禍福は糾える縄の如しとはよく言ったものですね?
“黒猫亭”でのアルバイトは順調だった。新メニューとして出したお好み焼きはとても好評で、調子に乗ったわたしはその後チーズが入った洋風茶碗蒸しなんかを作って、またまたそれが新メニューとして迎えられたり、なんていう日々を過ごしていた。
だから、正直その日は少し浮かれていたのだと思う。
「おう、嬢ちゃん、給料だ」
「わあ!」
その日の朝、黒猫さんから渡された初給料は、思いの外多かった。正直もらいすぎだと思う金額だったけれど、聞けば、新メニューの分の上乗せだそうだ。
「で、なにを買うんだ?」
「へ?」
「プレゼントだよ。買うんだろ、カイに」
なんでそれを知ってるんですか!?
なんでもないことのように話す黒猫さんに、わたしは心底驚いた。なんだ、そのリサーチ力!
「カマかけただけだったが、当たったんだな」
「……黙っててくださいね」
カイに知られたらいけないわけじゃないけれど、できたらびっくりさせたい。
「そりゃ構わねえけどよ。で、なに買うんだ?」
「……決まってません」
そう、ここまできてまだ決まってないんだよね!
さりげなくカイに欲しいものを訊いたりもしたんだけど、大概その質問は入れてはいけないカイの暴走スイッチを押してしまうので、詳しくリサーチする暇を与えてもらえなかった。正直、バルルークさんのお家やこの黒猫亭でなければ、行き着くところまで連れて行かれそうな勢いだったので、リサーチは二度しただけで諦めてしまったのだ。
そして黒猫亭との往復しか許されていないわたしは、お店を見ることもできず、今に至る。
はっ、この状態じゃ買うこともできなくない!? 今更それに気づいたわたしは、ちょっとお馬鹿な気もする。
「魔石とかどうだ?」
「魔石?」
「おまえさんが首に下げてるそれだ。守護石とも言うな」
言われて胸元を見ると、バルルークさんからもらった蒼い石が揺れていた。マシュマロマンの攻撃からわたしたちを守ってくれた水の守護石。
「あいつは傭兵だ。もうおれが歯が立たないくらい強くなってるだろうが、それでも魔法への対抗法は少ない。おまえさんが持ってるそれまでいいのは買えないが、一度くらいなら凌げるくらいのものは買えるだろう」
なんて素敵アイデア!
感激しているわたしに、黒猫さんはさらに素敵な提案をしてくれた。
「ちょうどメルルが出かける用事があってな。荷物持ちについてってくれや。で、その帰りに魔石屋行ってこい。メルルが見立ててくれるはずだ」
「ありがとうございます!」
なにからなにまでありがとうございます!
もう黒猫亭に足を向けては寝れないな。このご恩は労働にて返させていただきます!
「ナギちゃん、支度できたかい?」
「メルルさん! はい、いつでもばっちりです!」
タイミングよく大き目のバスケットを持ったメルルさんが現れた。もしかして夫婦して示し合わせてくれてたのかな。
わたしはメルルさんの手のバスケットを奪い取った。メルルさんは遠慮したけれど、ホラ、名目荷物持ちですし?
「食堂の方をご贔屓にしてくれてる常連さんがね、足を怪我したらしくて出前を依頼されたんだよ。上流区域にある家なんだけどね。帰りに店に寄って石を見ようかね」
黒猫亭はニーニヤの街のちょうど中程にある。バルルークさんのお家がある住宅街の上流区域と黒猫亭は、さほど離れてはいない。これくらいの外出なら大丈夫……よね? 毎日行き来してる道だし、メルルさんもいるし、すごい混みようでもないから、人と接触する可能性はとても低い。
聞けば魔石屋はその通り道にあるらしいので、帰りに寄ることになった。
あ、ちなみに本日カイはギルドに行ってます。よさそうなお家の紹介があるらしくて、下見に行ってくるらしい。候補をしぼってからわたしを連れて行ってくれるそうだ。
お使いはすぐ終わった。バルルークさんのお家にも近いそのお宅は、うん、なんだかお金持ちって一目見てわかるような大きな邸宅だった。対応してくれた執事さんにバスケットを託けて帰る。
「どんなのがあるんでしょうね」
「いろいろあるけどねぇ。とりあえずどれかに特化したのじゃなくて、一回こっきりの対攻撃魔法の魔石がいいんじゃないかい?」
たしかに。わたしはメルルさんの提案に頷いた。どんな魔法がくるかなんて予測できないもんね。
たどり着いたお店は、お使い先のお宅からこれまたすぐ近くにあった。重厚感ある店構えにちょっと入るのが躊躇われるけれど、メルルさんは気にせずささっと入ってしまった。
「おじゃまするよー」
「いらっしゃい! って、メルル! どうしたんだい、一体。娘さんのとこにでも行くのかい?」
薄暗い店の中で、石を磨いていた店主さんが愛想を振りまきかけ、客がメルルさんだとわかると、怪訝な顔をした。
「あたしはないさ。用があるのはこの子。なんか掘り出し物はないかい? 対攻撃魔法の魔石が欲しいんだけど」
「掘り出し物ねぇ……あ、小さいのならあるよ! 一回こっきりだし、完全には防げないけど、威力軽減はしてくれる」
メルルさんと同じくらいの歳のその女性は、メルルさんの注文に答えると、奥の棚から小さな箱を出してきた。
「対魔法の魔石はあまり売れなくてね、今はこれか、もっと高価な奴しかないね。まあ魔法使いとことを構える人間がほとんどいないんだからそれも当然だけど」
魔石といっても色々あるらしく、今出してくれたような対攻撃魔法の魔石もあるけれど、基本魔法陣を動かすための燃料的な魔石が主流なんだそうだ。前者は傭兵くらいしか買っていかないため、在庫があまりないみたい。
「魔法陣を動かす魔石ってなんですか?」
「お嬢さん、移動の魔法陣って見たことあるかい? あれを魔力のない人間が使うには、魔法紙に書かれた魔法陣と、それを動かすための魔力がこめられた魔石が必要になるんだ。魔法陣は移動陣だけでなくて、火を熾したりっていうのもあるけどね、どの魔法陣も使うには魔石がいるんだ。ウチにくるお客さんは、ほとんどこの用途の魔石を買いにくるよ」
魔石は人工的に魔法使いが作ることもできるけれど、基本は魔鉱山と呼ばれる魔力に満ちた鉱山から採れるらしい。うーん、ファンタジーだなぁ。
わたしは店主さんが出してくれた対攻撃魔法の魔石を見せてもらった。もう一つの方はさすがに高すぎて手が出なかったので、最初に出してもらった魔石を購入することにする。
マクラメ編みのペンダントになったその石は、黒曜石みたいにつやつやとしていた。特に属性のない魔石は、こんな感じに真っ黒か、オパールみたいにいろんな色を内包していることが多いらしい。ちなみに人気があるのはオパールタイプなんだそうだ。綺麗だもんね、七色の石は。
「ちょうどお嬢さんの目みたいな石ですね」
「カイにはぴったりなんじゃないかい?」
うん、自分でもちょっと思っちゃった。わたしからカイにあげるにはなんかいいなって。
ペンダントが入った箱を包んでもらい、わたしとメルルさんは黒猫亭に帰った。
--その人に会ったのはその道だった。
「どうしたんだい?」
商業区と中流区域住宅街の境目の道で、一人のおばあさんが探し物をしているのに出遭ったわたしたちは、なんの気なしに声をかけた。
「人を……探して」
小さな声でおばあさんは呟く。手にした紙を見せようとしたので、わたしたちはなんの警戒もなく近づいた。小柄で細身のおばあさんは、オロオロととても頼りなげな様子で、助けてくれる人を待ってるようだったから、人のいいメルルさんが警戒しないのも当然だったかもしれない。
--だから、最初に紙を覗き込んだメルルさんが倒れるのが先だった。
「メルルさ……!」
駆け寄ろうとしたわたしは、背後から近づいた誰かに口を塞がれ、最後までメルルさんの名前を呼ぶことも、側によることもできないまま。
意識を、闇に飲まれたのだった。




