【挿話】守るべき人、守りたい人(2)
止める間もなく、移動陣はナギを飲み込んで消えた。
「ナギっ!!」
「あ、あの……わたくし、そんなつもりじゃ!」
お嬢様は、ナギが消えたのを見て、ようやく自分がしでかしたことを悟ったようだった。甲高い声でさえずるのがうるさかったので、殺気を込めて睨み付けるとようやく黙った。
「領主殿、やつが戻ったのはイザフォエールの屋敷で間違いないな?」
「あ、ああ」
「悪いが外に出ている時間が惜しい。庭にティガンを呼ぶが文句はないだろうな!?」
「ひっ、ああ、構わん、使ってくれ」
城門まで行ってる時間が惜しかったので、本来認められてない幻獣の出入りを、力づくで認めさせた。
領主が頷くやいなや、俺は露台に飛び出す。空に向かって指笛を鳴らすと、しばらくしてクロムがやってきた。
「クロム、ナギが攫われた。取り返しに行くぞ」
飛び乗りつつ声をかけると、クロムが怒りの声をあげた。普段の様子から相当ナギを気に入っているようだったが--気位の高いティガンをベッド代わりにするなど、まずありえない光景だ--その身に危険が及んだと知ると、クロムは怒りの声を上げた。まるで子を攫われた親だ。
ドルフィーの領主の館からイザフォエールの中心地までは、結構距離がある。移動陣での移動は瞬間にできるものではなく、多少タイムラグがあると聞くが、それでどれだけ時間が稼げるかはわからない分、どうしても気が急いてしまう。
クロムを駆りながら、俺は歯噛みした。
翼があるとはいえ、その巨体のせいで長時間の移動は向いていないティガンだったが、クロムは休憩を挟むことを良しとしなかった。俺だけでなく、クロムも相当怒り狂っているようだ。
あの豚野郎がナギになにもしない確証はなかった。ひどく俺への敵愾心募らせているようだったし、意趣返しに傷つけたりしていないだろうか。好色で、妻を何度も取り替えているという噂が本当なら、ナギが危ない。“時空の迷い人”ということがバレてなくても、その身の無事は保証できないだろう。
どうか、間に合ってくれ。
全力で空を翔けるクロムの背で、俺は祈った。
夏とはいえ、それなりの時間になれば日も傾いてくる。不休で翔け続けるのにも限度がある。さすがのクロムも速度が落ちてきたので、水場を見つけて無理矢理休ませることにした。
「とりあえずなにも考えず休め。おまえに潰れられると困る」
「……がぅ」
クロムは俺の言葉に納得できないといった様子だった。俺だってここで時間を食うわけにはいかないが、さすがにこの暑いさなか、五時間以上も飲まず食わずじゃクロムの方が先に潰れるだろう。
不承不承クロムは泉に向かって行った。が、さほど時間をおかずに戻ってきた。口元の毛皮が濡れているから、一応飲みはしたらしい。
そして、もう休憩は必要ないとばかりに、クロムは俺の前に頸を伸ばした。早く乗れとばかりに一瞥をくれる。
そうだな、お互い気が気じゃないな。俺はクロムの頸を軽く叩くと、そのまま飛び乗った。
クロムの頑張りもあって、日が完全に落ちる頃には奴の屋敷があるイザフォエールの中心地につけた。普段はやらないことだが、街の上空に進入する。幻獣の街への進入は、禁じられてはいないものの、迷惑を考えて避けるべきこととされていたが、この際そんなことは気にかけられなかった。
俺たちは、一際目立つ領主の館に向けて速度を速めた。ナギはあそこのどこかにいるはずだ。逸る気持ちを抑えて俺は目を凝らした。
まったく、あのクソ豚、どうしてやろうか。クロムと屋敷を粉々にするか。再起不能なまでにやれば、今後ナギに手を出すことはしないだろうか。
腹立ちまぎれに俺は豪華な屋敷を睨めつけた。
そのときだった。クロムの耳がピクリと動くと、いきなり方向を変え、急降下を始めたのだ。
「クロム?」
まさか、ナギは外にいるのか?
クロムが目指す先を見ると、薄暗闇に何人かたたずんでいるようだ。その真ん中に--
「ナギ!」
見慣れた小さな影。名を呼ぶと、必死に細い両腕をこちらに伸ばした。勢いのまま、その身体を攫う。
「無事で、よかった……!」
クロムの上に引き上げ、腕に抱えると、俺にしがみついたままナギが泣き出した。ずいぶん気を張っていたのだろう。腕の中で震える細い肩を見て、俺は心底腹が立った。あの野郎、なにしやがった。
「なぜ、あそこにいた? ウェリンの屋敷でなく」
「あっ、あ、の。ウェ、リン様、怖っ、い。部屋、鳥のっ、部屋だった。カイ、ライナさんした、する言う」
ナギはしゃくりあげつつも、必死に状況を説明してくれた。よく見れば顔も髪も服も、煤や埃で汚れている。そんな風になっても逃げるなんて、どれだけ怖い思いをしたんだ。
それにしても鳥の部屋? 俺がしたことをする? どういうことだ?
「鳥の部屋? 俺がなにかしたか?」
「えっと……よ、夜、ウェリン様、くる。怖い。わたしイヤ、逃げるする」
夜?
言いづらそうに顔を赤らめるナギを見て、俺はナギが連れ去られる前のやりとりを思い出した。あいつは俺が婚約者と夜を過ごしたと誤解していた。それか!
「夜……くそ、あの変態豚野郎」
ああ、本当にどうしてくれよう。
怒りのあまり歯噛みしていると、ナギが思わぬことを言い出した。
「カイ、カイ! ライナっ、さん、危ない! あの部屋、ライナさん、のため。ライナさん入れる、ための部屋、言ってた」
俺の服をつかんで、必死に言い募る。強い光を宿す泣き濡れた瞳に、彼女が本気で言っているのがわかった。
おまえ、お人好しにもほどがあるだろうが。人身御供よろしく、移動陣に押し出した張本人の心配をしてどうする!
「あの女が危なかろうがどうだろうが、関係ない」
俺が守りたい人間はあの女ではない。関わって今回のような騒動になるのはごめんだった。
そう言ってつっぱねたが、ナギは折れなかった。
「ダメ、ダメ、カイ! あそこ、怖い。女の子、みんなイヤ! 出られない。外から見るされる。気持ち悪い」
「外から見る? なんだそれは」
「鳥の部屋、大きく、人入れる。部屋、鳥の部屋似てる。中、出られない。鳥……えっと、鳥かご?」
「……鳥かご? そんな場所に入れられたのかおまえ!?」
鳥の部屋。人の入れる、鳥かご。
多分人を鳥に見立てて外から鑑賞できるような部屋があり、ナギはそこに入れられたのだろう。ナギが必死に逃げ出したのもわかる悪趣味さだ。そんなものを作る人間に指一本でも触れられたくはなかろう。
「イヤ、わかる? あそこ怖い。ライナさん逃げるする」
「……わかった。おまえがそう言うなら、伝えに戻ろう。でも、手助けはしないぞ。婚約破棄に関してはあの親父に任せる。自分の娘のためだ、始末くらいつけるだろう」
俺は仕方なしに頷いた。ホッとしたようにナギに笑顔が浮かぶ。
ようやく戻った笑顔に、それを奪っていた豚野郎に改めて殺意が沸く。
「……そんな目に遭ったなんて、やっぱりあの屋敷、ぶっ壊しときゃよかった」
「え、なに?」
ナギに訊き返されたが、俺は思わず漏れた本音を再度聞かせることはしなかった。




