1-28EP 旧王都と青い空
「快晴。本日も赤い光舞う、と」
調査用紙の最初の行に、日付と言葉を書き記す。
赤い光が降り始めてから今日で五日。ノアはひとりで旧王都で調査を行いながら、見晴らしのいい場所に家を建てて暮らしていた。
金色の目が印象的な黒い猫と共に。
静かな丘の上を歩き、森と、その向こうの城郭都市を眺める。その向こうの青い空も。
赤い光が舞い落ちるのも、あと数日のことだろう。魔素もかなり薄くなった。
この光のおかげで城郭都市の方はかなりの騒ぎになったようだが、領兵が冷静さと治安を保つようにしたため、暴動などは起きなかったらしい。侯爵領には本当に優秀な人材が揃っている。
近くにあった石の上に腰を下ろす。
吹き抜ける風が気持ちいい。黒猫はノアの足下で毛づくろいを始める。
瞼を下ろし、風と陽光を感じながら、深く息をする。
ひとりは気楽だ。
いつまでもひとりでいられる。
これは生来の気質、いや才能だ。
しかしそんな快適生活を荒らすものもいる。
「また来たの」
顔を上げると、いつの間にやってきたのかヴィクトルが目の前にいた。
昨日も来た。その前日も。そのまた前日も。
「領主って実は暇なの?」
「地位と名誉は武器だ。枷ではない」
「そうですか」
貴族として生まれ育ち、そう言い切れるのが羨ましい。
立ち上がり、調査の続きに戻る。歩き出したノアに、ヴィクトルはいつものようについてくる。
「ノア。私の家に戻ってこないか」
今日もまた、同じことを言ってくる。
「旧王都の調査はヴィクトルの依頼なんですけれど?」
「そちらはそろそろ本格的な調査隊を組む。ノアには別の仕事を頼みたい」
「別の仕事?」
いつもとは違う話題。思わず足を止めて振り返る。
青い瞳は、整った顔立ちは、いつもと違う真剣みを帯びていた。
「近々帝都にいかなければならない」
「いってらっしゃい」
「そこであなたに、婚約者の役を頼みたい」
「嫌です」
いずれ帝都に行くつもりはあるが、侯爵の、しかもヴィクトル・フローゼンの婚約者役として赴くなんて、冗談ではない。面倒ごとしかないのは目に見えている。
「そう言ってくれるな。そろそろ婚約者が必要な時期なんだ」
「あなたが口説けば大抵のご令嬢は頷くでしょう」
「いや、なかなかうまくいかないものだ」
楽しそう笑う。目はまっすぐにノアを見て。
「グロリア、この男を追っ払って!」
黒猫はニャアと一声鳴き、ヴィクトルの足下にすりすりと身体を寄せつける。吠えたり、噛みついたり、引っかいたりする様子は微塵もない。
「本当に言うこと聞かないんだから」
「猫が聞くわけないだろう」
「うん、そうね……」
ただの黒猫が命令を聞くわけがない。ただの黒猫が。
「普通の令嬢には婚約者の役は務まらない。あなたにしか頼めないことだ」
黒猫を抱き上げながら、ノアの目を見て言う。
「それだけ危険ってことね」
ため息をつく。
しかし確かに、普通の令嬢にこの男を任せるのも酷なことだ。
現世に血のしがらみもなく、天涯孤独で、年頃もちょうど良く、ある程度のマナーの基礎があり、緊急時には戦え、治療ができるノアの存在は、このような男には最適な人材なのだろう。
頭が痛い。
(これって下手したら一生逃れられないんじゃ?)
嫌な予感がする。そんなまさか。
本当にふさわしい相手が出てくるまでのことだろう。きっとそう遠くはない未来だ。
「難しい話は後にして、今夜は我が家であたたかな食事はどうだろう。ニールのつくった菓子もある」
「う……」
おいしいごはん、甘いお菓子、あたたかいお風呂、ミルクと砂糖のたっぷり入ったコーヒー。
どれも、ここでひとりでいては味わえないもの。
甘い誘惑は強烈で、身体がそれを欲してしまう。抗えない。
「それじゃあ、今日はご一緒させてもらえるかしら」
第一章完
こちらで第一章終了です。
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