シスプラット平原の戦い 冒険者編。
亜人の国と小国の狭間にある広大なシスプラット平原で睨み合う二つの軍を眼下に見下ろし、魔女はうっそりと微笑む。
「うふふ、アーサー王達は居なくなったわ。 さて、残った貴方達は私の敵かしら?」
クスクスと嘲笑いながら見下ろす魔女の視線の先には、愚王を討つと宣言して姿を消したアーサー達のことで情報が錯綜して右往左往する王国軍の姿と、声を張り上げ魔女を捕らえようと動き出す亜人の国の軍の姿が見えていた。
「皆、一斉に掛かれ! 魔女を捕らえ王国軍へと差し出せばれば、我らは助かるのだ!」
詳しい情報は与えられていない一族が集まった軍団は、戸惑いながらも上層部から派遣されてきたその男、ある一族の族長でもあるクライスの言葉を信じるしかなかった。
だが、そんな亜人の国の軍へ向かって大声を上げながら近づく4人の人影があった。
「亜人の国に生きる我らが同胞よっっ! 魔女へ剣を向けてはならないっ! 今すぐ大切な一族の元へと戻るのだ!!」
二つの軍が対峙し、その中間に開いている大地を馬に跨がり駆けて行くのはギルバートやランスロットを筆頭にした冒険者達であった。
「出たなっランスロット! この汚らわしい裏切り者っっ! 皆の衆、裏切り者の言葉に耳を傾けてはならぬ!」
クライスは、己の一族でありながら裏切ったと心から思っているランスロットの姿を確認すると憎悪の籠もった視線で射貫くように睨み付け、唾を飛ばしそうな勢いで叫び始めた。
……だが、その叫び声も長くは続かなかった。
馬を駆ける4人の内の一人が、亜人の国の軍の中心にいるクライス目指して戦場中に響き渡るような大声で叫びながら突撃してきたからだ。
「ふっざけんじゃねえぇぇっっっ!!
俺はランスロットとギルバートから聞いたぞ! お前ら亜人の国の上層部の奴らは、マーズ湖畔の側に住んでいたエルフの一族でエストレーヤって奴らを王国への生け贄にして自分たちだけ助かるように仕向けたんだろうがっっ!!」
その怒りの籠もった叫びに、亜人達はざわめく。
「おい、あいつは人間なのにどうして悲劇の一族の名を知っているんだ?」
「……ランスロットと言えば、あの冒険者グループ“電光の牙”の一員だろう? 彼から聞いたなら……」
「だけど、ランスロットを裏切り者と叫んでいるぞ。」
「……彼を知っているけれど、何の理由もなく裏切る方じゃない!」
「なら……あの人間が言った言葉は……本当のことなのか?」
ざわめきはどんどん広がり、疑惑の籠もった眼差しは全てクライスへと向けられる。
「貴様らなんだその目はっ! この儂よりも、あの人間を信じるというのかっっ!!」
疑いの眼差しを受けたクライスは、焦りを誤魔化すように大声を張り上げる。
「……そうではありません。 けれど、我らは何時だって“電光の牙”に助けられました。 だからこそ、彼等の言葉を何の根拠もない戯れ言だとは思えぬのです。」
クライスの側にいた戦場に集まった一族の長の内の一人が、クライスへ諭すように声を発する。
その言葉に、他の長達も静かに頷く。 彼等は強力な魔物が出現した際や危険な場所へと赴く時に護衛や討伐を買って出てくれた“電光の牙”と面識があり、関わる機会は少なくなかった。
だからこそ、一方的に彼等“電光の牙”を否定するクライスの言葉が信じられなかったことに加え、戦場へと派遣されたのはクライスだけであり、上層部に関わりの深いクライスの一族は誰一人この戦いに参加していなかった。
彼等長達も愚かではないのだから、そのことに不信感を抱いていたのだ。
そんな心情では、クライスのために迫り来るマルスを邪魔する者など居なかった。
どんどん近づいて来るマルスの姿にますます焦りを募らせるクライスは、言ってはならない言葉を思わず口にしてしまう。
「上層部の下したエストレーヤを犠牲にするという決断のおかげで、お前達だって今まで生き残れてきたのだ! つべこべ言わずに、今度はお前達が亜人の国の礎になるのだ!!」
クライスは言ってしまった後に己が何を言ったのかを自覚して口を押させる。
しかし、口から出てしまった言葉を無かったことにするなど不可能なことだった。
「それがてめえらの本心かっっ!!!」
大きな体躯の軍馬がクライスの目の前に迫る。
「俺はあんまり頭が良くねえから、てめえらの考え方なんざわからねえ!
けどなっ! 俺は仲間を見殺しにして平気な顔をしてる、てめえらの考え方なんざ糞喰らえだっ!!」
その軍馬の鐙を力強く蹴り上げて、空中へと飛び上がったマルスは、その勢いを殺すことなくクライスの顔面を殴り全体重を掛けて地面へと叩き付けた。
「それとっ! 俺の仲間を馬鹿にするんじゃねえっっ!!!」
「ぐびゃっっ」
マルスの拳を受け、地面がひび割れる程の威力で頭部を叩き付けられたクライスの顔面は折れた鼻から出た鼻血で顔面は汚れ、残り少なかった歯と入れ歯の全てが叩き折られていたのだった。
「マルス……ありがとう。」
「全くお前という奴は……だが、我らを思っての言葉、心より感謝する。」
単騎で突撃したマルスに追いつくようにして辿り着いたランスロットとギルバートは困ったような、だが嬉しそうな表情を浮かべる。
だが、紅一点であるアリアだけは怒った表情を浮かべて、ズンズンとマルスへと近づく。
その表情を見たマルスは今までの威勢の良い表情を消し去り、焦ったように逃げ場を探し始める。
「もう、マルスたらっ! 無茶はしないと約束したでしょう!」
「いてえっっ! ちょ、待てって! いたたたっっ! ごめん! 悪かった! 俺が悪かった!!」
逃げることも出来ずアリアへと捕まってしまったマルスは、アリアの手によって耳を力一杯引っ張られてしまった。
「……いい加減、落ち着いてよね。 貴方がそんな様子では、私は側を離れられないじゃない! 私だって、他の女の子みたいにあの国で暮らしていこうと思ってるのに。」
ムスッとした表情でマルスを叱っていたアリアは、ため息を付きながらマルスの耳から手を離す。
「あー、痛かった!……つーかよ、お前みたいな凶暴な魔法使いを嫁にしたがる奴は、俺以外あんまりいないと思うけどな。」
「誰が凶暴な魔法使いよ!……って……え……?」
引っ張られていた耳を押さえたマルスが何でもないかのように普通に答えた言葉に、普段通りに返事を返そうとしたアリアはその言葉に混じっていた聞き捨てならないことに疑問の声を上げてしまった。
普段通りにじゃれるように言い合う二人を見守っていたランスロットとギルバートも、亜人の国の者達も、聞き間違いだと思ってしまった。
「ね、ねえ、今の私の聞き間違いよね? 何か変な言葉が混じってた気がしたんだけど!」
困るけど嬉しいような、恥ずかしいけど期待するような、複雑な感情でアリアは、マルスへと確認しようと問いかける。
「んあ? 何か、俺変なこと言ったか?」
アリアの問いかけに対して普段と変わら無い様子で応えるマルスの姿に、アリアは何を期待していたのかと恥ずかしくなる。
「……何でもないわ。 そうよね……貴方があんなことを言うはずが……」
「俺は普通にアリアを嫁に欲しいって言っただけじゃねえか。」
マルスの言葉にアリアだけで無く、周囲も音をたてて固まってしまった。
「……えっと、冗談よね?」
マルスの言葉で固まっていた者達が、次々と驚きの叫び声を上げるなかアリアは力なく笑いながら冗談なのかと確認してしまう。
「お前な、いくら俺だって冗談でこんなこと言わねえぞ。 冗談で言った相手がお前じゃなかったらどうするんだよ。」
「……」
「あ、返事はすぐじゃなくて良いぞ。 親父が言ってたけどよ、女を急かすような真似はするもんじゃねえんだろ? 本気で愛してるなら待つのも男の甲斐性だって言ってたからな。」
「……か、考えときます……」
「おう!」
全く照れることもなく、世間話をするように戦場のど真ん中で、しかも殴り倒した敵の真ん前で求愛したマルスへと、アリアは考えると答えるだけで精一杯だったのだった。
周囲の者達が引き攣った表情を浮かべたり、同情するような眼差しをアリアへと送るなか、マルスだけは晴れやかな空に輝く太陽のような満面の笑みを浮かべるのだった。




