最悪の黒-069_火食鹿
「傭兵ギルドルキル支部へようこそ!」
ギルドに一歩踏み込むと、正面ロビーは既に数多の傭兵でいっぱいになっていた。受付には長蛇の列ができ、ロビーを駆け回る職員やウェイトレスたちは扉が開くたびに挨拶を反射的に口にする魔導人形のようになっている。
「流石に多いな……!」
「鹿狩り目当てに集まったCランク以上だけでも滅茶苦茶いるけど、低ランク帯も鹿の運搬補助だったり解体の手伝いだったりでとにかく人手がいるからな」
基本的に討伐した火食鹿の証明はその場で右耳を切り落とし、紐か何かで束ねて持ち帰れば良いと言う。体の方はその場に残し、別口の依頼を受注した低ランク帯が引き摺って解体場まで運ぶことになっているそうだ。
「その他にも収穫した作物の運搬補助やその護衛など通常依頼も増える。この時期のルキルは間違いなく大陸一依頼で溢れ返っているだろう」
「本当にお祭り騒ぎだな」
受付に並ぶタズウェルに続きながら頷く。
バーンズに聞いた事前情報によると、毎年ルキルには本来の生息地を追われた火食鹿の弱個体が数百匹単位で群れを成し、収穫期を迎えた農地に餌を求めて突撃してくる。しかも弱個体とは言え体高は人の背丈ほどもあり、オスは角も生えている。複雑な魔術を使ってくるわけではないが魔力を溜め込んだ角はちょっとした槍のようであり、突かれると普通に大怪我を負うことになる。そのため討伐参加には危険が伴うため、一定以上の技量が認められたC以上のランクが必要だという。
「まあこれだけ傭兵がいても毎年ある程度の被害が出ちまうんだけどな」
「そりゃまあ数百で突っ込まれちゃなあ」
しかも向こうは食い繋ぐために決死の覚悟を決め込んだ草食の野生動物である。基本的に食われる側にある彼らが生き残るための方法はいくつかあるが、数を揃えるというのは進化に頼らない最も手っ取り早い方法だろう。
「次の方どうぞー!」
受付の行列が進み、ようやくハクロたちの番になる。各々ギルド証を提示し、火食鹿討伐依頼の説明を改めて受けた。
「討伐証明には右耳の剥ぎ取りが必要ですのでその点だけご注意ください。例年高ランク帯の方の場合は『やりすぎ』てしまって証明できなくなる事例がありますので」
「だ、そうだバーンズ」
「うっ……肝に銘じます……」
タズウェルがバーンズの肩に手を置く。どうやら心当たりがあるらしく、気まずそうに視線を泳がせていた。
「破損が大きすぎると解体場で受け入れを拒否されてしまいます。その場合の処分はギルドで負担していることをくれぐれもお忘れなく」
「は、はい……」
「お前何やらかしたんだ」
さっきから受付嬢の言葉が刺々しくバーンズに突き刺さっている。
どうせ調子に乗りすぎて景気よく吹っ飛ばし、ミンチにしてしまったとかそんなところだろう。利用価値がないとは言えそのまま放置しては疫病の発生源になりかねないため傭兵ギルドが責任もって片付けているのだろうが、その費用も馬鹿にならないだろう。
「これにて手続き完了です。本日から収穫終了予定時期の約2か月間、火食鹿の討伐数に応じて報酬と達成実績が加算されます。今年は例年よりもやや早めに群れの形成と出没が確認されていますので、職人ギルドでも収穫を前倒ししている農場があるようです」
「分かった」
「お気をつけて! ――刃に宿りし栄光を心に!」
「ああ。――盾に燈りし賞賛を背に」
ルキルの街を出立し、身体強化込みの走行で約2時間ほどの農地で3人は足を止めた。
「いたぞ。まだ数は少ないが火食鹿の群れだ」
タズウェルが指さす方を見ると、数キロ単位遠方の休耕のための牧草区画で大きな四つ足動物が草を食んでいるのが辛うじて見えた。知らなければ見落としてしまうような距離だが、どちらかというと支援や援護が主な役割である遊撃手でありながらBランクに到達しているだけはあって流石の観察力だった。
「よく気付くな」
「火食鹿は灰褐色の毛色で緑の牧草の中では比較的見つけやすい」
「ぜーっ……ぜーっ……!」
と、後ろから息切れの声が聞こえてきた。振り返るとバーンズが膝に手をついて肩で大きく息をしていた。
「だらしねえぞ、2時間ぽっち走っただけじゃねえか」
「お、俺は、短距離型なんだよ……!」
「最初に調子に乗って飛ばすからだ」
呆れながらもタズウェルが腰にぶら下げたウエストポーチに手を突っ込み、明らかにそこに入らないであろうサイズの水筒を取り出してバーンズに投げた。それを受け取り浴びるように飲むバーンズを傍目に見ながらハクロが興味深そうにポーチを指さす。
「便利そうだな」
「フェアリーの魔法のポーチだ。口に入る大きさなら大抵の物は詰め込める。重量もほとんど感じない」
「つーことは、まだ術式化はまだできてねえのか」
まあそう美味い話はないかとハクロは肩を竦める。もし量産体制が整っているとしたらとっくに運送に革命が起きるだろう。
しかしタズウェルは「いや、ここだけの話」とそっと耳打ちする。
「我が傭兵大隊では重量軽減とポーチそのものの大型化を除外さえすれば解明の目途がついているんだ」
「……なんだと」
「ティルダを始めとした『太陽の旅団』の技術班は全員優秀だからな」
「…………」
確か「太陽の旅団」所属の技師は5人いると聞いている。ティルダだけでも十分世界のバランスを崩せるだけの要因になりかねないというのに、それに並ぶかもしれない人材があと4人もいるというのか。
その全てをルネが己の足を運んで勧誘し、かき集めたらしいが、よくまあそんな異端者たちを見つけられたものだ。カニス大陸は決して狭い世界ではないはずなのだが。
いや、そのルネ本人が「狭い」と言っているのだから、彼女にとっては本当に狭いのだろう。
「ますます興味が湧いてきた」
ハクロ自身もルネに声をかけられて傭兵大隊に身を置くこととなったわけだが、ハクロが異世界人であると看破され勧誘されたとしても、それから先については贔屓なしで己の力で有用性を証明しなければならない。
傭兵大隊の中枢理念である渡海について口出しできる地位に就くにはもう少し時間と実績作りが必要だろうと考えていたが、その傭兵大隊の抱える技師と関わる機会に早々に巡り合えたというのは大きな一歩だった。
「鹿は……動かないな」
やっと一息ついたらしいバーンズがうーんと目を凝らし牧草を暢気に貪っている火食鹿の様子を窺う。休耕地帯とは言え今彼らが喰っている牧草も家畜の飼料だ。本来は一本たりともくれてやる義理はないのだろうが、あえて牧草地の警戒網を緩めることで火食鹿をそこに誘致し、一網打尽にするのが長年のルキルのやり方らしい。
「火食鹿は基本的には20頭前後の群れで行動する。その段階では臆病で人の気配に敏感で近づくこともできないが、いくつもの群れが集まって集団化し一定数に達すると途端に気が大きくなり、農地に突っ込んでくるようになる」
「1頭が走り出したら発作的に全部が走り出すよな」
本来の意味でのスタンピードである。
それを指摘したところで鹿がばらけて帰ってくれるわけではないため口にはしないが。
「ここの群れは集団化すると思うか?」
「どうだろうな。周囲に他の群れがいれば奴らを中心に集まってくるかもしれんが、今のところその予兆はなさそうだ」
タズウェルがぐるりと周囲を見渡す。
ルキル周辺はその地名の元にもなっているルキル=ラキ川という大河の周辺に形成された数百キロ単位の超広大な平野が広がっており、その約7割が農地及びそれに付随する施設として利用されている。残りは農地に向かない湿地だったり礫地だったりするが、基本的に地形の起伏はほぼ存在しないため少し高い位置から見渡せば地平線まで窺うことができる。
さらに視力がずば抜けているタズウェルがいないと言うのだから、本当にこの辺りに他の火食鹿はいないのだろう。
「それじゃあ移動するか?」
「いや、もう少し様子を見る。あの群れが移動して別の群れに合流する可能性もあるからな」
「なるほど」
それならばしばらくは監視がてらの休息だなとハクロも背筋を伸ばしかけたところで――ひゅぽっ、とギルド証から間抜けな通知音が鳴った。
それも、その場にいた3人全員の懐からだ。
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5024/9/2 10:35 [傭兵ギルドルキル支部]
北54-5農地付近で火食鹿の集団化の予兆を確認。
近くを巡回中の討伐依頼参加者は援護に向かってください。
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「北54-5か」
「ここからだと……15キロ程か」
即座にタズウェルが地図を開き場所を確認する。身体強化をかけながらであれば数分で着くだろう。
「援護に向かうぞ」
「うげー、また走るのかよー」
「お前はゆっくり来てもいいんだぜ?」
「……冗談!」
バチンとバーンズは頬を両手で叩き、気合を入れて笑みを浮かべる。それを見ながらハクロもとんとんとその場で軽くジャンプをしながら両足にかけた強化術式の調子を確かめる。
「行こう」
そしてタズウェルが駆け出すと同時に3人はその場から風のように掻き消え、指示された地点へと向かった。





