働くのは楽しいものです!
黒猫亭の元でのアルバイトは楽しかった。なんだか久しぶりにおだやかな日常というか、むこうの世界にいたときのような生活で、わたしの心は浮き立っていた。
「なかなか手際がいいな」
山のように積まれた野菜を手当たり次第に剥いていると、黒猫さんに包丁さばきを褒められた。
「料理は結構得意なんです」
「そりゃいい。カイは大抵のことはこなすが、料理についてはそりゃもう目も当てられないからな。異次元料理作られる前におまえさんが取り上げたほうがいいさ」
「異次元料理……」
「おう、ありゃヤバかった。魔王でも召喚するつもりなのかと思ったぞ。なんでシチューが紫になるのか理解不能だった。しかも刺激臭するし」
異次元料理……お湯スープよりヤバそうな響きだ。魔王召喚ってなんなの。なんで紫になるの。もしやお湯スープは、食べられる時点で苦肉の策だった!?
まあ、とかいうわたしの料理も、実は異世界料理ですけどね!
「そうだ。おまえさん、賄い作ってみるか? それだけきちんと包丁使えりゃ作れるだろ」
おっと、下ごしらえ班から賄い班に格上げされました! やったね!
なに作ろうかなぁ。あ、ソースがある。味見してみるとまあ平気そうだったし、野菜の端使ってお好み焼きもどきでも作ろうかな? 今小麦粉安いし、お好み焼きお腹にたまるし、山芋っぽいネバネバした野菜も見つけたしね。鰹節や出汁がないのが残念だけど、まぁそれは仕方ないかなぁ。なによりわたしが食べたくなったのだ、お好み焼き。
わたしはざかざかと葉野菜を刻み、お好み焼きの準備をした。出汁の代わりに野菜スープを少し入れてみる。
「そりゃなんだ?」
「わたしの国の料理です。あ、卵もらいますね」
焼いている間にマヨネーズを作る。たしか卵にお酢とオイルとお塩を入れて撹拌するんだったよね。
味見してみるとなにか足りないようだったので、蜂蜜を少しだけ追加してみる。よし、これなかなかいいんじゃない?
「なんだそれは?」
「食べてみます?」
マヨネーズを味見した黒猫さんは、背中の毛が立った猫のような表情をした。
「初めて食べたぞ、こんな調味料! これもおまえさんの国のものか?」
「はい。“マヨネーズ”っていうんですけど、結構万能なんですよ」
どうやらマヨネーズ、もしくはそれに準じる調味料はこの国には存在しないらしかった。タルタルソースなんかもないのかな? もったいないなぁ。
「おう、カイ! おまえ、ちょっと来い」
ちょうどお皿を大量に下げてきたカイ--ホントにホールやってるよこの人--を呼びつけ、黒猫さんは興奮した面持ちでまくしたてた。
「嬢ちゃん、このままおれんとこにくれ」
「絶対イヤだ」
「嬢ちゃん仕事したいんだろ? 他で探すより知ってる顔のとこのがおまえもいいんじゃねえか? おれもそろそろ調理任せられる奴が欲しかったんだ。一時じゃなくてそのままうちで働かせろよ。住むのニーニヤなんだろ?」
くれという言葉に脊髄反射したようにカイが拒否するが、黒猫さんも負けずに言い募る。うん、わたしも働けるならそのままここでお願いしたいです! ダメかな⁇
「……接客だけはさせるなよ」
「過保護だねぇ。まあわかったよ、こんなに可愛い新妻じゃ、他の奴に見せたくねぇんだろ。基本調理場からは出さねえから、な?」
「絶対だぞ」
なんと! 臨時アルバイトから普通のアルバイトに昇格したよ! 嬉しい!
「カイ、ありがとう!」
「ホント気をつけろよ?」
気遣わしげなカイに、わたしは笑顔を向けた。やった、今日はツイてる!
なんかここ最近楽しいことが多くて嬉しい。去年は厄年だったんだろうかって思うくらい、新年祭からずっと平穏だ。このままパルティアの人たちに紛れて普通に生きていけたら幸せだなぁ。カイと家族になって、子どもとかできたりして、バルルークさんもシャリルさんも喜んでおじいちゃんおばあちゃんしてくれそうだし、黒猫亭でお仕事もできそうだし。
ささやかな幸せを噛みしめつつ、わたしは焼きあがったお好み焼きにソースとマヨネーズをかけた。うん、いい匂い! あとは少しでもお好み焼きっぽい味になってるといいんだけど。
「カイ、味見」
「おう」
端を切り分けてカイの口に放り込む。ついでにわたしも食べてみた。うん、なかなかの再現率!
「イチャつくなよ。おっさん一人さみしいじゃねえか」
これまた味見をしていた黒猫さんが、ニヤニヤしながら茶化してきた。イチャついてなんていませんよ! そんなスイッチ入ったら、カイ暴走しだしますからね!
「お、これうまいな。メニューに入れるか」
感心したように黒猫さんが頷いた。
なんてことだろう、わたしだけでなく、賄い料理まで昇格した模様だった。たしかにお好み焼きはおいしいですよね。わかります!
「鉄板で焼いて、そのまま出すのがいいかもですね。ソースが焼ける匂いってお腹空くし」
厚切りのお肉を焼いたメニューは、鉄板ごと焼いてそのまま提供しているのを見て、わたしは提案する。ソースが焼ける匂いっていいよね!
「ほぉ、面白そうだ」
目の前の新しい料理に、黒猫さんはグレーの目をキラキラさせて食いついている。心底料理が好きなんだろうなって思うその姿に、わたしは不思議になった。なんでこの人傭兵やってたんだろう? カイの師匠ってことは相当強いんだろうし。
「黒猫亭っていつからやってるんですか?」
「十……八年前か?」
「十六年前だろ」
「あー、ネイが寄宿舎に上がった年だからそんなもんか」
ネイ?
聞いたことのない人名に首をかしげると、黒猫さんが教えてくれた。
「ファーネイって言って、二十二になるうちの下の娘だ。こいつも、ベルラトナっていうその二つ上の娘も、今は嫁いでいないがな」
あ、メルルさんがくれた服の持ち主!
訊いてみると、やっぱりあの服はファーネイさんの持ち物だったらしい。改めてお礼を言っておく。
「あのときは可愛い服を譲ってもらってありがとうございました。助かりました」
「いや、もらってくれて助かったよ。メルルがああいうの溜め込むタチでな、うちはパンク寸前だ」
「大事に着ますね」
幸いあれは薄手の服だったので、変態眼鏡に破かれたものではなかった。ああ、でもあのとき着てたのも気に入ってたんだけどな。くぅ、やっぱりあの男許さん!
「よければ他のも持ってけよ。メルルが喜んで出してくるぞ」
「えっ、いえいえ! もらえません!」
カイに買ってもらったときにわかったんだけど、この世界って意外と洋服高いんだ。高級品とまではいかないけれど、プチプラのものがなくって、新品はバカスカ大量に買えるものでもない。多分全部手縫いだからだろうな。
「あれ、メルルが作ったヤツだから元値は安いもんだぞ? 気にすんな」
あれ、自作ですか? メルルさん、器用だな!
わたしはひそかに感動した。だってあの服、刺繍とかめっちゃ綺麗で丁寧だった。娘さんへの愛情をたくさん込めて作ったのかな。それなら捨てられないよ。
わたし? 家庭科はペーパーテストと調理で点数稼いでたクチです! 裁縫? ボタンは縫えるよ! 以上!




