最悪の黒-168_小さな世界
「暑い……暑いデス……」
「太陽の旅団」拠点を後にしたザラはフラフラとした足取りで魔術ギルドへと向かっていた。
空調の効いた旅団拠点でもう少しまったりしていたかったところなのだが、突如現れたルネによりリリィとティルダが連れて行かれたため、部外者が居残るわけにいかず重い腰を上げて報告のために移動することにしたのだ。
「絶対に……絶対に夏のハスキー州都には二度と来マセン……」
右を見ても左を見ても、陽炎が立つほどの熱気に包まれた街並みを歩いているのは暑さに強いドワーフだけだ。彼らも多少汗ばんではいるがまるで平気な風に暑苦しく大音量でがなるように笑っている。
「うぅ……目眩がしそうデス……」
「おう、そこの黒毛の姉ちゃんフラフラだな!」
「夏のハスキー州都は暑かろう!」
「キンキンに冷やしたビールあるぞ! 一杯どうだ!」
「アハハ……」
まだ日も高いというのに工房の軒先に低いテーブルを引っ張り出して酒がなみなみと注がれたジョッキを掲げていたドワーフが声をかけてくる。今日のノルマは片付いたのか、仕事中だが水代わりに飲んでいるのかは知らないが、ハスキー州都ではよく見かける光景だ。
一方でこの時期に暑さに耐性の低い獣人を見かけるのは彼らからしても珍しいのか、ここに来るまでに何度か声をかけられた。既にザラにはそれに返す気力も残っておらず、愛想笑いで誤魔化しながらなんとか歩みを進める。
「魔術ギルドまで……もう少し……もう少しで空調が……」
――カッ
「……あ?」
その時、一瞬ではあったが体感温度が跳ね上がった。同時に辛うじて残っていた気力が消し飛び、ふらりと足下がもつれる。
「あん? なんか今すげぇ熱風吹かなかったか?」
「おう。どっかの馬鹿が工房爆発でもさせやがったか?」
「にしてはそんな音は聞こえなかったが……って、おい!? 黒毛の姉ちゃん!?」
「は? お、おい!? 姉ちゃん大丈夫か!?」
「とりあえず日陰に連れてけ! 水かけてやれ!」
「……はひぃ……」
ドサリと目を回して転んだザラの元にドワーフたちが集まり、やんややんやと一騒ぎ起きた。
* * *
「『太陽を灼く小さな世界』」
魔力の込められたルネの言葉に呼応し、術式が形成される。
音すら起こさず消し飛ぶような業火の中、ルネは涼し気に笑みを浮かべていた。
「余の編み出した魔術の中で最も威力と効果範囲の調整が可能なものだ。付与した魔術概念により骨も残さず燃え尽きるような感覚を覚えているかもしれぬが、今回はそこまでの火力は出しておらぬ。まあ心に肉体が引き込まれて多少の火傷は負うかもしれぬが、すぐに治癒魔術をぶち込めば痕も残らぬだろう」
ガシャン、とハクロの剣を弾いた片足が下ろされる。
それと同時に闘技場を覆っていた炎の領域術式が解除され、鎮火した。
「しかし貴様は素晴らしいな。余がこの魔術を人相手に発動したことはこれまでただの一度も――……?」
対戦相手を褒め称える朗々とした言葉が、不意に途切れる。
光は見えなくとも世界を感知できるルネの両の魔眼が違和感を捉えた。
気を失っているのか、意識はあっても身動きが取れない状況にあると思われていたハクロの存在が端から燃える。
さながら紙切れのように。
「これは奴の……!」
確かシキガミと呼ばれた魔術。
自分自身の姿を模し、事前に組み込んだ反応を返すだけの魔術だとハクロは言っていた。しかし紙という使い捨てを前提とした魔導具にしてはそこに込められた術式が濃すぎて、ルネをして一目では術式解析には至らなかった代物だった。
故に光ではなく魔力を感知するルネには、本人と術式の見分けをつけるのに若干のラグが生じてしまった。
「どこに――!?」
魔力探知を改める。
しかし自身の発動させた世界を焼き尽くす魔術の残滓が陽炎として揺らめき、平時のように上手くいかない。
否。
一カ所だけ、不自然に揺らぎがない空間があった。
そこには今まで肌で感じたことのない複雑な術式の残滓が漂っている。込められた概念は読み解けずとも、効果はすぐに理解できた。
防護術式だ。
「っはは!! 素晴らしい! 余の魔術を防ぎきったか!!」
ドクドクとルネの鼓動が高鳴る。
血潮が体内を巡り、生まれ持って不足しているはずの臓器を補うように形作る魔力塊にまで行き届く感覚を感じる。色白の肌が耳の先まで真っ赤になるほどの高揚を抱えながら、ルネは右の鉄腕を大きく振りかぶった。
「良い! 実に良い! もっとだ! もっと余を楽しませてくれ! ハクロ!!」
そして振り下ろされた拳は――何一つ感触を返すことなく、空を切った。
「……は? ――っ!?」
めり、と右の脇腹が軋む。
その時になってようやく、ルネの魔力探知が正しく機能を始めた。
「ハク、ロ……!!」
「…………」
背後から片刃の剣の峰で振り抜いたハクロは、そのまま膝をつく。
その手に握られていたのは、切っ先から鍔、柄まで純白の美麗な刃だった。
「……俺の家系の術式は……空間の制御に秀でている」
魔術の影響で喉が焼けてしまったのか、ガサガサとした声音だった。
「俺のいた世界は……魔力が、希薄だ……だから自然と魔物も……少ない魔力でより生存率を高めるため……人の魔術と同等……いや、それ以上の効能を発現する力を持つ」
「…………」
「中には自身の領域に……捕食対象を閉じ込め、優位に立とうとする上位種も存在する。それに対抗するために……俺の一族が編み出したのが……限定的な空間支配だ」
「つまり、余の領域術式の中で自身の空間を奪取して逃れたというのか……!」
「まあ……自力じゃ間に合わなかったろうが」
焼け焦げた石畳に切先を突きたて、もたれかかるように握る刀の石突にハクロは額を押し付けた。
元々使っていた柄なしの片刃剣がルネに蹴り飛ばされた際、その衝撃で刃を形成する術式が弾け飛んだ。
そもそも術式によって魔力から形成された物質である。そのため魔力残滓を体内に還元し直せば何度でも再度具現化することは可能だが、流石に即座に喚び出すことは出来ない。
得物を失い、魔術の発動を前にしてここまでかと諦めかけたその瞬間、ハクロの手に白い剣が握られた。
ハクロが喚び出したわけではない。
刃に封じられている者の意志により、自ら外界に具現化し――ハクロの周囲の術式を斬り抜いた。
「…………。はあ……」
自虐と敬意のこもった溜息を吐く。
それに対し呆れるように白い刃は手の中から姿を消し、魔力となってハクロの循環へと還った。
さて、とハクロは顔を上げる。
一の刃は修復に時間がかかり、二の刃は当分の間応えてもくれないだろう。
その他の術式はまだいくらか用意があるが、喉が焼かれたのが少々よろしくない。制御が危ういこちらの世界で声なしで繰るにはリスクが大きい。
そんな状態で――
「面白くなってきたな、ハクロよ!!」
――闘志の尽きないルネを、もう少し満足させなければならないらしい。





