【異界軍勢】
純岡シトは動けずにいた。
知識と精神力に卓越した転生者も、この現実ではただ一人の中学生に過ぎない。
異世界における決断力は【基本設定】のCスキルありきの力だ。この世界の彼ら自身が英雄の精神性を持っているわけではない。
「シト! 隕石が……」
少なくともタツヤの声が聞こえた時、シトは自分に何ができるかを知らなかった。
ドクター日下部は、承知の上だったのだろう。不敵な笑みを浮かべた。
「――当然、君はそうするだろう」
呟きは、眼前のシトに向けられたものではない。
数秒で都市全域を焼き滅ぼすと思われた巨大隕石は、上空数十mで停止していた。
一呼吸にも満たない静止。
だがその瞬間に巨大質量は微塵の賽の目に切断され、切断に続く恐るべき衝撃によって空の彼方に吹き飛ばされ、燃え尽きていく。
衝撃の余波でネオ国立異世界競技場の大窓が破砕する。逆向きの流星雨が異常極まる現象を物語っている。
割れた窓から降り立った細い影があった。
まったく体重を感じさせぬ動きで、彼女は片脚で着地した。
「……やはり、エル・ディレクス! 実に久しぶりだ! このループでは敵と交戦せず、ここに向かったというわけだな!」
「ドクター日下部。事情は、彼女から聞きましたか?」
「私を誰だと思っている。即座に理解したとも」
生身で巨大隕石を消滅せしめた彼女は、WRA会長にして異世界からの転生者、エル・ディレクス。スーツ姿の片手には、今しがたの惑星規模斬撃を繰り出した得物――清掃用のモップがある。
「最後かもしれませんので。まず、言っておきます」
呆気に取られる転生者の面々をよそに、この世界の異世界転生の黎明に携わった二人は会話を交わした。
「ドクター日下部。他の世界を犠牲にする君のアプローチは、我々WRAの理念とは決して相容れません。この世界の文明に異世界転生の定着が完全に為された以上、それを今になって覆す必要はないはずです」
「ならば、公式大会に我々の参入を許しているのは君の迷いと言えようなエル・ディレクス! 自覚なきままの搾取を無知な民衆に背負わせることが、異世界人の傲慢以外の何だというのか! これが真実、世界を滅ぼし得る遊戯と周知し……異世界転生の文化を終わらせなければならない! 異世界からのエネルギー回収は我々アンチクトンが担い、現状の極めて非効率的な回収体制は撤廃する。世界存続の試みは無秩序な遊戯ではなく、管理された事業として行うべきだ!」
「……」
「……」
両者は言葉を止めて、同時に空を仰いだ。
巨大隕石に引き続く、前兆なき滅びの災厄。無から生まれつつある黒雲が、不穏な青い稲妻を纏っている。
「……さて。外敵に対処するとしよう」
「ええ」
老科学者は端末を通じて人造転生者達に招集をかけ、一方でエルは清掃用モップを捨て、次なる【異界災厄】の発動に備えている。
残る中学生の中で、剣タツヤだけが最初に立ち直り、口を開くことができた。
「……待ってくれよ! いきなりこんな話して、シトにどうしろっていうんだ!? 俺達はただの中学生転生者なんだぜ!? いくら異世界転生で強くたって、そんなので世界が救えるわけないだろ……!?」
「救えます」
無手で雷雲の直下へと歩みながら、エルは答えた。
「私達の世界では、ドライブリンカーはただの文明教育の道具でした。現実とは関わりのない異世界で、自らの手で安全に文明を育て……それが世界救済へと繋がることを教える、体験型の教材。私は――この世界で、ドライブリンカーを異世界におけるCスキルの使い方を互いに切磋琢磨する『遊戯』として広めました」
「会長……! この世界は、やっぱりあんたが!」
「そうする必要がありました。ただの遊びであったからこそ、君達は誰よりも多く異世界に転生し、誰よりも広い組み合わせのCスキルを使いこなしてきました! 無限に存在する異世界の誰よりも……! 何十、何百と! この世界の子供達は皆、比類のない異世界転生の経験者です! 敵が強大な世界脅威だとしても……どれほどの、Cスキルの使い手だとしても!」
轟音が言葉を遮る。
巨大な落雷を、エルは同じく電光の速度の正拳で打ち消す。
降り注ぐ破滅から、エルは転生者を守っている。本来は内政型であろう彼女が、一世紀近くの年月を重ねて……まったく非効率に成長させた戦闘スキルは、そのためにあった。
一度ばかりではない。出力を上げて二度、三度と【異界災厄】が降り注ぐ中、WRA会長は死力を振り絞って全てを迎撃した。
会話のために、息継ぎのできる時間が短くなってきている。
「会長……」
「だから……! み、身勝手なお願いかもしれませんが……皆さんだけは、自分の世界のために戦ってください! わ……私は……! この世界を生きてしまったから! お母さん、お父さん……お婆ちゃん……君達のような友達だっていたのに、二度と、元の私のままで帰れなくなってしまった!」
それだけを告げて、さらに荒れ狂う破滅の海へと身を翻していく。
剣タツヤでは追いつくことができない。
「戦ってください! 自分自身のために!」
――エル・ディレクスが侵した禁忌は三つ。
この世界では筐体に表示すらされない、禁断のレギュレーション――『転生侵略』の世界に転生したこと。
その世界を攻略できると証明するために、ドライブリンカーの量産を可能とする【複製生産】のCメモリを持ち出したこと。
同世代の子供が誰一人攻略できなかった世界も、五つのメモリならば救えると考えたこと。
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エル・ディレクス IP6,249,962,303,610(-103,109,881,523) 冒険者ランクSSSSSSS
オープンスロット:【産業革命】【倫理革命】【超絶知識】
シークレットスロット:【複製生産】
ベーススロット:【運命拒絶】
保有スキル:〈核力発勁SSSSSS〉〈アカシック柳生SSSSS-〉〈完全構造SSSS+〉〈不滅細胞SSSSS+〉〈超並列思考SSSS〉〈分子欠陥知覚SSS〉〈予知SS〉〈トンネルエフェクトSSSS+〉〈完全言語SSS〉〈完全鑑定SS〉〈資産増殖SSSSS〉〈未来工学SS+〉〈未来物理学SS〉〈未来経済学SS〉〈絶対名声A+〉〈料理D〉他1968種
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「【世界解放】をこちらに渡せ、純岡シト!」
雷鳴、爆風、あるいは閃光の中で、ドクター日下部は叫んだ。
「――そのRメモリが、何を為すためのものなのか! 真実を知った君ならば、とうにそれを理解しているはずだ! それはこの現実でCメモリを使用できるようにするCメモリ! そのためには、【世界解放】を励起状態に移行させるに十分なエネルギーを付加する必要がある!」
「貴様らが世界を滅ぼして得たエネルギーで、それをしろというのか!」
シトは父の形見を握り締めている。
彼の正義は違う。アンチクトンの所業を認めるわけにはいかない。
「その通りだ! 一億の競技人口を以てしても、WRAがドライブリンカーの得た世界間エネルギーを異世界転生筐体を通じて回収していたとしても、人類絶滅を伴う一度の世界救済との間には、天文学的なエネルギー効率の差が存在するのだ! そう純岡シト! それは逆説的に、人間の可能性を証明してすらいる! 良きにしろ悪しきにしろ、『世界』を認識し、それを自らのエゴで変え得る可能性を持つ生命体は、人間だけしかいないのだ!」
純岡シトは、彼らの行為の矛盾を思う。
世界を喰らう外敵から身を守るために、この世界の破滅を遠ざけるために……彼ら自身が誰かにとっての外敵となり、異世界を破滅させていた。
個体の死を避けるために、他の生物を殺し続けなければならない食物連鎖のように。
この世界を救うための悪。他の誰にも異世界転生の罪を背負わせない理想。
(父さんは……この【世界解放】の使い方について、何も教えてはくれなかった)
それは何故だったのだろう。
きっと純岡シンイチも――何が正しいのかを、決める事ができなかったのだ。
この世界を守るために、侵略者と同じ行為に手を染めるのか。世界を作り変え、誰もが軽率に世界救済を行うことは正しいあり方なのか。
それは父の人間としての弱さだったのかもしれない。
……だが、あの日の笑顔を思い出すことができる。
(父さんは)
メモリを握り締めた拳を、シトは自らの額に当てた。
(……俺の未来に、希望を見ていた。その時がもし訪れても、きっと正しき決断ができるのだと。だからこのメモリを、可能性を、俺に託した――)
ドクター日下部が、再びシトの名を呼ぶ。決断しなければならない。
分かっている。
「信じろ、純岡シト! 私を……否、私達を!」
「俺は……! まだ、貴様らに代わる答えを出せていない!」
「それでいい!! だが! 世界を救うために、今は迷うな!!」
純岡シトは、老博士の手を取る。
受け渡された真紅のメモリはドクター日下部のドライブリンカーへと装填され、エネルギーを吸い上げていく。エネルギー回収を担うWRA製異世界転生筐体を一度も通していない彼のドライブリンカーの内部には、彼が滅ぼした世界の数だけのポテンシャルが、全て蓄積されている。
チャージを終えた【世界解放】を受け渡すその時、ドクター日下部は、シトの手を掴んだ。骨ばってはいても、生命に満ちた強い力だった。
「五回だ! 私自身が滅ぼした異世界は、計三十七! 全てのポテンシャルを君の【世界解放】に託す! それは揮発性の、僅か一時間足らずで拡散してしまうIPだが――【世界解放】を装填したドライブリンカーを、異世界と同様の活性状態へと変える! 励起可能なCメモリは一度に二本! 有効使用回数は……私の計算上、五回!」
「……五回。そこから先は、俺が考えるべきことか!」
「そうだ! 全て君の力! 君自身の可能性だ! 世界を救え純岡シト!」
シトは走り出す。戦うために、思考を走らせはじめている。
デパートにおける転生の経験と外江ハヅキが持ち帰った映像で、純岡シトは今から戦うべき敵のCスキルを知っている。この世界には百をも越えるCメモリがあって、個人の身で異世界とすら対峙できるその武器を手に、戦い続けてきた転生者だった。
けれど僅かな一歩、彼は止まった。背中越しに尋ねた。
「ドクター日下部! 貴様は……何故そこまでした! 貴様は何者だったんだ!」
アンチクトンの創造主にして、この世界を変貌させた者達の一人。
打ち付けるような災厄の強風の中で黒い白衣をはためかせながら、笑った。
「――君は知っているはずだ! 時に善を、時に悪を為し! 思考も行動も、状況に伴い相互に矛盾する! 他の生命を奪う罪を背負ってなお、ただ生きていたいと願う! 私はただの、一人の人間に過ぎない!!」
シトは駆け出す。
それだけは否定できない。生きる誰もにとって、自分のいるこの世界こそが、他の何よりも特別なのだから。
彼らには今こそ、世界救世の義務がある。
――――――――――――――――――――――――――――――
「シト! 俺も戦う!」
戦いへと赴くシトの横に追いすがる、小柄な姿があった。
エル・ディレクスと会話を交わした剣タツヤもまた、決意を固めていた。
「剣。貴様――」
シトは訝しんだ。
「……この世界が置かれている状況について、何か一つでも理解しているのか?」
「全然分からねーよ!」
当然、シトがどこに向かっているのかも分かっていないのであろう。
しかし、その時何をすべきかを理解している者ならば、タツヤの直感はすぐさま見分ける。
「でも……お前には作戦があるんだよな! いつもみたいな、どんな転生者でもあっと言わせるような作戦がよ! 俺は考えるの苦手だからよー……! 俺のライバルの、お前に賭けるぜ、シト!」
「ならば、貴様の助けが必要な相手がいる!」
敵は二人。今は、発動した【運命拒絶】によってニャルゾウィグジイィとヨグォメースクュアが別行動を取っていた時間軸に戻されているが、埒外の暴力と軍勢、そして自由自在の災厄を発動する彼らを合流させれば、もはや現行人類に勝ち目は残らないだろう。
「アンチクトンの転生者だ」
「アンチクトンの連中だと……!」
ドクター日下部は、配下の人造転生者に招集をかけていた。あの転生レコーダーの映像を送っていた。アンチクトンの者達が、そのために今日まで戦い続けてきた転生者だというのなら。
「そうだ。奴らも必ず戦っている! 貴様が合流し……奴らを助けろ! タツヤ!」
答えを待つことなく、【世界解放】を投げ渡している。
剣タツヤは、彼らの中でも最もアンチクトンの所業への義憤に燃え、反感を募らせてきた転生者だ。だがそれでも、この役目は彼が誰よりも適任だと信じている。
「……ヘッ。お前に賭けるって言ったもんな。任せておけ」
「これから作戦を伝える!」
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高級住宅地の一角。大地からは意思持たぬ人型の影が無数に湧く。
地球上にとってみれば一匹の細菌にも満たないその小さな黒点こそが、世界壊滅の兆しであった。
それは自らの影法師をコピーするように、複製を作り出す。そうして作り出された複製もまた、複製を生む。忠実な影の軍勢を乗算的に生み出し続け、いずれは無限の物量で世界を呑み尽くす。
一切の労力なく効率的に世界を滅ぼすCメモリを、【異界軍勢】という。
「……到着したのは私達が最後か」
「やれやれ……案の定、討ち漏らしが出てきちゃってるじゃあないですかァ。住民は本当に救助済みなんでしょうねェ?」
「どちらにせよ、こいつらをこれ以上のさばらせるわけにはいかんな」
「いくらテンマさんがいるとはいえ……この量は、二人では正直きついですよォ」
荒廃の兆しを前に立つ黒衣の二人組があった。
アンチクトンの人造転生者。鬼束テンマと銅ルキ。
Cメモリの使用者本体――ニャルゾウィグジイィと名乗る金髪の男は、先行した他のアンチクトンの精鋭が足止めを担っているのであろう。影の軍勢と対峙する以上、テンマ達はただの足止めであってはならない。
「やるしかあるまい」
二人は歩みを進めながら、基盤めいたRメモリを取り出す。
それは異世界からの侵略者に対抗する唯一の手段。一つのオリジナルを再現した簡易量産型だ。
「【世界解放】」
「……ク。【世界解放】!」
左手の建物が崩落する。質量のみで建造物を砕いたのは、黒雲のような軍勢だ。
横合いから二人に襲いかかり――
「クソ野郎どものくせに!」
空から斜めに飛来した閃光が、黒雲を破った。
「美味しいところだけ持っていこうとしてるんじゃねえぞ! アンチクトン!」
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剣タツヤ IP10,000,000
オープンスロット:【超絶成長】【絶対探知】【なし】
シークレットスロット:【なし】
保有スキル:〈我流格闘S-〉〈軽業S+〉〈超反応A+〉〈走馬の視力A〉〈頑健A〉〈神経制御A〉
――――――――――――――――――――――――――――――
着地痕には直線に炎が走り、今しがたの衝撃の凄まじさを物語っている。
アンチクトンを援護した少年は、既にこの現実でCメモリを発動していた。
この世界で一時的に付与されたポテンシャルは揮発性のIPと経験点に変じ、【超絶成長】によって掛け合わされた倍率が、一瞬にして転生者を成長させる。
「フ。君は……純岡シトの仲間か。出遅れたようだな」
「剣タツヤだ! しっかり覚えやがれッ!!」
「どうでもいいですが。あなたごときがなぜ、私達の援護を? これは現実です。遊びでは済まされませんよ」
「知るかよ……! テメーらと同じ理由だとでも思ってろ!」
路地の正面からはさらなる群れ。転生者は三人。
それも、【世界解放】は僅か一時間の期限付きの力だ。
痩身の銅ルキは、ふらりとその正面に立ちふさがった。
「ところで……現実のCスキルの仕様には、まだ疑問があるんですが――」
「銅!! あぶねえ!!」
影の兵士の爪が、ルキの腹部を貫いていた。
【異界軍勢】の身体能力は現行人類を大幅に凌駕し、無限増殖する兵士の一体一体が異世界のBランク冒険者と遜色のない個体戦力を持つ――
「く、くくくくく」
学生服を纏ったその姿が、ぐにゃりと崩れる。
銅ルキの肉体は質量保存を無視した怒涛の洪水と化して、軍勢を呑んだ。
「この場合、私って元に戻れるんですかねえええ!! ひ、ひひひひひひひ!!」
――――――――――――――――――――――――――――――
銅ルキ IP0(+10,000,000)
オープンスロット:【人外転生】【超絶成長】【なし】
シークレットスロット:【なし】
保有スキル:〈ジェネシス・スライムS〉〈絶息の罠S〉〈物理無効S+〉〈温度変化無効A〉〈溶解S〉〈無限再生S〉〈無限分裂S〉〈破裂B〉〈人間化B〉
――――――――――――――――――――――――――――――
――一方、銅ルキとは別の方角へと向かった一群もまた、別の異様な一団に阻まれていた。
現実ではあり得ざる炎が、雷が閃き、破壊が破壊を押し戻しつつある。
「ヒャハハーッ! チート能力で無双! サイコーだぜ!」
「俺達は選ばれた転生者だァーッ!」
「ちょっと男子ー! 落ち着いて行動しなさいよ!」
「落ちこぼれ野郎をいじめたいぜ!」
数秒前までは存在しなかった、疑似Cスキルを操る戦士達だ。
Cメモリの力によって人工的に生成されたNPCである。
「軍勢を生み出す異界のメモリか」
ビルの上で、彼は魔王の如く戦況を睥睨している。
炎に吹き上がった一陣の風が、黒いコートを大きく靡かせた。
「それが君達の手段ならば……敢えて、言わせてもらうぞ」
鬼束テンマ。この現実においては、【魔王転生】の枷を嵌める必要もない。
彼が選んだものは、【異界軍勢】の初動を押し留め、同時に【超絶成長】を用いるタツヤとルキの餌ともなるCメモリ。
地を抉る稲妻と化したタツヤがすれ違いざまに影を引き裂き、そして市街を覆い尽くさんばかりに広がったルキが、敵を拘束し栄養源として吸収していく。それが、僅かに三人の……この世界の転生者の戦力。
「――この世界を舐めるな。『異世界』」
――――――――――――――――――――――――――――――
鬼束テンマ IP0(+10,000,000)
オープンスロット:【集団勇者】【英雄育成】【なし】
シークレットスロット:【なし】
保有スキル:〈扇動B〉〈戦術指揮B+〉〈千里眼C〉〈広域把握B〉〈並列思考C〉〈思考同調C〉
次回、第二十九話【異界肉体】。明日20時投稿予定です。




