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それぞれの夜


夜、ワイドナ家にて客室を案内されベットに座り込んだ。

少し前まで美しい夕陽が零れていたのに外は土砂降りの雨だ。

お風呂はグラスバルト程豪華では無かったが現実世界の一般的なお風呂より立派だった。

貴族は湯船につかるのが普通なのだろうか。


「ミツキ! 遊びに来たわ!」


程なくしてミレイラが部屋に遊びに来てくれた。

外はすでに真っ暗だったが、全く眠くない。


「そうだ、ライトさんは帰って来た?」

「少し前に帰って来たみたいだわ」

「揺れの原因は分かったの?」

「う~ん……問題ないって言ってたわ。原因は分からずじまいね」


原因分からなかったのか。問題ないなら大丈夫かな。

あれが前震で本震が後から来るなんて……異世界には無いか。


「そんなことより! ミツキも学校に通っていたのよね?」

「うん。ミレイラが着ていた制服、あれと似たような物を着てたよ」

「まあ! 似たような物を? 結構高いのよ? 制服を着るのが一種のステータスなの」


制服は値の張る物のようだ。

貴族でもない限り買えないものなのかな。

ミレイラの通っている女学園って、試験があったりするものなんだろうか?

聞くと、試験はあるけど家格の方を重視するから学力試験の方はおざなりらしい。

う~ん、やっぱり貴族社会なんだなあ。


「ミツキは? 試験はあったの?」

「もちろん。学力試験、一本勝負!」


内申とかも少しはあったかもだけど、ほとんど学力試験だろう。

ミレイラが眼を輝かせた。


「学力勝負!? すごい! 素敵だわ!」

「えっ、素敵かな?」

「素敵! 素晴らしい事だわ! だって……」


家格を重要視するなんて曖昧な選定方法だから、裏口入学が後を絶たないらしい。

学園に子供を通わせる、通った事がステータスなので金を積んででも入学させ学園の風紀を乱す、と。


「裏口で入った方は馬鹿なのよ。頭が足りないと言うか……」

「へえ……」

「あのような方達と同じ時を過ごしたなどととても言えないわ!」


ミレイラはぷんすか怒っている。

何か嫌な事でもされたのだろうか……?


「ミレイラは勉強は出来る方なの?」

「もちろんよ! お母様に、はたかれながらやったもの!」


幼少期のミレイラは勉強に苦手意識があったものの、これではいけないと母であるイザベラ自ら教鞭を取り文字通りビシバシ教えたようだ。

我が家はそのあたりはゆるく、口煩く勉強しろとは言われた事は無いけど。


「わたしは、今でも苦手かなあ……」

「そうなの? 出来ないより出来ていた方が子供に胸を張れるってお母様が言っていたわ」


言いたい事は分かるけど、子供とか何年後の話?

そもそもわたしは結婚して子供を産むのだろうか?


「ミレイラはいつか結婚するの?」

「するわよ。ワイドナ家はいずれお兄様の物になるもの。わたくしは邪魔になるわ」

「子供を産んだり?」

「貴族に嫁げば子を産む事が義務になるわ。ミツキは子供を産みたいと思わないの?」

「……う~ん。よくわからないよ」


少し前まで普通の高校生だったし、そりゃあいつかは結婚して子供もとは思ってたけど……大人になってからでいいやって深く考えた事が無い。


「わたくし、初めてロア様にお会いしたのが7歳の時だったの。ロア様は10歳だったかしら」

「そうなんだ」

「とても生命力に満ち溢れていて、素敵でカッコイイ男の子だったわ。だから心配ししなくてもミツキから生まれてくる子も素敵な子に育つわ!」

「ん? えー……と?」


幼少期のロア……気になるけど、そうじゃなくて。

ロアが素敵な男の子だったからわたしが産む子も素敵なのだろう。


「わたしが産む子はロアに似てる……?」

「当たり前じゃない! 他に誰が産むって言うの!?」

「えっ、そんな気が早いよ」

「早くなんかないわ! こういうのは早い方が良いのよ!」

「ロアには候補がいっぱい居ると思うんだけど」


じと、と完全に座った眼でこちらを睨むミレイラ。


「ロア様はミツキ以外と子を残す気は無いわ」

「えっ!? そんな……分かるの?」

「分かるわ! ……従兄弟だもの。だから覚悟を決めた方が良い」


覚悟……自分とは程遠い気持ちのありよう。

今まで覚悟を持って行動した事なんて……無い。

ずっと周りに流されて生きてきた。大海に飲まれ浮かんで居れば上手く行くのだと思っていた。

ロアと恋人になった。わたしの気持ちはここで完全に止まってしまっている。

きっとロアや周りの人達はその先を見据えている。

結婚とかゆくゆくは子供とか……わたしが産んだ子供はロアの次の元帥になるから育て方はとか、教育はとか……きっと届いてないだけで屋敷の中で話はしているかもしれない。

まだ先の事だと覚悟も持たずにぽやっとしているのは、わたしだけなのかもしれない。


「ミツキ?」

「……あっ、あれ? ごめん、なんの話だったっけ?」

「きつい事を言ったかしら。だとしたらごめんなさい」

「ううん、ミレイラが正しいと思うよ……」


よく考えてみれば、高校生でも子供は産めるよね。

子供なんてずっと先の事だと思っていたけど、その……やる事すれば明日にでも妊娠は出来るはずで……

頬に熱が集まる。恥ずかしい! 保健体育の授業なんて教科書ななめ読みしかしてないよ!


「ミツキ? 大丈夫?」

「こっ子供ってどうやって作るの!?」

「へっ!?」


やばい! 余計な事を言った!

ミレイラも頬を赤らめている。ごめん! 本当にごめん!


「そっ、そう言う事は殿方に委ねれば良いってお母様が仰っていたわ……」

「………じゃあ……ロアが知ってる……?」

「ええ! きっと御存じだわ!」


ロアに丸投げだったが、わたしもミレイラもどうやって作るのかなんて知らなかった。

ロアは知ってるのか……大人だなあ……

その後、ミレイラとギクシャクしながら話をして、もう遅いからとお開きになった。

変に頭が騒いでなかなか寝付けなかった。




*****




自室から部屋の外を窺った。

すでに外は暗かったが、三つの月が綺麗に出ていてそこまで暗くなかった。


『……?』


庭に人影が見えて窓から外に出た。室内よりも澄んだ空気が胸一杯に入り込む。

その人物は背を向けて月を見上げていた。


『ミツキ』


名を呼ぶとミツキが振り向いた。


『ロア』


今まで見た事も無い満面の笑みだった。

痛いくらい心臓が跳ね、鼓動が早くなった。


『なにか良い事でもあったのか』

『ふふ、それがね』


ミツキはさらに笑みを深くする。

さっきから心臓が痛い。思わず胸を掴んだ。嫌な予感しかしなかった。


『家に帰れることになったの! 女神様が連れて行ってくれるんだよ!』

『……え?』


固まる俺に構わず笑顔のままミツキは続ける。


『お父さんとお母さんにやっと会えるの! だからね、ロア』


ミツキの苦労を知らない細い手首と白い指が俺の腕を掴む。

さっきから胸が苦しい。呼吸が止まる。


『今までありがとう、ロアが居なかったら帰る事が出来なかったよ』

『………』

『本当にありがとう』


するりとミツキの手が離れていく。

ミツキはずっと笑顔だった。表情からは喜びしか見て取れなかった。

俺の頭はまだ混乱していた。

こんな事……こんな事、望んで無かった。

ミツキを家に帰す予定なんて無かった。ずっとそばに置いておくつもりだった。


『ロアの事、ずっとずっと忘れないから』


背を向け月に向かって歩き始めたミツキに手を伸ばす。

けれど、臆病者の俺は触れる事も一言『いくな』とも言えない。

ミツキの幸せを壊す勇気も、俺が幸せにすると言い切る大胆さもない。

俺は怖かったんだ。

ミツキを失う以上に、嫌われる事が。

その結果、失う事になったとしても。


『ありがとう、さようなら』


ミツキの背中を見送った。最後まで声が出なかった。引き止める事が出来なかった。

『いくな』たったそれだけ言えれば結末は変わったのかも知れないのに、俺にはその勇気が無かった。

俺はミツキの幸せな思い出にしかなれなかった。

本当は帰したくなんてなかった。ずっとここにいればいいと思ってた。

ミツキにとって不幸だろうが、俺にとっては幸運だった。

そんな風に思うたび、自分の考えに嫌気がさした。

ミツキの不幸を願う俺は、きっとミツキに相応しくない。

だけど……離れられなかった。

愛してしまったから。


『いくな……どうして……』


ようやく声が出たのはミツキが帰ってしまった後だった。

震える声で、かすれた声で、ミツキの名を呼ぶ。

いつも笑顔で返事があったのに、もうこの世界にミツキは存在しない。


『俺にはもうミツキしか居ないのに、ミツキ』


その場に膝をついた。ミツキが去った方向をただ見つめる。

三つの月が嘲笑っているように見え、体から力が抜けた。


『女神……』


例え神であったとしても、ミツキを奪うのならば俺は……




殴られたような衝撃で眼が覚めた。


「……!」


部屋は明かりがついていたが、外は真っ暗で土砂降りの雨の音が聞こえた。

癖で隣に寝ているミツキを探した。


「……ああ……」


居ない。

そう言えば父が連れ出したのだった。

あの悪夢を見たのは初めてでは無かった。

ミツキが俺の手を離れ、風の村に行った時に初めて見た悪夢だった。

悪夢を見ても大丈夫だった。いつも隣でミツキが寝ていたから。

夢だった、本当は帰れなかったんだ、とミツキの不幸を何度喜んだか分からない。

ミツキ……どこに行ったんだ。


「……」


ゆっくりと上体を起こして部屋を見回した。

どうやら自室のようだ。父にやられた後、運ばれたのだろう。

無駄に手が痛くて様子を見ると、ミツキのペンダントが手中にあり握り絞めていた。

良かった、父から取り戻す事が出来て……父がペンダントを下げているなど、それこそ本当の悪夢だ。

それから手首に手錠がかかっていた。

試しに鎖を切ろうとしたが上手く力が入らない。まさか魔封錠か?

鎖はだいぶ長く日常生活に支障が無い程度だが……


「眼が覚めたのか」


体が強張った。天蓋付きのベッドの死角に父が居た。

完膚なきまでにやられた記憶が逃げろと訴えている。

父がベッドの脇に立ち、一度だけ溜息を落とした。


「現状は理解できたか? しばらくは大人しくしていろ」

「……俺は罪人扱いですか」

「罪人になってもいいと言ったのはお前が先だろう」


無言で手錠を眺めた。

手錠をかけた事はあってもかけられた事は無かった。

父はそれ以上は何も言わず部屋を出て行こうとする。


「お前はあまり部屋から出ない方がいい」

「何故です」

「カリスタと関係を持ちたくはないだろう? 今のお前は無力だ」


魔力が封じられているからカリスタに気を付けろって事だろうか。

あの様子から察すると今晩から何かしらアクションがあるかもしれない。

あいつに跨られるのだけは勘弁願いたい。


「あまりナタリアに心配をかけるな。分かったな」

「………はい」


父が部屋から出て行った。

この状況ではミツキを追う事は不可能だ。

追いかけたい、そばに居たい、叶わない。

諦めて部屋の戸締りをしっかりしてから明かりを落とし、再びベッドに寝転んだ。

不安な気持ちが膨らんであっという間に心を満たした。

ミツキ……本当に帰って来るんだよな……?

ミツキの事ばかり考えて、あまり眠れそうもない。

一度だけ息をゆっくり吐いた。




*****




カリスタは無理に腕を引くメイドに抵抗していた。


「イヤ! イヤよ!! 絶対にイヤ!!!」

「……お嬢様」


うずくまるカリスタを冷ややかな瞳で見下ろす三人のメイド。

カリスタは今まで生きてきた中で一番怯えていた。


「今日が吉日なのです。のがす事になれば今までの苦労が水の泡でございます」

「あんたの事なんて知らない! 無理! 行けるはずないじゃない!!」


カリスタの怯えの原因はロアであった。


「あんなっ、森を簡単に壊す人間と同じ空間に居られない! いつ殺されてしまうか分からないじゃないの!!」

「……ロア様は大変聡明な方です。カリスタ様に手を上げる事などございません」

「嘘よ! 壊す事にためらいが無い人間なんて頭がおかしいんだわ!」


メイドは溜息をかみ殺した。

メイドから見れば頭がおかしいのはカリスタの方であった。

ヘルコヴァーラ家にずいぶんと甘やかされて育った彼女は世界は自分の為にあると勝手に思い込んでいる。

馬鹿な方が扱いやすいと考え今回送り込んだのはカリスタであったが……生への執着だけはあるらしい。

この娘は思い込むと間違っていたとしても考えを正そうとはしない。


「此度の事はヘルコヴァーラ……ひいてはティレット家の切望なのですよ」

「あんな化け物みたいな人間と交われと言うの!?」

「最高位魔力保持者はあの程度普通でございます」


カリスタは決して首を縦に振らない。

メイドはカリスタの言いたい事は十分に理解していた。

森をいとも簡単に破壊できる人間に恐怖心を持たない方が異常だ。

しかもその化け物と性行為して来いと言われれば、頑なになってしまう気持ちも理解できる。


「……分かりました、無理を承知でお願いいたしました、申し訳ありません」


恭しく頭を下げるとカリスタは眼に見えて安堵していた。


「さあ今晩は寝てしまいましょう……これを飲んでくださいませ」


ガラスのコップに水を注いだ物を手渡す。

カリスタは特に疑いもせず一気に飲み干した。

お前はティレット家に望まれ産まれた存在だと言うのに。

産まれた理由に反するとは何事か。


「馬鹿な娘だ」


眠り薬を溶かした水はカリスタと相性が良かったのだろう。

気絶に近い形で眠りに落ちた。

メイドは冷たい眼でカリスタを見下ろす。


「我々はティレット家のメイド……悪く思うなよ」


カリスタを担ぎ上げて廊下の様子を確認してから外へ出た。

廊下は明かりが落とされ、外は土砂降り。まともな光源は無い。

闇夜に眼を慣らしながら進んで行く。

音を立てず、巡回中のメイドを避けながらとうとう目的の部屋に辿り着いた。

ロア・グラスバルト。次代の元帥の部屋だ。

試しにゆっくりドアノブを回すが途中で止まる。案の定、鍵がかかっている。

ポケットから細い針金を取出し開錠を試みる。

他二人のメイドに周囲に気を配ってもらう。

たった一度でいい。体の関係さえ持たせてしまえば主の念願は叶う。

主の願いを叶える事が我々の使命。

やがて静かな音を立てて鍵が開いた。

ドアノブに手をかけたその時、


「おや? 御三方、どうなさいました?」


すぐそこに白髪の執事が明かりも持たずに立っていた。

じっとりとした汗がにじむ。

気配を全く感じなかった。


「そこはロア様のお部屋ですよ」

「……そうでしたか」

「どうかなさったのですか?」

「いえ、お嬢様の体調が良くないようで手ごろな部屋で休もうと」


カリスタは現在ぐっすり眠っている。

適当に誤魔化そうと嘘を並べるがこの執事に通用するだろうか。


「それは大変でございます。今すぐ医師を呼びましょう」

「それには及びません。部屋でお休みになれば良くなります」

「ですが……意識が無いように見えます。やはり医師に……」

「ご心配痛み入ります。部屋に戻りしばし様子を見ますのでこれで失礼させていただきます」


やはり駄目か。意識の無いカリスタを理由に我々から離れようとしない。

メイド達は仕方なくその場を後にした。


「………」


メイドの後ろ姿が完全に見えなくなってから執事は開錠された扉をノックする。


「ロア様、起きていらっしゃいますか?」


扉を開けるとロアが目の前に立っていた。

片手にナイフを持っている。


「起きている。はあ……起こされた、が正しい」

「相手はなりふり構っていられないのでしょう……ロア様の魔力が封じられているまたとない機会ですから」


ロアは現在魔力を全て封じられている為、大剣を満足に振れない。

身体強化魔法まで封じられている事が原因だ。


「見回りを強化しておきます。何かありましたらベルでお知らせくださいませ」

「ああ、分かった」


扉を閉めロアが施錠した事を確認した後、執事は一人ロゼの元へ向かった。

元帥の部屋は損傷が激しかったがすでに元通りに修理されている。

この家で窓が割れる椅子や机が壊れる事は日常茶飯事な為、予備が潤沢に置いてある。

元帥の部屋に入り、カリスタ側の動向を伝えると


「やはりそう来たか」

「一度でも関係さえ持ってしまえば……後はどうとでもなると思っているようです」

「はあ……仕方ない。念のため俺が隣の部屋で眠る事にする」

「旦那様自らですか?」

「その方が安全だろう。準備を頼む」


執事は再び廊下へ出た。

準備をする為、起きているメイドに声をかけねばならない。

つらく当たっても旦那様は息子が可愛いんですねえ……

執事は少しだけ顔をほころばせた。


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