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一歩進んで一歩下がって回り道?

 どうしよう、うまく息が吸えない。

 “エディが姫を連れて世界を渡った”--つまり、エディ・マクレガーって人は、帰れたんだ。帰れた人が、いた。帰れる術が、どこかにある。


 目の色を変えてカイが記録を読み込む。借りたり持ち出したりはできない本なのだろう。


 わたしはふと、自分の手が震えていることに気づいた。叫び出したいような、泣きたいような、変な気持ちだ。

 帰れるかもしれない。日本に、懐かしいあの場所に。帰りたい、帰りたい。


 でも。


 わたしはカイを見つめた。


 帰ったら--この人には永遠に会えなくなる。


 どうしよう。どうしたら。帰りたい。離れたくない。カイの側にいたい。みんなに会いたい。


 わたしには、恋も故郷も選べなかった。無理矢理連れてこられたこの世界を捨てることはできるかもしれない。でも、全身全霊でわたしを守ってくれた優しいこの人の手を、すんなり離すことなんてできない。側にいたいと、どうしても願ってしまう。


 カイ。ねぇどうしよう?


 真剣な眼差しで書物を読むカイの隣で、わたしは葛藤していた。


 ……どれくらい時間が経っただろうか。

 わたしは一つの結論に達した。


 どんなに悩んでも、今のわたしではどちらも捨てられない。慣れ親しんだ世界も、芽生えたばかりの想いも。

 ならば、今はどちらも選ばなければいい。

 だってまだ帰り方がわからない。帰り方が見つかって本当に帰れるその瞬間まで、棚上げしたっていいじゃない。その日まで、カイと一緒にいる時間を大事にしたっていいじゃない。

 だって、好きだって気づいたらもうダメなんだもの。


「ナギ」

「うひゃあい!」


 物思いに沈んでいたわたしは、急に声をかけられて飛び上がるほど驚いた。驚きすぎて変な声でたし。がっくり。


「迷い人は帰れる。が、帰るには帰還の魔法陣と、膨大な魔力、そして媒介となるなにかが必要なようだ。魔力……はおまえが持ってるな。魔法陣はローゼルトがあったヤークトに行けばなにかわかるかもしれない。あとは媒介だが……これについては記載がない」


 カイは疲れた表情でため息をついた。わたしのことなのに、いつも任せちゃってごめんね、カイ。


「マナツィアに行こうと思っていたが、こうなるとヤークトに行った方がいいかもしれない。かの魔法使いの記録はイセルルートの方が多い気がする。ただ……」

「ただ?」

「俺にはイセルルート共通語が話せないし、読めない。むこうの資料をあたることができないんだ」


 ため息とともにカイが告白した。

 おおう、一歩進んで一歩下がった気がする!

 ドルフィーに来てわたしたちは大事な情報を得たものの、反対に手詰まった感がハンパないのはなんでだろうか。


 まだ今しばらくカイとの旅は続きそうだった。悩み損? いいの、必要な悩みでしょ。


 ※ ※ ※ ※ ※


 とりあえずわたしたちは図書館を後にした。カイが食事にしようと、海が見える食堂に入る。外食とか久しぶりだ。


「いらっしゃい! 注文はなんにするかい? 今日のオススメはトゥンヌのソティーニだよ!」

「トゥンヌのソティーニ?」


 なんだかわからないが、どうやら魚料理らしいので、オススメならそれにしよう。カイがそれを二人分頼んでくれる。わーい、お魚お魚!


「……がっかりしたか?」

「うん?」

「魔法陣と、媒介のことだ」


 媒介……なんかさっき帰り方がどうこうって言ったときに、必要だけどなにかはわからないって言われてたなにかだね?


「媒介、なに? わからない。でもがっかりないよ。カイいる。怖くないよ」

「すまないな、肝心なときに役に立てそうもなくて。旅慣れてても、基本大陸を渡る人間はいない。イセルルート共通語はこちらの大陸ではほとんど耳にしないんだ。くそ、こんなことなら習っておけばよかった」


 カイはかなりしょげてるようだった。大丈夫だよ。気にしなくていいのに。ああ、言い表せないのがもどかしい。


「……あ」

「あ?」


 珍しくカイがぽかんとした顔をした。そんな表情すると可愛いんだ、なんて思うなんて、末期だわたし。


「あー、でもなぁ、うーん」

「なに? どうした?」


 珍しいことは重なるのか、カイがなにかを言いよどんでる。なんだろう、なにを思いついたの?


「ナギ、危険かもしれないが、ニーニヤに戻ろう」

「ニーニヤ? おじいちゃんとこ?」

「そうだ。ナザフィアにいるイセルルートの人間は数少ない。むこうに渡るにしろ、イセルルートの伝手は必要だ」


 そうこうしている間に、注文した料理が届いた。ふわっとバターのいい香りが漂う。白身魚に付け合わせの野菜のフリット。皮が硬めの丸パンが添えてあって、コンソメっぽいスープがついている。

 魚をナイフで切って、一口味わってみると、なんとマグロのポワレだった。おいしい! ぃやっほぅ!

 ……いや、ごはんで浮かれてる場合じゃないぞ、わたし。一旦カトラリーを置いて居住まいを正す。


「カイ、あのね、わたし大丈夫だよ。カイいるから、なにも怖くないよ。ゆっくり、平気、ね?」

「……ありがとな」


 そうだよ。いくら遠回りしたってかまわないよ。あなたがいてくれるから。

 わたしはにっこりと笑った。

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