4.
翌朝。自室の前には、キートに代わってエドロットが立っていた。
「やあ伯爵。ご機嫌いかが?」
「今すぐそこにひざまずけ」
「いやん、冗談ですよん。ロッツの軽口が恋しいかと思って、マネしただけ。
――おはようございます、ご主人様」
エドロットは胸に手を当て、恭しく頭を垂れた。
「ちょっと靴取ってくるから。離れていい?」
「アレは相変わらずか?」
「相変わらずだよ。俺のことも忘れてる」
肩をすくめ、エドロットは踵を返す。
「すぐ戻る。あ、部屋にはまだ入らないでくれよ」
エセルは少しの間その場で待機していたが、今日は予定がある。
のんびりしていられないので、扉を押した。
「――っ!」
昨日と同じで、寝台の向こうにロゼットがいた。
ただ、何も着ていないかった。
突然入ってきたエセルに、悲鳴も出せず、口だけがぱくぱく動く。
そばに衣類が並べられているところを見るに、着替え中だったのだろう。
「失礼」
エセルは勢いよく扉を閉めた。
ちょうど戻ってきたエドロットが、信じられないものを見る目をする。
「入るなって言ったのに。なんで入るんだよ」
「着替え中だと言え!」
エセルは無駄口は多いくせに、肝心な部分の抜ける部下に怒鳴った。
「今日は着替える気になったのか、アレ」
「うん。――っていうか昨日、キートのやつ、いつものロッツの服渡したんだって? そりゃ相手はびっくりするだろ」
「なぜ?」
エドロットはこれみよがしにため息をついた。
「ロゼットちゃんは女の子ですけど? 渡すなら、女の子の服でしょ」
あ、とエセルは間抜けな声を漏らした。
男装姿に慣れすぎて、当たり前がすっぽ抜けていた。
「……それで困った顔を」
「髪も短いし。『女の子なんだけど男の子に見えるかも』って、乙女心がズタズタだろうな」
「オトメゴコロ……」
エセル呆然とした。似合わなさすぎる。
そして女が苦手なエセルにとって、相性の悪い単語だ。
一方、エドロットは妙にうきうきしていた。
「昔のロッツ、あんな感じだったのかね。
本人は『臆病で根暗で、知らない奴には口もきけないグズ』って、人生の黒歴史みたいって言ってたけど、悪くないじゃん」
口笛でも吹きそうな調子でいう。
「あーゆー奥手で内気なタイプは近づきがいがあるよね。
かわいーわ、ロゼットちゃん。ちゃんと草食系の小動物だ」
「おもしろがって構うのはやめろ」
「遊んでないって。純粋に、かわいいって思ってるだけ」
内側から、ほんの少しだけ扉が開いた。
ようやく入室の許可が出たので、エセルは部屋に足を踏み入れた。
同時に、寝台の帳が片側だけ閉められる。
入口からの目隠しとなった帳の向こうに、スカートの裾が消えた。
「服はどこから?」
「借りてきた」
豊富な交友関係――主に女性の――を活かして、調達してきたらしい。
これまた借りてきた靴を手に、エドロットは奥へと進んでいった。
「ロゼットちゃーん、服どう? 似合ってるね。
これ、靴ね。履いてみて」
気軽な声に、エセルの眉根が寄った。
――なぜだか、妙にいらつく。
「伯爵、ロッツのこと一目見たら?」
「別にいい」
「かわいいのに。もったいない」
エセルは少しだけ、そちらをのぞいてみた。
ドレス姿の少女はいなかった。
代わりに、頭から毛布をかぶった生き物が壁に向かってうずくまっていた。
全身で、エセルと顔を合わせないことを主張している。
「……うん。まあ。伯爵はドレス姿以上のものを見たし? いいじゃん?」
「着替えを手伝え」
内緒の同居人がいるため、部屋に執事を呼べない。
エセルはエドロットを衣裳部屋へ引きずり込んだ。
「今日の予定は、大旦那様の戦友と昼餐会?」
「晩餐会もだ。六十歳の祝賀会だそうだ」
「滞在長っ。俺ですら耳タコの武勇伝、何周するんだろ」
「棺桶に両足を突っ込む前の、最後の孝行と割り切ってる」
遠慮のない表現に、エドロットがぶっと吹き出した。
「朝から辛辣。伯爵、ご機嫌ナナメ?」
「いつも通りだ」
「ならいいけど。――もう一緒に乗馬もしないだろうから。昼はコレ、夜はこんなもんでどう?」
「いい」
迷わず二着を選び出したエドロットを、エセルは心の中でちょっと褒めた。
遊び人だけあって、服選びのセンスは良い。
気も利く。言わなくとも、衣装に異常がないか確認してから出してくるし、夜会用の服はしわにならないよう工夫してトランクに納めている。
このマメさが、女性にモテるために磨かれたものでなければ、エセルも手放しで褒めるのだが。
「ところで今日一日、俺がロゼットちゃんの見張りでいいんだよな?」
「……キートは? 非番だから釣りか?」
「いや、ケガしたからやめてたよ。でも、ケガ人が見張りはないだろ」
エドロットは早くも衣装部屋の外を気にしている。
「さーて、ロゼットちゃんと何して遊ぼっかなー」
「アレに、寄るな触るな近づくな」
「なに、伯爵。俺が手を出すか心配してる?」
「結果、ケガ人が一人増える未来を心配している」
主室に戻ると、文机の上に昨晩の夕食があった。
結局、手つかずだ。
丸一日何も食べていないことになる。
エドロットが毛布のかたまりに声をかけにいった。
「ロゼットちゃん、何か欲しいものある?」
かすかに、返事の声がしていた。
エドロットが面食らった顔で戻ってくる。
「『師匠は?』って聞かれた」
エセルも相手と同じ顔をした。
「あの師匠のことか」
「不安で思い出したのかな」
「死人だぞ。どうにもならん」
途方に暮れていると、元気な声が部屋に飛び込んできた。
「おっはよー伯爵! 入っていいー!?」
キートだ。返事を待たずに入ってくる。
肩に、長いものを担いでいた。
「おまえ……何持ってきた」
「ロッツの槍!」
キートは胸を張った。
「昨日、思い出にちなんで一瞬俺を思い出しただろ?
大事にしているものを渡せば、少しでも記憶が戻るかなって」
効果は抜群だった。
ロゼットは毛布から顔を出し、いそいそと近づいてくる。
「自分のだって、分かる?」
キートの問いかけに、こくこくとうなずく。
あどけない仕草がかわいらしい――が、エセルははっとした。
「待て。渡すな」
「なんで?」
「見張り相手に凶器を持たせる馬鹿がいるか」
エセルは出入り口の方へキートを押し返した。
「でも、これで記憶が戻ったらさ。伯爵がムリに近づいて治さなくても良くなるじゃん」
「何を思い出すか分からないんだぞ。変な記憶が戻ったら、刺し傷では済まない」
キートが言葉に詰まる。
物欲しそうなロゼットと、断固拒否の主人の間で板挟みだ。
「伯爵、一瞬だけ! 渡さず、触らせるだけならいいだろ?」
「アレなら、その一瞬で奪える」
有無をいわせず、エセルは槍を没収した。
途端、キラキラしていたロゼットの瞳が、翳る。
「……伯爵、触らせてあげたら?」
エドロットの言葉に心がぐらついたが、エセルは首を横に振った。
「駄目だ! 記憶がなくとも、戦闘能力は健在なんだ。おとなしそうな見た目に騙されるな!」
エセルは部下たちを叱咤したのだが、一番言葉が響いたのはロゼットだった。
小さく謝って、元の場所へ引っ込んでしまう。
たちまちエセルに非難の声が浴びせられた。
「伯爵、大声出すなよー」
「ロゼットちゃんはセンサイなんだからさあ」
「私が怒っているのは、おまえたちだからな?」
ちっとも伝わっていない様子に、エセルは拳骨を作る。
「でもさあー、あんな言い方したら、ロゼットちゃんが悪いみたいじゃん」
「おまえたちが甘いから、あんなことを言うハメになったんだろう。
そもそも、キート。考えなしにアレの一番の得物を持ってくるな」
「そもそもって言うなら、伯爵が記憶喪失にしたのが悪いんですけどぉー」
三人は醜く責任のなすり付け合いをした。
「ともかく。キート、悪いが今日もロゼットを見張っててくれ」
「はいよ」
「じゃ、俺は慰め役で――」
「おまえは私の供だ」
エセルはエドロットの襟首を引っつかんで、外へ連れ出した。




