶に花が活けており、その周りに一人掛け用のソファーが置かれていた。
部屋にはレッド、ロナントの二人と、ロゼが腕を組んで眉を寄せていた。
ナタリアは……居ないようだ。
トントントントン……
レッドがテーブルを指先で叩く。
表情から苛立っている事が一目瞭然だった。
その事に気が付いたロアの足が一瞬止まったが、覚悟を決めたのか空いていたソファーに腰掛けた。
わたしはロアの隣に座った。
タンッ!
レッドは一度だけ強く机を叩いた後、ぎろりとロアを睨む。
怖い……そんな鬼のような表情が出来るのだと震えあがる。
「どういう、つもりだ」
いつもの可愛らしさとは正反対の表情と声色。
可愛い少女な見た目だけどおばあちゃん、それがわたしの中のレッドだった。
「ミツキに何をした」
ロアの恐れる教官としてのレッドの姿を今見ているのだろう。
牙を剥き出しにして、返答の内容次第では喉元を噛みちぎる肉食獣のような空気を纏っている。
「おばあ様との約束を守れませんでした」
「やることやったのか」
「……やりました。嘘は吐きません」
「はあ……おいロゼ、見ろ」
話を振られたロゼが立ち上がってわたしの前まで移動し、片膝をついた。
「悪い、少しだけじっとしていてくれ」
何だろうと疑問に思ったが、言われたとおりじっとしていると、ロゼは一通りわたしの事を観察した後、溜息を吐いた。
「ありがとう」
そう言って自分の席に戻って行った。
首を傾げていると、ロゼがレッドに説明し始める。
「間違いないです」
「子供は?」
「高濃度でした。可能性はあるかと」
説明を聞いたレッドがさらに怒りを高ぶらせていく。
意味が分からなくて困っていると、ロナントがそれとなく教えてくれた。
レッドがロゼに魔力を見るように言ったらしく、それでわたしを見ていたそうだ。
わたしの体に残っているロアの魔力を見て、やることやった、と……
残っている魔力の量、濃度によって子供が出来るかどうかが分かるらしく、今回は高濃度で可能性はある、と……
魔力濃度で子供? 卵子と精子が出会ってではなく?
保健体育の知識を引っ張り出すが、ここは異世界、向こうの常識は通用しない事もあるかもしれない……
「婚姻前に手を出すとは何事だ!? お前は何を学んできたんだ!! 父や祖父の過ちを踏襲しやがって!!」
ロゼとロナントが視線を逸らした。
二人にとって耳が痛い言葉だったのかもしれない。
「申し訳ありません」
「ふざけるなッ!!!」
ドシン! ミシミシミシッ……
レッドが机を叩きながら立ち上がった。衝撃で部屋全体が振動する。
力が余って机が軋んでいる。テーブルクロスの下にヒビが入っているかも知れない。
「誰に謝ってるんだ!? 相手が違うだろう! お前は誰に謝らなければならないんだ!? 分からないのか!?」
「は、はい! ……ミツキ!」
大きな眼を吊り上げ語気を荒げるレッドにビクビクするロア。
ロアが本当に申し訳なさそうな顔してわたしと眼を合わせてくる。
「ごめん。まだ早かったよな……我慢できなくてごめん……」
「謝る事無いよ。あの時ロアは色々悩んでたんだから」
「俺の心の弱さが原因だ……本当にごめん」
「ロアが元気になって良かったって思ってるから、気にしないで」
「……ありがとう」
ロアはほっとしたのか微笑を浮かべるので、笑顔を返した。
して嫌だったとか無いし、むしろ良かったから謝罪は要らないのだけど。
ロアがわたしの事を本当に求めてくれている事が分かって嬉しかった。
それに……ロアってモテるんでしょう?
直接現場を見た事は無いけど、ロアと関係を持ちたいって人は多いと思う。
ちょっとだけ優越感。
「子供ができたかもしれない」
「そうだね……」
恐らくこの世界に避妊具は無い。
昨晩聞いたけど首を傾げられたし……
「責任は取る。すぐに籍を入れて結婚しよう」
「………えっ!?」
「俺は貴族だから国王陛下の許可が必要で時間かかるけど……なんとかお願いしてみるよ」
「そ……そんなに急じゃなくても……」
「ミツキ頼む……頷いてくれ……不満があるなら聞くから……」
気が付いてロアの視線を辿ってレッドの方を向くと、案の定イライラしていた。
ロゼは眼を閉じ腕を組んで瞑想中。
ロナントは一触即発状態なレッドを不安そうに見ている。
これ、断ったらどうなってしまうのだろう……と一瞬意地悪な考えが浮かんだが、最後はちゃんと頷いた。
「分かった。ロアに任せる」
「本当か?」
「うん……ここまで駆け足だったからまだ実感が無いけど……」
結婚なんてまだまだ先の事だと思っていた。
だってわたしは学生だったから。
ロアと恋人になってまだ日は浅いし、出会ってからそこまで日が経っている訳では無いけれど……
子供ができるような事をしたのも事実で、ロアはわたしとずっと一緒にいる事を望んでいる。
わたしも気持ちは同じで、ずっと一緒に居たい。
結婚とか子供とかわたしなりに考えてはいる。
きっと長い将来、ロアと一緒になる事が最善だったと笑える未来がやってくるだろう。
「確かに俺達は駆け足だった。だからこれからは一度立ち止まって前を見て歩こう……ミツキと一緒に」
「……うん!」
差し出されたロアの手をしっかりと握って、笑顔を浮かべた。
この世界では身寄りが無く不安しかなかったけど、ロアが居るからもう大丈夫。
家族に会えないのは寂しいけれど……一人ぼっちじゃないから不安じゃないよ。
「ロアに逢えて本当に良かった」
そう言うとロアは嬉しそうに微笑んだ。
しばらく見つめあっていると、重たい重たい溜息が聞こえてきた。
レッドは安心と呆れの中間の表情を浮かべもう一度溜息を落とした。
「おいロア」
「……はい」
「後できちんと筋を通しておけよ」
「もちろんです……」
また溜息を吐きながら天を仰ぐレッド。
表情から怒りは感じない。ただ呆れているようだった。
「ごめんねミツキ」
「いえ! そんな、謝らないで下さい」
「嫁入り前の大切な体を……」
この世界で結婚前にいたす事はあまり良くないと考えられてるのかな。
日本だと出来ちゃった結婚とか良く聞くけど……
「ロアの事、よろしくね。至らない孫だけど、この先楽しい事がいっぱいあるから」
「レッドさんは楽しい事、ありましたか?」
「悲しい事も楽しい事もあったよ。最近は楽しい事しかないんだ、ミツキもそうなって欲しい」
達観した表情に口元に笑みを浮かべるレッドに、わたしもそんな表情が出来るようになるだろうかとぼんやり考えた。
「それにしても……はあ、ロアは駄目だったかあ……あんなに言って聞かせたのになあ……」
「おばあ様、発言してもよろしいでしょうか」
発言の許可を求めるロアを一度だけ睨んだ後、レッドは許可を与えた。
ロアは真っ直ぐすぎる眼でレッドを見据えた。
「此度の件、ミツキにもおばあ様にも申し訳なく思っております」
あたりまえだ、と言いたげにレッドがロアを再び睨む。
「惚れた相手ができたとしても婚姻前に手を出すな、相手が不幸になると」
「ああ、そうだとも。おれは嫌な思いをし、ナタリアは……」
今度はロゼが睨まれたが、当人は眼を閉じている。
我関せず、と言う事だろう。
「おばあ様と母上はそうだったのでしょう……心情お察しいたします」
「おまえ……何が言いたいんだ?」
レッドが握り拳を作った。ヘタすると拳が飛んでくるのだろう。
大丈夫なの? 不安になってロアの方を見ると至って真面目な顔をしていた。
「おばあ様と母上は手を出されて不幸になった、おじい様と父上は愛した相手を一時でも苦しませた! でも俺は違う! ミツキを見て下さい!」
え、わたし?
眉を寄せたレッドと眼が合ったので微笑んでおく。
隣のロナントは孫であるロアに悪く言われて少しだけ機嫌が悪そうだ。
ロゼは相変わらず動かない。
「ミツキが不幸に見えますか? 俺は最大限ミツキの意思を尊重しました。絶対に悲しませたくなかったからです」
レッドとロナント、二人分の視線が刺さる。痛いぐらいだ。
「なあミツキ、お前は不幸なのか? 教えてくれないか?」
「え……えっと……不幸じゃないよ、幸せなぐらいだよ」
「おばあ様! 俺はミツキを不幸にしましたか? 確かに手を出しました、言いつけを破りました、それに対しては謝ります!」
ロアの話し方が芝居臭いと感じるのはわたしだけだろうか……?
もう一度ロアを見るが、やっぱり真面目な顔だった、だけど……
この顔、もしかして……ポーカーフェイス……?
「俺はミツキを不幸にしていない、けれどおばあ様が怒るのは何故か……それはご自身の過去が関係しているだけなのです!」
「おれの、過去……?」
「今回の件とおばあ様の過去は何も因果関係がありません! あるとするならば俺がおじい様の血を色濃く継いでしまっただけなのです!」
「おいロア、何を」
黙っていられなくなったロナントが口を出すが、ロアは止まらない。
今日は良く、口が回る。
「愛した女性を前に我慢が出来なかった……父上も俺も、おじい様の血が騒いだ結果なのです……」
レッドがゆっくりとロナントに視線を投げつける。
その表情は……怒りに駆られた鬼……
「そーだよねぇ」
腰に差していた刀を握り、狙いを定めるレッド。
室内で抜くつもりなのか?
「おい、レッド……」
「おれ言ってたよね、生涯結婚なんか……子供なんか産まないって」
「落ち着け」
「分かってて手を出したんでしょ? 孕ませたんでしょ!」
ロナントは黙ってしまった。違う、と言いきれなかったのだろうか。
レッドは腕に力を入れ、抜く準備が整ってしまう。
「お前のだらしない血のせいで!」
「待て!」
「嫌な思いをする女性が新しく生まれるんだ!!!」
「おい!」
「問・答・無・用!!!」
「ッ、この馬鹿!」
抜刀。
抜いた刃が淡く赤く光り輝いている。魔力が込められてる……!
そのまま立ち上がり、ロナントに向けて横一線。
振った軌跡に炎が残る。
椅子が! と思ったがさすがに椅子を壊す事は無かった。
座っていたはずのロナントはいつの間にか扉の前に居て、開けて外に飛び出す所だった。
「まてこらあ!」
慌てて出て行ったロナントは魔法で扉を勢いよく閉めたが、レッドが扉を縦に真っ二つに切り落とし、半分開いた扉を蹴飛ばしながら後を追いかけて行った。
まてえ! と叫びながら遠ざかって行くレッドの声。
キィキィと真っ二つになってしまった扉の音が哀愁を誘う。
隣でロアがやり切った爽やかな表情を浮かべ、額の汗をぬぐっていた。
そう言えばロナントは剣を持っていなかった。丸腰だったが大丈夫なのだろうか。
「ロア……」
一人、腕を組んでいたロゼが感心したような、驚いたような表情をしロアに話す。
「扱い方が分かったのか」
「おばあ様の怒りをぶつけられて無事でいられるのがおじい様ぐらいだったので……」
「あの人は色々考えているが、根っこが単純だからな……」
父と息子が安心したように息を吐いた。
この狭い部屋で抜刀したレッドに襲われて無事で居られるのがロナントぐらいって事か……
レッドは芯のしっかりした女性だけど、英雄に似て単純で大らかな性格。
ロアに誘導され、刃をロナントに向けた。
「おばあ様は暴れたかっただけじゃないかと思うんですけど……俺を叱るのはついでだったんじゃ……」
と、ロアが予想した。
でもきっかけはロアとわたしだろう。後で二人には謝っておこう。
ズシン
と少しだけ地面が揺れた。完全に壊れた扉がカタカタ揺れる。
「終わったか」
「え?」
「ミツキ、行ってみよう」
行くって、どこに?
ロアに手を引かれ、早足で歩き出す。
玄関から外に出て、まぶしい太陽の光に眼を細める。
「わあん! もうサイアク!」
ロアが抉った芝生だった場所にレッドが座り込んで騒いでいた。
近付いて良く見ると、泥だらけで髪の毛まで汚れていた。
庭師がさっきまで芝生に水を与えていたらしく、芝生がめくれていた場所にも水を少量ながらまいたのが原因だった。
「いきなり襲っといてよく言う」
呆れ顔のロナントが大剣を片手にレッドに近づく。
ロナントの手を借りてレッドは立ち上がった。
「レッドさん、大丈夫ですか?」
「うん、汚れるのは慣れてるから」
レッドにもロナントにも怪我は無さそう。
またロナントに負けたー、とレッドは唇を尖らせていた。
次にロアを見て、複雑そうにこう言った。
「ルクスに期待するしかないかあ」
「なにをですか」
「ライトは言いつけを守ったし、ルクスもそうだと良いなあって思っただけ!」
暴れてすっきりしたのか笑顔を見せるレッド。
笑顔のままロアに話を続ける。
「けじめはつけないといかん。婚儀が終わるまではミツキに手を出すなよ」
「はあっ!?」
「なんだその声は!? そのぐらい我慢しろ!」
「まだ時期も何も決まってないんですよ!?」
「一度手を出した事を良い事に何度も関係を迫るつもりか! 心頭滅却! 婚姻前に妊娠して見ろ! 大きな腹で結婚式をする事になりかねんぞ!」
確かに折角のウェディングドレスを大きなお腹で着るのは嫌かも……
それに三大貴族の結婚式って人がたくさん来るだろうし……大きなお腹を見て我慢できなかったんだなって……ロアをそんな風に見て欲しくないな……
「ロア」
隣にいたロアの袖を軽く引っ張って視線を合わせる。
「結婚式の時、大きいお腹は嫌だな……」
「誰もそんな事気にしないさ」
「一生に一度の結婚式で綺麗にドレスが着たい……ダメ?」
ロアの顔色が悪くなっていく。
本能と理性がせめぎ合っている様子が見て取れた。
したいやりたいと本能が騒ぎ、それを理性が押し留めているのだろう。
しばらくの葛藤の後、
「………分かった……結婚したら、な……」
「ありがとう、ロア」
がっかりと肩を落とすロアを不憫に思いながらも内心安堵した。
エッチは正直恥ずかしい。
昨晩は突然だったし……今度は時間が貰えたからその間に心の準備をしておこう。
泥だらけのレッドがわたしの眼の前にやって来た。
「ミツキ、なにかあったらすぐに言ってね! 殴りに来るから!」
「暴力は駄目ですよ」
「この家ではそんな事言ってられないよ……経験者だから知ってる」
それは英雄の娘であるレッドだからでは? と喉まで出かけたが飲み込んで苦笑い。
後から出てきたロゼにロナントが大剣を返していた。
「悪いなロゼ、借りた」
「いえ、構いません。元々は父上の物でしたから」
剣が元はロナントの物……? 疑問に思っているとロアが、古い時代から続くグラスバルトの当主が受け継いでいる大剣だと教えてくれた。
あの大剣は世襲制らしい。じゃあ次はロアが受け継ぐのか。
そう言えば……
「ロゼさん!」
名前を呼んで走り寄ろうとすると、途中で足が止まった。
背中の服をロアが掴んだためだった。引っ張られて前に進めない……
「ロア! なにするの!」
「いや……つい」
「ミツキ? どうした?」
進めないでもたついていると、ロゼの方から来てくれた。
ロアが面白くなさそうな、むっとした顔に。
「ナタリアさんは……」
「ああ、ナタリアは部屋で休んでいるよ。昨晩、相当気を揉んだらしく心労が祟った形だ」
やっぱり寝込んでいたか……昨晩、ロアの部屋の前で会った時、すでに体調が悪そうだったから……
それを聞いたロアはバツが悪そうだ。
「一緒に謝りに行こ?」
そう誘うとロアは素直に頷いた。
ナタリアは優しいからきっと許してくれるし、ロアが元気になったって喜んでくれるよ。
その後、話し合いは終わったのでロナントとロゼは騎士隊に向かい、レッドは一度自分の家に帰って風呂に入ってから騎士隊へ。
ロアも元気になったので昼過ぎから騎士隊へ行く事になった。
ナタリアの部屋に向かう途中、ロアが一人で行きたいと言うので見送ってわたしはロアの部屋に戻った。
わたしが使っていた部屋の準備が出来次第移動になるとセレナが言っていた。
帰って来るの急だったからね。
それにしても……坂から転がり落ちる勢いでここまで来てしまった。
貴族の嫁、か……
「セレナさん」
「はい、どうなさいました?」
「途中になっていた文字の勉強を……」
色々と学ぶ事は多いだろう。
取り敢えず文字を完璧にする事から始めよう。
ロアとずっと一緒にいる為に必要な事だと思うから。




