最悪の黒-135_フェアリー
そんな雑談を交わしながら馬車を進める。
最初は森の奥の方に何人かのフェアリー族を見かけただけだったが、しばらく馬車を走らせていると、時折すれ違うほどの距離で木陰から飛び出してくることがあった。
しかし誰も彼もこちらには見向きもせず、せいぜいちらりと視線を投げかけるだけだ。うち1人もタマにぶつかる直前になって気付いて飛行の軌道を逸らしただけで、こちらには文句や謝罪どころか声をかけることもなかった。
「なんつーか、無愛想だな」
「無愛想と言うか、本当にこちらに興味がない感じがしますね」
自分の興味があること以外眼中にないというのは聞いていた話だが、あそこまで無気力にぼうっと飛んでいるのを見ると些か不気味だった。湖都との境界でザラから飴を受け取ったフェアリーの少年とは印象がだいぶ違う。
「恐らく、彼はフェアリーとしては老年なのデショウね」
「え? さっきの方、子供に見えましたけど……」
「エルフみたいに老化が遅いんじゃねえの?」
「いえ、薬師や医術師は患者さんと受答えができない場合もあるので、おおよその年齢を把握するために魔力の質で判断してるんです」
言われてフロア村に滞在していた時にカーターに言われたことを思い出す。
この世界に長命種族と呼ばれているのはエルフとドワーフだが、ドワーフはおおよそ60代までは他種族と同等の速度で老化し、その後老年期が長く平均的に200から300年が寿命とされる。一方でエルフは10代後半までは他種族と同等の速度で成長するものの、その後の青年期がとにかく長く、300を超えてようやく老化の兆しが起こり、平均寿命としては400から500年とされる。
そしてエルフはこの世界でもっとも人口の多い種族であり、他種族と同等の外見年齢に見えても実は200歳を超えている、などということがごく当たり前に起きる。そのためエルフや医薬ギルド等の人命に関わる職に就いている者は相手の発する魔力の質を感知し、年齢を把握する術を自然に身に着けている。
そんな薬師のリリィ曰く――
「さっきすれ違った方、どんなに高く見積もっても10代半ばくらいでした……」
「…………」
どういうことかと振り返りザラに視線を向けると、彼女は反応に困るように苦笑を浮かべていた。隣では箱の中からもティルダが不思議そうにザラを見ており、人見知りよりも好奇心が傾いているようだった。
「流石は薬師のリリィさんデスね。相手をよく見てらっしゃる」
「えっと……」
「その通り、先ほどの彼はおおよそ10代前半といったところなのでショウ。ワタクシはそれほど目を養っておりまセンので、それくらいしか分かりまセンが」
こてんと首を傾け、柔らかく尾を揺らすザラ。
「先程、湖都のフェアリー族は病気も怪我もしないと言いマシたが、厳密には違うのデス。……彼らはある程度の年嵩になるとほぼ例外なく、心の病を患いマス」
「え……」
「湖都におけるフェアリー族の平均寿命は10年から、長くとも20年とされています。そして死因の全てが――自殺デス」
湖都を出るフェアリーが少なすぎる故に世間ではほとんど知られていないデスが、とザラは困ったように、それでも言葉を濁すことなく続ける。
「フェアリー族は極端な快楽主義で、自分の興味のあることしかしマセん。イエ、むしろ出来ない、と言った方がいいかもしれマセんね。そして彼らの興味の対象とは自分たちの魔法を置いて他にありマセん。湖都に生まれたフェアリーはその日のうちに自我に目覚め、魔法に心惹かれ、そして極め――極めてしまうと全てがどうでもよくなり、自ら命を絶つのデス」
「…………」
「リリィさん」
それまで他が口を挟む隙を与えず、流れるように言葉を並べていたザラが一呼吸置き、絶句していたリリィに対し首を傾げながら笑いかける。
意味深に、意味ありげに。
「可哀そう、と思いマシたか?」
「え……」
「イエ、可哀そうという言葉では言い表せない、何か不可解な、それでも決して前向きではない感情を抱きマシたか?」
「それは……」
「デスが今ワタクシたちがこうして『不自由なく』生きているのは、彼らの魔法を魔術として置き換えた者がいるからデス」
「ザラ」
そこでようやく、ハクロが口を挟む。
するとザラは意味深な笑みをすっと引っ込めて小さく頭を下げた。
「申し訳ありマセん。デスが今回の依頼に際し、繋がる話題でありマシたので、口が過ぎマシた」
今は魔術ギルドの職員制服のローブを身に着けているが、それはあくまで彼女が不特定組織盗賊ギルドのメンバーとして動くための仮の姿だ。本来のザラの所属は僧侶ギルドであり、そして尼僧でありながら盗賊ギルドとして生きることとした理由――それが、僧侶は何故死者に対して祈るか分からなかったからである。
そんな彼女にとって、魔法を極め、飽いて、十数年で自ら命を絶つフェアリー族がどのように見えているのか。ハクロにすら到底理解できるとは思えなかった。
「今回の依頼の魔術書の書架整理……その筆者がフェアリーの魔法を魔術に落とし込み、魔術書として記しているという認識で良かったな」
「ええ、ええ。その通りでゴザイます」
いつも通りの芝居がかった口ぶりと仕草に戻しながらザラが大仰に頷いた。
「魔術ギルドの元副ギルド長、原初の魔術師、異常者、魔術書の生みの親――彼のフェアリーを言い表す言葉は枚挙にいとまがないデスが、兎角、世のありとあらゆる魔術と魔術書は彼が同胞の魔法を元に生み出したと言われていマス」
「ありとあらゆる、ね」
「ええ、ええ。ありとあらゆる、デス。その実績と被害故に追放と登用を幾度となく繰り返しているそうデスが、もはやそれを把握している者はいないデショウ」
「ちょ、ちょっと待ってください! ありとあらゆるって、フェアリーは10年か20年で自ら、その、命を絶つって……でも魔術ってもう何百何千年も前からありますよね!? そもそもジオフェルン……さんが魔術ギルドを追放されたのが50年前って……」
「ええ、ええ。その通りでゴザイます」
ザラはにこりと笑みを浮かべながら口元に人差し指を添える。
「先程の説明にもう1つ補足をば。フェアリーは長くとも20年で自死を選びマスが、肉体的には老いることなく、理論上は半永久的に生きることができるのデス」
「え」
「…………」
だろうな、とハクロはポーチにしまわれた魔導具を指で撫でながら無言で手綱を握る。
だからこそ先程から油断できず、周囲への警戒を緩められない。
「そしてこれから向かう書架を生み出す魔術書の著者――ジオフェルンはツルギ王家創設後間もなくこの世界に生まれ落ちたフェアリーとされていマス」
「王家創設後間もなく!? そ、そんな……そんなことがあり得るんですか!?」
「ええ、ええ。彼の興味の対象は『魔法の魔術化』――ンフフ、この湖都でフェアリーが生まれ続ける限り、彼が満足することなく、また自死を選ぶこともないということデス」
「い、いえ、そういうことではなく……だって、フェアリーだって生き物ですよ!? 死なないなんて、あり得な――」
「生き物、ねえ」
思わずハクロは口を突っ込む。
まあ広義としては生き物ではあるのだろう。それを否定することは故郷にいた隣人を拒絶することになる。そんなつもりはさらさらないが、だがそれはそれとして、根底は全く異なることは認識しなければならない。
「俺から言わせれば、あいつらは人の意思があるだけの魔物にしか見えねえんだがな」





