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一線


部屋の中は真っ暗だった。

月明かりで明かりが無くても平気だったのに……分厚いカーテンが光源を遮ってしまっていた。


「………」


ロアの姿が見当たらない。

後ろ手で扉を閉めようとすると、


バタン! ガチャッ!


勢いよく扉が勝手にしまって、同時にカギもかかった。

びっくりして変な声が出そうになった。

ロアが魔法で閉めたのかな。


「……ロア?」


辺りを見回すがロアの姿は無い。

明かりを付けようと壁に手を這わすが暗くて見つからない。

困っているとベッドの方に誰か立っていた。


「ロア!」


見えない足元に注意しながら近付こうとすると、


「なんで……来たんだ」

「……えっ?」

「どうして来た!? 俺はもう、考えたくないのに……」


また、考えたくないと言うロアを見上げる。

夕方の時よりも酷い顔だった。

あの時も眼が虚ろだと思ったが、さらに空虚な瞳になってしまっている。


「わたしの居場所はロアの隣だから」

「俺でなくても良いんだろ……俺でなくてもミツキを助ける事は出来る……」

「それは、そうかもしれないけど……わたしはロアの事が好きだから」

「この世界で最初に会ったのが俺だったからだろう……ミツキは本当に、俺が好きなのか? 最初に助けてくれた人物を好きになっただけじゃないのか?」

「何が言いたいの……わたしの気持ちを疑ってるの?」


助けてもらったから、異世界に来て一番長く一緒にいるから。

確かに理由の一つだけど、だからって……誰でも良い訳ないのに。


「違う奴だって良かったはずだ。現にお前は異世界から来た。俺と接点があるはずの無い人間だ」

「確かに他の世界から来たよ! でも! 今はここにいる! ロアの眼の前に居る!」

「今はここにいても明日は? 明後日は? 一ヶ月後は? 半年後は? 怖いんだ! 恐ろしいんだ! いつかミツキを失う事が不安でたまらないんだ!」


驚いた顔をすると、声を荒げたロアが後悔したように両手で顔を覆う。

いつかわたしが居なくなってしまうかもと考えるのがつらいのかな……

近付いてロアの眼の前に立った。

顔を覆ったまま動かないロアの胸に抱き着く。


「先の事は誰にも分からないよ……わたしだってロアがいつかわたしの事を嫌いになちゃったらどうしようって思うよ」

「そんなことありえない……ぜったいにありえない……」

「だからわたしは……ロアに好きでいてもらえるように努力するようにしてるんだよ?」


そこでようやくロアが顔を出した。

至近距離で見上げて、微笑む。


「わたしは普通の人間だから。でも普通じゃないロアの事が好きだから。ねえ、どうしたら不安にならないですむの? 教えて?」


一緒に考えて不安を取り除いてあげるから……今の気持ちを教えて欲しい。

いつもの明るいロアに戻って欲しいから。


「……俺は………」


長い長い沈黙の後、ロアが語り始める。


「本当は……お前の……ミツキの……そばに居る、資格なんてないんだ……」

「……どうして?」

「俺は、お前が帰れなければいいと、何度も……何度も……」


背に回していた手でロアの服をぎゅうと掴んだ。

家に帰る事を一番手伝ってくれたロアが、一番帰る事を望んでいなかった。

カナトラで初めて押し倒された日に気が付いていた事だった。


「帰れないと聞いて、誰よりも喜んだ……顔に出さないようにするのが大変だったんだ……」

「ロアが助けてくれなかったら、帰れない事を知らずにこの世界で生きて行く事になったかもしれないんだよ。わたしはそう思うようにしてる」

「俺はお前に嫌われるのが怖かった。離れて行ってしまう事が恐ろしかった」

「ロアを嫌いになったりしないよ」

「俺はお前の不幸を喜んだ! 家に帰れなくて泣いているミツキに、良かったこれでここに居てくれるって安心したんだ!」

「……」

「なあ、今お前に俺はどう見えるんだ? 幻滅しただろう、嫌いになっただろう……でも、これが俺だ……隠した気持ちの罪悪感に押しつぶされた、弱い男なんだ……」


とっさに言葉が出なかった。

帰れなかったと泣いているわたしのそばで、ロアは喜んでいた。

その事に軽くショックを受ける。けど、そう思うのはきっと普通の事だ。


「幻滅も嫌いにもならない。だって逆の立場だったら、わたしだってそう思う。ロアが帰れなくて良かったって思うよ」

「でも俺は……お前のそばに居る資格がない……」

「資格なんかいらない、なんにもいらない。ロアがロアであるなら……必要ない」


ロアの頬に爪先で立って口付けた。久しぶりのキスは涙の味がした。

ずっと抱き着いているけど、抱き返してはくれない。寂しい気持ちになった。


「……どうして部屋に入れてくれたの? ナタリアさんは入れてあげなかったのに」

「それは……」

「本当はわたしに逢いたかったんでしょ?」


ロアは何も言わずに虚ろな瞳をわたしに向ける。

肯定と取っていいだろう。


「嫌われたくないなんて言って、嫌われるような事を言うのはどうして?」

「……ミツキには他にふさわしい奴が居る気がしたんだ」

「居ないよそんなの。ねえ、もしも……わたしが他の人と恋人になってたら、ロアはどうするの?」


ロアの目尻が上がった。

怒りの感情はあるみたいで安心した。


「嫌でしょ?」

「……嫌だ」

「怒ったロアはその人をどうするの? 剣で脅したりする?」

「分からない……やるかもしれない……」


いつもの回答が帰って来て安心した。

ロアが溜息を吐いてごめんと言ってわたしから離れる。

力無くベッドに座ったのでいつもどおり隣に座った。


「悪夢を見るんだ……ミツキが家に帰ってしまう……有り得たかもしれない、そんな夢を……」


ロアの手を握って、眼を合わせた。

虚ろの中に、怯えが見えた。


「夢を見るたび、ミツキの不幸を喜んだ。良かった、夢だった……って」

「逆の立場だったらわたしもそう思うよ。だから、自分を責めないで」

「こんな俺でもいいのか? お前の不幸を喜ぶ、最低な男と……」

「ロアは最低なんかじゃない! わたしは最低な人と恋人になったんじゃない! そんなを言うのはやめて……悲しいよ……」


眼に涙をにじませると、ロアがうろたえた。


「わたしを助けてくれたのはロアでしょう? 最初に助けてくれたのもロアだよ。家に帰そうとしてくれたのもロアで、結果的に色んな人の手助けを借りたけど、借りられたのはロアのお陰でしょ? 結末は残念だったけど……後悔は無い。わたしが生きていく世界はここだって分かったから。不安はあったよ、でもロアが居てくれたら大丈夫って今でも思ってる」

「俺が、そばにいれば……?」

「わたしの居場所はここだよ。離れてって言ったって、絶対離れないんだから」


腕を組んでロアを見上げる。

まだ無表情だったけど、眼に光を宿しつつある。


「許してくれるのか……?」

「許さないよ。だって許す必要が無いもの。何を許したらいいのか分からないもの」

「怒ってない?」

「心配をかけた事には怒ってるよ。みんなロアの事を心配してる。だから早く元気になって、いつもみたいに笑って」

「………」

「ほら」


両手で頬に触れて親指で無理矢理口角を上げさせた。

歪な笑顔だったけど、今はそれで十分だった。


「今回の事は、ごめん……何も言わずにここを離れたりして」

「……ああ」

「ロアの性格を考えたら森を壊しちゃうのも仕方ないよね。ちゃんと分かってるよ」

「ミツキ……」

「ん~?」

「ありがとう……気持ちが晴れたよ」


もう一度笑顔でロアを見上げた。

まだ傷心中のようだったが、大丈夫そうだ。


「人間なんだから、いろいろ考えてへこんじゃう事ぐらいあるよ」

「………」

「あ、でもナタリアさんには謝ってね? すっごく心配してたから」

「……分かった」

「寝よう? もう遅いし、ね?」


ベッドに潜り込んだ時に、外着だった事に気が付いた。

寝る用の服……と思ったが、今はまだロアと離れたくなかった。

まあいいか、今日ぐらい。と仰向けに横になろうとした時、ロアに腕を掴まれた。


「……ロア?」

「………」

「どうしたの? 寝ないの?」


じぃ、と見つめてくるロアの顔を覗き込む。

先程と変わらない無表情。唯一変わったのは、眼、だった。

慌てながら声をかける。


「あっ、あの……」

「……欲しい」

「ぇっ? なに? 何が?」


その眼は、いつもわたしを襲う時の眼だった。

何が欲しいかなんて、聞かなくても十分に理解してます……


「い、言わなくて良い……ごめん」

「……駄目か?」

「駄目って言うか、まだ早い気がして……」

「ミツキと繋がりができれば安心できると思ったんだ……」


繋がりって……つながるって事? そうとしか思えない。

かあ、と頭に血が上る。


「心も体も繋がりがあれば、もう不安になる事なんて無いと思ったんだ……」

「………」

「いいんだ、ごめん……忘れてくれ」


腕を掴んでいたロアの手が離れていく。

とっさにその腕を掴み返した。まさかの反応にロアは首を傾げた。


「あ……あのっ!」

「……?」

「しっ……したい、の……?」


何度か瞬きをした後頷いたロアの姿を見て、さらに顔を赤くする。


「したら、不安になる事は無いの?」

「うん……ずっとミツキが自分のものになっていないって思うと不安に……」

「体も欲しいって事!?」

「……体に限らず、ミツキならなんでも欲しい……正直、隣でただ寝てるだけはつらい……」


隣で寝てるだけはつらかったのか……それは可哀想な事をした……

ロアがわたしの腕を再び掴み、ずいずい近付く。


「駄目か?」


わたしの顔、これ以上赤くならないんじゃないだろうか。

真剣なロアの顔を見ていられなくて視線を彷徨わせる。

ハッキリ言う。心の準備も何も無い。


「わっ、わたし初めてで」

「初めてじゃなかったらお前の世界に行って相手を壊してくるよ」

「こ、こわい……そんなこと言わないで」

「じゃあ言わせるなよ」

「だってっ……やりかたわかんなくって」


正直、混乱している。

保健体育の知識しかないのに、いきなり実践?

どうしたら良いのかさっぱりだ。


「俺が知ってるから……ただ身を任せてくれればいい」


ロアの腕がわたしを包み込んだ。額にキスされて、体温と脈拍が上がる。

完全に思考停止していると着ていたワンピースの裾をロアが持ち上げようとする。


「まっ、待って!」

「……嫌か?」


拒否されてしゅんとなるロアを一瞬可愛いと思ってしまった。


「嫌じゃないよ。その……決心がつかなくて……」

「ごめんな……これ以上、我慢できそうもないんだ……」


ロアの眼がいつも以上にぎらついている。

我慢できないのか……今まで我慢して来たんだもんね……

答えは一つしかないのに、それでもグルグル考えていると顎を掴まれて強引に唇を重ねた。


「ん、ぅ………っ!」


入って来た舌から多量の魔力が流れ込んできた。

いつもより量が多いっ……体の力が抜ける……

キスしたまま押し倒されて、ああもう決心するしかないんだなと思い始めた。


「ミツキ」


暗い部屋の中、自分の唇を舐めるロアを見上げる。


「していい?」


溶け始めた脳で必死に考える。

返答は一つしかなかった。


「……いいよ」


ロアが今日、初めて自分で笑った。

今まで見て来た中で、一番の笑顔だった。


「ありがとう」


わたしはその日、大人になった。

痛いって聞いていて戦々恐々としていたけれど、そこまででは無かった。

ロアと言う大きな波に呑まれて流されてまだ引き戻された。

不安しかなかった行為だったけれど、ロアがずっと優しくしてくれた。

終わってみると、今まで恐怖を抱いていた事が馬鹿らしく思えた。

ロアは一度だけでは満足できなくて何度か繰り返した。

回数を数えていたけれど、最後の方は数える事すら出来ない程疲弊した。

全部が終わって、緩慢な動きでロアの顔を見遣った。

疲れた顔、でも満足そうな表情だった。

良かったロアが元気になって。

最後にきつく抱きしめられてロアが安心したように息を吐いた。

わたしは疲れた体をロアに委ねて、睡魔に身を任せた。


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