馴染みすぎの日常
きっかけは些細なことである。けれど、それは積もり積もった罪であり、どこかで積極的に清算すべき事柄であったものが地雷のような形で…そう、爆発したようなものである。
それこそ取るに足らない日常風景ではあるが、俺は何故か早起きした。三人が仲良くなり、夜を徹して話でもするようなることが多くなったようで、不貞腐れる様にして早寝する日が多くあった。
「おはようございます真一さん」
しかしそれでも朝早く起き、味噌汁をかき回しながらこちらに笑顔を向けてくれる霞さんに対し、感心だなとか少し悔しいような心地を感じる前に幸せとはこういうものを言うのだなとしばし呆然とした。
母さんがあら珍しいわねというのとは対照的に、霞さんは日常にほんの少し彩を加えるように鼻歌を始める。
「ぬ? 珍しいこともあるものだな」
がちゃりと後ろから訪れたのは明日香だった。
「明日香ちゃんゴミ出しいつもありがとう」
「いや、日々の修練のついででしかなく心苦しく思うのだが」
見ると動きやすいパンツスタイルの明日香は少しばかり顔を紅潮させ、髪は汗でしっとりと濡れていた。
聞くと、明日香は毎日、修練の一環でランニングに出かけると同時にゴミを持っていくそうだ。
どうやら知らない間に、この二人はよほどに日常に溶け込んでいるようだった。
さて、となるとどうにも手持無沙汰な俺としては何とも居心地が悪い。
「今さらだな」
「まあそうなんだろうけどな」
「…それでしたら愛希さんを起こしに行ってあげてください」
と、霞さんが提案してきた。しかし、愛希を起こしたことが無く、朝の布団との攻防の苦難を知る俺としては、いささか余計なお世話ではないか、と思うのだ。
「いえ。実は愛希さんはいつもこのくらいの時間になると朝の星座占いを見るのがご日課のようなのですが、どうやら今日は少し寝坊しているようで」
そうなのか。というかよく見てるのだな霞さんは。頭が下がる思いだ。
さて、気を取り直し、今日は俺が起こしてやろうという決意でもって一応ドアをノックする。よし返事はない。
そして、俺はドアを開けた。
「「…え?」」
どうしてこうなったと響いた声は重なる。
結論から言うと、愛希は起きていた。そして、着替えの真っ最中だった。既にパジャマの上も下もベッドの上に置かれて、制服に腕を通そうとしている場面である。つまりは、一瞬、裸と見紛うばかりの薄ピンクで揃えているブラとパンツを真正面から俺の目は捉えている。
「わるかった。すぐにでる」
腕を通そうとしている反動か、もう片方のブラの肩紐がずれそうであったり、寝相か何かで下がりそうなパンツに、俺ははっきり言うと見惚れていた。
が、それでも俺は中々に紳士的な対応が出来たのではないかと思う。時間にして数秒ですぐさま扉で遮断することを決め、実行した。
「バ…バババババ…バカ兄貴ィいいいいいい!!!」
そして、そのすぐ後…とは言わずじっくり十秒ほど経った後、愛希はただそれだけ叫んだ。
さて、これがきっかけと言えばきっかけである。後の話になるが、この出来事が、愛希にとある疑念を抱かせることになるのである。
「バカ兄貴」
その夜のことである。深夜、自室で寛いでいるとノックも無しに愛希が訪ねてきた。
「ん? 愛希かどうかしたか」
「べっつにー」
愛希は俺のベッドに思い切り寝そべった。
風呂上りなのか髪はしっとりと濡れ、上気した肌に相応しく妙に薄着でTシャツ一枚だった。というか俺のTシャツだった。
その上で、愛希は無防備に形のいい尻を俺に向けるようにして、足をバタバタさせる。表情は窺い知ることは出来ない。
愛希は俺に断わることも無く、本棚にある漫画を手に取った。
「愛希」
「んー?」
「パンツ見えてるぞ」
「……」
その後、俺も漫画を本棚に手を伸ばし
「おいごらぁあああああ!!!!」
怒鳴られた。
「近所迷惑になるから止めような?」
「分かった! はっきり分かった! バカ兄貴! バカ兄貴は私のことどう思ってるの!?」
おかしい。いつもならどこかで詰まるような質問をすらりとぶつけてきた。
いや、それだけ切羽詰まっての事態なのであろう。
「どうって…大切に想っているぞ」
「馴染みすぎ! 大体、女の子がこんな格好して深夜に訪れて無防備にしてたら襲っちゃうのが普通なんじゃないの!?」
「……もしかしてと思うが、わざとなのか?」
「わ、わざとじゃなくてこんなことするか! ちゃんと見てもいいパンツ履いてきたんだから!」
さて、それはどういう意味だと聞くことは出来なかった。
「いや待てそれにしたっておかしいだろう。俺はお前がそれくらい自然に姿をさらすくらいに信頼してくれてるとそう考え、内心感動していたくらいだぞ。その信頼を裏切らないようにしよう、というのは当たり前のことだろう」
少なくとも一般論ではないと思う。そして、俺達の関係からしても、どこかおかしいのだ。
愛希は黙る。しかし、その目は力を失っておらず、俺を睨みつける。
「…ホントにそれだけ?」
そして恨みがましく、ぽつりと呟く。
「要領が掴めないな。お前も知っての通り、俺は少し鈍いところがある。俺の流儀を押し付けるようで悪いが、はっきりと言ってくれると助かる」
「…私はさ。バカ兄貴の妹なわけじゃない? バカ兄貴はバカ兄貴で、私のことを…うん大切に想ってくれてるのは…愛してくれてるのは分かってるの」
けれど、と愛希は少しずつ続ける。
「不安なの。バカ兄貴は、私を家族としてしか想わないようになるんじゃないかって…私は、さバカ兄貴。バカ兄貴と、恋がしたいの。
うん。きっとバカ兄貴も間違ってないと思う。それ位は分かってあげられるようになった。
けど、私はさ。触れ合って、ドキドキしたりさ。今のバカ兄貴との関係とはきっと何もかもが違うそんな何かが、今は欲しい。後退したっていい。気まずくなったっていい。ただ…今のままじゃダメって…そう思うようになったの……それに、このままだと私も……」
消え入りそうな最後の呟きは聞き取れもしないものの、愛希の願いは俺を打ちのめした。
俺は、愛希は愛希として大事に持っている。それに揺るぎはなかった。それでいいと思っていた。
けれど、愛希はそれは違うと言う。たとえ傷つこうとも、変えたいとそう言った。
さて、俺はどうすればいい?




