最悪の黒-175_求められる振る舞い
ハクロが目覚めたのはランク昇格試験の翌日深夜だった。
ルネとの戦闘でボロボロになった肉体はその日の夕刻には彼女直々に治癒魔術を叩き込まれ、外傷自体は完全に癒えた。だがその反動で途轍もない疲労困憊状態に陥り、自力で立てるようになったのは日が暮れてからだった。
「むしろなんであの状態から一日で全快するんだ」
ハクロの自室に様子を見に来たテレーゼに煙草の煙を吹きかけられながら逆に聞かれた。とてもではないが医術師が患者に行う対応ではないが、そんなことを言われたところでどうしろというのだ。
そして起き上がれるようになって最初にやったことと言えば、湖都での依頼に関する報告書の作成だった。
あの依頼にはリリィとティルダ、そして依頼人であるザラが同行していたわけだが、依頼を受けたのはハクロ個人となっている。報告義務はハクロにしかなく、提出しなければ正式な完了とはみなされない。
「…………んと、これ、魔術書のリスト。ハクロさんが寝てる間に……まとめ直した、から」
とは言え、一人で全て書き記さなければならないというわけではない。共に分類作業をしていたティルダがその作業の傍らでリスト化していた物を、ハクロが寝ていた間にさらに詳細にまとめ直していた。今回はそれをありがたく流用することとする。
そのため実際にハクロがやったことと言えば、リストの最終確認と湖都の現況とりまとめくらいだ。
ティルダのおかげでちょっとした夜更かし程度の作業で済み、翌朝にはギルドへとその足で提出に向かった。
「受理しました。これにて依頼完了です」
「まだ万全じゃないんですからね!」と心配してついてきたリリィを伴ってハスキー州都第一支部へと向かうと、支部長代理がわざわざ受付に出向いて首を長くして待っていた。
ヒューゴはハクロから報告書を受け取ると、依頼契約に係る羊皮紙にその場で判を押す。さらにハクロのギルド証を受け取ると、自ら登録用の魔導具にかざして処理を完了させた。
提出した報告書もパラパラとしか確認せず、やけにあっさりと完了扱いにされてしまった。
「そ、そんなあっさりでいいんですか?」
「使える権限は使える時に使いませんと。初めまして。メル嬢ですね? ハスキー州都第一支部長代理を任せられておりますヒューゴ・ブランシュと申します」
「…………」
反射的にハクロを振り返ったリリィは表情全体で「またですか?」と物語っていた。気持ちは分かるとは思いつつ、指先でつむじをひねって前を向かせ、挨拶を返させる。
「名義は『太陽の旅団』からの定期報告となっていましたが、ギルド証が使えない湖都を出入りして報告草案を提出していたのはメル嬢ですね? 薬師としての業務外の作業を任せることとなってしまい、申し訳ありません。ですが非常に助かりました」
「い、いえ! こちらこそありがとうございます……?」
思考がこんがらがって何故か謝意を返したリリィに肩を竦めつつ、その件についてはそれ以上の言及は面倒になるのでやめた。報告内容が適正と判断されたのであれば、今後の責任はギルド側にある。
「つーかなんで支部長代理がそんな受付作業に手慣れてんだ」
「私も最初からこの地位にいたわけではないのですよ」
「そりゃそうだろうが」
「久しぶりの受付作業に、少しワクワクしました」
口ではそう言うが他の親族と変わらず表情に乏しく、神経質そうな仏頂面である。いまいち本音か冗句か分かりにくい。
「さてそれでは続いてランク昇格の手続きを行います」
「おう。……この場でか?」
「まさか。新たなAランク傭兵の登録をこんなネトネトとしたフロアで行えませんよ」
そう言うとヒューゴはネトネトとした床で踵を返し、上階へと続く扉へとハクロとリリィを案内した。
「体は大事ないようだな、ハクロよ」
「なんでまだいるんだ、お前」
ヒューゴの執務室のソファで当然のようにくつろいでいるルネに思わず突っ込む。
公務と傭兵大隊で受けている依頼管理が山積みのはず。こんなところで油を売っていていいのだろうか。
そんなことを考えていると、ルネの向かいに腰かけていた老オーガがゆったりと眉を持ち上げた。
「推薦者にはAランク登録への立会いの権利があるのだよ。それとも儂もさっさと北へ旅立った方がよかったかね」
「……いや、そうは言ってねえが」
珍しく僻みのような皮肉を口をしたオセロットに、流石に言葉を濁す。
わざわざ推薦状を用意し、カナルの街から長距離移動してハスキー州都まで訪ねてきたことに対し、感謝はしている。無下にするつもりはない。それはそれとして多忙を極めるルネが居残っているのは釈然としない。
「つーか、立会いの権利? バーンズはどうした。朝から見かけねえんだが」
「奴に金蠍の討伐で留守にしている間に溜まった依頼に向かわせた! 今頃エーリカと共に坑道を駆け抜けておるわ!」
「Aランクにやらせる依頼か?」
坑道調査など高くてもCランクそこそこの依頼である。
いや、魔物狂いのエーリカ一人を向かわせるわけにはいかず、そしてもう一人の傭兵であるハクロが今ここにいるのだからバーンズが行くしかないのだが。だがそれはそれとして、それ以上に多忙を極めるルネが居残っているのはやはり釈然としない。
「確かに、今や坑道の魔物調査は実入りの良い依頼として中堅層に人気だ。『太陽の旅団』に回ってくる依頼数も減ってきたことだし、ハスキー州都での依頼受注方針は改め時かもしれぬな」
「傭兵大隊内の話し合いはまた別途行っていただくとして」
パン、とヒューゴが手を合わせて話題を切り替える。
「ハクロさんのAランク昇格手続きを開始します」
「おう。具体的には何すんだ」
「あの、その前に……私はいてもいいんでしょうか?」
リリィが恐る恐る小さく挙手して確認する。普通にヒューゴ直々に執務室まで案内されたため流れでそのまま同行したが、Aランク登録の立会いの権利は推薦者が持つという。どう控えめに考えてもリリィは部外者だ。
「本来は退席頂くところですが」
「余が許可した。リリィはハクロの旅の道連れ。彼女の同席なくしてAランク登録は認めん! どうしても退席させるというのならば、余はこの執務室で鍛錬を行う!」
「……と、いうことですので」
ただでさえ病人のように顔色の悪いヒューゴが重々しく疲労を滲ませた溜息を吐く。
つい先日、扉を蹴り飛ばされたばかりである。こんなことで再び執務室を破壊されるくらいならば大人しく折れて同席を認める方が安いと判断したようだ。
「まあ特別なことは何もないので問題ないでしょう。Bランクまでは受付で済ませていた登録処理をギルド支部責任者立ち合いで行い、Aランクにおける諸注意と特権の説明を行うだけです」
ハクロとリリィを応接テーブルのソファに促しながら、ヒューゴは自身の執務机に手を伸ばす。ガチャリと執務机に掛けられた鍵を外し、中から羊皮紙を一枚取り出した。
高ランク依頼の指名時にも使用される契約魔術用の羊皮紙のようだが、付与されている術式が異なるようだ。
「まずは改めてAランクの説明から。Aランクとも呼称される当該ランクの傭兵は大陸全土でも数が少なく、現在は97名が名を連ねています。その一人一人がBランク以下とは別格として管理されており、危険度の非常に高い依頼を最優先で割り振らせてもらっています。平時の依頼選択は本人の意思が尊重されますが、指名があれば大陸のどこにいようと割り振られた依頼を受け、即急に対処する義務が生じます」
「確認。極端な話、大陸南端都市……オルガニカだったか。そこを活動拠点にしている奴が北端のジルヴァレの依頼に指名された場合、馬車なら移動だけで半年近くかかると思うが、急を要するなら転移魔術が必要になるだろう。その場合の魔石コストは自腹か?」
「そうならないようAランクの動向はギルド側で把握し、依頼発生場所の近隣で最も適性の高い者を選出します。……まあ中には依頼から依頼への渡り鳥で所在地が掴めない者もいますが」
「第一位階〝影刃〟と第二位階〝紺碧の冰断〟が典型例だな。奴らめ、所在が掴めたら急行してランク争奪の決闘を申し込むのだが」
「殿下、それが鬱陶しくて彼らは雲隠れしているのではないかね?」
「こほん……話を戻します」
咳払いを挟み、説明を続ける。
「それでも転移魔術が必要となった場合、往路分のコストはギルドで負担します」
「復路は」
「……その昔、復路の魔石費用を申請し、安馬車で帰った事例がありましてね」
「そんなせこ……いえ、みみっち……いえ、えっと、ズルいことした人がいたんですか!?」
「…………」
横で聞いていたリリィも思わず声を上げた。
どこの世界にも狡い輩はいるらしい。
「儂もその件は覚えているよ。Aランクのすることではないだろうと呆れたものだ」
「それに関連して、Aランクの特待の話を。Aランクに任命されると、それまでBランク以下で課せられていた所謂ノルマが免除されます」
「ああ、自ランク依頼の年間完了数だったか」
「ええ。そもそもAランクに分類される依頼というのは数がぐっと少なくなるため、Aランクとなった後もBランク依頼が主な収入源となるでしょう。そういった現状でノルマを課すことは非効率ですので、免除されることとなっています」
「なるほどな」
「まあAランクたる者は情報の機微に長け、率先して相応の依頼を受けに行くべきと余は思うがな」
「またノルマが免除されると同時にギルド側から降格を言い渡されることもありません。ただし、Aランクは何千何万といる傭兵の中でも一握りの者たちに与えられたランクです。相応の立ち居振る舞いと依頼選びが求められます。『相応しくない』と周囲に判断されれば指名の依頼も減り、贔屓にしていた依頼者側も離れていくことになるでしょう」
「十年前は結構おったよなあ。無駄に年期を重ねて酒だけ飲み、Aランクの低位階に齧りついておるだけの老害が。儂のようにさっさと区切りをつけられぬ者共が随分と見苦しいと思っておったよ」
「その手の輩は余が〝鉄腕姫〟の名を拝した時に叩き潰して全部B+ランクにしてやったがな」
「さ、さすがルネ様……」
「個人的なことを言わせてもらえるのならば、オセロット翁はあと10年はAランクに留まっていただきたかったですがね」
「無茶を言わさんな。B+でさえ思い看板だと思っておるのに」
ず、オセロットがと苦笑しながら茶を啜る。
「少しそれましたが、Aランクにおける特待と諸注意は以上となります。まあハクロさんは『太陽の旅団』に所属されていますし、運営方針の舵取りは殿下がなさっておられますから心配はないでしょう」
「うむ! これからはより余が野望のために働いてもらうぞ!」
「…………」
その結果が日々ギルド証のメッセージ機能で不満の溢れ返る人手不足なのは如何なものか。
ちなみに、バーンズの推薦状の提出とハクロのランク試験立会いにハスキー州都を訪れていたレナートとクリフだが、二人とも昨日のうちに早々に転移魔術で旅立った。
ハスキー州都から見て南西側に広がるル=ガント砂漠に発生する魔物は個体数より質が高い傾向にあるそうだが、そこを抜けた南部最大都市オルガニカ周辺は魔物の数も質も高くなる。熱帯雨林気候に由来した林業が盛んだが、樹木系種を始めとした視野が制限された環境をいかんなく発揮する生態の魔物が多く、Aランクはいればいるほどいいと言われる魔境とのことだ。
二人の留守を預かるBランク以下の傭兵たちからは、傭兵大隊の垣根を越えて至急救援を求める声で溢れているそうだ。





