#003・5 『鳥篭の回想』
「カナリーというお名前なんですね」
彼は蒼いマントを纏っていた。
貴族風の装束を纏った青年だった。彼は自動人形だった。アンドロイドと言うらしい。
「貴方は……?」
「名前はラベリングによる標記しかないのです、数字の羅列なのですよ」
「そうなんですね」
「私は自分が無いんですよ。自分を構成している自我のようなものが存在しないわけです」
まるで、鏡を見せられているようにも思えた。
自分自身だって、そのようなものだ。
「貴方は私の事をもっと知りたいですか?」
カナリーには、何を答えていいか、分からなかった。
「私は貴方に死を伝えに来たのですよ」
「どういう、……事ですか?」
自動人形の男は、柔和に笑った。
「貴方の事では無いですよ。貴方のご両親の事です。彼らは私の主であるフルカネリ様の住居に踏み行った。探索を行った。それはいけません。主は人間世界との交流を経ち、主要な実験は主自身が創造した『エトランジェ』の中で行われていますから」
「フル…………?」
「けれども、偉大なる錬金術師であるフルカネリ様は、人間世界に御自身のお力を提供した者達を、何名も派遣したわけですね。次元の狭間に身を置く者なら、昔ながらの常套手段だとお聞きしています。自分の力を他人で使わせてみたい。そうすると、他者の人生を操作出来る喜びに駆られるのだそうです」
「…………何を、何を言っているのか、分かりませんっ!」
「貴方のご両親は、フルカネリ様の力をお借りした者達を、何名か殺害しました。それまでは良かったのですが。フルカネリ様の住居に侵入して、その場所を荒らし、あろうことか、フルカネリ様の正体を深く知ろうとしたのですよ。とても許されるべき事ではありません」
そう言うと、青年は、その場から去っていった。
カナリーの住む家は、山の中に包まれた場所だった。
此処からは、美しい街の灯が見えた。
まるで、人々を遠ざけるように建てられた家だった。
森や岩々といった、大自然に包まれた場所だった。
†
その夜、カナリーの住む屋敷は炎によって包まれた。
空から流星のように、そいつは降ってきた。
屋敷の屋根を四つの脚で砕いていた。
図鑑でしか見た事の無い姿をしていた。
そいつは、巨大なカメレオンだった。
それは獰猛そうで、そしてとてつもなく狡猾そうな瞳をしていた。
カナリーは、自動人形の青年から、その時刻に、家から離れるように言われた。従う事になった。
見る見るうちに、家が燃え上がっていく。
父と母が、家の外に飛び出してきた。
二人共、異様な瞳をしていた。……今にして思うと、あれは闘う者の眼だったのだろう。
<我が名はダウンナンバー。お前達を始末しに来た。理由が分かるよなぁ?>
しゅるしゅる、と、その怪物は舌を伸ばし、出し入れを繰り返していく。
「お前の主が遥か昔から生きている邪悪な存在である事は分かっているわ」
母親は、杖を手にしていた。
「お前の主に言っておいて、焼いた家、弁償しろって」
父の方は、両手を揺らめかせていく。
母の方も、強い視線で怪物を射抜いていた。
<俺は強いぜぇ。何百年もの間、フルカネリ様の次元要塞の門番と、始末屋をやってきた生体兵器だからなぁ。お前達じゃぁ、この俺に勝てねぇなぁあぁ>
母が杖を振るう。
すると、燃え上がっていた炎が、木の枝によってかき消されていく。どうやらそれは巨大な樹木へと成長していっているみたいだった。屋敷の中から生えている。
樹木は、カメレオンを包み込もうとしていた。
突如。
カメレオンの姿が、視界から消え去る。
その姿が現すように、透明化を行ったのだろう。
突然。
母の全身が、いきなり発火を始めた。
同時に、あらゆる場所が燃えていく。
どうやら、見えない火の玉をまき散らしているみたいだった。
だが。
母の全身から、炎が消え去っていく。
「ダウンナンバーって言ったか? この俺は大気を操る事が出来る。もう一度やってきてみろ」
父は小石をいくつも投げ飛ばす。すると、小石が周囲一帯を、くるくると、激しい速度で回っていた。
チュンチュン、と、金属音のようなものが、何も無い空間で放っていた。
ベギュリ、と、まるで硬いゴムでも破けるような音が響く。
カメレオンが姿を現す。
<やるじゃねぇかぁ。どうやら、雑魚では無さそうだなぁ、おもしれよ、ああ、おもしれぇ、なぁあああぁああぁ>
カメレオンの皮膚の一部から、血が滴り落ちているみたいだった。
キヅタの刃が、この爬虫類へ向かっていく。
カメレオンは跳躍する。
そして、岩の一つに跨っていた。
<思い知れぇ、何者もこの俺の空間を逃れる事が出来ないってなぁ>
怪物は叫ぶ。
<『フェーズ・ダウン』>
ダウンナンバーの声は響く。
辺り一帯の空間自体が、まるで蜃気楼のように茫漠としていく。
カナリーには分かった、きっと、この辺りは別の異世界にされてしまったのだと。
そういう力を振るったのだろう、と。
父と母、二つの力を持つ者達は、驚きを隠せないみたいだった。カナリーもそうだった。二人共、自身の動きが鈍っているに、混乱しているみたいだった。
瞬く間に。
二人共、全身が炎によって包まれる。
カナリーは両親が黒焦げになっていく姿を、まじまじと凝視していた。
とてつもなく酷い臭気が、カナリーの鼻へと入ってきた。肉の焼ける臭い、こびり付いて離れない。
カメレオンは、口から火炎を放射していく。
辺り一帯が、炎によって包まれていく。
炎は、カナリーの近くまで這い寄ってきていた。この時、確かに死の恐怖を感じた。生まれて感じるものだった。後に、トラウマとして克明に刻み込まれてしまう程に。それは心臓を喰い破るようなもので、とても暗く重いものだった。
炎がカナリーの周辺にも来ていた。
動けない。
彼女の両足が炎に包まれていく。カナリーは思わず悲鳴を漏らしていた。
カメレオンは、彼女が隠れている事に気付いたみたいだった。
そして、加虐的な視線を送る。
<情報によれば、娘がいたんだよなぁ。お前かあぁ?>
カメレオンは舌舐めずりをしていた。
<始末しないとなあぁ。血統も根絶やしにしてなぁ>
怪物は口腔から炎を放つ。
その炎の量は、彼女を焼き殺すのに、充分な程のものだった。
カナリーは、何者かによって抱き締められていた。
それは、自動人形の青年だった。彼は背中を炎で焼かれていた。
背中の傷は酷い……、助からないだろう。
「貴方は……」
「終始見ていました。何故、私がこんな事をしているのか分かりません」
「こんな事していいの…………?」
「駄目でしょうね。どちらにしても、私は任務が終わった為に、用済みとして廃棄処分される運命にありました。もしかすると、私は貴方の命を救う為に生まれてきたのかもしれません」
「貴方の、名前を聞かせて。名前、あるんでしょう?」
「DY-77000009-2234JD。それが僕に与えられた名でした。それ以上でもそれ以下でも無いのです」
青年の身体は崩れ去っていく。
<余計な事をぉおぉ。まあいい。この小娘は……>
カナリーは、咄嗟に近くにあったもので、カメレオンの攻撃を防ごうとしていた。どうやら、それはランプみたいだった。割れたランプだ。
それは、鳥篭の形に似ていた。
自動人形の青年が持っていたものなのだろう。ランプの灯を消して、隠れていたみたいだった。
突然、カメレオンの全身が発火していた。
<おいぃ、これ俺様の力だろ。お前、何をした? 俺様もノロくなってやがる。どういう事だあぁ? これも俺様の力だろぉ。ふざけんなぁ、おいぃぃぃ>
割れたランプを、カナリーは必死で握り締めて、カメレオンへと向けていた。
<まあいいぃ。生かしておいてやる。小娘が興味深かった場合、始末するなっても言われているからなぁ。お前の事は見ていてやるよぉ。成人くらいまでなあ、楽しみにしてやるよぉ。てめぇが、大人になってから、もう一度、てめぇの面を拝みに行ってやるぅ>
……その後、何か閃光のようなものが見えた気がする。
カナリーは、呆然自失のまま、しばらくこの場を動けなかった。
その後、……記憶が途切れてしまっている。
家のあった山は、一夜にして、焼け野原になっていた。
何もかもを奪われてしまった気持ちだった。
カナリーが成人して、一年目を迎えた。
あのカメレオンは、未だに姿を現さない……。




