8 「惹かれあう魂」
揺さぶられて眉を寄せる。
「んー、なに? もうちょっと寝かせてよ、父さん」
まだ眠い、と私はベッドの中に潜り込んだ。いいじゃない、もうちょっと寝かせてくれても。
「井戸水でもぶっかけて起こそうか?」
「とんでもない。旅の疲れが出たのだろう。寝かせてやってほしい」
……ん? なんか会話が聞こえる。父さんと……、
「ガルディス!」
飛び起きれば、目の前に桶を両手で持った父さんの姿。
「あ、起きた」
起きた、じゃない。その桶の水をどうする気だったの? って、それよりも!
「ガルディス、お帰りなさい!」
父さんの横に立っていたガルディスに飛びつく。その衝撃で父さんが桶の水をひっくり返して慌ててるけど知るか!
「こんなに早く帰って来るなんて思わなかった」
ぎゅっと抱きつけば、抱きしめ返してくれる。
「式典の後の夜会が終わってすぐ、王族やら貴族やらに引き止められる前に城を出て、ジギーを走らせた。早くリズに会いたくて」
「うん、私も会いたかった」
抱きついたガルディスは強烈に臭い。これだよ、この臭いだよ。ああ、落ち着くな……。
床を拭きながら、父さんがガルディスを見上げる。
「仮眠もとらずに馬を走らせるとか、愛の為とはいえ無茶するね。湯を用意するから体を拭いて少し眠るといい」
「ああ、そうさせてもらおう」
ガルディスはかなり疲れていたのか、父さんの提案に素直に頷いた。
父さんが湯を沸かし始める。私もガルディスの体を拭く手伝いをしようと腕まくりをしたら、父さんに水が入った桶を渡された。
「父さんはガディが体を拭くのを手伝うから、その間にリズちゃんはお馬さんにこのお水をあげてきて」
あ、もしかして今のうちにジギーと話して来いってことかな?
私は頷いて桶を持って外に出た。
ジギーは家の前でだらんと寝そべっている。さすがにジギーも疲れたのかな?
「おかえりジギー。お疲れ様」
そう声を掛けたらジギーがこちらを向く。
――いや、たいしたことはない。
うん、しっかり会話できるね。耳からと言うより頭の中に直接響いてくるような、そんな感じだ。
「あなたって聖獣なの?」
――そう呼ばれていたこともあるな。
「なんでガルディスの馬になったの?」
――目が合った瞬間気づいたのだ、彼が私の主だと。本能でそう感じ取った。だから一緒に居る。
うーん、よく分からないな。
首を傾げていたら、ジギーから話しかけてくる。
――そなたはリズリアだな。
「え? まあそうだけど?」
……あれ? 本当の名前、教えてないよね。だってガルディスにさえまだ言ってないのに。
――そなたは何故主と共に居る?
何故って……。
「それは、魂の恋人だから……」
――魂、か。そなたも本能で気づいたのだろう。同じだな。
「一緒……なのかな?」
――魂が惹かれあう。どこに居ても、どんな姿をしていても互いを感じて巡り合う。
話は終ったとばかりに、ジギーは目を閉じる。
え。ちょっと、全然意味が分からなかったんですけど。
「ちょっと、ジギー。ねえ、ジギーったら!」
……駄目だ、目を開けてくれない。
うーん。まあ聖獣ってことは分かったし、いいか。
家の中に戻ればガルディスは狭いベッドで既に寝ていて、何故か父さんがテーブルに手をついて項垂れていた。
「どうしたの?」
「確かに父さんのものはトカゲだ」
「は?」
「なに、あれ」
……体を拭くのを手伝ったとき、ガルディスの股間を見たんだ。
私は父さんの肩を慰めるようにぽんぽんと叩く。
「ジギー、聖獣だって」
そう言えば、父さんが顔を上げた。
「ああ、やっぱりそうだったか」
父さんはのろのろと椅子に座り、茶器に手を伸ばす。
「ガルディスが主だって本能で気づいたとかなんとか言ってたよ。それにわたしのことリズリアって呼んだの。教えてもいないのに」
茶を淹れようとしていた父さんの動きが止まる。ん?
「……主? 聖獣の主?」
父さんは私を見上げ、軽く眉を寄せる。
「う、うん。そう言っていたよ」
「…………」
え、どうしたの? 難しい表情して。
父さんが顎に手を当てて呟く。
「聖獣、主、リズリア……。リズリアの……魂の恋人は……」
私を見つめ、それから父さんはガルディスに視線を向ける。
うわ、ガルディス凄い鼾!
これは自然に起きるまでゆっくり寝かせておいてあげたほうがいいかな、と思っていると、
「ははは、まさかね」
父さんが空笑いする。
え? なに?
私は視線を父さんに戻す。
「どうしたの?」
急に変な笑い方して。
しかし父さんは首を横に振る。
「なんでもない。ご飯にしようか」
「え? う、うん」
「じゃあリズちゃん、作って」
またか!
ご飯を作り、食べてから竪琴の練習をする。
「リズちゃんの音、汚い。指の使い方が変」
う……、だって難しい。
悪戦苦闘していると、
「リズ……?」
あ、ガルディスが起きちゃった。しまった、うるさかったかな。
ガルディスが眠気を吹き飛ばそうとするように軽く頭を振って訊いてくる。
「竪琴……? 練習しているのか?」
「うん。でも上手く弾けなくて……。きっと教え方が悪いんだよ」
苦笑して言えば、父さんが私の頬を軽く摘んだ。
「一生懸命教えているのに、よくもそんなこと言ってくれるね」
「だって全然上達しないじゃない」
「それはリズちゃんに才能がないからだよ」
「酷い! 父親の言葉とは思えない!」
なんてやり取りをしていたら、ガルディスがあくびをして立ち上がり、竪琴に手を伸ばしてきた。
「ちょっと貸してみろ」
なんで?
疑問に思いつつ渡せば、床に座って竪琴を爪弾き始める。
「……え」
「へえ、なかなかだね」
私が唖然とし、父さんが片眉を上げる。
美しい音が鳴り響く。ガルディスの見た目からは想像もつかないような澄んだ音色。
信じられない思いで聴いていたら、いつの間にか一曲終わっていた。
「な、なんで弾けるの?」
竪琴を返してくるガルディスに私は訊く。
「騎士の嗜みだ。楽器の一つや二つぐらい弾けないといけないからな」
騎士って楽器演奏もできなきゃいけないの!? どれだけのことをこなさなきゃならないの、騎士って。
「それに俺の実家は楽器も扱っているからな。売買の前に実際に弾いて確かめることもあるから、一通りできるようには教育されている」
「教育……」
「うちは結構教育熱心な家庭なんだ」
そ、そうなんだ。そういえば、ガルディスも結構教育熱心だよね。私に勉強を教えるときは普段よりずっと厳しいし。それって自分がそうされてきたからなのかな?
そんなことを考えていたら、父さんが私から竪琴をひょいと取り上げる。そしてそれをガルディスに再び渡した。
「ガディにあげる」
はあ?
「ちょおっと待って! なんでよ、母さんの形見なんでしょ?」
「だってリズちゃん才能無いから」
「だからってそんな!」
「ガディに弾いてもらって、その横でリズちゃんが歌えばいい。父さんと母さんのように」
もう竪琴は諦めなさい時間の無駄だから、と言われ、私は唇を噛みしめる。
う……、時間の無駄って、そこまで言うか?
落ち込む私にガルディスが訊く。
「形見の品なのか?」
「……うん」
「貰っていいのなら、持って帰ろう。毎日少しずつ練習すればいい」
え……?
私は顔を上げ、ガルディスを見つめる。
「ラディ殿に比べれば拙い技術ではあるだろうが、俺がリズに教えよう」
私は目を瞬かせた。
「教えてくれるの? ガルディスが?」
「ああ」
ガルディスが頷く。
う……、ガルディス……!
「大好き!」
勢いよくガルディスに抱きつく。
「俺も、リズを愛している」
額に口づけられる。それから頬、そして……、
「おーい、だから目の前であんまり濃厚なのはやめてほしいな。僕のトカゲが長い眠りから覚めてしまうよ」
あ、ついにトカゲだと認めたか。
父さんが立ち上がり、テーブルに食事を並べる。ガルディスが起きた時のためにと用意しておいた分だ。
「ところで、二人はいつ帰るつもりなのかな? 何日かゆっくりできるのかい?」
お茶を淹れながら父さんが訊いてくる。
いや、とガルディスは首を横に振った。
「残念だが、あまり長くは仕事を休めない。明日の朝には帰るつもりだ」
「……そう」
あ、父さん残念そう。
私は思わず父さんの手に自分の手を重ねる。
「また会いに来るから」
「……うん、そうだね」
絶対だよ、と父さんが私の手を握る。
その夜は、ガルディスが買ってきた豪華な食事と酒がテーブルに並び、酒を飲んで大いに盛り上がる父さんと、父さんがあんまりしつこいからついに怒ってしまった私と、それを宥めるガルディスとでご近所迷惑なほど騒いでしまったのだった。




