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こぼればなし  作者: やまやま
弐 最悪の黒
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最悪の黒-172_俯瞰の世界

 まるで水中にいるかのような耐えがたい浮遊感。

 足元の踏ん張りが効かない。

 いや、そもそも足元に踏みしめていたはずの石畳がない。

 真っ先にルネによる領域魔術が思考を過った。

 ハクロの防御魔術の精度に対する弱点である浮遊状態を強引に押し付けられたかと警戒したが、浮遊感以外の違和感はない。


 いったいこれは何だ。そう思いぐるりと周囲を見渡す。

 暗く、深い、先の見えない空間だった。

 伸ばした髪の先が首の動きに遅れて続き、ゆっくりと揺れる様は水中のようだが、それでいて呼吸に支障はない。吐き出す度に口や鼻からあぶくが昇るが、吸い込んでも気管に水が入るような不快感はない。

 やたらと暗いくせに手元はしっかりと見えている――流れで眼下に視線をやって眉に力が入った。


 自分がいた。

 いや、自分だけではない。

 鉄の両腕を振りかざし、異様な数の魔術を重ねながら笑うルネもいる。


「これは――」

「やはり貴様も至ったか」


 覚えのある声がかかり、顔を上げる。

 少し離れたところにルネがいた。

 赤々と燃える太陽のような金髪をなびかせ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ル、ネか……?」

「無論、余だ。他の誰に見える」

 かかと笑いながらルネは一歩、ハクロへ近づく。

 目元を覆っていたリボンもなく、魔力染色による金の眼球と赤い瞳孔が露わになっていた。

「それよりもハクロよ。呆けている場合ではないぞ」

「何?」

「余も防戦ばかりはつまらぬ。そろそろ反撃に転じよう」

「な――」

「そこだ」

 すい、とルネは白魚のような指を立て、足元に立つ鉄腕の自分自身を指した。

 そこに魔力が渦巻き、術式を形成。螺旋を描きながら貫通の概念が施された炎魔術が形成された。

「ぐ……!」

 とっさに手が動いた。

 自分自身の意識はこの謎の空間にあるというのに、足元の自分自身を守らなければと咄嗟に判断した。

 防護魔術は間に合わない。ならばと、ある程度形作っていた術式を放出し、自身とルネの魔術の間に挟む。

 じゅお、と鉄が蒸発するような異様な音が響いた。

 凄まじい熱風が吹き乱れたが、魔術そのものの直撃は免れた。

「ほう、その刃は斬るだけではないのか。余の魔術を打ち消し……いや、これは吸収か? 発動時の魔力の流れを見るに、そちらが本質であるな? 熱風の余波は吸収しきれずに破裂したという具合か」

「……どうなってる」

「む?」

「今の刃の術式は完全に制御されていた。俺は自然魔力を用いて形状維持の術式を放っただけだ。吸収の効果までは機能していないはずだ」

 ルネの推測の通り、ハクロの刃の本質は魔力及びその根底概念の吸収と封印だ。その性質上、元居た世界と比べ魔力過多のこの世界では相性が良すぎるため制御が難しく、この試験に臨むまでは可能な限り使わないよう自制していたほどだ。

 だというのに突然制御に無駄も不足もなくなり、本来の効果が十全に発揮された。発揮されたうえで消し飛んだが、それは無造作に放られたにしては火力が高すぎるルネの魔術の方が原因だ。

「さて。そうだな」

 すい、と再びルネが指先を動かす。

 すると新たに魔術が形成され、ハクロへと狙いを定めた。

 それを迎え撃つためにハクロも刃を構える。


 じゅっ


 先程より遥かに小規模な衝撃が吹き抜ける。

 刃の強度を上げ、要求魔力量と吸収魔力量を同等になるよう目算と勘で弾いたが、まだ足りなかったようだ。

 しかし余波は俄然小さく、術式構築が効率化された。

「ふむ。見込みがあるとは思っていたが、よもやここまで呑み込みが早いか」

「おい、いい加減答えろ。なんだこの空間は」

「さてな」

 一歩踏み込みながら訊ねるも、ルネは苦笑を浮かべながら肩を竦めて見せた。

「余も与り知らぬよ。何せこの空間は余が生まれ落ちたその時から()()にあり、余は()()から世界を感じ、()()で魔力を操っておる」

「…………」

「他の者がこの空間を感知できないということは幼い頃に知った。余の魔力制御の根底を知りたいと願った魔術ギルド(マグリナ=アカデミー)職員に知覚共鳴の魔術を施したことがあるが、其奴は血を噴きながら発狂し、記憶が半年ほど消し飛んでしまった。幼心に申し訳ないと思ったものだ」

「つまり……つまり、この空間がお前の魔力操作の根幹……」

「そうだ。余と拳を交えた者の中には極稀ではあるが意図せず共鳴が成立し、この空間に踏み入る……至ることができる者がいる。我が師、ロアーを含めても二人しかおらぬがな。彼らは元々卓越した魔力制御の才覚がある者たちではあったが、双方共にここに至る前と後では比ぶべくもないほど技能が向上した」

「なるほど」

 その言葉に耳を貸しながらも、ハクロは刃を精製する術式を緩めない。

 ルネもまた言葉を続けながらも次々と魔術を放っているからだ。

 しかし不思議と焦りや苦痛はない。

 己の術式形成もそうだが、ルネの操る魔術に関しても手に取るように感じられたからだ。

 魔術が放たれる位置、タイミング、そして威力がするすると入ってくる。それに対してハクロも返す刃で受け止め、魔術の構築を斬り、合間を縫って刃を放つ。

 対するルネもそれらを受け止め、受け流し、破壊し、放つ。

 受ける、放つ、受ける、放つの応酬。

 魔力を手足のように、魔術と刃をステップを踏むのように指し入れ、指し返す。

 その攻防は激しさを増すが、世界を俯瞰するかのような空間から眺めている二人は息が切れることもなく対話を重ねていた。

「ハクロ。貴様もしや、ダンスの教養があるな?」

「あ? あー、ないこともないが」

「やはりか。魔術のやりとりにリズムを感じる。ふはは、なんとも心地よい!」

「王族教育みたいな立派なもんじゃねえよ。学生……あー、ギルド見習い同士のイベントでちょっと齧っただけだ」

「なるほど。余も王家に名を連ねる者として社交の一環でダンスをすることがあるが、余をエスコートできる者がなかなかおらんでな。毎度毎度ロアーを連れ回しておる」

「…………」

 気の毒に、という言葉は寸でで飲み込んだ。

 魔術を繰りながら、ふとルネが視線を外し、ぐるりと周囲を見渡す。

 まるでここでは目が見えているかのような素振りだが、本当に見えているのかもしれない。

「しかし流石にこのような水底のような空間は余も初めてだな」

「この空間は皆こうじゃないのか」

「ああ。余が一人でいる時は日の光の降り注ぐ草原のような空間だ。我が師、ロアーとの位階をかけた決闘では岩肌の目立つ荒れ地のようであった。もう一人は……そうだな、天地逆様の夜の街であった」

「……それぞれの心理空間、なのかもしれんな」

 だとしたらルネの空間が明るい草原であるのも納得ができる。もう一人とやらは分からないが、ロアーは……押しかけ弟子がコレで、義娘がアレで、キリキリと荒んでいるのかもしれない。

 そしてハクロの空間が底の見えない水中というのも、我がことながらそう外れたものではないのだろうと口の端が歪んだ。

「なるほど、心理空間か」

 ルネが納得するように一つ頷く。


「事例が少なすぎる故に特定の呼称はなかったが、そうだな。『ここ』だの『この空間』だの座りが悪い。暫定として『心理の俯瞰』とでも呼ぶことにするか」


 魔術を放ちながら、足元の鉄腕のルネが右の拳を握りしめ、中腰に構えた。

 ただの拳ではない。想定しうるあらゆる魔術に対応しているのではないかと勘繰るほどの術式破壊が組み込まれている。

 力の底が、否、天井が見えないと思っていたが、まだまだ高く、遠くにいるのがそれだけで感じた。

「さて」

 ルネが言葉を区切る。

「名残惜しいがこの辺りにしておこう。ロアーでさえ心理の俯瞰状態で余と言葉を交わせたのは二言三言が限界であったのだ」

「……俺はもう少しやれるぞ」

「ははっ! 嬉しい申し出だが――残念ながら時間切れだ」

 笑みを浮かべながらルネが足元のハクロを指さす。

 それと同時にだらり、とハクロの目元から血が流れ落ちた。

「貴様の肉体の方が限界だ。これ以上は余も本気の治癒魔術を叩き込まねばならなくなる」

「構わない」

「…………」

「もっとだ。この空間について、俺は知らなければならない。ここは俺が求める存在根源……魂に関わる空間だ! だからルネ、もう少し俺に付き合ってくれ!」

「……駄目だ。駄目なのだ、ハクロ。分かってくれ」

「ルネ!」

 ハクロはルネに手を伸ばす。

 しかしその指先はついと空を掻き、何にも触れることはなかった。

 ごぼりと口元から大きな泡が零れ、昇りながら消える。

 それと同時にハクロの体がゆっくりと沈む。ルネの体が離れていく。いやこれはルネの方が浮かぶように遠ざかっているのか。

「ルネ!!」

「心理の俯瞰でこれほどまでに言葉を交わすことができたのは貴様が初めてだ。タマシイ……と、言ったか。貴様の言葉を借りるならば、互いの存在根源が交わった状態での対話だ。嘘も偽りもなく互いの真意のみでぶつかり合える。この蜜月の如き時が永遠に続かぬことが心底惜しい」

「だったら!」

「だがこの空間に貴様が追い求めるものがあると感じるのならば、余との共鳴がなくとも、いずれ己の力のみで至ることができるだろう。再びここで言葉を交わせるその時を楽しみにしているぞ――ハクロ」

 そう言って最後に笑い。

 ルネは太陽のような輝きを放ちながら、姿を消した。


 それと同時に。


 ぐ、がっ


 ルネの鉄の拳がハクロの胴に深くめり込み、ハクロの意識はそこで途絶えた。

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