【世界解放】
――それがCスキルである限り。異世界の者は抗う術を持たない。
WRA異世界全日本大会は、準決勝までが終了した時点で一日目の日程は終了となる。
勝利を収めた純岡シトは、翌日午前の決勝戦を戦い……その結果を以て、日本最強の転生者が決定するのだ。
壮絶なる激闘を見届けた転生者のうちのいくらかは、余韻に思いを馳せるようにネオ国立異世界競技場に残っていた。
「……やったな。シト」
「ああ」
通路に設えられた自動販売機の隣、壁際に並ぶ椅子に座る二人の転生者がいる。
銀髪の少年は、純岡シト。跳ね気味の髪の小柄な少年は、剣タツヤという。
「やっぱ……すげーよ」
夕暮れの日差しに目を細めるようにして、タツヤは笑っていた。
「さすが、俺のライバルだ」
「……何度も言ったはずだが、貴様とライバルになった覚えなどない」
「ヘッ……そっか。じゃあ俺は、何度もそう思ってるんだな……」
「フン」
答えるシトの顔にも、普段のような険はない。
静かに目を閉じ、今日の転生を思い返している。
「なに終わったみたいな雰囲気出してんの」
二人へと呼びかける少女がいる。星原サキ。
凶悪な面相の大葉ルドウも、所在のない様子で後ろに続いている。
「明日には決勝戦があるんだから。今から対策組まなきゃでしょ?」
サキは、場内のコンビニで買ったクッキーとジュースをシトとタツヤにそれぞれ渡す。
この時ばかりは、シトも彼女の好意に甘んじた。
「……黒木田は? 一緒にいたのではなかったのか」
「まあ……さすがに気まずいと思うし。気持ちの整理がつくまでは、そっとしておいてあげて」
「そうか」
純岡シト個人としてのアンチクトンへの因縁は清算した。
その上で黒木田レイがアンチクトンに留まることを選ぶか、あるいはドクター日下部の言うような人間として生きるか――それは彼女自身が選ぶべきことなのだろう。シトが彼女に望んだことは、既に異世界転生で全て伝えた。
「信じられねェよな」
ポケットに両手を入れたまま、ルドウは淡々と呟く。
普段のような冷笑まじりの言葉ではなかった。
「遊びでつるんでた同じ学区のガキが……もう、日本二位サマだ。……もっと遠いと思ってたのにな。どんなに中学最強って持て囃されてたって、所詮は狭い世界の強さだと思ってた。そいつらに負け続けた俺も……まあ、そんな程度のもんだって思ってたよ」
神童と称されながら、数多くの壁に最強の座を阻まれ続けてきた転生者であった。
「……テメーはそうじゃなかったな」
「貴様には負けた」
「クッ、クククク。そうだったな。ククククク」
全日本大会準決勝の勝利を祝う彼らの間には、快哉や笑いだけではなく、どこか道のりを懐かしむような平穏と静寂の空気があった。
……そして、サキは窓の外の光景を見た。
「ねえ、あれ」
夕暮れの太陽とは別に、もう一つの太陽がある。
それがCスキルである限り。その世界の者は抗う術を持たない。
【異界災厄】。この会場を目掛けて今まさに落着する、巨大隕石であった。
――――――――――――――――――――――――――――――
「……は?」
【異界災厄】の発動。ニャルゾウィグジイィは、巨大隕石によるネオ異世界国立競技場……ひいては都市の消滅を見届けた後に、足元に横たわるエル・ディレクスの頭部を蹴り砕くはずであった。
しかし次の刹那にニャルゾウィグジイィの前に広がっていた光景は、酸鼻と壊滅の有様ではない。
「なんだこれ」
それは、何の変哲もない住宅街である。彼一人だけが立っていた。
つい一瞬前までの、地形が壊滅し溶融するマントルが露出した破壊の惨劇が夢であったかのような……日常の光景。
またしても不可解な状況が起こっている。ドライブリンカーが既に普及した世界。別世界からの転生者、エル・ディレクス。
「……こんなのばっかりかよ、この世界は! ヨグォノメースクュア! おーい!」
ドライブリンカーを見る。『Y』の名は変わらずにステータス表示にある。
先程まですぐ近くにいたヨグォノメースクュアは忽然と消失したのではなく、ただ距離が離れているだけだと分かった。
ならば、エル・ディレクスもただ消失したというわけではないのか。この状況は。
(……Cメモリか? 一体誰のだ? どういう効果だ……)
彼らはこちら側の常識を絶する異界のメモリを振るうが、それは彼らの視点から見たWRA製メモリについても同様のことである。
故に、すぐにはその効果に思い至れるものではない……既に目の当たりにしていたCメモリであったとしても。
(まるで時間が巻き戻っているみたいな――)
ヨグォノメースクュアは別行動を取っており、住宅は破壊されておらず……そして、エルとは未だ遭遇していない。ニャルゾウィグジイィが記憶を保ったまま巻き戻されたのは、この世界の時間軸だ。彼がデパートでの戦いで苦渋を味わわされたCメモリの一つでもある。
端正な顔を歪めて、ニャルゾウィグジイィは舌打ちをした。
「面倒なんだよ……! 雑魚が、雑魚世界が、悪あがきしやがって……!」
この世界の脅威の程は、もはや把握した。滅ぼす。
ドライブリンカーが量産化され、流通する世界。彼らにとっても、それは初めて目にするイレギュラーであった。
これまでの転生で、彼らは未知の転生者を警戒していた。彼らのルールにおけるタイムリミットが近づいた今、現地の転生者を相手に、デパートのゲームコーナーで何度かこの世界のCメモリを相手取ったテストを行った。たった一組、純岡シトと黒木田レイという例外を除いて……現地の転生者とCメモリは、彼らのCメモリの足元にも及ばなかった。
そして、エル・ディレクス。ドライブリンカーの流通を牛耳る異世界からの転生者も、【異界肉体】の前では虫けらじみた弱敵にすぎない。
小細工を弄した悪あがきは、正面から彼らを打ち倒す手立てがないことを自白しているようなものだ。
「――ヨグォノメースクュア!」
ドライブリンカーへと向け呼びかけると同時、ボタンを操作する。彼らの世界のドライブリンカーには、この世界のドライブリンカーには存在しない機構があった。
ディスプレイの発光色が青から赤へと変貌する。外装各部が放熱フィンと共に展開して、Cメモリの出力を最大化する。
世界消費モード。
「予定を二ヶ月早めよう! この世界を滅ぼす!」
――――――――――――――――――――――――――――――
「これで一日目も終わりかあ」
一般通路を並んで歩くのは、星原サキと試合を終えた純岡シト、そして剣タツヤと大葉ルドウである。
準決勝を制したシトは、勝利の感覚を噛み締めているかのように無言だった。
鬼束テンマ。決して相容れない相手であったが、それでもあの戦いでは互いに、確かに何かを掴んだのだと感じている。
「本当に、純岡クンが日本最強になっちゃうかもね。どうするの? 全国の女の子にきゃーきゃー言われちゃうかもよ」
「俺は黒木田以外に興味はない」
「うわ、すごい」
「ケッ! こーいう奴だよこいつは」
手の中でCメモリを弄びながら、剣タツヤも呟く。
「日本一になっちまったら、俺の出るような大会には出なくなるかなあ」
「そりゃそうだろ。テメーはそもそも、全日本大会どころか地区予選レベルも怪しい実力だろうが。クソ素人」
「シトともっと戦いたいんだよ」
夕刻だが、季節の関係か、太陽は地平線に沈み始めてはいない。
シトはもう少しだけこの会場に残るつもりでいた。
「……少しだけ一人で歩いてくる。貴様らも、好きに――」
三人を振り向き、シトが発した言葉は、途中で止まった。南入口の方向……人の流れに逆らい、必死の様子で競技場内に飛び込んできた一人の少女の姿があった。
少女は知り合いの姿を探すように辺りを見回していたが、汗の雫に濡れた黒髪の隙間から、シトの一団を認めた。
「――純岡さん」
「外江ハヅキ……! 何の用だ!」
萌黄色の和服を乱して走り寄る少女は、まさしく外江ハヅキである。
関東最強の転生者である彼女がこの会場で試合を観戦していたとしても、驚くべきことではない。
だが、余裕の笑みも消え、人目を憚らず疾走する彼女を一度でも目にした転生者が、果たしてこれまでに存在しただろうか。
「ああ、よかった。誰も知り合いが見当たらへんかったら、どないしよ思うてました。純岡さん。大葉さん」
ハヅキは、今さらながらに妖艶な微笑みを作ってみせた。無理をしているのだと分かった。
「純岡さん――日下部さんて方、存じてます?」
「日下部……ドクター日下部か!」
アンチクトンと無関係であるはずの彼女が、どこでその名を知ったというのか。語気を強めるシトをよそに、ハヅキは落ち着きのない様子で窓の外の晴天を見ている。
「……きっと、時間があらしません。できればうち、今すぐに日下部さんと話したいんやけど」
「だが、ドクター日下部がまだ会場に残っている保証は……」
「――私の名を呼んだかな。純岡シト!」
全員の虚を突いて、返答があった。
振り向くと、そこには白衣と、片眼鏡越しの眼光がある。
この怪人はいつでも、全てを先読みしたかのように唐突に出現している。今回も、ハヅキの現れる時を最初から分かっていたかのようだ。
「ドクター日下部……ッ!」
「純岡シト。君との会話は望むところだが、今は優先順位と言うものがある。そして外江ハヅキ! 異世界転生の一端に携わる者として私は君の名も当然聞き及んでいる! 加えて言えば、この私は君の要件についても、こうして言葉を並べる間に推察を終えている! どれほど頓狂な話であろうと、私は内容を正確に理解してみせよう!」
「え……そのう……この方、日下部さん?」
「ああ。見た通りの相手だ。知らずに来たのか」
「ハハハハハハハ! 日下部リョウマだ! 自己紹介が遅れてしまったな!」
「けど、なんぼ急ぎの用でも、ここで言うんは――」
ハヅキは、不安げに他の転生者の面々を見渡した。その考えを遮るように、ドクター日下部は指を鳴らした。
「――構わん! それはこの場にいる誰もに関係のあることだろう! 異世界転生に人生を賭ける転生者であれば、全ての世界に起こり得る事実を余さず知るべきだ!」
「……っ、あの、日下部さん……? 隕石が、落ちます。この会場に落ちて、あのまんまやったら、皆死んでまうとこでした」
「……なんだと?」
反応したのは、純岡シトである。そのような光景を引き起こし得るCスキルを、彼は直接目の当たりにしたことがある。
一方でドクター日下部は、興味深そうにハヅキの顔を覗き込んだ。
「『あのままだったら』……ということは、今はそうではない。我々は一目瞭然に生存している! 時間軸的には今よりも未来の状況ということか! 隕石を落とした者の特徴については説明できるかね!」
「金髪の男の方と、黒い……なんやろ。コスプレみたいな格好しとる女の子です。会長さんが戦ってました。信じられへん話かもしれ……」
「信じるとも! ――そうだろう、純岡シト! 大葉ルドウ!」
「知っている相手だ。異世界からの転生者か……!」
「……クソが。よりにもよって、今日かよ……」
最悪の可能性の一つとして、それはあり得る話であった。異世界からの転生者が、現にこの世界に存在している。根本的に異世界の存在である彼らの振る舞いが、シト達の知る異世界転生と同じように世界救済に収束するとは限らない。
……それどころか、仮にその転生の目的が、アンチクトンと同様に世界滅亡であるとすれば。
(……デパートの二人組。奴らは転生した異世界に、些かの関心も持たない蹂躙者だった。奴らの転生前の本来の世界が、そうした価値観の世界なのだとしたら。あの過剰に露悪的な言動も……世界を躊躇いなく滅ぼしエネルギーを奪いつくすために、【基本設定】の如き心理的指向性が与えられているのだとしたら)
ハヅキの話によれば、WRA会長エル・ディレクスが彼らと戦ったのだという。転生者と戦える者は、同じレイヤーに位置する異世界からの転生者しかいない。
ならば彼らの生きるこの現実のどこかで、用いられたというのか。
最悪のCスキル――【異界災厄】が。
「……日下部さん。転生レコーダー、再生できる端末持ってます?」
「ふむ。確かに、ここにいる者に状況を理解させるには、直接その目で見てもらう方が早いかもしれん……特にそこの君達!」
「えっ、アタシ!?」
「ドクター日下部ーッ! このクソ野郎! ここで会ったが百年目だぜ!」
「星原サキと剣タツヤ! 構わん。私としては純岡シトと大葉ルドウのみでも十分ではあるが、この場に残っている以上は、君達にも状況を把握してもらおう」
剣タツヤは、先ほどからずっとサキに両脇を抱えられ、辛うじてドクター日下部に襲いかからないよう押さえ込まれている状態だ。
彼の威嚇を意に介することもなく、老博士はハヅキのドライブリンカーを端末接続し、記録映像を再生した。ドライブリンカーに備わる多機能の一つ、別機器の映像入力を保存する転生レコーダーである。
「……時刻表示が……四十分後……!?」
シトはすぐさま異常に気付いた。
画面の中では、空気の歪みのようにしか捉えられない速度でエル・ディレクスが空を駆け、ニャルゾウィグジイィが一撃のもとに大地を割っていた。超世界ディスプレイを通さない、現行技術の限界の映像。現地世界の人間の知覚にとってみれば、転生者同士の戦いはそのようになるのだ。
「……全部、この世界で起こってたことです。信じます?」
「信じるわけねェだろ」
即答したのは、大葉ルドウである。彼はドライブリンカーについて、同世代の誰よりも熟知している。ハヅキが語る状況の矛盾点も理解していた。
「時間が巻き戻ったとしたら、【運命拒絶】だ。テメーが話してることが本当なら、会長か誰かがこの現実でCスキルを発動させたってことなんだろうな。じゃあテメーはどうしてそのことを覚えてるんだ? その転生レコーダーは、なんで俺らの記憶と同じように巻き戻されてない? まさかテメーも会長と同じ異世界からの転生者ってオチじゃあねェよな」
「確かに大葉の言う通りだ。【運命拒絶】はその世界の事象を、転生者の記憶を除いて巻き戻すCスキル……上位世界から見れば、俺達は巻き戻される側であるはずだ」
「……ええ。けれど、うちは例外です」
ハヅキはドライブリンカーを開き、装填された一本のメモリを見せた。通常のCメモリとは異なる、真紅の外装を持つメモリ。
シトは狼狽し、その不正規メモリを自らのメモリと見比べた。
「……【世界解放】……!?」
「違う。観察すべきだ、純岡シト! それは【例外処理】! 他のCスキルの対象から外れるCメモリ! クハハハハハハハ! よもやこのメモリまでもを完成させていたとはな、エル・ディレクス! 確かにこれならば、君だけは破壊や隕石に巻き込まれたとして無傷! 他の全てが巻き戻っても、未来の記憶と体力状態のままで、ここまで辿り着くことができたというわけだ! 何よりも正確に敵の脅威と状況を知らせることができる! 重大な役目だったぞ、外江ハヅキ!」
「これは、なんだ‥…。この赤いメモリは! ドクター日下部! 貴様は父さんのCメモリを……父さんのことを知っているのか!?」
「……純岡シト。その【世界解放】は異世界転生で用いたとて、何の機能も発現しないことは既に知っているはずだ。何故ならそれは、ドライブリンカーの本来の用途のために作り出したものではない。このような日のため……この現実で行使することを目的としたRメモリなのだからな!」
それは、シトが若い半生で幾度も挑み、そして解き明かせなかった謎であった。
父が最後に彼に託した【世界解放】は、果たして何のために存在し、どのような機能を持つCメモリだったのか。
「会長は……貴様は、父さんは! このような日が来るのを知っていたのか!? ドライブリンカー普及の目的は……貴様が異世界を滅ぼす目的はなんだ!」
「無論、全て知っている! WRA! アンチクトン! 決定的な方法論の差異によって分かたれた道であろうと、我々はそれぞれの道で備え続けてきた! 目的は、まさにこのような日のため!」
会話を交わす彼らを、天上からの光が強く照らした。
藍を帯び始めた空に、巨大な炎がはっきりと見える――【異界災厄】の巨大隕石。
異世界からの転生者の記憶は巻き戻されない。ハヅキの知らせた時刻から三十分以上も早く、異世界からの転生者が再びこの会場を滅ぼそうとしている。
頭上の滅亡の具現に照らされながらも、老博士はむしろ確信の哄笑を響かせていた。
「――そう、今!! それが今だ純岡シト! 純岡シンイチの息子である君には、今こそ【世界解放】を使う権利がある!!」
それがCスキルである限り。その世界の者は抗う術を持たない。
その一つ以外は。
次回、第二十八話【異界軍勢】。明日20時投稿予定です。




