陰謀
頭を悩ませながら、紙に文字を書いていく。
字はこうで……文法は……こっちを先に……
「ミツキ様、順番が違います」
「あ、こっちが先か」
また書き直しだ。紙をぐしゃぐしゃに丸めた。
ロアの誕生日から数日。何事もなく穏やかな日々を送っている。
セレナに教わっているこの世界の文字もあらかた覚える事が出来た。
書くのに慣れていなくて、子供みたいな文字だとセレナに言われたけど……
今日は試しにロアへ手紙を書いているが、何度も間違えて書き直している。書き終るのはいつになる事やら。
ロアへ
セレナさんから教わりつつ手紙を書いています。
上達する為なので付き合って下さい。
あと、一緒に
廊下に女性の怒鳴り声が響き渡った。
びっくりして手が止まる。セレナも眼をぱちくりさせている。
「………様子を見てきます」
セレナが部屋を出て行った。
ここに来てからこんな事無かったから首を傾げる。
手紙の続きを書く気になれず、セレナの後を追った。
玄関に数人のメイドと執事が困り果てた様子で女性の事を見ていた。
女性は20歳ぐらいで、この世界によくある茶色の髪に緑の瞳、それから派手な服装をしている。明らかに貴族だった。その後ろにはグラスバルトとは違った服装のメイドが三人。
「わたくしはきちんとした手続きを踏んで、この家にやって来たのです」
くっと顎を上げ、メイド達を下に見ながら話し始めた女性。
さっきの怒鳴り声はこの女性からだろう。
「眷属協議で決まった事です。当主のサインも入っています」
女性が一枚の紙を取り出した。
遠くからでは見えないが、グラスバルト家の執事とメイドが驚いている。
「何かの間違いでは」
「間違い? お前は誰に仕えているメイドなんだ! 当主のサインが分からないと言うのですか!?」
「しかし、このような事……ロナント様がお決めになるはずが」
「グラスバルトの未来を案じての事でしょう! 魔力属性を正し、血筋も正す。立派な方だわ!」
「……決議書をお借りできませんか?」
執事が言うと、女性はさっと紙を隠し睨んだ。
「とにかく! わたくしはロア・グラスバルトの婚約者として、花嫁修業に参りました! 議会で決まった事です! あなた方は拒否できません!」
女性がメイド達の脇をすり抜けて廊下を我が物顔で歩き始める。
一人のメイドが戸惑いながら付いて行こうとすると、
「付いてこないで下さいます?」
「しかし……お客様ですので……」
「わたくしはお客様ではありません! 婚約者です! 当主のサインも分からない人に世話されたくないわ」
女性と連れて来た三人のメイドがこっちに向かって歩いてくる。
突然の事に頭が追いつかない。ロアの婚約者? 議会で決まった事? 何が決まったって言うの?
立ち尽くしていると、女性がわたしの存在を認識した。
「やだ! 泥棒が入り込んでいるわ!」
泥棒? 辺りをきょろきょろと見回す。
「あんたの事よ! こんな汚らしい恰好で廊下を歩くなんて泥棒以外ありえないわ!」
汚い……確かに、旅で着ていた服だから薄汚れて入るけど……
そんな言い方ないんじゃないだろうか。ロアに買って貰った物なのに。
「これはロアから貰った物で……」
「ロア様を呼び捨てなどと不敬だわ! グラスバルト家は王家と遜色ない家柄だと言うのに……ロア様から頂いたなどと、有り得ない嘘まで! 許せないわ!」
「………」
一言話しただけで察した。話をしても無駄だ、何を言っても嘘だと言われるだろう。
女性もロアを呼び捨てにしている事から、わたしがロアの恋人なのだと瞬時に理解し、睨みつけてくる。
「ミツキ様!」
セレナが割って入った。
女性はまた顎を上げた。
「丁度良いわ、その女つまみ出して頂戴」
「この方は当家の大切なお客様です」
「目障りなのよ! 婚約者のわたくしとその女、どちらが大切か考え無くても分かるはずだわ!」
セレナと眼が合い、安心させるためか微笑んだ。
「いいえ、私は貴方様よりこの方が大切でございます」
「なっ、わたくしに刃向うと言うの!? 議会で決定された事柄に反する事は、眷属達を敵に回す事と同意義よ!」
「……現段階で、貴方様を坊ちゃまの婚約者として認められません。当家はロナント様の確認が取れるまで貴方様をお客様として扱います」
「わたくしは婚約者よ! 立場の弱いメイド風情が……その女共々追い出してもいいのよ!」
「私を追い出したいのなら、旦那様にご相談くださいませ。貴方様のご意見が通る事を心より祈っております」
営業スマイルを浮かべ、煽るセレナ。女性は怒りで顔が真っ赤だ。
何かを話し出す前に、セレナに手を引かれてその場を後にする。
「お前など絶対に辞めさせてやる! 惨たらしく刃向った事を悔いながら死ね!」
不安になってセレナの手を強く握った。
セレナはいつも通り微笑むだけだった。
「セレナさん……何がどうなっているのですか?」
「少々、厄介な事になりましたね……巻き込んでしまって申し訳ありません」
わたしの部屋に戻った後、セレナに事の顛末を聞く。
あの女性は、貴族なのは分かるけど……いきなりロアの婚約者だなんて……
「どこからお話すればいいか……」
セレナは少しだけ悩んでから、話し始めた。
「バルト家の長男……グラスの魔力属性を覚えていらっしゃいますか?」
昔の記憶を引っ張り出す。
長男は風、次男が火、三男が水、だったはず。
「その通りです。グラスバルト家はずっと風の魔力を継いで参りました」
「ずっと……? ロゼさんやロアは?」
「ロナント様の代まで風でした。属性が変わったのはロゼ様の代が初めてになります」
ロゼの魔力は母親であるレッドに似て産まれてきた。
長男である事から継ぐのはロゼに最初から決めていたが、眷属のいわゆる保守派が大反対。風の魔力を守っていくべきだと主張した。
幸か不幸はライトと言うロナントに良く似た次男がおり、ライトに継がせるべきだと保守派は騒いだ。
当初、ライトが絶対に継がないと宣言するまでは、ライトを当主にすべきとの声の方が大きかった。
「保守派の貴族は今でも旦那様……ロゼ様を当主と認めておりません。今でもロナント様が当主だと言い張ります」
「でも! ロゼさんが元帥の職を全うしているんじゃ」
「元帥としては認められています。当主としては認めていないのです」
元帥とは認められたけど、グラスバルト家の当主としては認めていない……?
元帥と当主は別物と考えなければいけないようで混乱する。
「保守派は何度もライト様に当家を継ぐよう懐柔しようとしましたが失敗し、ルクス様にも魔の手を伸ばしライト様の怒りを買いました」
「ルクスさんにも継ぐよう話が行ったって事ですか」
「……はい。ですがルクス様の意思は固く、生家であるワイドナ家を継ぐと宣言しております。保守派の思うとおりに事が運びませんでした」
グラスバルト家直系の風の魔力を持っている、ライトとルクスが継ぐ事を拒否した。
そこで保守派は作戦を変更した。
「女性の眼をご覧になりましたか」
「はい……緑で魔力を持ってますね」
「以前から予兆はあったのですが……」
保守派から幾度となくロアへ見合い絵が送られて来ていたそうだ。
いずれも風の魔力を持った女性のみ。
ロアと風魔力をを持った女性を婚姻させ、次世代の子の魔力を風に修正しようと試みているようだった。
「でも、子供は魔力が高い方に似るって……」
「女性側に魔力がある場合、ごく稀に女性と同じ属性になる事が確認されています……レッド様は例外です」
「それでも、そうなる事なんてほとんど……」
「これは想像ですが……」
保守派は自分達にとって操りやすい女性をロアの妻にし、その妻になった女とグラスバルト家の遠縁である風の最高位魔力保持者との間に子を作り、ロアの子と偽るつもりなのではないかと執拗に見合い絵を送ってくる際の対応からロナントやロゼは感じたそうだ。
「それでは直系の血が途絶えてしまうのでは……」
「ロア様の血にそれほどの価値が無いと判断したのかも知れません」
「そんな……直系で英雄の血も流れてるのに……保守派の人って、どのぐらい居るのですか」
「ほんの一握りです。ですが、権力や発言力のある貴族が多く、ロナント様が現在王都を離れ手を尽くしている原因でもあります」
「あの女性が持っていた……決議書……? には何が書いてあったのですか」
セレナが重たい溜息を吐いた。
話したくなさそうな表情を浮かべている。
「前置きをしておきます、そんな事はあり得ません、何かの間違いです。落ち着いて話を聞いてください」
決議書には、ロアへの婚姻の制限が書かれていた。
祖母と母、レッドとナタリアが平民である事を鑑みて、次にグラスバルトに入れる血は貴族でなければならない。
古くからグラスバルトは風の魔力を有する家である事から、血筋的にロアが継ぐのは仕方ないとしても、魔力属性を正す努力をする義務がある。
風の魔力を持った、カリスタ・ヘルコヴァーラ・ハルトメイヤとの婚姻を決定する。
婚儀は今年中に執り行う事。
……分かりやすく言うとこんな感じらしい。
そして決議書には、ロナントのサインが書かれていた。
普段ならば追い出してしまう所だが、ロナントのサインがあるとなれば話は別だ。
決議書の内容が有効である、何よりの証拠だからだ。
「ロナントさんが……どうして……」
「恐らく、サインは偽物でしょう。しかし決議に通ってしまった……こうなってしまうと大旦那様が書いていないと訴えても一度決まった事を覆すのに時間がかかります……そうなると一年以内に婚儀を行う、と言うのが足枷になります」
「決議って……眷属協議ですか? 保守派は一握りなのに、どうして決まってしまったの?」
「ここ最近、協議が行われたとは聞いておりません。保守派だけ集まって勝手に決めたのでしょう」
「一部の人だけ集まって、こんな重要な事を決めていいの!? おかしいよ!」
「決議書にはどうしてもグラスバルト家当主のサインが必要です。本当ならば旦那様のサインが必要なのです……ですので反故にできる可能性は十分に残っております」
保守派は前々から準備していたのだろう。
どうしてそこまで魔力属性が変わるのが嫌なのか分からない。
確かにずっとグラスバルトは風属性の家だったのかもしれない。
もう当主はロゼなのに、納得していないなんて……
ロナントが居ないタイミングを狙ったのは偽造である事を少しでも遅らせ、確実に思った相手と婚姻させるためだ。
それに、ロアに恋人が出来たと言う噂を聞いて焦って行動に移したのかもしれない。
セレナが言うには保守派は慎重に裏から行動する人物が多く、こんな穴だらけの作戦を決行するのにはそれなりの理由があるようだ。
「現在、旦那様に使いの者を行かせました。すぐに帰って来るやもしれません」
「ロナントさんとロアは……?」
「大旦那様には鳩を数匹飛ばしましたが……すぐに見つかるかどうか……坊ちゃまも連絡が行き次第帰って来ると思われます」
ロナントは高速であちこちを飛び回っている。
追いつくのは至難の業だ。
「ロア……」
事情は呑み込めた。
グラスバルトの眷属貴族の中でも保守派と言われる一握りの貴族が、当主は風属性でないとならないと声高に叫び、ロアの次の代から修正しようとしている。
本人の意思は全く尊重されないまま。
そんな事があっていいのか? わたしの常識ではありえない。
いくら貴族は政略結婚があるとはいえ、グラスバルトは恋多き家なのに……
もんもんと考えていると、無遠慮に扉が開いた。




