恋は空からやってくる?
「渡せと言われても、君たちを信用できないね。明らかに彼女のいでたちは追われて逃げてきたものだろう。騎士として、ご婦人をみすみす渡すわけにはいかない」
「はん、ニイさん騎士様かい。偉そうだねえ。しかしその嬢ちゃんはうちの客人だ。渡してもらうのがスジってもんだ」
「客人? 君は一体?」
ロイユーグさんはリーダー格の話を聞いて、わたしの顔を覗き込んだ。いえ、そんないいものじゃないです。あれです、人質。しかし人質という単語がわからず伝えられない。
しかしそのとき、わたしを挟んで交わされた会話の合間に、ばさり、と翼の音が聞こえた。
耳慣れたその音に、わたしは弾かれるように夜空を見る。ウソ、空耳? だって夜飛んだことなんてない。いつも日が暮れる頃には野営に入ってたもの。でも、まさか。
わたしは必死に目を凝らし、耳を澄ます。心臓が激しく鳴っている。どこ、どこにいるの?
双つの月に照らされて、雲が流れていくのが見える。その雲の陰に--
「カイ! カイ、ここ!」
わたしは咽喉も裂けるほどに叫んだ。
ばさり、と今度はたしかに羽音がする。クロムがこちらをめがけて急降下するのが見えた。
「--ナギ!」
カイだ。カイの声だ! きてくれたんだ!
わたしはクロムに手を伸ばした。
その手を、カイがつかんだ。反対の腕が脇に回される。ふわりと身体が浮くのがわかった。
クロムの上にすくい上げられたわたしは、カイの首にぎゅっと腕を巻きつけた。カイも片手で抱きしめてくれる。
「無事で、よかった……!」
耳元でカイがかすれた声で囁く。その声を聞いて、身体の力が抜けた。自然と涙が出てくる。うん、無事で、無事で帰ってこれた。もう大丈夫。安心していいんだ。
いつだってカイはわたしに安心をくれる。居場所をくれる。困ったとき、絶対に駆けつけてくれる。守ってくれる。
もうダメ。わかっちゃった。
わたし、カイが好きだ。
うわ、自覚した途端、くっついてるのが恥ずかしくなってきた。今、わたしきっと顔真っ赤だ。夜でよかった。
しかし身体を離そうとしても、カイの拘束はゆるまない。まあ、クロムの上だしね、ここ。
しゃくりあげつつ、わたしは下をむいた。
あれ、今気づいたけど、カイ鎧着てない。わたしは耳元で鳴る心音と、頰に伝わる体温に気づく。
そういやいつも着けてるのに、ライナさんパパに会うとき脱がされてたっけ。てことは、あの後鎧も着けずに駆けつけてくれたってこと? うわ、なんか嬉しい。カイとしてはそういうつもりはないのかもだけど、すごく大事にされてるみたいで。
「なぜあそこにいた? ウェリンの屋敷でなく」
そんな風にドキドキほわほわしていると、カイが耳元に顔を寄せてきた。クロムの風切り音対策とわかっていても、心臓が跳ね上がる。
「あっ、あ、の。ウェ、リン様、怖っ、い。部屋、鳥のっ、部屋だった。カイ、ライナさんした、する言う」
「鳥の部屋? 俺がなにかしたか?」
「えっと……よ、夜、ウェリン様、くる。怖い。わたしイヤ、逃げるする」
うにゃ〜! 好きな人にこういう報告ってしづらい!
しゃくりあげつつ、わたしは起こった出来事をカイに告げる。しゃくりあげてるから途切れ途切れだし、うまく説明できるほどこっちの言葉に馴染んでないし、わかってもらえる自信がないわ〜。
「夜……くそ、あの変態豚野郎」
しかしカイは夜という単語で汲み取ってくれたのか、途端に凶悪な表情になった。ひぃ、視線だけで人殺せそう! 豚がどうこうって言ったのは、もしかして罵声?
背中を支える腕にさらに力が込められたことにドキッとする。カイ、わたしのために怒ってくれてる。ヤバい、嬉しい。カッコいい! ……心臓もたないけど。
ん? あれ? ちょっと待てよ?
カイの一挙一動にドキドキしていたわたしは、ふと我に返った。あの悪趣味な鳥かごの監禁部屋を思い出す。
「カイ、カイ! ライナっ、さん、危ない! あの部屋、ライナさん、のため。ライナさん入れる、ための部屋、言ってた!」
そうだ、あのマシュマロマン、ライナさんを閉じ込める目的であの部屋作ったんだよ! わたしだけが逃げてもダメじゃん! ライナさんも逃げないと!
「あの女が危なかろうがどうだろうが、関係ない」
「ダメ、ダメ、カイ! あそこ、怖い。女の子、みんなイヤ! 出られない。外から見るされる。気持ち悪い」
カイは心底怒ってるのか、怒った表情のまま冷たく吐き捨てたけど、でもダメだ。あんな怖い部屋に誰かが入れられるとか、想像するだけに恐ろしい。だって綺麗なライナさんを入れて、あのおっさん楽しむ気だったんだよ? 綺麗な小鳥を綺麗な鳥かごに入れて楽しむように。
「外から見る? なんだそれは」
「鳥の部屋、大きく、人入れる。部屋、鳥の部屋似てる。中、出られない。鳥……えっと、鳥かご?」
「……鳥かご? そんな場所に入れられたのかおまえ!?」
どうにかマシュマロマンが言っていた単語を思い出して伝えると、カイの顔がさらに凶悪になった。
「イヤ、わかる? あそこ怖い。ライナさん逃げるする」
「……わかった。おまえがそう言うなら、伝えに戻ろう。でも、手助けはしないぞ。婚約破棄に関してはあの親父に任せる。自分の娘のためだ、始末くらいつけるだろう」
ああ、よかった! どうにかなりそう!
不承不承頷いたカイに、わたしはホッとする。そりゃたしかにライナさんにされたことは許せないけどさぁ、でもあんな怖いとこに入れられるとかわかってたら止めたくもなるよ。
「……そんな目に遭ったなんて、やっぱりあの屋敷、ぶっ壊しときゃよかった」
「え、なに?」
風切り音で拾えなかったカイの呟きは、その後訊き返しても教えてはもらえなかった。
※ ※ ※ ※ ※
「カ、イ……? まさか、兄上?」
ロイユーグは、今先ほど目の前に現れた人影を思い出して呆然とした。
十数年前に家を出て、行方をくらませてしまった下の兄。ちらりと見ただけだったが、あの特徴的な色合いの目は間違いようがなかった。魔力を視認できる不思議な瞳。貴重な魔法使いでも持っている人間は稀で、“時空の迷い人”の血が混じっていないと顕れないという金の双眸は、仄暗い夏の夜でも判別がつくような光を宿していた。常に一緒に付き従っていた幻獣の姿もあったし、間違いないだろう。
「なぜ……兄上」
言いたいことはたくさんあった。しかしすべて喉元で止まってしまう。
ロイユーグは、暗い道の途中で、ただただ立ち尽くしていた。




