【巨竜転生】
「ドクター。魔族は人間よりも劣っているのか」
「ほう」
実験室へと向かう途中、ドクター日下部はその足を止めた。
今日の世界間ポテンシャル移動の検証実験には数ヶ月がかりの時間を費やして前準備を進めていたが、ドクター日下部にとっては幼いテンマが発したその何気ない疑問のほうが重要であった。
「君はそう判断するに足る何らかの気付きを得たということだな! ならば私が教えるよりも、そちらが先だ。君の気付きを私に教えてほしい!」
鬼束テンマは、人間の0歳児換算の時点で既に7kgの体重があった。
その規格外の体躯と幼児らしからぬ硬質な表情は、常人の社会に育っていたのならば、周囲に恐れや困惑を抱かせるに十分なものであったことだろう。
無論、ドクター日下部は彼の早熟な能力の発達と類まれなる学習意欲を大いに賞賛しながら育て、テンマもまたそれに応えるように、最強たるアンチクトンの転生者として成長しつつある。
「アンチクトンの目的は異世界転生によるエネルギー回収。しかしこのドライブリンカーの仕様はIP運用による世界救済以外を認めない。故に、より多くの異世界の保有ポテンシャル――可能性選択肢を掠奪する形によって世界救済を行う必要性がある。それはすなわち、Dメモリによる世界救済……人類滅亡及び魔族救済による勝利であると言い換えることができる。俺の理解は正確だろうか」
「素晴らしい。製造から八年とはとても思えないな、鬼束テンマ……!」
可能性選択肢に基づく世界のポテンシャルは、極めて単純化された位置エネルギーのような模式で表すことができる。
未来に待ちうける分岐がより多い世界は、いずれ生まれる並行世界をより多く現在の時間軸に内包する世界であると言い換えることもできる。見かけ上のエネルギー総量が10しかない世界であるとしても、100の選択肢があるのならば、未来の分岐を含めたエネルギー総量は1000であり得る。この総量が大きい世界は他の世界の『上』だ。
ドライブリンカーは、対称性の破れによって世界間の『高低差』を取り出し、個人に属する力として運用するガジェットである。
よって転生先の異世界の位置エネルギーを相対的に『下』に落とすことができるのならば、それに比例して、この現実世界が回収可能なエネルギー量は飛躍的に増加することになる。
「何故、魔族には可能性が少ない。彼らは人間より劣っているのか」
「それは誤った理解だ、鬼束テンマ。劣っている、などとは教えていない。可能性が少ないことが悪であるなど、誰にも言い切れることではないのだからな。ただし……ただしその上で、魔族が人間よりポテンシャルに劣る種族であることは、紛れもない事実でもある!」
「……彼らにも救うべき価値があるはずだ」
ドクター日下部は、深く笑みを浮かべた。
人間でありながら人間と魔族を平等に見据え、魔族を救うことへの正義を見出そうとしている。まさしくドクター日下部の求める、魔王の資質であった。
だがドクター日下部は事実の信奉者であって、テンマの求めるような大義を弁護することもない。
彼に可能なことは、知る限りの事実を教えること。そこから正義を見出すのはテンマ自身だ。
「ふむ。ならば、まずは魔法の話をしよう」
「魔法。異世界において、こちらの世界における物理法則とは見かけ上異なる法則で動作する現象操作術の総称という理解で構わないか」
「そう。我々が観測する異世界には、例外なく『魔法』が存在する。君も十分にその事実を認識しているはずだ。それは何故か。君は何かしらの仮説を立てたことはあるか」
「検証はしていないが、むしろこちらの世界の方が特異的であると考えている」
「ほう」
「――大統一理論が未だ証明されていない以上、自然界に第五以降の……いいや。電弱統一が成されている以上は、第四以降のというべきか。別個の、あるいは別の見かけで作用する力が並行世界に生まれることは、何も異常ではないと思う。俺は……こちらの世界にある力の種類がただ少ないのであって、相対的に、他の世界に存在する物理法則との差異が魔法のように見えると解釈している」
「なるほど! クククククク! それは新しい視点だ!」
白衣の老人は、愉快そうに笑った。実際に、そうであるのかもしれない。
異世界に対しては常にその世界の法則に基づく転生体越しにしか接触することはできず、仮にその異世界で全知を極めようとも、こちらの世界との比較検証を行うことは永久にできない。
無数に存在する異世界の正体が何であるのか、それは一つの世界の住人には決して解き明かせない謎なのであろうから。
「だが、かつてのドライブリンカー開発チームが下した見解は、君よりももっと身も蓋もない結論だ。異世界で見られる魔法の類の技術とは、その世界における可能性の力を用いるものであろうと推定されている」
「可能性の力。ポテンシャル。IPか。俺達がIPによって引き起こすような現象を、彼らはその世界にいながら直接に起こしているのか」
「そう。故にそれは、使用すればするほどに世界の選択肢を狭めていく力であると言える! そうして先の選択肢を消費し尽くした世界――それは一つの終焉が待つ世界であると『確定』する。『確定』したものは、不確定なものよりも観測されやすい。故に、そう……順序は逆になるのだ」
「……こちらの世界が発見した世界が尽く滅亡に瀕しているのではなく。滅亡に瀕する世界だからこそ、こちらから見えるということになるのか……」
観測された異世界の尽くが、危機に瀕していた。
文字通りに尽くが。科学の目で見る限り、それはただの偶然ではあり得なかった。
こちら側から、他の世界が見えるのならば……それは『上』にある世界が『下』にある世界を見下ろしているということに他ならないのだから。
「我々が重力や電磁気を前提に生存を許されているのと同様、魔族は魔法を前提にして発生した生命といえよう。無論彼らの個々には自我があり、自由に未来を選択する個体もいる……それでも、彼らは総体として『あるようにある』個体なのだ。ドラゴンは空を駆けて財宝を集め、ゴブリンは巣穴に群れる。人類のように、予測のつかぬ挙動を見せることは非常に少ない。種族特有の典型行動の多さは、可能性と対極に位置すると言い換えることもできる」
「なるほど……理解したよ。ドクター」
滅びに瀕した世界は、得てしてその全体が単調化する傾向にある。
人間の行動ですら、そのようになる。典型的なパターンに沿うかのように動く者が生まれる。目に見えぬ可能性をエネルギーとして消費してきた世界であるからだ。
ドライブリンカーによる世界救済は、対称性の破れによる世界間エネルギーの一部を還元し、Cスキルによって世に選択肢を齎す行為だ。いくばくかの……数千年か、数万年程度の延命処置となるのだろう。
「異世界からの転生者が存在するということは、こちらの世界も……他の世界を滅ぼし、ポテンシャルを得続けなければ、いずれ滅亡に至る運命にあるということか」
「ふむ。30点といったところか。表現上は正しくとも、正確な理解とは言い難い。だが、いずれ全容を知るクリアランスにも至れると保障はしておこう。君は優秀な転生者なのだからな」
「……ならば」
テンマは、手の中にある一本のメモリを見た。漆黒のCメモリ。
この年にして、彼はDメモリ運用の教育過程に到達していた。
「そのクリアランスに至るまでは、このメモリを使おうと思っている」
「本当に構わないのかね? 【巨竜転生】。【追放勇者】。君に適合するDメモリは他にも用意できるぞ」
【魔王転生】。それは最初期型のDメモリにして、それ以降の全てのDメモリの雛形ともなったメモリである。
「これでいい。今の私の理解度においては、魔族も我々も同じ立場だ。俺は……魔族を救う魔王でありたい」
「クククククククク! 私の話を正確に理解した上でかね、鬼束テンマ! 魔族がポテンシャルに劣る種族であること、彼らの生存が世界の可能性を閉ざしていくことは、十分に検証された事実だ! それでも彼らの側を救うか!?」
「確かに、彼らを救うことの正当性が欲しかったのだと思う。それは否定された可能性だ」
だが、ドクター日下部との一連の会話は、一つの確信を彼に与えていた。
全日本大会の今になってもなお続く信念である。
「それでも――理のない可能性だからこそ、この俺自身の選択なのだ」
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「全ての生命は、完全な調和の中に生きています――」
刹那の反応で繰り出した刺突は、しかし幻影を貫くだけで終わる。〈万里眼SS〉ですら動きを捉えられない敵だ。風と幻影の森羅精霊、ジュ・レテエル。
「調和こそが自然の理。傷つけるだけの野蛮な暴力が意味を残すことはありません」
「……攻撃が命中した後から、それが本体ではなかったことにしているのか?」
深い森林。虫のような翅を持つ少女の幻影は、全方位からシトを取り囲んでいる。一の幻影をかき消せば、さらに十の幻影が現れる。
人里を戯れに切り刻み屍の山を築き上げてきた、ありきたりな単純暴力脅威であったが、そのレベルは他の異世界と比べても明確に高い。
Cスキルを擁する転生者が『苦戦する』こと自体、本来ならばあり得ないのだ。
「……獣の声を聞きなさい。草花の声を。あなた達に踏みにじられ、嘆く自然の仲間達の調和の声を。私は彼らの代弁者として」
「理解した」
シトは一呼吸で踏み込んだ。
いくつかの音が重なって響き、剣を振り抜いた状態で着地している。
〈空間跳躍SSSSS〉〈無限剣SSSSS+〉〈戦術予報SSS〉〈鳳凰術SSS+〉。シトの背後で同時斬殺された数十体が掻き消え、続く爆光。
「――ならば貴様に与えるのは、調和による死だ!」
「ギィアアアアアーッ!?」
入り組んだ森林そのものを、遅延発動を仕組んだ爆破魔法で一掃!
ダメージを肩代わりすべき幻影を同時消滅させられたジュ・レテエルは、断末魔の絶叫とともに爆死!
天まで煙を噴き上げ炎上する呪いの森から帰還すると、冒険者ギルドの面々がシトを迎える。彼らの歓声に、シトは平時の仏頂面で答えた。
既に、純岡シトの冒険者ランクはSSSS。転生開始から十五年が経過している。
自動車の大量生産は軌道に乗り、継続した特許収入のため金銭面の憂いもない。
将棋を商品化して王侯貴族の間に普及させ、権力者との協力体制にも余念はない。悪徳貴族やならず者冒険者を残らず自らの手で駆逐し、人類から磐石の支援を受けられる段階である。
(……俺は転生以来、一日も休むことなく経験点を稼いでいる。それでも、森羅精霊ただ一体を倒すだけで、このIP獲得量……)
この世界における敵は強大だ。森羅精霊の打倒で得られるIPや経験点は、他と比べても桁が違う。戦闘がIPを生み、IPがさらなる戦闘能力を生む。
鬼束テンマを上回るためには、自らの正しさに確信を持っていなければならない。一時の思考でより良い戦略を思いついたとしても、横道に逸れるべきではない。世界脅威を倒し続けるサイクルこそが最高効率。そのように信じる必要があった。
(まだ魔族は攻めない。俺も同様。人間を攻め込ませるつもりはない。鬼束がそれをするとしたら、全ての準備が終わった最終局面――この転生、先に横道に逸れた者が負ける)
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「育児政策の浸透を聞きたい。国民の身からすれば、未だ満足な福祉とは言えまい」
「は……竜族の抱卵休暇の取得率は97%。由々しきことながら、3%に取得が徹底されていません。改めて制度改善の周知に努めます」
「……結構な心がけだ。魔族の次代を担うのは、子供達なのだからね」
「それよりも、人間勢力の動きですが。いかがいたしますか」
瘴気に満ちた暗雲の下で、林立する針の如き異様なシルエットを浮かび上がらせる魔王城。
テンマは破竹の勢いで魔族を掌握し、来るべき大戦争への準備を整えつつある。
「まだ我々が攻め込むことはない……と、純岡シトは信じているはずだな」
「ならば我々は、その裏をかいて攻め込むということですね?」
「そうではない」
両目を閉じたテンマは、純岡シトの動きを断言することができた。
絶対強者である彼は、恐るべき強敵を前にしてこそ必要となる、勝負の思考を楽しんでいる。
「純岡シト。大した胆力だ。魔族の侵攻に無防備を貫くことで、却って私の動揺を誘っている。『成長する』最適解が最初から分かっている戦いに、『討ち取る』迷いを作り出そうとしている……。だが、私は動く事はない」
「魔王様……しかし人間はどこまでも勢力を伸ばし、文明まで身につけて……!」
「――それは我々も同じことさ。むしろ文明の力に関して言えば、これまで獣の群れ同然だった魔族の方が、人間よりも遥かに伸び代は多い。私と、純岡シト。全ての森羅精霊を倒し、最終目標……天声霊アーズを撃破するためには、二人分の総戦力が必要だ。その然るべき事業の完了と同時に人間を滅ぼせるように、私は君達を指揮している」
この大胆すぎる戦略の前提には、恐らくは第一回戦の銅ルキ戦がある。
膠着状態を有利と見たルキは、シトの仕掛けた内政の搦め手に気付くことができず、結果としてDメモリ使いの弱点を掻い潜られて負けた。
故にテンマも、膠着を恐れる。シトの策略を猜疑し、自らの陣営を探り始め、その迷いによって、戦闘能力の研鑽に後れを取ることになる。
そのように誘導している。
「私は揺らがない」
敵対する彼らは、猜疑を揺さぶり、互いを出し抜こうとしながら、それでも相互を信頼している。例え相容れぬ信念の持ち主であろうと、転生に人生を賭ける転生者だからこそ、ごく僅かに重なり合う、共感可能な領域が存在する。
「この盤面。勝負を動かすべきは最後の決戦の時だ……君もそうだろう。純岡シト!」
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「なあルドウ」
剣タツヤと大葉ルドウは、間に一つの席を空けて座っている。星原サキが席を外した分のスペースには、巨大なポップコーン容器が置かれていた。
「二人のシークレット、予想できてんのかよ?」
「あァ? ンなこと言われても、今のところ予測できるような動きは何もねェだろ。【絶対探知】でイベントを探して、速攻で回収する。【超絶成長】のために、どんな経験点も逃さず獲得する。どっちもセオリー通りの転生をしてるだけだ……ストイック過ぎるくらいにな。Cスキルのコンボを使う素振りすらねェ」
「ああ。【弱小技能】なら、とっくに【弱小技能】のボーナススキルを育てていなきゃおかしいよな……まさか【超絶知識】で自動車とか印刷工場を作ったのか?」
「このレギュレーションで文明発展にメモリ枠を割く意味なんざねえだろうがよ。あの程度の技術発展は、あいつらの素の知識だ。同じ異世界転生バカでも、テメーとはおつむの出来が違うんだよ。……内政があの程度に留まってるってことは、あくまで戦闘用のCメモリってことになる」
高難易度のレギュレーションでも相対的に変わらぬ効果が期待でき、発動まで効果が見えず、そして戦闘を補助可能なCスキルである。これらの条件を満たすCメモリは【後付設定】であろう。しかしこれは、既にシトのオープンスロットにある。
ならば純岡シトは、そのシークレットに何を隠しているのか。
「……俺なら、一か八かの賭けも含めて【弱小技能】を使う。純岡は、それを差し置いて何かをデッキに入れた」
「シトも分からねえが、鬼束の野郎も不気味だぜ……!」
タツヤの見る限り、様々に策を弄し敵の戦略の脆弱性を突いてきたシトとは、まさしく正反対の転生スタイルである。
IP獲得条件を変換する【魔王転生】以外のデッキ構成は純然たる実力勝負で挑み、敵を正面から蹂躙する横綱相撲。ならば、その男がシークレットに選ぶメモリは。
「鬼束は強い……強さに自信を持ってる……! 俺の勘が正しいなら、最後まで正面突破で来るはずなんだ……! だが、本当にそうなのか……シトはあの野郎を読みきれてるのかよ……!?」
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純岡シト IP27,880,731,639 冒険者ランクSSSS
オープンスロット:【超絶成長】【絶対探知】【後付設定】
シークレットスロット:【????】
保有スキル:〈無限剣SSSSS+〉〈刹那拳SSSSS〉〈空間跳躍SSSSS〉〈戦術予報SSS〉〈確全反応S〉〈反撃無効SS〉〈能力吸収SS〉〈体力無限A〉〈万里眼SS〉〈工学S〉〈経済学S〉〈完全言語SS〉〈完全鑑定SS〉〈永続経営S〉〈鳳凰術SSS+〉〈海龍術SS+〉他25種
鬼束テンマ IP29,951,643,002 冒険者ランクSSSS
オープンスロット:【超絶成長】【絶対探知】【魔王転生】
シークレットスロット:【????】
保有スキル:〈滅殺波動SSSSSS〉〈咬駕門SSSSS+〉〈焦土の魔眼SSS〉〈究極肉体SSSSS+〉〈多重次元知覚SSSS〉〈絶速飛行SS〉〈時間停止S〉〈無尽の魂SSSS+〉〈政治学SS〉〈カリスマSSS〉〈完全言語SS〉〈完全鑑定S-〉〈全方術S〉他26種
次回、第二十六話【 】。明日20時投稿予定です。




