最悪の黒-032_ランク試験
翌日。
指定された時間に傭兵ギルドを訪れると、流石に明るい時間ということもあってかロビーに酒臭さはなく、傭兵たちがテーブルを囲んで依頼の打ち合わせをしているのがあちこちで見られた。……床は、相変わらず染みついた酒と脂で変な足音がするが。
「はいはーい、時間通りだねー」
そう言って受付カウンターに行儀悪く腰を下ろしたアイビー――今日は受付の制服ではなく多少威厳のあるローブ姿――が手を振って出迎えた。
「あら、そちらの可愛いお嬢さんはー?」
「あ、こんにちは! 医薬ギルドのリリィです」
アイビーがハクロの横に立つリリィに気付き、そちらに目を向ける。
「ハクロさんには個人依頼ということで私の旅に護衛として同行してもらってます」
「ついでに言うと俺の身元保証人。俺には学がないからな。名前くらいしか読み書きもおぼつかない。今回も横からごちゃごちゃと口出してもらうために着いて来てもらった」
「あー、はいはい、りょーかーい」
事前に口裏を合わせた「設定」ではあるが、嘘は一つも混ざっていない。案の定アイビーも細かいことは気にしないようで、適当に頷くと二人をカウンターの奥の扉へと案内した。
「試験ってのは何をするんだ?」
「本当は面接とか筆記とかいろいろあるけど、今回は省略ー。面接は推薦状があるからいらないし、筆記試験出されても困る感じでしょー?」
「まあ、そうだな」
「腕っぷしだけじゃ傭兵はやっていけないから、今回は良いけど、ランクを上げたいならその辺は追々身につけてねー。筆記省略の分、ちょっと低めのランクからスタートすることになるけど、それはごめんねー?」
「いや、それでも助かる」
そして面接も筆記も省略ということは――
「ここが実技試験会場ー。頑張ってねー」
案内された廊下の奥にあったのは、土がむき出しになった野外施設だった。ハクロのいた世界で言う陸上競技場のような構造で、周囲を囲う壁の上には座席スペースが設けられている。
「ギルドの訓練場だよー。暇な時の鍛錬とか、新しい武器の調整とか、怪我の後のリハビリとか、自由に使ってもらってるよー」
「なるほど。んで――」
横で施設の説明をするアイビーに目を向けず、ハクロは訓練場の中央にいたソレから視線を離すことができなかった。
それは、あまりにも巨大。
岩盤から直接切り出したような岩の椅子に腰かけ、さらに異様に猫背で縮んで見えるが、それでもハクロよりもだいぶ高い位置に顔があった。右手は柱のように太いメイスに添えられ、肩に杖のように乗せられている。
その顔には深いしわが刻まれ、それを横断するように傷跡が奔っていた。
さらに額からは二本の太く大きな角が伸び、向かって右側は途中で砕けたように圧し折れていたが、それすらも威圧感を放つ一要素となっている。
七種族のうち、ドラゴンを除く最大種族――オーガだった。
「……そちらさんが?」
「はいー。今回、試験官を務めてもらうことになったB+ランク傭兵のオセロット・ロウアンさんですー」
「…………」
ぎしり、と軋むように首が動く。どうやら会釈のようだが、いかんせん巨体の上に猫背過ぎていまいち分かりにくい。
「なんつーか、こっちの爺さんの方がよっぽど支部長の貫禄があるな」
「どーゆーことですーかー」
「……はっは」
と、老オーガ――オセロットの口元がかすかに開き、巨体に見合った太く低い笑い声がこぼれた。
「傭兵としては戦線から退いた身ではあるが、活きのいい若者の指標くらいにはなるつもりだ」
「それで、試験内容は?」
「儂は小難しいことはできぬ。剣を抜き、かかってこい」
「……いいね、分かりやすい」
頷き、ハクロは腰にぶら下げていたファルシオンを鞘から抜き放つ。
旅の道中は平和すぎて一度も使うことはなかったが、野営の合間に調子は確かめていたため、既に手には馴染んでいる。
ハクロの抜剣を確認すると、アイビーはリリィを連れて壁際まで下がった。
「ッ……――フッ」
柄を強く握り、大きく踏み込む。
オセロットは未だ岩の椅子に腰かけたままだったが、立ち上がる気配はない。油断ではない。ハクロ程度の一撃など、受けて立つ必要すらない――そんな余裕すら窺えた。
事実、オセロットはくるりと器用に手先を動かし柱のように巨大なメイスの柄を操り、地面に先をつけたままハクロの初撃を受け止めた。
「ちっ」
「軽いのう」
反撃を警戒し、ハクロは退く。しかしオセロットはファルシオンを受け止めた姿勢のまま、加齢によるたるみで細くなった目元を動かしてハクロを視線で追うだけだった。
「『蠍』を片付けたと聞いていたのだが、よもやまぐれだったかな?」
「…………」
「遠慮することはない。『全力』でかかってきなさい」
「ああ、そうかい!」
再び踏み込み、ファルシオンを振りかぶる。
あえて初撃と全く同じ構え、全く同じ位置に斬り込んだ。
ガァン!!
硬質な金属同士がぶつかり合う凄まじい音が訓練場に響く。
四肢に、そして得物に魔力を纏わせた「全力」の一撃。速度も重みも鋭さも桁違い――そのはずだった。
「……ふぅむ」
「――ッ!」
オセロットもまた、その一撃を先ほどと同じくメイスを持ち上げることもなく、地に先をつけたまま受け止めた。
「違う。違うのう。これは未だ全力ではないだろう」
「…………」
「アイビー」
「はいー?」
ちらりと視線を壁際の支部長へと向ける。
「確かギルド規約では、見習いは魔術の使用は制限されておったのう」
「あー、そういえばそうだったかもしれませんねー」
「ならば、少し目を瞑っておれ」
「えぇー、一応私、立会人なんですけどー。別にいいですけどねー」
気だるげにそう返事をすると、アイビーは目を瞑った上に手で覆って「はーい、見てません見てませんー」とわざとらしく視界を塞いだ。
「さて、今一度」
それを確認すると、オセロットはメイスの柄でとんとんと肩を叩き、ハクロを見据えた。
「『全力』で、かかってきなさい」
「…………」
肩を竦め、ハクロはファルシオンを鞘に戻す。
そして同時に魔力を練り上げ、魂の奥底に封じていた一振りの名を口にした。
「――抜刀、【キチュウ】」





