ワイドナ家
大きな家に広い庭ばかりの敷地がずっと続いて行く。
貴族の住宅街を馬車は進んでいた。
ワイドナ家の別宅はこの先にあるのだろう。
「あの家だよ」
ライトが指差す方向に木造の大きな屋敷が見え始めた。
全体的な色は緑と白で統一されていて、とてもお洒落な佇まいだった。
比較にはならないけど、グラスバルト邸の五分の一ぐらいの大きさだ。
それでも家族で暮らしていくには大きすぎる家だった。
日本にあるわたしの家に比べたら……馬小屋より小さいとか言われそうだ。
家の周りには木が生えていて、森とは言えないが林があった。
馬車のまま敷地内に入った。
グラスバルトでは屋敷に辿り着くまで十数分かかっていたが、ワイドナ家はすぐだった。
家の玄関と思われる前で馬車が止まり、ライトの手を借りて降りた。
「わあ、何だか可愛らしい雰囲気のお家ですね」
近くで見るとお洒落で可愛らしい家だった。
女の子が一度は想像する夢に出てきそうな家。
「古くなってたから最近建て替えたんだ」
「へえ、誰の趣味……イザベラさんですか?」
「はは。うん、俺の意見なんて全く聞いてくれなかったよ」
この家に住むのは俺とルクスなのになあ、とライトがぼやいた。
イザベラは本宅にしか居ないってさっき言ってたよね……
今は一緒に居るミレイラは女学園卒業後は領地に帰るのだろうし……
「不満は無いのですか?」
「え? 俺は無いよ。ルクスはあるみたいだけど……」
「ああ……」
確かルクスはロアと同い年……女性趣味な家……嫌がりそうだ。
ライトの案内で屋敷の中に入った。中は日差しが遮られてひんやりしていた。
玄関は広い空間になっており、三階にある窓から夕陽が漏れている。
「ミレイラー! 帰って来てるんだろ! 出てきなさい!」
ミレイラはすでに学園から帰って来ていたのか。
そう言えば離れた場所にもう一台、馬車が止まっていた。
「何かご用ですの!? 用があるならご自分からいらして下さいませ!」
恐らく二階に自室があるのか、大きな声で返事があった。
ライトが溜息を吐いた。どうやらライトは娘に軽視されているようだ。
わたしはそんな事無かったけど、友達の中には父親を嫌ってる人も多かった。
ミレイラは父親を嫌っているのではないと思うのだけど。
「ごめん……父親としての威厳が無くて……」
「いつもこんな感じですか?」
「ずっと子供達には俺がグラスバルト出身だって言ってなくて……」
「えっ? どうしてですか?」
現在問題になっている保守派から子供を守るためにあえて言わなかったそうだ。
その為ライトは、子供達から平民出身で母であるイザベラに拾われた傭兵とか旅人だと思われていた。と言うか思うように仕向けていた。
自身の出身を明かした後も、子供達の対応が変わる事は無かったようだ。
「ミレイラー! 遊びに来たよー!」
ライトが呼んでも来ないので、ためしに呼んでみる。
しかし、返事は無い。わたしの事なんて忘れてしまっただろうか?
「ミレイラー!」
もう一度駄目元で呼ぶと、バタン! と扉が勢いよく開いた音が聞こえた。
慌てたようにバタバタと足音が近付いてくる。
二階の手すりから身を乗り出して玄関に居るわたしの姿を確認した。
「ミツキ! どうしたのこんなところに!」
花が咲くように笑みを浮かべるミレイラ。
良かった、忘れられては無いようだ。
ミレイラは軽やかな足取りで階段を下り、ニコニコしながら挨拶して来た。
「久しぶりね! 聞いたわ! 元の世界に帰れなかったって」
「……うん」
「わたくし友人としてミツキを支えて差し上げたいって思ったのよ。悩みがあったら何でも相談してくれて構わないわ! わたくし達はお友達ですもの!」
「うん、ありがとう」
次にミレイラはライトの方を見遣った。
「お父様ったら人が悪い。ミツキが来ているのならそうおっしゃれば良いものを」
「だから呼んだんだろう?」
「要件をきちんとおっしゃって下さい! お父様のような人が三番隊の隊長だなんて部下の方たちの苦労が垣間見えますわ!」
ライトは何も言わずに微笑んでいる。
今日もミレイラが元気で俺はとっても嬉しいよ、とでも言いそうな爽やかさのある笑みだ。
ミレイラが父親に対して辛口なのはいつもの事なのかもしれない。
「それより、どうしてミツキがここに? ロア様はいらっしゃいませんの?」
ミレイラの中でわたしとロアはセットなのだろう。きょろきょろと探し始めた。
取り敢えず現状を説明し、しばらく一緒に暮らす事になったと告げた。
「ええっと……つまり保守派が送り込んできた女に命を狙われてるから、しばらくミツキを預かるって事かしら?」
「うん、迷惑かけてごめんね」
「全く迷惑じゃないわ!」
ミレイラは完全に母親似だが、笑うと少しだけライトに似てる。
「友人とお泊りって一度やってみたかったの!」
ミレイラは魔力持っている事から友達とお泊りをした事が無いのか。
そもそも気の置ける友人が居なかった可能性もある。
わたしは子供の頃に何度かあるけど……小学生の頃だから記憶がおぼろげだ。
「わたくしの部屋にいらして! お茶をお出しするわ!」
「う、うん。ありがとう……あの、ライトさんは」
「お父様は適当に休むから気にしなくていいのよ! 女性だけで話しましょ! お連れの方もどうぞ」
お連れの方と言うのはセレナの事か。セレナが静かに頭を下げた。
冷遇されているライトの方を見ると、手を振っていってらっしゃいと笑顔で呟いていた。
何故だか悲しい気持ちになって来た。
ライトと別れ、ミレイラの後を付いて二階へ。
「それにしても災難だったわね」
「上から鉢植えが落ちてきた時は本当にびっくりしたよ」
「わたくし、保守派ってあまり好きではないわ。考え方が一方的なのよ! お父様がグラスバルト家の当主にふさわしい訳ないじゃない!」
「で、でもライトさんはロゼさんの弟で……」
「ロゼ様とお父様じゃ月と沼亀よ! お母様に顎で使われる方がお似合いだわ!」
沼亀……月とすっぽんって事だろうか。
思わずライトを擁護してしまったが、ミレイラはライトが母であるイザベラに顎で使われている姿を何度も見ているようで、気持ちが変わる事は無いようだ。
前元帥であったロナントと見た目が全く同じなのに、わたしじゃ顎でなんて到底使えない。
「……どうしたの? 難しい顔して」
「あのね……父親をそんな風に言うのはあんまり良くないと思って……」
家庭に介入し過ぎだろうか?
父親に対して辛口な女の子なんて大勢いるだろうし……
でも……
「わたしはもう、お父さんに会えないから……」
辛口でも父親と話せるミレイラが少しだけ羨ましい、なんて……
ミレイラにもライトにも関係ないのに。
「……そうね、分かったわ!」
一つの扉の前で、ミレイラは足を開いて胸を張った。仁王立ちだ。
だがその顔はほんの少し赤い。
「本当は……恥ずかしいの」
「……えっ?」
「お父様はとっても素敵な殿方よ。今でも後妻を進められるぐらいだもの……産まれる順番が違っていたら元帥だったかもって、ちゃんと分かってるの」
ぽつぽつ話す内容をまとめると、どうやらミレイラは見目麗しい父親に軽い恋心があって、それは絶対に叶わないからあえてきつく当たって距離を置いているようだ。
「子供の頃、お父様と結婚したいって何度も言ったわ! 笑って誤魔化されたけど」
「初恋だったの?」
「そうよ! お父様の顔を見ると思い出して恥ずかしくなるの。悪い事だと分かっているのだけど……」
あれだけ綺麗な顔の人が父親だったら……恋をしても仕方ないのかな。
今は好きじゃない、思い出すと恥ずかしくなるだけだとミレイラが必死に説明する。
まあ、そう言う事にしておこうかな。
「今は好きな人居ないの?」
「……居ないわ」
ふい、と顔を背けるミレイラ。
その反応、絶対いる。
「えー! 誰? ねえ?」
「ち、ちがうわよ! まだ好きかどうか分からなくて……だってお父様と比べると全然……」
「ライトさんと比べたら駄目でしょ」
血筋も現在の地位も、ライトは何もかも完璧だ。比べたら可哀想だ。
恥ずかしそうにミレイラが部屋に入って行く。後を追いながら問いただすと、相手は騎士学校に通う一つ年上の人のようだ。
そう言えば、ミレイラが通っている女学園と騎士学校は姉妹校なんだよね。
ワイドナ家は騎士家系だから、ミレイラもそう言う人に惹かれるのかな。
「どんなところが好きなの?」
「べつに、好きじゃないわ! 成績優秀だし、誰にでも優しいし、わたくしを元帥の親戚として見ない所が素敵なだけで……」
「好きなんでしょ? 意地張らないでさー」
さっきからミレイラの顔が真っ赤だ。
ミレイラはロアみたいに一目惚れでは無いようで、普通の女の子と同じ恋愛をしている。
ミレイラは見た目もそうだけど、母親の血が強いのかもしれない。
部屋の壁に制服がかかっていた。
薄茶色のブレザーで、スカートはチェック柄で日本にもありそうなデザインだった。
「ミツキは!? 初恋どうだったの?」
「子供の頃だったから忘れちゃった」
少なくとも父親に恋をする事は無かったよ。
確か近所に住んでいた男の子だったけど、その子が引っ越しちゃってそれきりだった。
そう言うとミレイラが悲恋ねえと呟いていた。
「ロアには言わないでね」
「あらどうして?」
「ロアはね……とっても嫉妬深いから」
ミレイラが首を傾げている。ロアと嫉妬が結びつかないのかもしれない。
ソファーに座って二人で話し合った。セレナはたまに会話に参加した。
こんな風に気軽にお喋りするの、すごく久しぶりだ。
夕食が出来たとワイドナ家のメイドが呼びに来るまでミレイラとお喋りに興じた。




