第40話 無限大
「そうですか。たつろうさんは、天文学を学びにハワイへ」
清流のような日本語だ。
きれいな日本語をひさしぶりに聞く。
オアフ島へのジェット機。なりゆきで日本人のおばあちゃんと同行することになった。
聞けば、このツルコさん。初めてハワイにきたのは若いころ。そこでいまのご主人と出会い結婚されたらしい。
その当時、日本は高度経済成長で、ハワイは日本人のだれもがあこがれる旅行先だったという。
しかし結婚されたのは、何十年もまえだ。当時はまだ国際結婚なんてめずらしいのではないか。そう思い聞いてみると、ツルコさんは苦笑した。
「むかしでいう駆け落ちでしたからねぇ。結婚したあと二十年ほどは日本へ帰れませんでした」
二十年は長い。
「故郷が恋しくは、ならなかったのですか」
いまでは日本語が氾濫して、うどん屋やラーメン屋すらあるオアフ島だけど、当時はまだまだ外国だったはず。
ホームシックになるだろうと思った。けれど、となり席に座るツルコさんは、やさしくぼくの手をたたいた。
「わたしの故郷は、ハワイですよ」
まっしろな長い髪を結いあげた日本女性は、そう言ってほほえんだ。
「でも、食べものは恋しくなりますねぇ。おひとついかがです?」
ツルコさんが足もとに置いていた手さげ袋を持ちあげた。
「いえ、ぼくは……」
ことわろうと思ったけど、言葉を止めた。
ツルコさんが手さげ袋から取りだしたのは、おにぎりだ。それも銀紙に包んである。ぼくのおばあちゃんも、こうして銀紙に包んでいた。
「塩おむすびが、いまでも好きで。タクアンも入ってますよ」
遠慮する気持ちより、食べたい気持ちのほうが勝った。
受け取って銀紙をひらく。まっしろな丸いおむすび、そして黄色いタクアンがふた切れ。
「いただきます」
タクアンをすこしかじり、おむすびにかぶりついた。
うまい。思わず目をつむるほど、塩気の強いおむすびがおいしかった。
ハワイが故郷か。まだ数年しか住んでいないぼくだけど、ツルコさんの言葉はわかる気がする。
世界いち有名なリゾート地だけど、故郷のような温かみもある。ハワイはふしぎな島だった。
飛行機に乗ってしまえば、ハワイ島からオアフ島までは一時間ほど。
あっというまにオアフ島に着き、ツルコさんを家まで送る。ふたりでバスに乗っていった。
「お茶でも飲んでいかれれば。日本から届いた干し柿もありますし」
干し柿。誘惑は強かったけど、ぼくは礼だけ言って辞退した。
「いつでも、遊びにきなさいね。日本のものは多いのよ。つい集めてしまう」
「はい。ぜひまた!」
ツルコさんに礼を言い、玄関のまえでわかれた。
バスを乗り継いで、ハワイ大学までいく。時刻は昼を大きくすぎていく。
ハワイ諸島のなかでもオアフ島は都会だ。だけど、日本ほどひんぱんにバスの便があるわけでもない。乗り継ぎには時間がかかった。
大学に着くと、もう夕方だった。赤くなり始めた夕日に照らされながら、ぼくは大学の図書館にむかう。
三人はいるだろうか。そう思いながら図書館の扉を押して入る。
階段をあがり、受付カウンターが見えた。そのまえのテーブル。
「What’s going on」
調子はどうよ? そう、なにごともないように聞いてきたのはウィルだ。
「そりゃ、疲れてるにきまってるさ」
ウィルに注意するような口調はスタッビーだ。
三人のいるテーブルに近づいた。
「スタッビー」
「なに?」
「異星人の血も、赤かったよ。ぼくらとおなじだ」
ぼくの言葉を聞いたスタッビーは顔をしかめた。なにかを考えているようだったけど、口にしたのは平凡な解説だった。
「赤いのはヘモグロビンの色。酸素を取りこんでる」
「へえ、顔が緑色だから、緑の血だと思ったな」
ウィルが感心して声をあげた。スタッビーが解説をつづける。
「緑の血は、地球上の生物でもいる。酸素をはこぶのに銅の成分をつかう生物だ。人間のヘモグロビンは鉄の成分をつかう。だから赤なんだよ」
「ワオ、鉄分を食えって子供のころに言われた意味が、やっといまわかった!」
「いまさらかよ!」
テーブルによこならびで座っているふたりだったが、その手前、キアーナがふり返った。ぼくを見つめてくる。
「キアーナ、書きこみ、ありがとう」
「なんのこと? わたしじゃないわ」
そう言いながら、真っ赤な唇のはしが笑っている。
ぼくはキアーナのよこに座り、三人を見まわした。
「ぼくが動くことで、余計なことになった。取り返しがつかないことも起きた。でも、やっぱり、ひとりでは無理だ」
ぼくの言葉に三人はうなずいた。
「タッツ、古い日本の話で、あったんじゃないか。三人いればモンジャの知恵って」
「ウィル、あなた意外に物知りよね」
「演劇科は、文化に強いか」
「そうだろう。モンジャとは、仏教で菩薩のこと。そうだよなタッツ」
キアーナとスタッビーが感心している。ぼくはうなずいて肯定した。
正確には、モンジャではなく文殊だ。すこし口のなかにソースの味がよみがえったけど、ウィルの名誉のため、ここでは訂正しない。
「第一戦、負けたな」
ウィルのつぶやきに、ぼくもうなずく。
「ぼくらは、なにもできない。そうなんだけど、ぼくひとりでは、もっとできない。だから、これからも助けてほしい」
四人で見あった。
異星人との戦い。ぼくの味方は三人だけ。それでも、味方がゼロではない。
ウィルと目があい笑いあった。
単純な数学の理屈。「0」と「1」のあいだには無限大のへだたりがある。
あのとき、大学のグラウンド。ウィルがぼくに声をかけた。あのときが無限大を越えたときだ。そんな理屈を思い浮かべながら、ぼくは窓の外からさす夕日の光に目を細めた。
異星人襲来 一巻 終




