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わたしの想いと、あなたの気持ち。

 カイとこじれたまま、とうとう馬車はヤークト国内に入った。

 カイはもう目も合わせてくれない。あからさまに避けられてる気がする。


 それでも、わたしはこの気持ちを諦められなかった。我ながらしつこいけど、まだ手放すことができていない。抱えているのはつらいだけなのに、想うだけで今も突き刺すような痛みが胸を襲うのに、後生大事にしまっている。


 でも、もう気持ちを切り替えなきゃダメだ。ヤークトに入ったからには、帰る方法を探すのに集中しないと、カイにも、サジさんとラズさんにも申し訳がたたない。ぐずぐずとしょげて泣いてる場合じゃない。帰りたいなら頑張らなくては。

 わたしが帰れる道を見つけることが、きっと今まで守ってくれたカイにできる、唯一のことだ。


 大丈夫。まだ笑える。笑え。笑って、お礼を言って、帰るんだ。

 お世話になった人たちに残すのは笑顔がいい。失恋に泣くのは帰宅したあとでいい。

 息を吸って、吐いて。前を向け。やるべきことがあるのは幸いだ。


「明後日にはヤークトに着くわね」


 隣に座っていたサジさんが、気遣うような声音で話しかけてきた。青い目が優しく細められる。


「うん、頑張って見つけようね。よろしく頼む」

「ふふ、それを言うならよろしくお願いね、よ」

「うん……そっか。間違って覚えてたんだね、わたし」


 “よろしく頼む”。そう言ったのはカイだった。それを丸ごと覚えてた。わたしのいたるところにカイがいた。

 わたし、笑えてるよね? わたしはサジさんの目を見つめる。大丈夫、そこに映るわたしは笑ってる。


「サジさん。よろしく、お願いね」

「はぁい。任せてちょうだい」


 サジさんはウインクをして見せた。


 ※ ※ ※ ※ ※


 その日の夜も野宿だった。

 今夜はことさら寒くて、ほとんどの人が馬車にいる。わたしも最初は馬車にいたんだけれど、どうしても寝付けなくて外に出た。


「雪だ……」


 寒いと思ったら、雪がちらつきはじめていた。ここの雪は水気の少ない、さらさらとした粉雪だ。

 この世界に来たのは新緑の季節だったのに、もう雪が降るような季節になったんだ。時の経つのは早い。


「ナギ」


 雪を追ってぼんやり空を眺めていたら、背後から呼びかけられた。聞きなれた、でも少し懐かしい気もする低い声。この一月、どうしても聞きたかった大好きな声。

 弾かれるように振り返ると、カイがいた。金の瞳が、わたしを見ている。


「悪い、今、話せるか?」


 カイはまっすぐわたしを見つめ、そう尋ねた。どきり、と心臓が跳ねる。

 どうしよう、心臓が口から出そうなくらいドキドキしてる。話せて嬉しい。でも、怖い。改まってなにを言われるんだろう。どうしよう、怖い、怖い、怖い--!


「う、ん……」


 ぎこちない動きで、わたしは頷いた。ぎゅっと拳を握ると、爪が掌に食い込む。大丈夫、なにを言われても取り乱さないようにしなくちゃ。


 カイについて、焚き火から少し離れた場所へ移動する。わたしは唇を噛んで覚悟を決めた。


「ナギ」


 あなたに名前を呼ばれるのが好きだった。あなたと話すどんなことも楽しかった。だからね、平気だよ。ちゃんと受け止めてみせる。狼狽えないで、ちゃんと聞いてみせる。


 --さあ、こい!


「すまなかった!!」

「へ?」


 けれど、気合を入れたわたしに向けられたのは、謝罪の言葉と、頭を深く下げるカイの姿だった。きょとんとするわたしに、カイは謝罪を続ける。


「カイ?」

「謝っても謝りきれない。ナギは許せなくて当然だ。でも、もしよければこの先も、一緒におまえが帰る方法を探させてほしい。全身全霊をかけて守るから!」


 あ、つむじが見える。右巻きなんだね、カイ……て、違ーう!!

 予想外の事態に一瞬我を忘れてしまったけれど、これって……仲直り、だよね?


「カイ、もう怒ってない、の?」

「あれはおまえに怒ってたわけじゃなくて……いいや、言い訳はしない。俺が未熟だったせいで、本当にナギには申し訳ないことをした!」


 ゆるゆると喜びが身体を満たしていく。嫌われたんじゃなかった。嫌われてなかった!

 そう理解した瞬間、涙腺が緩んだ。力が抜けて、膝からくずおれる。


「よ、よかっ……きっ、嫌われっ、たかと……っ」


 泣いてる顔を見せたくなくて、両手で顔を覆う。手が震えてる。もう嫌だ、カイの前で泣いてばかりだ、わたし。泣きたくなんかないのに、この世界にきてわたしの涙腺はおかしくなったらしい。


「!」


 不意に抱き寄せられて息を詰めた。カイの太い腕がわたしの身体にまわされて、ぎゅっと強く抱きしめられる。カイの匂いに包まれて、カイの心臓の音を聞いて、ますますわたしの涙は止まらない。


「泣かせてごめん。傷つけてごめん。許してくれなくていいから、側にいさせてくれ」

「怒……て、ないよ。怒っ、たり、ない」

「うん」

「嫌われた、て、思っ……。わたし」

「嫌ったりなんかしない。絶対に。おまえに愛想つかされることがあっても、俺がおまえを嫌うことは絶対ないよ」

「わたしも……っ」


 反射的に顔を上げると、金の双眸が静かにわたしを見つめていた。思わず、想いが口を衝く。


「わたしだって、嫌いなんて、ないっ……好き、なの。カイ、好き」


 口にした瞬間、拘束する力が強くなった。頭に掌がまわされて、わたしはカイの胸に顔をぶつけた。痛い。


「……嫌われたかと、思ってた。もう、愛想をつかされたかと」

「ない、よ」

「ナギ、おまえさ、男に軽々しく好きとか言うなよ? 勘違いされてもしらないぞ」


 掠れた声でカイが囁く。くすぐったいその声に、鼓動が跳ね上がる。


「カイにしか、言わないよ」

「だから」

「勘違いされても、いいよ。カイが、好きなの。だから、嫌われるの、つらい」

「--後悔しても、知らないからな」


 声音が、変わった。逃げることを許さないような、強い響き。驚いて視線を上げると、熱を含んだ瞳が、わたしをねめつけていた。


「後悔、しないよ」

「おっさんは狡猾だぞ。逃げそびれても知らないぞ」

「うん?」

「こう見えて独占欲は強いんだ」

「うん」

「逃がしてやれなくなるかもしれないが、いいな?」


 顎に指がかかる。上げられた顔の先に、金の瞳が待っている。捕食するようなその目には、わたしだけが映っていた。


「ナギサ」

「!」


 カイがわたしの名前を呼んだ。この世界に来て、最初に失くしたもの。この世界でわたしは、“ナギ”であって“凪沙”ではなかった。

 凪沙。わたしが両親から最初にもらったプレゼントを、カイはひどく大切なもののように、優しく甘い声音でなぞる。


「好きだよ、ナギサ。こんな俺でいいのなら、根こそぎくれてやる」


 唇が、重なった。


 恋がかなうってどんな気持ちなんだろう。わたしはうらやましく思ってた。

 恋がかなうって、とてもドキドキして、溶けるみたいに幸せで、恥ずかしさに逃げたしたくなって、熱をもった視線から目をそらしたいのにそらせなくて、ずっと触れていたくて、たくさん触れて欲しくて、一秒たりとも離れたくなくて、幸せで、幸せで、叫びだしたくなるような素敵な気持ちだった。


 ああ、ドキドキしすぎて死にそう!


 --雪よ、降って。降り続けて。わたしたちの上に。火照った頬を冷ますように。

 誰よりも側にいるあなたの体温が、もっと強く感じられるように。

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