第26話 メーデー
「まもなく、弾道軌道に入ります」
コックピットから声が聞こえた。
グリーン提督が、コックピットへともどっていく。
ぼくらの座席が自動的に動いた。座席がまえにでて、背もたれが倒れる。
「タッツ!」
ぼくを呼ぶ声が聞こえた。東西南北と背中あわせの四つの席。呼んだのは、ぼくから見ると右のうしろにいるスタッビーだ。
スタッビーは、かたむく座席から首をおこし、うれしそうに笑っている。
「見ろよ、この座席。リクライニング機能つきだ!」
そのぐらいの機能はあるだろう。大げさなスタッビーを笑いそうになったけど、なにかを見落としている。
なんだろう。さきほど、グリーン提督はなんと言ったか。弾道軌道。
・・・・・・弾道軌道だ!
「スタッビー、首をもどして!」
ロケットやミサイルとおなじだ。この船には、そんな機能まであるのか!
「みんな、すごい重力加速がくる。頭を座席に押しつけて!」
ぼくがさけぶと同時に、すごい重力がかかった。からだが押しつぶされそうになる。
「きゃああ!」
キアーナの悲鳴が聞こえた。上昇する速度はどんどんと加速していく。
「あああ!」
ぼくも思わずさけんだ。するとぼくの口から、ひとつぶのツバが飛んだ。ツバは丸くなり、空中をただよう。まさか!
「みんな、宇宙だ!」
船のまるい窓を見た。まるい地球の地平線が見える。腕や足がふわりと浮いた。
ゆっくりと船体は回転を始める。
「次だ! 今度は落下だ、もう一回くる!」
ぼくが言ったすぐあとに、ふたたびすさまじい加速がきた。重力による落下速度をはるかに超えた加速だ。
気を失うかと思い始めたころ、からだにかかる圧力はなくなった。
ふたたび座席が自動で動き、寝る体勢から座る体勢へともどる。
ぼくのまえに人影があらわれたと思えば、グリーン提督だ。
「ハワイの沖合まできた。もう30分ほどで到着する」
もうそんなに近いのか。まさかぼくの人生で弾道ミサイルに乗るような体験ができるとは思わなかった!
「二度と乗らない!」
背後から聞こえた。怒った女性の声。キアーナだ。
窓の外を見ると、夜だった。ロサンゼルスとの時差は二時間ほどだったおぼえがある。いまハワイは21時か22時、そのあたりか。
そして夜の闇が広がっていたが、雨が窓にぶつかっている。天候は悪い。
「司令官、気になる無線を傍受しました」
コックピットから、さらに人があらわれた。あの全身をおおう黒いライダースーツのようなものを着ているが、フルフェイスのヘルメットはかぶっていない。
グリーン提督とおなじで顔は緑色。でも、つるっとした肌の若い女性だった。肩よりすこし短めの髪型。その茶色い髪が、かわいい緑色の顔によくにあっている。
緑色の女性は、壁のどこかを押した。すると船内に無線通信と思われる男性の声がひびいた。
「メーデー、メーデー、メーデー!」
男性の声。必死にさけんでいる。
「グリーン提督、これはきっと遭難信号です!」
「承知している。こちらの航空法と船舶法は、すでに勉強ずみだ」
なんと優秀な司令官なのだろうと思うが、感心しているときでもない。
だれかのスマホが鳴った。電波の圏内に入ったか。
着信音はダースベイダーのテーマだった。きっとスタッビーだ。そう思ったけど、ちがう声があがった。
「すまんが、ベルトをはずしてもらっていいか。母親からの電話だ」
なんと、ドミニクさんのほうだった。しかし母親からの呼びだし音がダースベイダーなのか。
「ああ、もうすぐ帰るよ。明日の予定だったけど早くなった。ママ、聞いておどろくなよ。なにっ?」
ぼくは頭をひねり、左うしろの座席にいるドミニクさんを見た。
ドミニクさんは、スマホから口を離し、青ざめた顔をしている。ぼくの顔を見て、ぼそりと言った。
「その遭難している船、姪っ子が乗っているかもしれん」
話が見えなかった。どういうことなのか、ドミニクさんに説明してもらうように言った。
「どうもな、男の友達に誘われ、宇宙船を見にいくとかで、でかけたらしい。その友達ってのが金持ちの家で、父親の所有するクルーザーを借りたと」
敵の宇宙船をクルーザーで見にいく。そんな馬鹿なことをするのか。
「娘さんは、何歳なんです?」
「十六だ」
微妙な年齢だけど、馬鹿すぎる。ぼくはそう思ったが、グリーン提督が口をひらいた。
「そちらの国が発表していらい、われわれに近づく地球の船舶は多い。海面から距離はあるので、問題はないが」
こっちの国が発表。
「そうか、アメリカ政府が言った停戦だ!」
こんな影響があるのか。
いつのまにか、船内にひびいていたメーデーの声は消えている。
「こ、この船で、助けてはもらえねえだろうか」
ドミニクさんの言葉に、だれもなにも言わなかった。
この警備員さんは知らない。ぼくらはいま地球を賭けた戦いをしている。
グリーン提督が、ドミニクさんに顔をむけた。
「そちらの親族ではないかもしれない」
「でも、だれかが遭難してんでしょう!」
「われわれは、この星の住人ではない」
「そりゃ、関係ねえでしょう!」
黒いスーツを着た大きなからだが動いた。ドミニクさんが座席から立ちあがる。
「おれは、ハワイの生まれ、ハワイアンだ。この島は、むかしから海の要所であり、歓迎の文化が根づいている。そして祖先はポリネシア人。海の民だ。海の民は、海で遭難してる人がいたら助ける」
ドミニクさんの言っていることは正しい。でもそれは地球人の場合。かれらは異星人であり、なおかつ交戦中だ。
そしてグリーン提督は、気をつかっている。このドミニクさんに「われわれは敵同士だ」とは言わない。こちらの政府が言った停戦というウソを尊重して、このドミニクさんには言わないようにしている。
「司令官」
ふいに声がした。立ちあがったのは今日のショートを守った若い兵士だ。
「この船の探知能力であれば、遭難船の位置を特定はできます。それを近くの船舶に伝える、というのはいかがでしょう」
グリーン提督が、考えこむ顔をした。
思えば、さらに感心したことがある。かれら全体は、ぼくらに気をつかっている。ぼくらがいるので、話す言語が英語だ。それはこっちを不安にさせないためだろう。
さきほどドミニクさんは、ハワイアンは歓迎の文化があると言っていた。ぼくもそう思う。それとおなじように、この緑色をした民族は、やさしい民族なのではないか。
「双方の代表者がいる。ふたりの合意があれば、通信できるしね」
そう言ったのはキアーナだ。
「なかなかに、きみは優秀だな。ミズ・キアーナ」
「これでも弁護士の卵なので」
「ほう、この星では、弁護士は悪の巣窟だと思ったが」
「古い映画でも見ましたか。とびきりイケメンがでる弁護士事務所とか」
「たしかに、演技はいまいちだったが」
グリーン提督はすこし笑い、すぐに顔を引きしめた。
「位置の特定を許可する」
よかった、なんとかなりそうだ。
姪っ子か。ぼくにはいないが日本に高校生の妹はいる。もし妹が海で遭難したとすれば、きっとドミニクさんみたいに、気が気ではないだろう。




