最悪の黒-087_自由の火種
「そんなメダルはいらん」
「……とても残念です、ハイ」
ぱたりと尼僧が腰から伸びる細く長い尾で長椅子の背もたれを叩く。
「アナタのような不思議な方であれば賛同していただけると思ったのデスが」
「はっ」
軽薄に笑い、ハクロは長椅子から立ち上がった。
「何をするにも自由なんだろ。そんな持ってるだけで賞金首にされそうなモンを受け取らないのもまた自由だろ」
その一言に尼僧は顔を上げ、金色の瞳をハクロへと向けた。
「え……?」
「盗賊ギルドの加入資格は世界に不満を持っていること、すべきことは自由に生きること。己をそうだと認識したらその時からそうなる。だったら俺はそのメダルを受け取らず、これまで通りに傭兵として規則を遵守しながらも己自身の目的のために好き勝手に動く。そういう『自由』を選択する」
「そ、それでは……!」
「昨今の盗賊ギルドの風潮は同胞が困ってたら手を貸してやるんだろ? 傭兵としての俺の障害とならないなら、ある程度目をかけてやる。ただし俺の欲する物があったらそっちも無償で寄越せ」
「……ンフ、ンフフフフ!」
両手を頬に当て、尼僧は恋する乙女のように笑って長い尾をふわりとゆらした。
「こんなに嬉しい気持ちになったのはオギャアと生まれ落ちて以来ハジメテな気がします……!」
「よっぽど退屈な人生だったんだな」
「ええ、ええ。退屈で、退屈で、ワタクシの世界を変えてくれるような方をずっと待っておりました」
「自分で変えようとは思わなかったのか」
「ンフフ、待つのが楽しいんじゃないデスか」
さっそく矛盾しているが、この尼僧はこの思考の矛盾その物を楽しんでいるのだろう。
そう肩を竦めたところで、ふと尼僧の名を聞いていないのを思い出した。
「ちゃんと名乗ってなかったな。Bランク傭兵のハクロだ」
「ええ、ええ。存じております。ワタクシはザラ・クマルと申しマス。現在は表向きにはルキルの尼僧をしておりマスが、元々ワタクシは大陸中の教会を練り歩く修練者デスので、またドコカでお会いすることもありましょう」
「ああ。その時は何か頼むかもしれんし、頼まれてやるかもしれん」
「ンフフ、その時を楽しみにしております」
「早速だが一つ確認だ」
言うと、ハクロはポケットの奥にしまっていたそれを取り出す。
ラキ高原で拾った盗賊ギルドの紋章の入った焼け焦げたメダルだ。
「これをラキ高原に仕掛けたのはあんたか」
「ええ、ええ。そうでゴザイます。とは言っても、ワタクシも同胞に頼まれたからやっただけで、アレがどういう物であるのか、また誰が作った物かは存じ上げません。まさか突発魔群侵攻を人為的に引き起こすものだったとは、後で聞いて流石に背筋が凍りマシタよ。そんな物を運ばされたのかと。まあ恐らくアレをワタクシに託した同胞も別のどなたかから託されたのデショウが」
「……迷惑な」
流石にこの技術は危険すぎる。ハクロとしては制作者を吊るし上げて技術を簒奪……ではなく、封じておきたいところだったが、そう手っ取り早く終わるものではないようだ。
「ンフフ、ではワタクシの有用性を示すため、次にお会いするまでに制作者を探しておくとしまショウか」
「そうしてくれ」
「とは言え、恐らくあの方ではないかとおおよその見当はついておりマスが」
「……誰だ」
ハクロが問うと、彼女は猫のように瞳を細めながら笑った。
「魔術ギルドを追放された元副ギルド長――同胞から『教授』と呼ばれている人物かと思われマス」
ひとしきり笑うと尼僧――ザラは長椅子から立ち上がり、教会の門扉までハクロを案内するように先だった。
その背で黒い尾が揺れるのを何となく目で追いながら、ハクロは追加で訊ねる。
「なあ、もう一つ聞いていいか」
「ええ、ええ。何なりと」
「あんたは何が不満であのメダルを受け取ったんだ」
問うと、ザラはゆっくりと振り向き、困ったように眉の端を力なく下げた。
「僧侶が何故死者のために祈るのか、分からなかったのデス」
ザラは扉のノブに手をかけ、しかし回さずに指先で撫でる。
「新しく生まれた赤子に名を授ける。とてもめでたいことデス。お祝いしたくなる気持ちは理解できマシた。新たな門出を迎える夫婦を送り出す。これもとてもおめでたいデス。理解できマス。でも死者に祈るのはどうしてなのデショウ? 亡くなった方の魂は消えて、それで終わりのハズなのに、何故僧侶は彼らに祈りを捧げるのデショウ?」
分からなかった――ザラは力なく笑みを浮かべた。
「それから色々と調べました。僧侶ギルドの成り立ち、王家の起源、歴史、文学……しかしどれだけ調べても、そうだからとしか書かれていなかったのデス」
「…………」
「それからワタクシの人生はとても退屈なものとなりました。まるでこれまでの人生もそうであることが目的であるかのように整えられたものであるように感じて、つまらなくなりマシた。さりとて自分で動くことも、そう動くよう整えられた結果に思えて、何もする気が起きなかったのデス。そんな時に、行きずりの商人からメダルを何枚か受け取ったのデスよ」
自分と似たように世界に退屈し、不満を抱いているような者がいたら手を貸してやれ。
ギルドが気に食わない、もっと贅沢をしたい、飯が不味い――どんな不満でも良い。変わろうと、変わって欲しいと願う者がいたら話をしてやれ。
そう言われ、ザラはほんの僅かだが顔を上げる気力が戻ったという。
「……それは」
言いかけ、ハクロは口をつぐむ。
それはある意味において、信仰の始まりであり、革命の火種なのではないか。
だがそのことをこの世界の言葉で言い表すことはできない。
それでも――それでも、その概念が新たに生まれ落ちようとしているのは確かだった。
「いいな」
「ハイ?」
「なんでもない。こっちの話だ」
だからハクロはひとまずそう誤魔化し、軽薄に笑った。
「アラアラ。ワタクシ、とっても気になりマスよ?」
「またいつか会った時にでも話すさ」
ザラがくるりと楽しそうに尻尾を回し、手を添えていた扉のノブがゆっくりと傾く。
教会に赴いた段階で日が傾き始めた頃合いだったが、赤みの強い空の端はほんのりと紫色を帯び始めていた。それでも街の方からは変わらない賑やかな空気が漂い続けている。
収穫祭はもう終わるはずだが、余韻はまだまだ続きそうだ。
「――後ろ髪に指す朝日が夕日となるまで続く旅路を願っておりマス」
ザラからあまり聞きなれない挨拶が向けられる。
確か僧侶ギルドでの見送りの言葉だったはずだ。教会から一歩外に出た相手にはあくまで尼僧として接するその切り替えの良さに頷きながら、返しの言葉を思い出す。
「――笑いながら旅立ち、微笑みとともに帰ろう」
「ンフフ……では、またいずれ」
にこりと尼僧らしい楚々とした笑みを浮かべ、ザラはゆっくりと教会の扉を閉めた。





