魔女王の想い。
亜人の国との境界線のある小国の宿屋の一室に魔女王の姿は有った。
この宿屋は、冒険者パーティー"電光の牙"がよく使っている気心しれた宿屋の一つだった。
現在、冒険者達はギルバートとランスロットを中心に亜人達を少しでも移住をさせるための活動を地道に続けていた。
冒険者達の護衛兼監視役としてアイリスは冒険者達へと同行し、魔女王の元にはマルスとアリアだけが残されていた。
いつも通りに振る舞う魔女王の姿に違和感を感じているのは彼等の中では、アイリスと……マルスだけだったのである。
「……なあ、聞いても良いか?」
「……何かしら、マルス?今、私は本を読んでいるのだけれど。」
「そのページから全く先に進んでねえのに?」
「……熟読したい気分なのよ。」
魔女王は手に一冊の本を持っていたが、なかなかページが進むことはなかった。
「……なあ、執事の兄ちゃんとなんかあったか?」
「何も無いわ。」
「……だったら、なんで本を力一杯握り潰してんだよ。」
マルスの言葉通り魔女王の手の中にあった本はグシャグシャになっていた。
「……本当に何も無いの。」
「……ああ、振られたのか!」
分かったとばかりに明るい笑顔を浮かべたマルスの顔面ぎりぎりを何かが掠めて、通り過ぎる。
大きな音を立てて、壁に罅を入れて突き刺さったのは魔女王が手に持っていた本だった。
「あっっあっぶねえっっ!!」
「うふふふふふ、お気に入りのマルスでも、あんまりおいたが過ぎると優しい私も怒っちゃうわよ。」
「……もう怒ってるし、何処に優しさがあるんだよ。」
「あら、マルス?今すぐ雲の上から自由落下したいのならば、遠慮しなくて構わないわよ。」
「すんませんでしたっっっ!!!」
マルスの謝罪の言葉に少しだけ溜飲を下げたのか、窓辺へと視線を向け始める魔女王。
「……別に振られた訳じゃないわ。だって、レディウスが私を見ていない事なんて知ってたもの。勝手に私が好きになって、ずっと想ってただけよ。」
魔女王には、ずっと心に引っかかっていたことがあった。
この世界の中で、レディウスだけが魔女王になる前の幼い少女を知っているのだ。
レディウスが従者として仕えていた純粋無垢な幼い姫君、レティシア姫。
大人達の暴力に耐えきれず死んでしまったレティシアの心、身体を生かすために本能的に交代するように表面に出てきたのは事故で死んだ異世界の女、"美月"の心。
そんな平和な国の生活しか知らない美月の心も暴力の嵐を前にすぐに限界が来た。
……歪んで変わってしまった"彼女"は、レティシアにも美月にも、戻れない存在だから"ミツキ"と名乗った"彼女"。
黒薔薇の魔女王ミツキ、それが今の"彼女"だった。
……この世界で、ある意味全ての"彼女"を知っているはずのレディウス。
幼いレティシアが憧れ、美月が彼だけでも助けたいと願い、二人の想いを受け継いだ"彼女"は何時の頃からか彼を大切だと、側に居たいと願ってしまった。
でも、レティシアの心の死を知らない彼にとっては、何時までも"彼女"はレティシアのまま。
確かにレティシアは"彼女"の事だった。
だが、"彼女"は今レディウスの目の前にいる"彼女"を好きになって貰いたかった。
説明しなければ"彼女"達の事など分かるはずがないのに、"彼女"はレティシアの心の死を知った彼が離れていくことの方が怖かった。
精一杯、彼の気を惹こうとこの身体の年よりも背伸びをして、彼が嫉妬してくれることだけに安堵してた愚かな"彼女"。
「……最初から、勝ち目なんて無かったのよ。」
綺麗なままの純粋無垢な笑顔だけを残して死んだレティシアに叶うはずが無かったのだと自嘲せずにはいられなかった。
「……あのよお、俺は恋だの、愛だの、よくわかんねえけどさ……」
無表情に街を見つめる"彼女"こと、ミツキの背中に、マルスは頭を掻きながら声を掛ける。
「別に其処まで深刻に考えなくてもよくねえか?」
「……は?」
「だってな、別に一回振られたら諦めなけりゃあいけない決まりはねえだろ?」
「……え?……それは……そうだけど……」
マルスの言葉に彼の方を振り返り、目を丸くしてしまうミツキ。
「俺の親父は、お袋に振られても、振られても、めげずに何回も告白して、数十回の告白の果てに結婚したらしいぜ。」
「……普通、諦めるでしょう……それは……」
「おう、普通はそうだよなあ。
でも、どうしても振り向いて欲しいくらい大好きだったんだと。
ただ、もし親父以外の男にお袋が惚れたとしても、笑ってくれてりゃあそれで良かったらしい。」
「なにそれ……」
「まあ、お袋が幸せならそれで良かったんだろうな。でも、そうなってもお袋への想いは変わらなかっただろうなあって話してたぜ。」
「……」
「だから、魔女王もそんな表情をするうちは諦める必要はねえだろ。
あんたの場合は、まだ小さいんだから勝負はこれからだろうが。あの執事の兄ちゃんが振り向くくらい良い女になればいい話だし、その方があんたには似合ってると思うけどな。」
「……」
マルスの話を呆然とした表情で聴いていたミツキの腹の底から笑いが込み上げてくる。
「……ふ……ふふ、うふふふ!あははははは!!」
「うおっ、ま、魔女王?」
突然笑い出したミツキに驚きの声を上げるマルス、そんな彼に構う余裕はミツキにはなかった。
ミツキの心の中は、今までのどんよりとした気持ちが嘘のように晴れ渡っていた。
「ふふふ、そうね。私らしくなかったわ。
私は、黒薔薇の魔女王!
例え、光り輝く栄光の道があったとしても私の好みでなければ選ぶことはなく、血と怨嗟にまみれた奈落へと続く茨の道であったとしても私の好む物であれば突き進む。
どんな道であったとしても私の好きに切り開き、私が通った道こそが私の生きた道。
ふふ、レディウスの一人くらい何だって言うのかしら?
私は、私の好きなように生きて振り向かせればいい話だもの。」
マルスは、ミツキの言葉を聞いてちょっと後悔し始めた。
落ち込んでるくらいの方が静かで良かったかもと。
「マルスっ!」
「はいぃぃっっ」
「礼を言うわっ!……ふふ、本当に私らしくなかった!欲しければ奪えば良いのだわっ!!
男の心一つ奪えずに何が魔女王よっ!!
うふふふふ、待ってなさいっ!ぜーったいに振り向かせてみせるわっっ!!」
マルスの言葉に元気を取り戻したミツキは、艶やかな笑みを浮かべるのだった。




