一難去ってまた一難とはいかがなものだろうか?
スカートをたくしあげたまま、ダッシュでお屋敷の中を駆ける。ここ、どこだろうか。さっきのおばあさんに訊いておけばよかった。
台所。多分そういうのは一階よね。運良く階段を見つけて駆け下りると、ふわりといい匂いがした。よし、この匂いを辿ればきっと台所!
目当ての場所は意外と容易に見つかった。ノブに手をかけたところで少し逡巡し、たくしあげていたスカートを下ろした。匂いがするということは人がいる。この世界では女性は皆長いスカートを穿いているし、確かめたことはなかったけれど、多分脚を見せるのがタブーなんだろう。逃亡にあたって、無駄に人目を惹く必要はない。ただ、走れるように手で裾を持ち上げた。
「あれ、あんたは……?」
厨房には何人かの人が働いていた。見知らぬ顔のわたしに怪訝そうな表情を浮かべたけれど、無視して強行突破を果たす。
「失礼します!」
「ちょっと!」
背後から怒鳴り声が響く。不審な人物が走り抜けたらそりゃとめるよね! でも止まるわけにはいかない。陰険眼鏡に見つかったら終わりだし、逃げたのはすぐバレると思う。時間との戦いだ。
「追え!」
下っ端の人らしき人が追いかけてくるけれど、必死に逃げる。目の前に使用人用の勝手口があるので、取り付いてこじ開けた。とにかく、街まで行かなくちゃ。こんなお屋敷があるところだ、きっとギルドもある。閉じられたここより、他の人がいるところの方が話は聞いてもらえそうだよね。
全速力で走るので、息が上がって苦しい。でも、逃げないと大変なことになりそうな予感がして、スピードは緩められなかった。もう! このドレス走りづらい!
目の前から人がやってきた。黒っぽいローブを着ているその人は旅行者だろうか。膨らんだ鞄を肩にかけていた。
「捕まえてくれぇ!」
背後の追っ手がその人に声をかける。呼びかけられた声に反応して、背の高いその人が顔をあげた。
ヤバイ! 捕まったら終わるかも!? いやいや、せめて騒いでギルドの人引っ張って来させよう。
「どいて!」
押しのけるようにして横をすり抜けようとしたけれど、やっぱりダメだったらしい。網みたいなものに身体が絡め取られる感触がして、わたしは道に転がった。肩から落ちて、結構痛い。顔、擦りむいたし。
……ちょっと待って、網? なんでそんなものが⁇
「ありがた……うがぁっ!」
背後の追っ手が礼を言いかけ、なぜか悲鳴をあげた。地面に転がったままそちらを見ると、厨房にいた若い人が、血にまみれて倒れている。え? 血⁇
『邪魔だ』
意味のわからないその言葉を聞いた瞬間、鳥肌が立った。だってその言葉は、ナザフィアのものじゃない。
『見つけたよ、私の花嫁』
「いやぁっ!」
そこで笑っていたのは、ヤークトのあの魔法使いだった。ローブのフードを上げると、金の目が嬉しそうに眇められているのが見えた。
なんでいるの! 捕まってるんじゃないの! ノイエさん、ヌェトさん! 脱走させてるんじゃないわよ! 職務怠慢でしょ!
真っ青になって悲鳴をあげたわたしに、犯罪者が触れた。歪んだ笑みが、整ったその顔に浮かぶ。なにこのシチュエーション。捕まっていたはずの誘拐監禁強姦未遂魔が追ってくるとか、ホラー映画か。誰か嘘だって言って!
『ああ、これだ。この魔力……探したよ。逃げるなんていけない子だ。貴様たちがいなくなって、追うのがどれほど大変だったか。局長の目を盗んで、新年祭の騒ぎに乗じて抜け出したものの、一歩間違えれば減力の刺青を入れられるところだったんだ』
逃げなきゃ。懸命に身体をひねり、掴まれた手首を解こうとしたけれど、反対に力をこめられただけだった。
「痛い! 離して!」
『貴様たちのせいでヤークトにはもう戻れん。が、この力を使えば国などたやすく滅ぼせそうだな。手始めにこの国でも制圧するか』
なんだろう、以前会ったときより目がギラギラしてる気がする。正気じゃないような、話が通じなさそうな目線に、冷や汗が伝う。いや、元から言語の問題で話は通じてないけども。
ああ、でもどうしよう、この人は魔法使いだ。このまま接触してたら絶対マズい。とにかくこの手をふりほどかなくちゃ。
「ようやく見つけたよ。待ってたのに逃げ出すとか、どういう了見?」
「っ!!」
犯罪眼鏡と格闘していると、うしろから不機嫌な声が投げかけられた。見なくてもわかる、陰険眼鏡だ。てか、どちらも犯罪者だけど。誘拐とか、普通に横行してるんだろうか、この世界。
それにしても犯罪眼鏡に手こずってたら、陰険眼鏡に見つかったとか、全然笑えない。どっちに転んでも身の危険を感じるし。危険度は犯罪眼鏡のが高いけど(殺傷能力あるし)、陰険眼鏡も厄介だ。
どうする!? どうするわたし!?




